231話 色の褪せた世界《DRY・CRY》
「なんと美しい蒼い炎だ!」
「聖火がついに完成したのよ! なんて神々しいのかしら!」
これにて聖女派と教団派での勝敗は一目瞭然だった。
聖火台に灯る白炎は見事なまでの蒼色。
種族たちは崇める。口々に膝を落とし讃える言葉を口にする。
苛烈なる決闘の果てに優位を勝ちとったのは、聖女側。テレノア・ティール含め遣える聖騎士月下騎士に軍配が上がった。
ふぅ、と。最大功労者は腰に手を添え浅く呼吸する。
「やれることはやった。あとは神託とやらを待つだけだな」
なおも東に油断はない。
種族たちの作る勝ちのムードにも呑まれず目を見張りつつけていた。
それでもひと心地ついたような若干の緩和は否めない。ヒリつくような激戦であったためさすがに気が抜けるといった風体だった。
そんな祈り捧げる女神の描かれた背を若者たちが次々にひっ叩いていく。
「やるじゃねぇか東よぉ! 最後の最後に大逆転なんて魅せることしやがんぜ!」
「チョーハラハラどきどきだったんですけどぉ! まさに激戦を彩るって感じよねっ!」
ジュンとヒカリはすっかり浮かれモードとなっている。
もうトロフィーを手中に得たかの如きハイテンションだった。
規定ルール外からの奇襲。さらにはダメ押しの逆転劇。
当事者も相当疲弊したとして、見ている側だって決して心穏やかではなかった。
「これでついに僕たちも次のステージに進めるんだねっ!」
「長かった。でもここからが本番」
「ふあぁ~……私はひと仕事終わったからちょっと休むけどねぇ~」
若人たちは諸手を挙げて各々にはしゃいでいる。
熱戦からの解放。緩急もあったからか普段以上に和気あいあいと頬を紅潮させていた。
弾ける笑顔に囲まれながら東は、たまらずといった感じでふふ、と微笑む。
「まったく若さあふれるとはまさにだな。自分たちがどれだけほど巨大な切り札となっていたかさえ歓喜の向こう側とは」
浮かれるチームメンバーたちを一瞥して苦笑を浮かべるのだった。
そんなところに小札のチャラチャラとした音色が歩み寄ってくる。
「東殿おみごとでしたな。此度のご活躍聖女派閥一同より比類なき感謝を送らせていただきたい」
あちら側ではすでにレィガリアを筆頭とし、規則正しく揃っていた。
月下騎士聖騎士ともども聖女派閥の騎士たちが東に向かって敬礼を示す。
しかもそれは挨拶や友に向けるための礼ではない。王や主に向けるかの如き格式張った敬礼である。
惜しみなく功労者を讃える。それは東へ如何に感謝しているのかが窺える行為だった。
「俺は契約通りに勝利へ勇みよっただけにすぎない。なにより勝ちを得たられたのは俺だけの力だけではないのだからな」
「それでも貴方は聖女様を王に仕立て抜いてくだすったのだ。これを称賛とせねば我々の存在そのものが無意味と化しましょう」
厳めしい傷顔もいまばかりは勝利に照っている。
月下騎士団長のレィガリアでさえ此度の栄光はそれほどのものだったのだろう。
どことなく彼の指揮する騎士たちからも喜びこみ上げている様子だった。
「それよりも余分なルールが増えたせいでここからが問題となるだろう」
「……そう、ですな」
2人は笑むことを止めながらあちらを見た。
あちら側ではこちらの歓喜と反比例するが如く教団騎士たちが意気消沈とうな垂れていた。
二転三転の罠を張り巡らせ完璧を作り上げてなお聖女側に食らいつかれる。絶対的な勝ちを確信していたからこそ落胆の渦の中央にあるのだ。
しかも彼らは己の信ずる者のために行動したに過ぎない。
ゆえに失意は別のところに向けられている。
「こんなことが許されるものかァァァァ!!! 私の渇望に勝るものなどこの世に存在するはずがないッッッ!!!!」
騎士たちの信仰したはずの主は、狂乱によって呑まれていた。
ハイシュフェルディン教は狂ったように身の振りを弁えることさえ止めていた。
裾を汚しながら地団駄を踏む。帽子と聖典を石畳に投げ捨て奥歯を軋ませ全身で怒りを顕わにする。
