223話 ともに友と、友の定め《For you》
幼子が3匹ほど。
狭い寝室をちょろちょろと駆け回る。
「わああ! 見て見て龍の赤ちゃんだよ、ミーナ!」
「カーナずるいわ! ワタシにも触らせて!」
駆け回るモチラを2人の天使がはしゃぎながら追いかけていく。
短い手足とくたっくのない曇り無き笑顔が麗しい。とてもではないが争いとは別の次元にある。
モチラも肉厚の尾をふりふりさせながらどこか楽しそうに走り回っていた。
そんななか心温まる平和とは似つかわしくない落雷が轟きを上げる。
「貴方は宮殿に入るためにだけに天使様を呼びつけたということですかッ!!?」
ザナリアは憤怒の形相で不法者を怒鳴りつけた。
正座を命じられたミナトは悪びれもせず頬を掻く。
「いやオレも最終手段だなぁとは思ってたんだけど……」
「手段に入れること自体が言語道断ですッ!!」
ザナリアの私室に入室してからというものしばらくこんな感じ。
ひとしきり反省を促されている。どうやらここまで辿り着く手法が悪かったらしい。
宮殿の兵はとても優秀な者たちである。不審者であるミナトが入れてくれとせがんでも一切聞く耳をもたなかった。
だからミナトは最終手段を遂行した。しばし押し問答の後、宮殿に向かって天使の名を呼んだのだ。
「さすがの門兵も相手が悪かったんだろうなぁ。エンジェル’s宮殿から飛びだしてくるとマジで青ざめてたから同情したよ」
「天使様をモノのように使うなんて懲罰刑さえ生ぬるいですわ!! しかも門兵を黙らせるために呼びつけるなんて言語道断の極み!!」
ミナトの行為によほどの逆鱗が眠っていたらしい。
ザナリアは鼻筋の通った美しい顔だちを鬼憤怒の如く歪める。
通せんぼする兵を前に天使たちの被っている仮面を剥いだら一瞬だった。そうはもう手のひらもいで空に放り投げて裏を返すように迅速かつ畏まって通してくれた。
ザナリアが激怒で捲し立てても、ミナトは1mmとして反省していない。
「そんなぷりぷりすることでもないだろ。呼んだのはオレだけどでてきたのはエンジェル’sのほうなわけだし」
「私たち種族にとって天使様は崇拝の要です!! この大陸に至るそれらすべてが天界の民による寵愛の恩恵なのですからね!! あとエンジェル’sって略して呼ぶの止めていただけませんこと!?」
なにしろこちらは、知ったことではない。
人間に天界がどうのといわれても埒外もいいところ、響きようがない。
ミナトはどっこらと立て膝に手を添えて立ち上がる。
「とりあえずカーテンくらいは開けようか。こんなに暗くっちゃ気も滅入る」
痺れ掛けた足でふらふらと窓際に向かう。
するとザナリアがその肩を掴んで強引に振り向かせた。
「私の話を聞いているのです――っ!?」
勢いはそのままに。ミナトはザナリアのほうへ、ぐいっと顔を寄せる。
そっと手を伸ばす。その怒りに紅潮した頬に優しく触れていく。
「やつれてる、クマまである。どうみても健康そうには見えない」
「そ、それは……」
ザナリアはよそよそしく目を逸らしながら言葉を濁らせる。
ミナトの手を振り解くどころか全身を強張らせて固まった。
頬や目元。それと輪郭に触れられていくと怒りの紅潮が別の朱色へと変化していく。
「やっぱり合いにきて正解だったよ。こんな場所で腐ってたらカビが生えるってもんだ」
「……ぁ」
ミナトが触れるのを止めるとザナリアは僅かにか細い吐息を漏らす。
身を翻して離れていく背におずおずと手を伸ばしかける。
そして勢いよくカーテンが開かれると同時に目を眩ませ細めるのだった。
部屋いっぱいに白いシーツを広げるみたいに陽光が差し込む。
床にベタ置きされた重装鎧一式が久方ぶりであろう日をうんと浴びて照り輝く。それ以外にも飾られた宗教的なオブジェや旗などが日の目を見る。
ミナトはようやく明るみにでた乙女の私室をぐるり、と見渡す。
「……テレノアの部屋より居心地悪いなここ。せめてぬいぐるみの1つくらい置いといてくれないと男のもつ女性像が崩れるぞ……」
「か、可愛げが皆無で悪かったですね! 教団の崇拝するのは綿や布ではなく石膏で出来ているものです!」
湿気た私室には飾りっ気がまるでない。
テレノアの私室もそうであったが、ザナリアの私室もまるで色味がなかった。
それどころか堅苦しい十字架やら小さな像がちらほら、と。これならなにも置かれていないテレノアの私室のほうが幾分マシだったかもしれない。
さらには部屋の主が笑わないというのも問題であろう。ザナリアの顔は数日前のモノとは比べ物にならない。
1輪の花どころか、食事もろくに喉を通らないといった感じのしなびた尊顔をしている。
「数日合わないだけでその変わりようかねぇ? ずいぶん思い詰めてるらしいしさぁ?」
「あ……貴方がそれをいいますか。どうやったらこの数日きりで肩幅が2倍近くも膨れ上がるのです」
薔薇の棘のように鋭い睨みがミナトの膨れた胸囲に刺さった。
しかしザナリアの頬に咲いた桜色は未だ消えることはない。
ミナトはやれやれと丸みと硬度を帯びてきた肩をすくませる。
「そりゃあ男子3日合わずばの掛ける10セットならこれくらいは変わるさ」
「か、変わりすぎです。私だって鍛えていますけどそこまで隆々と発達しませんもの」
およそ1ヶ月ぶりほどの間を開けた再会だった。
ザナリアがミナトの身体を見たのは風呂での意図せぬ対面以来。
