222話 憂い帯びて眠る騎士《Tears OF Choice》
「……はぁ」
切なげでアンニュイな吐息が星屑の如く流れた。
当惑に眉を潜めながらカーテンさえ締めきられた部屋にただひとりきり。
流麗たる美貌は孤独をまとい倦怠に覆われている。
もうここ数日で幾度漏らした儚さだろう。夜に瞬く星の数ほどといっても誇張ではない。
伏せたまつげの影は長く、銀燭の瞳も輝きを失っている。
日々追われるようにとり組んでいたはずの鍛錬でさえ手につかず。
こうして日々を腐らせる毎日がつづいていた。
「もう……戦いたくない」
目鼻立ちのキリリとした美貌は白い膝奥に隠れてしまう。
発した声も暗く淀む。さらにはくぐもってしまっている。
日の通らぬよう閉ざした部屋にただひとりだけしかいない。憂い帯びたように背は丸く銀燭の瞳にも光が通らない。
「……創造神フィクスガンド・ジアーム・ルスラウスよ。……なぜ貴方はこれほど残酷な選定を我々に迫るのです……」
膝を抱え頭を埋め、細腕を掴む手が強く握られた。
真なる聖誕祭の秘密が明かされた。それからというもの彼女にとって無類の苦難と同義だった。
たったひとりの家族である父と敬愛する聖女のどちらかが消滅する、なんて。誰がはじめから想像できようものか。
どれほど騎士然と猛々しく振る舞おうともひとりの娘なのだ。だからこうしてあれだけ躍起になっていた剣術の鍛錬でさせもサボるくらい悶々とした膠着によって苛まれてしまっている。
「…………」
選ばないのは、怠惰だ。
彼女はそれが未熟の証明であることを知っている。
それでも選べないものはどうしようもないのだ。父と聖女、そのどちらもが彼女にとって崇高であり愛する者たちだから。
父は己を聖女たらしめるために歩むことを止めないだろう。聖女もまた民のために足を止めることはないはず。
つまるところどちらかが確実に世から消滅する。来るべき聖誕祭の最終日。どちらかの身が白炎の輝きのなかへと身を投じる。
「……きめられない……私にはどちらかを選ぶかなんて傲慢な選択できるはずない……!」
選べないのではない。彼女自身の心が選ばないと叫んでいた。
だからこうして色気の欠片もない殺風景な部屋にただひとりぼっち。あれからずっとこうして自室に引き籠もっている。
雄々しき騎士鎧は剥げ、剣を握る手さえ開かず。薄手のネグリジェをまとったままザナリアは苦痛の日々を迎えていた。
お付きの騎士たちがときおり扉の外から身を案じる声が扉越しに聞こえてくることもあった。だが案じる声にさえ応じようとはしなかった。
「……どうしたらいいの……! いったいどうすれば……!」
心がしくしくと泣いてるのがわかった。
しかもこれはいままで磨き上げてきた剣や武で解決出来ない問題である。
大いなる意思によって強制的に決めつけられた絶対回避不能の不自然の強要だった。
「……なに?」
ふとザナリアは異変を覚えて顔を上げる。
羽衣の如く透けた薄布をはらり流してベッドから立ち上がった。
異変の正体は音だった。それも扉の奥側のほう。廊下から大理石を踏む堅く冷たい音が響いてくる。
気配から察するにひとりぶんであろう。その上、まとう鎧の騒々しさが伴っていない。
この部屋にやってくるとするならば騎士か父のどちらか。しかしそのどちらの足音ですらない。聞き馴染んだ拍子は本能レベルで理解している。
「……誰?」
ザナリアはたまらず焦りを覚えて動きだす。
そしてベッドに立てかけてあった剣に手を伸ばした。
なおも足音は大きくなっていく。部外者であるならば門兵に止められているはず。ならば忍びこんだという可能性は大いにある。
「…………っ」
そして足音が止まった。
しかもあろうことかザナリアの部屋のちょうど真ん前で。
狙い図ったかの如く急に止まったのだ。
「…………」
ザナリアは剣を鞘から音をたてずに抜き放つ。
緊迫感に妨げられながらも身体に染みつけた所作だった。
