230話【祈り女神VS.】執念と欲望の焦土 ハイシュフェルディン・ルオ・ティール 3
そういって東はおもむろに丈長白羽織の腰辺りをまさぐっていく。
彼が白羽織の中から引っ張りだしたのは、この場の誰もが予想だにしない物体だった。
「なんですかその珍妙な物体は? とてもではありませんが現状を打開可能なモノには見えませんがね?」
ハイシュフェルディン教は冷ややかな眼差しで東を見下す。
だがそれは彼がこちら側の種族であるから。あちら側から見れば周知でしかない。
東が隠し球としてとりだしたものとは、ブルードラグーン船員ならば見覚えがありすぎるものだった。
なぜならそれはフレックスを注ぎこむためのもの。蒼いガンメタリックで滑らかな流線型を描く、畜蒼器。
驚きながらもたまらずといった様子で夢矢とジュンが東の元に駆け寄っていく。
「しかもこれって僕らが新しいやりかたでフレックスを注いだフレクスバッテリーじゃないか!? どうしてこんなものを聖都にもちだしているの!?」
「おいおいなに勝手なことしてやがんだ!? 物の数はあるっつってもそれは俺らが懇切丁寧にフレックスを注いだやつじゃねぇか!?」
ジュンがとり返そうとフレクスバッテリーに手を伸ばした。
しかし東は見切った動きで華麗に躱す。
「スマンがこれは完全に俺の落ち度だ、許せともいわん。本来ならば先の宝石や鉱石で勝利を掴む手はずだった」
「……はァ? なにきゅうにかしこまってんだよ?」
唐突な謝罪だった。
ジュンはよろめくような姿勢のまま。とり返す手を止め停止した。
夢矢も目をぱちくりと瞬かせながら掲げられたフレクスバッテリーを見上げている。
「どうやら俺如き1人が足掻いたところでここいらが限界のらしい」
東はフレクスバッテリーを顔前に寄せた。
光沢のある表面に映る己の顔を眺めながら深い吐息を零して、空を仰ぐ。
「姫を助け国を救う……英雄か。夢に描くお伽噺の主人公ならばこうではなかっただろうな」
手放すような細い呟きだった。
無精髭の生えた頬をそよ風が撫で去っていく。
そして一転。感情を裏返すように指がパチン、という軽快な音色を発する。
「なのでチームメンバーたちが総力を結集して作り上げたこれで勝ちを毟りとりにいくッ!」
白裾がわあ、と豪快に広がった。
先ほどまでの寂れた感じがまるで嘘のよう。そこにいるのは普段通りの自信に満ち満ちたふざけきった大人だった。
しかしどれほど自信満々であるからといって説明にはなっていない。
それは供物として最高率の魔物でもなければ価値あるものでもないのだ。どう見ても負けを認められず抗っている無様な姿にしか見えない。
ハイシュフェルディン教の耳にだってきっと負け犬の遠吠えくらいにしか聞こえていないだろう。
「よくぞここまで食らいついたと褒めてあげましょう。しかし潔く努力の差と実力の軟弱さを認めることもまた次に進む方法です」
まるで埃でも払うような軽率な動作で手を払う。
すでに呆れきっているという様子で尾の長いため息を肺から絞りきった。
そしておもむろに裾を引くと、進行役である神官のほうちらりと一瞥する。
「聖女側の行動に一貫性はなく無駄な時間稼ぎもはなはだしい。あの男を早急に儀式の場から追放することを進言させていただく」
それを受けて神官の男は一考する余地さえなかった。
こくり、と。無言で首を縦に振ってから儀式用の杖を振るう。
同時に後方に待機していたエーテル族の神官とは別の者たちがわらわらと集まっていく。
すると瞬く間に黒いキャゾックを着た男たちが東を包囲したのだ。
「貴方様のおかげで非常に意義のある聖誕祭となりました。そして集ってくださった民のかたがたにも我々教団の威光を示すことが出来ました」
ではご機嫌よう。ハイシュフェルディン教は上品な所作で頭を下げる。
「それではこれにて」
それは彼なりの礼儀だったのか。
敵味方問わず奮闘した者たちに送る閉幕の挨拶だったのかもしない。
ここで幕が下りれば判決が下る。聖女側は敗北となり聖女はザナリアに変更される。そして現聖女テレノアは聖火に身を投ずる。
これは閉幕ではない。これは最悪の幕開けでしかなかった。
人の願いも叶わず、ノアに帰る夢でさえ灰燼と灰燼と帰す。
つまりこの聖誕祭こそが人間たちにとっての分水嶺だった。ここで勝てねばもうそれはすべて終わりを意味する。
「まったく……我々人間も見くびられたものだな」
ぼやり、と。立ち昇った。
蒼く、揺らぐ。白い生地の表面にうっすらと膜状の光が沿う。
「供物の条件とする1つをまだ隠しているな?」
不意に聖火台に向かいかけていたハイシュフェルディン教の足が止まる。
「ほう? 便宜上ですがその条件とやらお聞かせ願えますかな?」
再度、両陣営で睨み合う。
しかし今回の東は余裕の表情を浮かべてはいない。
代わりに蒼を帯びてハイシュフェルディン教と真正面から向かい合う。
「祈りを籠めるという項目が存在しているはずだ。でなくばここに集う民たちが十字架を手に祈り捧げるのは不可思議だからな」
