237話 天秤の天使、選定の刻《True END》
「せ、選定の天使様が聖都にご光臨するというのか……!」
レィガリアは驚愕を浮かべながら眩い光を仰ぐ。
驚きと勇壮な傷頬をひくひくと痙攣させた。
種族たちの見上げ讃えるその先には、光翼が燐光をまぶしている。
金色の空に在るのは気高く、崇高。6枚の翼を携えた天使の姿だった。
後光が強すぎるためその御姿は輪郭くらいしか拝めない。が、現れた天使は女性らしき抑揚あるシルエットで、手に天秤を掲げている。
「なんという奇跡の賜か……! これは生涯随一ともいえる尊き瞬間がいままさに……!」
レィガリアはたまらず膝を落とす。
主に忠誠を誓うように頭を垂らした。
つづくように月下騎士と聖騎士たちも続々と忠義を示す。
無論のこと彼彼女らだけではない。教団騎士も、聖職者も、集う種も動揺に。会場に集う大陸世界の民全員がかしずき、感涙を浮かべ、嘆願した。
唯一状況についていけないのは、茫然と立ち尽くす人間のみである。
「で、その選定の天使って凄ぇのかよ?」
ジュンは頭痛をこらえるみたいに眉を寄せた。
ミナトもあまりに強い光で目を眩まされつづけている。
「カナギエルとミナザエル曰く超凄い天使だとさ」
「ずいぶんな畏まりようだからなんとなくすげーことになってるってことしかわかんねぇぞ」
「オレもまったく同じだし、なんだったら眩しすぎて凄い迷惑だなぁ」
信仰自体に浅いということもあってか真意は定かではない。
ただひとついえることがあるとするならば、この光は融和を意味している。
ミナトがビヒラカルテと退治した際に感じた死とはまるで別、正反対といっても良い。この光景にはあの皮膚の表面をチリチリと焼くような緊迫感がないのだ。
それどころか光を仰いでいるだけで心の黒い部分が透んでいく。荘厳でありながら神聖。知らぬ母の胸に抱かれているような安心感がいっぱいにこみ上げてくる。
テレノアとザナリアは隣り合うよう並ぶ。そして天を見上げながら頬を紅潮させていた。
「選定の天使様は2人しかいないとされる創造神ルスラウス様の直属の天使です。つまり天使のなかでももっとも等級の高い最上位天使に位置づけられます」
「司りし選定は英雄が天に昇るかを天秤で計るためのもの。彼女に見定められし勇敢なる魂は死後も天にてその身を研ぎ澄ますとされています」
初恋する乙女のように瞳もうるうると悲しみとは別で滲ませている。
祈り捧げるのがまるで在るべき姿であるかの如く、2人は胸の前で祈り結ぶ。
「私に――」
そして天使の降臨によって変貌する。
天に向かい敬いながら男は懇願する。
「私に大罪を犯したことへの贖罪をお与えください!! 崇拝する神を愚弄し仇なしたこの棄教者に相応の罰を!!」
ハイシュフェルディン教は聖書を抱きながら天使へと咆哮した。
まるで己が罪人であるかのような振る舞い。とにかく形振り構っていられないといった感じ。
結果として聖女に反旗を翻す。彼からしてみればこれ以上の背徳はないのだ。
「私は貴方様がたの敷いた道理に背いたのです!! 是が非でもこの穢れた身へ神罰と浄化をお与えくださいませ!!」
ゆえに調停者へと神罰を乞う。
神の使いより直々の贖罪の機会を窺う。
しかし天使からの返答は『なりません』彼の望むものではない。
「いったいなぜなのですか!?」
『罪なきモノから魂を奪うことは可能です。しかし裁くことは例え神であっても不可能でしょう』
「もはや私は教団の祖父でもなければ赦しを得ようともしていないのです!! 御心を望められるのであれば即刻この身を魂ごと滅していただきたい!!」
そのままの意味で必死だった。
これが最後の機会であるとばかりに食らいつく。
だが天使は漠然とハイシュフェルディン教を見下ろしながら静かに首を横へ振る。
『まだ己の耐え難き現実から逃げつづけるおつもりですか?』
「逃げる!!? 私は決して逃げてなどいませんッ!!?」
『しかしこの場で死を乞うほどにアナタの信仰は純粋です。それなのに1度の過ちにも至らぬ行為になぜ罪を認められるというのですか』
ハイシュフェルディン教は閉口し、乞う形を崩す。
そうして己の手を見つめ鷹と思えば、力なく膝から崩れ落ちてしまう。
「私は……私はいったいどうしたらよいのです……! この愛を失ってなお受け入れられぬ脆弱な男にどのような足跡を求めるのというのです……!」