あれでは教団の面汚しも良いところではないか。上に立つものというより憤慨する子供のソレ。
「お父様お止めください!!」
ザナリアが有られもない姿を晒す父の元へ慌てて駆け寄った。
荒れ狂うハイシュフェルディン教の腕に縋りつくようにしがみつく。
すでに目端にはなみなみと涙が浮かぶ。しかしそれでも父を止めんと身を挺する。
「これは正当な選定なのです!! 聖女様たちは正式な方法で我ら教団を上回ったということに他なりません!! ゆえにその功績を民の前で貶すような素振りは即刻お止めください!!」
魚の目の如き剥かれた瞳が彼女をぎろりと捉えた。
その直後に事件は起こった。
「黙れエエエエエエエ!!! 知ったような口を聞くなアアア!!!」
「――っ!!?」
そして次の瞬間あろうことか、咆哮ととともに張ったのだ。
ハイシュフェルディン教は、己の娘の頬を手の甲で振り抜かんばかりに払った。
これよってザナリアは弾き飛ばされ石畳に崩れ落ちてしまう。
「……?」
抵抗もないままにへたりこむ。
空虚な瞳で、色を失いながら赤くなった頬に手を添え制止する。
「お前はなにもわかっていない。そう、お前如きにはなにもわからないのだ」
「お、とう……さま?」
だが娘から失望の眼差しを向けられてなお留まることを知らない。
どころかもはや顔をどす黒くなるほど怒りに染め上げながら喉でがなり立てる。
「聖女の力さえ授かれば亡き妻を復活させられたかもしれないのだッッッ!!! お前の母親を元に戻すことだって可能だったのだぞッッッ!!!」
雷撃に似た弾け回るような叫びだった。
執念の正体。聖女への渇望。悪逆非道なまでに固めた勝利への執着。
それらすべてがいま、彼の口から周知となりつつある。
「お前が聖女となれば輪廻をも超越する永遠の命を手に入れる!! そうなれば母を知らぬ娘にもう1度愛を蘇らせることさえ出来たのだ!!」
種族たちの浮かべるものは一様にして混迷のみ。
あれほど高貴まとう男の慎ましさなんぞとうに欠片とてあるものか。
そこにいるのは娘を上から圧すように声を張り上げるだけの、悪鬼。
「聖女の力で生まれなおした母なき娘は消えても無垢な魂のまま輪転する!! そうなれば純粋な本当の母の愛を与えてやれた!!」
狂人の戯言とかたをつけるのは容易い。
だがここは人の及ばぬ魔法世界である。
物見を決めこんでいたミナトもようやく動きだす。
テレノアにそっと身を寄せてから「……あれマジか?」囁く。
すると彼女ははっきりと縦に頷いてみせる。
「生涯1度きりですが蘇生魔法の使用が可能と聞いたことがあります」
ミナトは衝撃の事実にギョッ目を見開いた。
そこからさらに分析する。
「だったらザナリアを聖女にしなくてもいいんじゃないか? テレノアが聖女になってから頼むって手もあっただろう?」
矛盾は早々に見つかった。
聖女が蘇生魔法を使えるというのであれば聖女の器は関係がないはず。
なのにハイシュフェルディン教は頑なに娘を聖女に仕立て上げようとしていた。
するとテレノアは静かに首を横に振って波掛かった銀髪を左右に揺らす。
「しかしそれは聖女自身も死を学ばねば使用不可なのです」
「死を学ぶだって!? それなら蘇生するには命を懸けるってことなのか!?」
「あ、いえそうではなく……っ!」
ミナトが驚きのあまり詰め寄った。
テレノアは僅かにポッと頬を赤らめながら1歩ほど距離を置く。
そうして眉を寄せるような笑みでこほん、と。ひと息いれる。
「私たちは人間さんたちとは違って死を思うことで寿命が与えられるのです。つまり寿命を得て感覚的な死を学ぶことによってはじめて蘇生魔法――リ・バース・デイと呼ばれる魔法が生涯に1度のみ使えるということです」
その驚愕の事実には愕然とするしかなかった。
もしハイシュフェルディン教の叫びが事実であれば、言い訳のしようがない。純粋な邪悪。
元あったザナリアが聖女となって転生しなおす。そうなればザナリアは記憶を失い現世に復活する。
つまりハイシュフェルディン教は、娘の死を前提に置いて妻を復活させようとしたということ。
