235話 敬愛よ、慈愛よ、永久へと《Good End》
間もなく聖誕祭という華やか祭りの幕が閉じようとしている。
沿道の建物には十字を掲げて垂れ幕が下がる。聖都を彩るのは7色の種族たち。訪れる巡礼者たちもクラス民たちも浮かれ熱狂し理性を飛ばす。
そして群れるように聖火台に完成した蒼き燃ゆる雄々しい炎を前に夢現と目を少年少女の如く瞬かせた。
誰もが望んだ祭りもまたやがては有終の美を飾る。はじまりがあれば終わりを迎え、また終わりは始まりを意味する。
「そ、そんな……!」
とさり、と。力なく膝が折れて石畳の上に崩れた。
清淡な面が天を仰ぐも土気色。もはや立ち上がる気力さえ彼からは感じられない。
「私は……っ! 私はなんという恐ろしいことを、してしまったのだ……!」
失意、それから大きな絶望がそこにあった。
これが神に遣え、信仰し、その身を捧げた男の末路である。
あれから唐突に現れた傷だらけの天使を見て種族たちが混迷したのはいうまでもない。
そして双天使の口から信じがたくも冷徹な事実が晒されている。
「ハイシュフェルディン教は傑作級サキュバスビヒラカルテの悪戯によって操られていた」
「聖誕祭に妨害者が現れることを神は予言していたのよ」
カナギエルとミナザエルは種族たちをぐるりと見渡した。
2人の傷は治療魔法によってとうに完治している。
戦闘を終えた後なので双方とも大鋸と枝切りの武器を手に種族たちと向かい合う。
「だからボクらは例外をとり除くためにこの大陸世界に遣わされていたんだ。はじめから最後まで聖誕祭がつつがなく終えられるよう監視するためにね」
「そしてつい先ほど止められた時のなかでビヒラカルテという悪しき存在がハイシュフェルディン教のなかから現れ、そして去ったことを確認したわ」
群れる民たちは一斉にどよめきたつ。
なかでもとくに教団騎士たちの狼狽が激しい。
それもそのはず語るのは天使であり明白。さらにいま会場の中心で寂れながら天を仰ぐ主こそが渦中の眼なのだから。
東は雑に髭の立った顎に手を添えふうむ、と低く喉を唸らす。
「押さえこんでいた心を読み欲望と執念の鬼と化す魔法……か。それならばあの狂いようにも多少の納得がいくな」
驚愕の事実を前に会場の血の気が引いていた。
教団側も聖女側でさえ眼を踊らせながら戸惑い、誰1人として声を上げるものはいない。
こうして種族たちでさえ心乱される事象なのだから人間たちには夢物語を伝え聞くようなもの。
夢矢は小難しそうに眉寄せながら首を横へきょとん、と捻る。
「つまり僕たちが戦っていたのは……」
「ハイシュフェルディン教ではなく別の意思」
普段から冷静沈着なリーリコでさえ釈然としていない様子なのだ。
聖誕祭終幕直前にまで至っての衝撃的事実が明るみとなる。あれだけの接戦を繰り広げたからこそある種の肩透かしを食らうような感じ。
しかし教団側のハイシュフェルディン教による自己意思ではないとなれば、色々と話が変わってしまう。
「そうなるとこの聖誕祭ってどうなっちまうんだ?」
ジュンの口にした疑問に応じられる者はいない。
代わりにリーリコが山なりに歪めた唇にそっと指を添える。
「私たちの相手は教団。でも教団はハイシュフェルディン教の指揮に従ったに過ぎない」
腕組みをし、ため息みたいに鼻から吐息を漏らす。
プロポーションの良い腰を捻って腕を組むと、ローブの隙間から豊満な房が僅かにはみでた。
ジュンと夢矢も宙ぶらりんな曖昧模糊とした状態から抜けだせずにいる。
「んで、その大親分のハイシュフェルディン教が操られていたってことだよな?」
「つまり派閥同士の争いもなかったことになっちゃうよね?」
ここで問題となるのは、勝敗の決死かた。
もしハイシュフェルディン教がただの被害者であれば、敵は元より存在しないことになる。
そうなると聖誕祭での勝負自体が不鮮明。聖女派閥と教団派閥での厳正な勝負足り得ない。
と、ここで魂が抜けたように虚脱していた者がゆらりと立ち上がる。
「此度の勝負は私だけの敗北です」
ハイシュフェルディン教直々の敗北宣言だった。
そして立ち上がると即座にテレノアへと深々としたお辞儀をする。
「私の心が弱かったばかりにこの身を暴走させてしまいました。この失態は私1人の敗北であり教団の信徒たちはまったくの無関係です」
恥じ入るように下げた頭を決してあげようとはしない。
しかも己の罪を認めることで自らを敬い讃えた信徒さえも救おうとする。
本当に別人だった。あれほど滾っていた執念でさえ灰になって風に飛んでしまうと思えるほど、儚い。
聖女側としては喜ぶべき勝利なのだが勝ち鬨のひとつもあがろうとはしなかった。
テレノアは手を薄い胸に当てながらその場に留まりつづける。
「……ハイシュフェルディン教」
躊躇いがちに顎を引き、長いまつげの影を伸ばした。
「私は邪気を逃していまなおすべての記憶を覚えております。己の犯した罪、不道理と不道徳、畜生にも堕つる暴虐。無論貴方様を誘拐しそちら側の動きを制限しようと画策したのもこの私なのです」
「で、ですがそれは心に無断で住まわっていた病巣のせいではありませんか! それはハイシュフェルディン教の罪ではありません!」