逆をいうとミナトがザナリアの裸体を見てしまったのもその時ということ。
「…………っ」
ザナリアは目の前の少年から露骨に視線を逸らす。
それから小刻みな足どりでぱたぱたとベッドに向かう。
「唐突な訪問なので申し訳ないのですがもてなす用意はありませんからね!」
「お構いまく……というかハナからそんなもの期待してないって」
ぷい、と。ザナリアは肩頬を膨らませながらミナトから顔を背ける。
そうしてネグリジェを豊か押し上げる尻を寝具に落ち着けた。
普段の雄々しい騎士姿とはまるで正反対。薄く愛らしい寝間着が彼女の美貌によく似合う。
しかも薄手だからか普段なら鎧に隠れているはずの女性らしい箇所がまざまざと見てとれた。
「とにかく! 貴方はいったいなにをしにここへ赴いたのです!」
普通であれば入室直後くらいにでてくるであろう疑問だった。
しかし天使やらネグリジェやらかなりの遠回りしたものである。
ようやく本題に入る。ザナリアは咳ひとつを零してから訪問者に向き合う。
「貴方はこちら側ではないはずです。その上聖女側であるならば私たちの敵にあたります。このような場所へ無自覚に立ち入るのは非常識に他なりません」
彼女の言い分ももっともだった。
教団側と聖女側は対立図式が成立している。
しかも新たなる聖誕祭の道理によってより関係性は逼迫していた。
「ま、まあ確かに久しぶりにお顔を拝見できたのは喜ばしいことです。しかし不用意な行動は聖女側から裏切りという嫌疑をかけられかねません」
しかしなにより気丈に強がる彼女こそが、誰より犠牲者である。
聖女と父の確執に板挟みされているだけなのだから。望まぬまま戦いの渦中に巻きこまれたに過ぎない。
「私の話を聞いておられますの? 先ほどからおっしゃっている通り教団側として聖女派の貴方とは一切協力なぞ……」
「オレははじめから友だちを元気づけにきただけだけど?」
「……え?」
ミナトにとって聖誕祭はどうでも良かった。
ただひとつの現状を忌避して赴いたというだけのこと。
聖女を敬愛するザナリアだからこそこの先の戦いで確実に苦悩する。
そんな姿を思い浮かべて、友として、放っておけなかった。
「なにをいうのかと思えば馬鹿げたなことを。私は騎士なのですからそのような懸念とは無用です」
彼女の言葉には僅かに怒りが滲んでいる。
プライドが傷ついたとばかりにむっ、と口元をしかめた。
しかしそんなものは見え透いている。なぜならこちらも友であるのだから。
「馬鹿なもんかオレの杞憂が100パー完璧に当たってるじゃないか。3日ろくに寝られていないツラして強がるなよ」
「……っ!?」
彼女は騎士として育てられた。
男顔負けの騎士たらんと高潔ぶって清淡に生きる。そのため女としての振る舞いさえたどたどしい。
そんなザナリアだからこそ誰かに弱みを見せられるわけがないのである。相談も出来ず1人で暗い部屋に籠もり悶々と思い詰めしまうことくらいの予想は容易。
「それともなんだテレノアを聖火に飛びこませる日の覚悟が固まったのか?」
聖女の名がでた途端だった。
ザナリアはさっ、とミナトの視線から顔を逃がしてしまう。
「……貴方になにがわかるというのです」
「ぜんぶわかってるさ。そうやって暗い部屋で色々なモノを溜めこんでることもな」
しかしミナトも止まってやらぬ。
ここで苦しむ彼女の為に止まってしまったら今日ここにきた意味がなくなってしまうから。
「けっきょく最後の最後まで整理がつかないで気づいたら手遅れにしたいのか? 父親とテレノア、大切な2つのどっちかがいなくなっても後悔しないって本気でいえるんだな?」
「ッッッ――じゃあ貴方にいまなにが出来るというのですか!!? 勝てばお父様が死に負ければ聖女様が死ぬことへの整理をどうしてつけられるとお思いなのですか!!?」
立ち上がると同時に幾数もの涙が散った。
あれだけ毅然と騎士に励んでいたザナリアからはじめての弱みが漏れだす。
しかも美貌のすべてが歪むほど。しどと漏れでる悲しみによって塗りたくられていた。
「聖誕祭がはじまって私たちにはもう止まる術がないのです!!? だからこそもう私たちはどちらかの死に収束する道を進みつづけるしかないじゃないですか!!?」
嗚咽。悲しみ、喘ぎ。叫び。
その怒りの表情も、絶え間ない涙も鼻水も、それらすべてが心に淀み溜まった、膿。
ザナリアにも自覚があるのだ。きっと聖誕祭の終焉とともに大切なモノを失うことになる。
先ほどからずっとなにかを伝えたくてやきもきしていた。そんな友からの悲痛な声がようやく届けられた。それこそが彼女がずっと心の鎧に閉じこめていた本当の思い。
ならばそうならぬような道を作れるかともに友と悩むのも友の定め。
「ならその相談にきちんと答えを用意してやるさ。なんならこの場で直接解決法を聞きだしてみようじゃないか」
ミナトは――どこぞの誰かを真似て――キザったらしくパチン、と指を打つ。
ちょうどいいことにこの場には事の発端がいるではないか。先ほどから追いかけっこに飽きてこちらの問答を第三者の如く眺めている2人が。
調和と調律の天使。カナギエル・ヴァルハラとミナザエル・ヴァルハラの双天使がここにいる。
「で、そっちの勝手な都合で女の子1人が袋小路なんだけど……なんとかできるんじゃないのかい?」
(区切りなし)