とてもではないが常人の考える知識の先だった。道理を超えて森羅万象の理に仇をなすが如き心無き行為。
これには喜び浮かれていたメンバーたちも表情を歪めて苦言を吐く。
「つまりテメェの娘を生贄に奥方を復活させようとしてたってことかよ!?」
ジュンはしかめ面で唾のように吐き捨てた。
逆にヒカリは怯えきっており声が微かに震えている。
「ひどい……! それが本当に親のやることなの……!」
こちらの全員に共通しているのは、軽蔑だった。
ハイシュフェルディン教の野望とは傲り高ぶる己の欲望そのもの。
もはや彼らの瞳に映るのは敵や教祖などではない。道理を捨てて信仰さえ手放した悪鬼だった。
「私はすべてを神に与えてきたはずッッッ!!!! なのになぜ神は私から大切な者すべてを徴収していくのですッッッ!!!」
これが、信仰に生きた男の叫びなのか。
祈りに生きた男の生き様なのか。感情のタガはとうに砕け散った。
ハイシュフェルディン教は天を仰ぎ頬に涙を伝えながら笑う。
両手を広げて讃えし神へと笑いながら涙する。
「主は私から妻を奪い同時に娘からも母を奪ったのだァァ!!!! 召されたなどという都合の良い言い訳で塗りつぶすのは止めろオオオオ!!!!」
げたげたと喉を奏でる。
しかし奥から湧いてくるのはなににも勝る悲しみでしかない。
ザナリアはそんな父を見上げながらずっと同じ位置で茫然としていた。
「……おとうさま……」
ミナトは、その失意のなかにある彼女の肩にそっと触れる。
「あれはもうただの餓鬼だ。欲望に囚われて喰われ尽くされた抜け殻の姿だ。だからきっともう……」
お前の父親なんかじゃない、と。いえたのなら救えるだろうか。
母を病で失い、父をこれから失う。そんな彼女に掛けるべき言葉なんてあるのだろうか。
この儀式で聖女側が勝てばハイシュフェルディン教は死ぬ。そうなればザナリアは1人ぼっちになってしまう。
そしてミナトが押し黙っているうちに神官の男が杖を振り下ろす。
「天使様のご降臨ゆえ静粛に成されよッッ!!! 此度の聖誕祭の神託が間もなく下ろうとしているッッ!!!!」
声に叩かれるようにして種族たちがいっせいに同じ方角を見つめた。
浮かれていたものも、失意のなかに溺れていた者も、関係ない。
ただ1点を見つめている。いつの間にかそこにいる双天使に注目を集めたのだった。
「これより聖誕祭の勝者を大陸種族へお伝えします」
「我らが祖父ルスラウス様よりお授けになられたお言葉をお伝えします」
その2人の天使こそが仮面を帯びたカナギエルとミナザエルだった。
双天使は仲睦まじそうに手を繋ぎながら両翼をわあ、と広げる。
すると種族たちは例外なく祈りを結びながら熱い吐息を漏らす。
種と天使。普段であれば決して邂逅することのない相手だった。
だからこそ種族たちは目を輝かせながら天使を仰ぐ。そして呼吸する音でさえ控えてその言葉を聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「此度の聖誕祭に勝利したのは――」
「今回の聖誕祭で聖女に選ばれるべきは――」
この場にいる誰もが期待に満ちた。
この場にいる誰もがその瞬間を心待ちにした。
人も、種族も、教団も、聖女も、関係はない。その裁定こそが平等な結末である。
「慈愛と寵愛、そして運命の天使によって選ばれたのは――」
「せい――」
その勝敗が下る瞬間に、なにかが起こった。
はじめはなにかわからなかったのだ。だからなにかとしかいいようがなかった。
そう、その現象をミナトは知らなかったから説明が不可能だった。
ただそれが超常的な異常であると気づいたのは、彼が1回だけ瞬いたときのこと。
「……色が」
それ以上につづく言葉はない。
だってそれは意識的に口にしたわけではないのである。
率直だった。素直な感想でしかなかったのだ。
そこからまずとったのは動くという行動のみ。ミナトは己の両手がそこにあることを確認してから周囲を見渡す。