聖書を強く抱きながら幼子の如く啜り泣く。
天使には見え透いていたのだ。その身が未だ最愛の死を受け入れられぬことに。
だが、コトここに至って天使に縋る行為こそが彼の弱さを露呈しているだけに過ぎない。
『1つの失ってしまった愛を振り切る必要はありません。そしてもし耐え難いのであれば父となりなさい。父として生き、また失った以上に多くの素晴らしい愛を培えば良いのです。魂を肉体から引き離すのはその後でも遅くはないでしょう』
今回の騒動はなにも難しい話ではなかった。
ひとりの男がひとりの女を愛しつづけたというだけ。
ハイシュフェルディン教は妻を失った辛さと対面せず信仰に逃げた。だから悲しみに気づけず、そのまま心の底に定着させていまっていた。
ならばあとやることは1つきり。父として娘とともに生きれば良い。
「お父様」
濡れそぼった父の頬にそっと白い手が触れる。
「……これほど不甲斐ない父を父と呼ぶのかい?」
「涙を流す行為は心の膿を取り除く行為であると大切な友に教わりました」
ザナリアは父の眼前に微笑を描く。
少しだけの悲しみを目に浮かべながら。
それでも流さぬようこらえつつ父に自分を見せつける。
「ここからもう1度、私と一緒に肩を並べて歩き始めませんか?」
「すま、ない……すまない! 娘は私のことをずっと見つづけてくれていたはず! なのに私は過去の残影から一時として目を離せずにいたのだ!」
「では今日からお父様は私のお父様です。しかし私は変わりません。なぜならずっと貴方様が私のお父様でしたもの」
ようやくハイシュフェルディン教は長きに渡る悲しみと対面する。
いままさに嗚咽と友に滴り落ちる涙の数だけ彼の苦悩があったのだ。
そんな父の背を娘は優しく撫でていく。
この聖誕祭で彼が失ったモノはなにもない。
そこには教祖と娘ではなく本来在るべき父と娘の姿があるのみ。
「さて、あちらは大団円の形へとカタが付いたようだ。が……まさにここからが正念場だな」
東はあちらに一瞥をくれてから表情を引き締めた。
メンバーたちも手に汗を握りながら降臨した天使の影を見つめている。
未だそこにいるということは本来の目的があるのだ。なにより未だ神託という勝敗の結論にさえ触れていない。
東は腰引けることなく居直る。革靴の踵を鳴らし、丈長の白裾がわあと広がる。
「報われぬ男1人のためだけにご降臨なさったわけでもあるまい。是非ともこの場に降り立ってくださった理由をお伺いしたいところだ」
『天と地を繋ぐのは祈りと温情に他なりません。ワタクシたち天の民は地の民との時の交わりを避けておりますので』
「ではどのような祈りに応じて馳せ参じたのか。多くの種族が聖誕祭に望むものとはいったいどのような偉業であろう」
天使相手であっても威風堂々とした立ち姿が眩むことはない。
なにせこちらは人間。神の創造した種族の外にある。だからこそ大陸種族であればこうはならなかっただろう。
すると天使は僅かばかりくすり、と。繊細な喉を奏でる。
『ワタクシが祈りに応じたのは種の祈りではありません』
表情は後光の影に隠れてしまってわからない。
だが美しき声にちょっぴりと微笑みが重なった。
『この世ならざる世界より来たりし種の願いを聞き届けました』
ふわりと手を広げる。
その先に立っているのは、こちら。
ヒカリとリーリコはそれに気づきながら目を丸くする。
「この世ならざるって……」
「私たち?」
漠然とした状況に茫然とする人間たち。
だがミナトは双天使より聞いた覚えがあった。
『たぶんだけど選定の天使様はキミたちの願いに応じる用意があるんだよ!』
頭の奥でヨルナが語りかけてくる。
当然、いわれるまでもない。選定の天使であれば聖誕祭のルール、道理を変えられるかもしれない。
ならばダメでもともと。ミナトは肺いっぱいに空気をとりこみ、天使に向かって叫ぶ。
「つまり聖誕祭に加えられた道理を貴方の力で代えてくれるんですか!!」
破れかぶれでも、一か八か。
だが、やってみる価値はある。
『道理とはそれすなわち森羅万象の根源たる制約なのです。だからこそ道理を私利私欲のために捻じ曲げるのであれば大きな代償を支払わねばなりません』
一方的に道理を変更したのはあくまで――天使だが――向こう側。
これ以上こちらがリスクを抱える必要はないはず。
「そこをなんとか!! 出来れば無料でお願いしたいんですけど!!」