それから腫れぼったい目を懲らしながら静寂をまとい扉側の様子を睨むよう確認する。
当然だが誰も立ち入らせないため鍵は掛けられている。その鍵もこの部屋のなかに置かれている。外側から解錠するのであれば予備が必須だった。
ザナリアは後の展開に備えつつ策を切り詰め澄ましていく。
――さあ……どうきますか。どうやら白昼堂々と盗みに入る場所を間違えましたね。
もしこれが侵入であるのなら十中八九破壊という手段を用いるだろう。
それらすべて幾千にも及ぶ戦闘と鍛錬によって培った野性的感覚である。
なのだが待てど暮らせどいっこうに場の進展が見られない。
扉は塞がれたまま、廊下側もしんと静まりかえって動きがない。
「こ……け……か?」
まず聞こえてきたのは、さほど太くはない声だった。
女性ではない。しかし妙齢というわけでもない。至って若い男の囁き声である。
「……こ……か……よ」
「……ロック……」
「……も……だち……?」
いったいぜんたいこれはどういうことなのだろうか。
確かにザナリアの聞いた足音は1つだった。
だというのに扉の向こう側からは、別々の声が合計して4つも聞こえてくる。
ザナリアは奇妙奇天烈な事態に身を強張らせた。
「……ン……ック……」
直後に仄かな光が扉下の隙間から漏れてくる。
すると木扉があっさりと最後の防壁を解錠したのだ。
ザナリアは戦慄を覚えながらも急ぎ剣を正中線の位置に構える。
「アンロック!? 解錠の魔法!?」
そして次の瞬間だった。
バァァンという豪快な音とともに木扉が蹴破られるようにして強引に開かれる。
閉ざされた殻の中に目の眩むような煌々とした光が濁流の如く差しこんできた。
「クッ――視界が!? まさかこれが狙いだというの!?」
僅かに怯むも夜襲強襲は常套策である。
ザナリアは目をやられながらも臆すことなく切っ先を獲物の側に突きつけた。
敵が動けば音がする。そうなれば耳で追えば良い。とにかく目が光に慣れさえすればどうとでもなるはず。
しかし音を頼っていた彼女の耳に飛びこんできたのは、攻撃の動作とは別のけたたましさだった。
「デリバリイイイイイイイイイイ・ヘルプ!!!!!!!」
「う、うるさ――っ!?」
目が慣れてくると次第に光の側に立っている影が詳細になって見えてくる。
それはとても信じたくはない相手だった。しかも信じたくない場所で、とても信じたくない光景がソコにあった。
こちらがあらゆる感情に剛直していると、あちらは大股になって部屋へ踏み入ってくる。
「なんだなんだカーテンも開けないで湿っぽいなぁ。菌床作ってるんじゃあるまいしちゃんと日に当たりなさいよ病気になるぞ」
少年は我が物顔で乙女の私室に侵入を果たす。
頭の上に龍の子を乗せてるまではまあ良しとしよう。問題はその少し下にあった。
少年の両脇には、あろうことか子供の姿をした天使をひとりずつ抱えているではないか。
天と地は互いに不干渉であるという道理が存在する。種族が天使に触れることはある種の万死に値する行為に他ならない。
それなのに彼はサイドバッグよろしく両脇に天使を引っかけている。両手両足をぷらぷらさせるようなぐったりした姿勢で捕縛しているのだ。
衝撃によって停止したザナリアの時が、いまようやく数秒を経て動き始める。
「い、いい、いっ――いったいなにをなさっておられるのですか!?」
「なにって……お見舞い? ザナリアの寝間着ってひらひらで可愛いんだな?」
あまりに無礼な訪問者を前に恥ずかしいと思う余裕さえなかった。
ネグリジェ姿であることさえ忘れて烈火の如き怒りを頬に浮かべる。
「とっととその無礼な手を退けて天使様を下ろしなさいなあああああああ!!!」
唐突な――強襲まがいの――訪問だった。
そして敬虔なルスラウス教信徒であるザナリアは、久しぶりに大きな声をだしたのだった。
…… …… …… …… ……