テレノアが声を張ると、ハイシュフェルディン教はようやく頭を上げた。
そうして疲れ果てた美男顔を左右に振る。
「先ほどもおっしゃいましたがすべては私の意思なのです。聖誕祭で反旗を翻したのも、聖女様を攫ったことも。それら全部が私の心のなかに備わっていたもの……」
そっ、と。膝を折って石畳に寝そべる聖典を拾い上げた。
堅い板紙は傷だらけで埃が染みついてしまっている。
しかし彼はそれを優しく丁寧な手つきで払う。
「あれこそが私の本当の姿だったのです。あの悪鬼羅刹を体現するが如き執念の魔物こそが……この私の真実の姿……」
埃を払い終えて胸元へと引き寄せてから両手で抱き寄せるのだった。
ビヒラカルテの能力は、欲望の底上げ。操るのではない。元より有る感情を欲情させたということ。
そうなればハイシュフェルディン教は元からその感情を胸の奥底で眠らせていたに過ぎない。
つまり教祖としての仮面の裏にあの化け物じみた欲望の権化を飼っていた、と。彼自身が認める。
そしてハイシュフェルディン教は、おもむろに歩みだす。
「私を此度の罪とともに聖火へ奉じてくださいませ」
弱々しくはない、どちらかというとかなり堂々とした足運びだった。
その表情にも迷いはない。微笑は凜々しく清淡で、揺らがぬ。
そしてハイシュフェルディン教はテレノアの前で膝を落とすと、静かに頭を垂れる。
「どうか……どうか切に……! 願わくばこの恥と罪に塗れて生ける骸を聖火へ奉じていただけぬでしょうか……!」
忸怩たる感情を奥歯で噛み締めるような声だった。
影に落ちた尊顔はうんと歪み、引き攣る。
罪を認め贖罪のためにその身を焼べるという大胆な宣言だった。
これにはテレノアも青ざめながら慌てふためくしかない。
「お顔をあげて下さい! 私に貶められた貴方様を下す権限は持ち得ていません! なによりたとえ貴方様の行動が眠らせていたものであったとしてそれは私の未熟ゆえに芽生させてしまったものではありませんか!」
「聖女であるテレノア様に疑いを抱くことさえ不敬に他ならぬのです!! このような不埒な感情を眠らせていたことに気づけなかったこと自体がコトの発端なのですよ!!」
どちらも頑なに譲ろうとはしなかった。
譲れるわけがないのだ。これは互いの生死を賭けてまで挑んだ聖誕祭である。
教団側が勝利すればテレノアが聖火に飛びこまねばならなかった。だからこそハイシュフェルディン教はその命をもって彼女に勝利を捧げようとする。
しかし聖女側からすればこの聖誕祭は、成り立っていないも同然。ビヒラカルテに操られた彼を安易に聖火へ焼べられるような状態ではなかった。
「私は神の御意思に背いてしまったのです!! そしてあろうことか聖女という神聖な名誉すら妻を蘇らせるという不道徳によって穢してしまった!! これで教祖の身であったとするならば敬虔な信徒に示しがつかぬのです!!」
「ですが貴方の心の魔は無理矢理目覚めさせられてしまったものです!! 本来ならば一生眠っていたもののはずなのにどうしてそれを罪といえますか!!」
なにもかもが不規則。
神聖な聖誕祭の末路にこのような事態が巻き起こることを予測できた者がいるものか。
それでいて不定形。
聖女の誕生を心待ちにして集まった種族たちは、路頭に迷うことしか出来ず。この波瀾万丈な結末を迎える前段階に誰1人として入っていける者はいない。
「――なりませんッッ!!!」
否、ただ1人のみ存在している。
分厚い重装を雄々しく奏でる姿は、騎士そのもの。
少女は、美しき銀の長髪を流して喧噪の中央に割って入った。
「ザナリア様!? いったいなにを――」
「聖女様!! どうか私の願いをお聞き届けて頂きたいのです!!」
テレノアの前に割りこんだのは、ザナリア・ルオ・ティールである。
なにしろ彼女だけには2人の間に入っていく権利があった。
どちらでもない。聖女をこよなく敬愛し、教祖である父をもつ。だからこそこの場でもっとも中立な立場にある。
そしてザナリアは己の父を背にして勇敢に両腕を広げている。
「どうか……っ! この私の父を神聖なる聖火へとお焼べ下さい!!!」
その言葉に会場全体がどよめき短な悲鳴を上げた。
ミナトはハッと。美しい横顔にとても嫌なものを覚える。
それはボタンを閉じ終えたときはじめて掛け違えていたことに気づいたような。
「や、やめろ……ザナリア!!」
ヒヤリと冷たいものが背に落ちるのを感じた。
だから急ぎ手を伸ばす。友の征く運命を止めるべく駆けだそうとした。
だがすべてが遅い。ザナリアはすでに思いを固めてしまっている。
彼女は。ミナトに1度だけ微笑み、そして――戸惑う民たちと正面から相対する。
「たとえ世界がお父様の敵であっても私だけは見放すことはあり得ません! たった1人の血の繋がった家族なのですから!」
他者の割りこむ余地がないほど精錬としていた。
彼女は騎士である。母を失い父とともに育った生粋の騎士。
ゆえに己の実直な生きかたそのものを彼女自身が体現している。
「今宵私も父とともに大いなる天へと旅立ちましょう! なぜなら私はッ、ルスラウス教教祖である誇り高きハイシュフェルディン・ルオ・ティールの娘なのです!」
(区切りなし)