「では貴方のもつ憶測が正しいとしてその珍妙な物体如きにどれほどの祈りが籠められているというのですかな?」
「如きとは聞き捨てならん。なにせこれには俺の誇るチームシグルドリーヴァ全員の思いが注がれている」
東は蒼い瞳でハイシュフェルディン教を睨みつける。
身には蒼き光をまとう。キャゾックをまとう男たちは変化を前にたじろぎつつあった。
その開いた隙間を通って東は聖火台のほうへと勇み足で歩みはじめる。
「わかるかこのなかには故郷を憂い仲間や友に思いを馳せるチームメンバーたちの命そのものが入っている」
こつり、こつり、こつり。
革靴の底が石畳を通過するたび蒼き軌跡が風に揺らぐ。
東の声には怒りともとれる気迫が感じられる。
「ミナトが発案しジュンが実践しメンバー全員へ伝えて成された大きな功績だ。年を重ねて諦めることばかりが上手くなった俺では到底なし得なかった情熱そのものがこのなかにはある」
白裾をなびかせ蒼を流す。
そうやってついにはハイシュフェルディン教さえ追い越す。
「もしこの祈りが無価値であるというのであれば俺は神の存在そのものを否定させてもらうッ!! 俺の大切なチームメンバーたちの純粋な祈りをなかったことにさせるものかッ!!」
飄々とせず、それでいてちゃらちゃらとしていない。
フザケた笑みもなく、高笑いもない。それこそが包み隠しようのない本域の叫びだった。
あまりに唐突な凄みを魅せられる。これにはメンバーたちも息を呑みながら次々に胸を打たれ、叫ぶ。
「そうだ、そうだァ!! 俺たちの祈りと夢と希望とそのすべてを聖火にぶちこんでやれ!!」
「僕らの思いは本物だよ! この聖誕祭に勝ちたいという気持ちも帰りを待ってるみんなを思うこともぜんぶ本当の願いだ!」
「誰にも負けない! たとえ相手がこの世界の種族であっても私たちの敵じゃない!」
「絶対に勝ってやるって決めたんだから!! 勝って帰ってノアのみんなにまた会うのよ!!」
滲む涙でさえ散らしながら捲し立てていく。
はじめはこの大陸に残りたいと迷う者もいた。帰還組と残留組で意思が割れて衝突したこともある。
しかしぶつかり合うことで若き心たちはより研鑽されていった。そうしていまのチームシグルドリーヴァは硬い意思で団結している。
そしてその大塔となるのは必ずこの男だった。ノアの革命を成立させ人類を解放した英雄がいた。
若者の意思を尊重しながらとりまとめ常に余裕の背で導く。東光輝という1人が軸となって存在している。
聖火台へと辿り着いた東は、甲高く指を鳴らし、フレクスバッテリーを大きく振りかぶった。
「かしづきながら受けとり賜え神よ!! 俺のチームメンバーが注いだ若き熱き祈りをだッ!!」
獣の咆哮のような威勢とともに投げ入れる。
白く燃え滾る巨大な炎へ蒼き意思を投じたのだ。
ゆっくりと加熱されるように放りこまれた蒼き流線型が形を崩していく。
ここからはもう祈るしかない。月下騎士や聖騎士たちと揃ってメンバーたちも同じ形で祈りを捧ぐ。
ジュンも「頼む……頼む!」夢矢だって「神様……ッ!」リーリコも「お願い!」ヒカリも「私たちの思いよ届いて!」その他全員も願う。
しかし全員で強く結んで祈るも、悲しく遠ざかるばかり。
聖火の白炎は揺らぐ。まるでそれらの願いさえ飲み干してしまったとばかりに静寂をもって揺らぐ。
「ク、クク、クフッ――ハァーハッハッハ!!! どうですか最後の望みすら絶たれ無となったご感想はァァ!!!? 我ら教団への教えは神の意志そのものォォォ!!! はじめから逆らうことなど愚でしか――……」
「……む?」と、ハイシュフェルディン教の動きが唐突に静止した。
聖火を中心に大気が震える。脈動し空気が鼓動する。
種族たちも人間たちも含め、この場にいる全員がその異変に気づきつつあった。
それは会場全体に響くメロディーであるかのよう。聖火を囲う者たち1人1人に伝わっている。
とくん、とくん。はじめは小さかった。
とくん、とくん、とくん。しかし1拍ごとにその振動は確かなものとなっていく。
そして最後にどくんっ。
衝撃が世界の半分に渡るほど響き渡ったのだ。
「――そンなッ!? ば、バカな!!?」
見るものすべてが己の目を疑った。
やがて聖火に目まぐるしい変化が起こる。
フレクスバッテリーを焼べられた聖火台から光があふれたのだ。
世界を二分するが如き光の柱に等しい。神々しく煌々として天を空を衝く。なのに優しくて猛々しい。
しかも突然変異個体を放りこんだときよりも群を抜いて巨大に膨れ上がっていた。
会場にいる全員がその時間差で現れた豪快な光景を網膜に焼きつけている。
「バカナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
それはもはや神の啓示する奇跡そのものだった。
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