「お前……思いのほかふてぶてしいな」
東の呟きが聞こえるも、構っている暇はない。
これが与えられた本当に最後のチャンスなのだ。
誰ひとりとして死なずに済む、本当の終わり。
『私利私欲でならば代償は必要です。しかしアナタの思いの行方が平行であるならば話は別です』
天使は天秤をこちらに向かって差しだす。
思わず首を捻るミナトの袖をテレノアが慌てた様子で引っ掴む。
「つまり対等かつ平等な結末を用意しろということですよ! 審判の天使様の天秤が傾かぬ状態を提示しなくてはダメということです!」
さらにはザナリアも合流してくる。
「対等なる条件で合致しているのならこちらの祈りを聞いてくださるおつもりのようです」
いつの間にかハイシュフェルディン教も悲しみ喘ぐことを止めていた。
いまはただ目の前に現れた奇跡へ深い祈りを捧げつづけている。
「そもそも選定様がご降臨なさること自体が奇跡に等しいのですわ。だからこそ枠外からやってきた人種族の願いが本当に届いたということです」
「おそらく我々大陸の民の願いであれば天界の道理に背くことになってしまいます! でも人種族様たちならば例外が設けられているんです!」
平等で、平行で、対等な結末。
降臨した天使の望むものを提示できさえすれば聖誕祭の道理を曲げてくれるというのだ。
こうなったらもう推測を開始するしかない。人間たちは揃って顔をつきあわせながら密談を開始する。
「平行。つまり平等な結末っていうことなら……聖誕祭そのものをなかったことにする、とかかな?」
「でもそれじゃあ俺らの船を直せねぇだろ。聖誕祭で勝たねぇとこっちが約束を守ったことにできねぇ」
「ならそもそも私たちの私利私欲が含まれてしまう。だからこの話は間違いなく通らない」
「……すやぁ」
唐突に突きつけられた課題を前に求められる以上の平行線を辿ってしまう。
とはいえここで結論がだせねば結果は変わらぬままとなってしまうだろう。
つまりそれが余計に若人たちを急かす。夢矢もジュンも、リーリコでさえまともな思考を発揮出来ずにあった。
「偉大な天使様はいったい誰の願いを聞き入れてくださったのかな?」
慌てふためく若人を置いてこちらは冷静。
東は無精髭に手を添えながらふむ、と喉を低く唸らせる。
すると天使は即座に1人の人間をすっ、と指さす。
『そこにいる漆黒の髪色をした少年の願いを聞き届けました』
回りくどい言い回しもなく即断即決。まるで隠そうともしない。
そんな豪胆な天使が指名した場所に立っているのは、ミナトだった。
「オレ!? え……――オレェ!?」
これには当の本人も最大の困惑を返すしかない。
東はミナトに歩み寄って肩を組んでから頬を寄せる。
「はっはっはァ……先ほどなんと祈った?」
天使以上の圧だった。
東は早くいえといわんばかりにミナトを急かす。
「お、オレは……別にたいしたことを祈ったわけじゃ……」
「あのいいかたからしてどうやら天使様はお前にゾッコンらしい。ならばお前の祈りにこそ答えはあるのだろう」
耳元にボソボソと吐息を吹きかける。肩を組んだのも逃げるなということだろう。
ミナトは中年のわざとらしい香水の匂いに脳を乱されつつあった。
だが東がここまで執着するということは、ここが頑張りどころなのだ。
「えっと……確か……どっちかがではない……」
重圧がリアルにのしかかっている。
周囲のメンバーも、種族も、天使でさえこちらの回答と待っている状態だった。
そんななかミナトはようやく1つの答えへと辿り着く。
「あっ――そうか!! そういうことをいってるのか!!」
全身の毛穴が広がるが如き衝撃とともに、見つかった。
指が勝手に動いてほぼ無意識にキザったらしい乾いた音を奏でる。
東は、それを見てニヤリとほくそ笑む。
「あのご足労くださった心優しき天使様へ思うがままに願いをひけらかしてやれ」
暑苦しく組んだ肩を解くのだった。
経験を経て得たあらゆる情報がすべて1点へ向かって収束している。それこそがたった1つの平等だった。
そしてそれは天使による本当の願いでもある。でなくば彼女が願いを聞き届けこの場に降り立った理由の説明がつかない。
ミナトは、選定の天使に心からの感謝と奇跡を祝い、その口で願いを形に変える。
「2人だ!! テレノアとザナリアのどっちもを聖女にしてください!!!」
(区切りなし)