「な、んだよ……これ?」
風景の360度である。
聖都から余すことなく色が抜け落ちているではないか。
いつからとかではない。刹那の間に世界から色が失せている。
さらには世界にはただ1人しか存在していない。周囲の生物はまるで背景であるかのように冷え、そして時を止めてしまっている。
「こんなの……魔法しかあり得ないだろ? 誰かがいまここで魔法を使ったのか?」
混乱なんてもので済むわけがなかった。
唐突に世界が息を止めたのだ。聖誕祭の結果を心待ちにする一瞬の瞬きのうちに閉鎖されてしまった。
水は塊となって流れることを止める。木々は揺らがず風さえ止まる。都に舞う埃でさえ空中を漂うことなく制止する。
ここはただ1人の世界だった。そんな閉鎖された色なき世界に高音が突然と響き渡る。
「なんていうかダッッサア! あんだけやったのに負けてやんの!」
ゲタゲタと品のない。
それでいて子供のように純粋で、女の笑う音だった。
「でもいい、どちらかというと凄くいいと思うの! キャハハハ! こういうブザマな幕引きもこの心の声にすら気づかないバカらしくてサイッコウだわ!」
ミナトは弾かれるようにして声のする方角へ反応する。
「――ッ、誰だ!? 誰かソコにいるのか!?」
視線の先に立っているのは、ハイシュフェルディン教だった。
しかし彼も氷つくように時を止めている。
なのに彼の方角から聞いたこともない色気ある女の声がするのだ。
「……ハァ? どうして私様の時空滑走に着いてきてるヤツがいるの?」
これほどの超異常なのだ。魔法でないはずがない。
そうなるとつまりいま話している相手は人ではないなにか。こちら側の世界に住まう種族ということになる。
いまのところミナトはその声の正体を探りきれていなかった。
なぜなら声はすれども姿はどこにも見当たらない。姿どころか影さえ発見することは出来ずにいる。
「ってかさっさとでてかないと聖火に焼べられちゃうじゃないの。バカの野望を手助けして挙げ句燃やされるなんて勘弁よ」
時を止め色褪せた男に異変が起こった。
ハイシュフェルディン教のなかから――まるで着ぐるみを脱ぐようにして――女が生えてくる。
ベッドから起き上がるように伸びをする。顎をあげて背を弓なりに反らす。
そうして男から抜け落ちるようにしながら虹色の翅が開かれた。
「だから誰なんだよ――オマエは!? どうしてハイシュフェルディン教のなかからでてきたんだ!?」
ミナトには予感があった。
なぜだかこの女がすべての元凶にあるような気がしていた。
だからといっていまここで叫べたのは、怒りではない。圧倒的にまで達しつつある恐怖の爆発である。
なぜならその女は歪だった。
背に生えたガラスを割るが如き虹色の翅も、色を散らした瞳もすべてが恐怖の対象だったから。
そんな虚勢を前に女は蠱惑に目を細める。
「名を聞かれた際はまずプリズマサキュバス、と。そう、応えるように規定されているわね」
ミナトにとってこの女は例外だった。
大陸種族たちのように人として見ることが出来なかった。
だからこそこれほどまでに――心が屈するまでに――恐怖している。
「そしてお母様がこの作品にお与えくださった名は、ビヒラカルテ。だから私様も種族の道理に乗っ取るのであれば、ビヒラカルテ・ノスト・ヴァルハラということになる」
どうぞ、よろしく。女はそういって深々とお辞儀をした。
ミナトの頭はすでにパンク寸前にまで至っている。
「プリズマサキュバス? ビヒラカルテ……ヴァルハラって天使の名前じゃないのか?」
どれほど脳を巡らせても聞いたことのない種族だった。
しかも大陸種族たちのラストネームには一定のルールがある。
そのなかでもヴァルハラというのは、天使たちの名乗るものではないか。
ビヒラカルテ・ノスト・ヴァルハラと名乗った女は、愉悦を噛み締めるように艶めく唇で半弧を描く。
「それでアナタはなぜ私様の世界に割りこめているのかしらぁ! キャハハッ――キモいを通り越えてキモしろいんですけどぉ!」
(区切りなし)




