220話 新世代たち《New Generater》
もし先にした話がすべて本当であるならばハイシュフェルディン教が聖女誘拐の犯人となる。
衝撃的事実。これにはさすがに一党らも打ちのめされつつあった。
非常に姑息かつ手段を選ばぬ凶悪さ。教団側の執念にショックを隠せない。
中途半端な覚悟で関わって良いものなのだろうか。各々の影を落とす瞳には敵対相手への畏怖が滲んでいた。
とはいえここまできて逃げるという道はない。そう、狼狽えながらも得た情報は共有せねばならぬ。
『ハァーハッハッハァ! そんなことはとっくに知っている』
スピーカー越しの高笑いから急落だった。
これにはミナトも「は?」腑抜けた吐息を漏らすしかない。
面々の眼前に浮かぶ半透明のモニターには、見慣れたしたり顔が映しだされている。
『まさかお前らまだそんな切れ端の情報を漁っているのか? 教団が裏切ったなんぞ俺は初日にレィガリア殿から聞かされているぞ?』
ハッ、と。東は嘲笑気味に白羽織を帯びる肩をすくませた。
大袈裟な演技めいた動作。両手の平を開いて小憎たらしい挑発まで入れてくる始末。
間もなくして、怒りをいっぱいに握りこんだ拳が2つほど、卓に向かって落とされた。
若人――とくにミナトとジュン――は、すでに爆発直前の形相で画面を睨みつけている。
「テんメェェそういうことは先にいいやがれってんだァァ!! 切れっ端の情報さえ与えられねぇこっちの身にもなりやがれ!!」
「ホウレンソウホウレンソウ馬鹿みたいに唱えてるおっさん共のほうがホウレンソウ出来てねぇ典型パターンじゃねぇか!!」
憤るのはもはや2匹の獣。
触れることさえ叶わぬ仮想画面へ食らいつかんばかりに野次を飛ばす。これぞ大人に食い潰される若者の縮図だった。
そんな息巻く2人を夢矢はあわあわしながら止めに入る。
「ちょ、ちょっとぉ! ここはいちおう公共の場なんだから暴れちゃダメだよ! あと店員さんもなにごとかって驚いちゃってるじゃないかぁ!」
隣に座るジュンの腰にしがみついて止めに掛かった。
しかしジュンは小柄な彼を気にも留めることはない。
「オメェはいつもそうだな! 革命の時だって俺らにはまったく情報漏らさねぇでよぉ!」
『教えたらミスティ率いる連中に作戦がバレるだろ。ジュンお前は少し頭を使うべきだな』
「おっけいじゃあ次ツラ見せたらヘッドバット食らわせてやるから覚悟しとけよ!」
そしてミナトの場合はとくに、である。
この髭の中年、東光輝という男はいつだって肝心なことを伝えないのだ。
そう、記憶に新しいあの時だってまったく同じだったではないか。
「そういやオレを革命の矢とか呼びながらなんも教えなかったよなぁ!」
卓に2発目が振り下ろされる。
食べ終わった皿やグラスが卓から回収されていたのは救いか。
しかし画面向こうの東は毛ほども怯むことはない。やれやれと濃い茶色の髪を散らすだけ。
『あの時のアレはアレだ。最後革命軍に合流して併走した瞬間――感動しただろ?』
口角の片側をうんと吊り上げる。
まるでしてやったりといった様子だった。
『ああいうのは説明しないことが大事なんだ。そう、いわゆる心躍るサプライズというヤツだな』
東はキメ顔で片目をぱちりと閉じる。
小癪なウィンクだった。
それを画面越しに受けとったミナトは、ぎりりと奥歯を噛み鳴らす。
――久々に本気で殴りたいッ! できれば鼻を、正面からッ!
だがここは耐え時である。相手は未熟なこちらとくらべて重ねた年輪が遙かに上。
そんな大人の東がすでに情報を握っている。ならば黙ってじっとしているわけがないのだ。
ミナトは据えかねながらも椅子に腰を戻すしかなかった。
「なら東はテレノアを誘拐したやつが誰だかとっくの昔に知ってるってことでいいんだな?」
グラスから零れた水を布巾で丁寧に拭う。
それから余った水と一緒に怒りを胃の腑に流しこむ。
『そんなものどう考えてもルスラウス教団が仕組んだに決まっている。こちらの足を止めさせるための強硬策、率直に言うのなら妨害だ』
東は飄々とした表情でさも当然と言ってのけたのだった。
こちらが艱難辛苦していたというのに、容易く行き着いている。
しかも初日から知っているというではないか。つまり東にとって現状でさえ想定の範囲内なのだ。
『ただ面倒なことになったという事実からは逃れられん。こちらがもっとも恐れていたのはなりふり構わず勝利へと食らいつこうとする強行手段だからな』
言葉のわりに、なんてことないという風体を漂わせている。
それがただのポーカーフェイスなのか、はたまたただ面倒であるというものなのかは計り知れない。
だがこれには踊らされっぱなしの若者たちも落胆を隠せなかった。
ジュンは落胆を隠せない。吸い寄せられるようにしてがっくりと卓へ額をひっつける。
「早くいえよぉマジでよぉ……。危うく都中駆け巡るところだったんだぜぇ……」
「やっぱり喫茶店にきたのは正解だったんだねぇ」
夢矢もそんなしなびる友の肩にそっと手を触れ激励した。
喫茶店の店員から新たな有用な情報を得たからと伝えてみれば、これである。
これではただの取り越し苦労。くたびれ儲けではないか。せっかく集めた新鮮な情報がすべて無駄となった。
『あんなわかりきった事態のどこに疑う要素があったのか逆に聞きたいくらいだ。とはいえこうしてお前らが惑わされているのだからなかなかの良策だったらしい』
「くっそぉ敵も味方も俺たちを好きに踊らせやがって……! 高座からふんぞり返るのはさぞ良い気分だろうなぁ……!」
忸怩たる怨念めいた嫌みだった。
なにかあればと動いてみればそこはとうに踏み鳴らされている。
これほど甲斐ないこともそうそうありはしない。不甲斐ない。
『だが、お前たちに限ってはそれでいい』
「なにがそれでいいってんだよ? 俺らの役目は手のひらで踊る玩具役っていいてぇのか?」
『俺がお前らに求めているのは固定観念のない自由な発想と発見の2つのみだ』
「固定観念のない自由な発想と発見だぁ?」
ジュンは姿勢を正すと、不満いっぱいに問う。
すると軽快な指鳴らしがぱちり、と彼の問いに答える。
『この難問ばかりは俺だけでなんとかなる話ではない。だからお前たち新世代は0を1にして新たな道――挑戦と活路を繰り返せ』
多少にやけがかっているが、声色は真剣だった。
曇りなきダークブラウンの瞳がカメラ越しの若人たちを真っ直ぐ見つめている。
やけに自信に満ちあふれ、少年のように夢を映す。それなのに玲瓏たる真を秘める。
なぜこの男に若者たちはついていくのか。女神の描かれた夢見がちな背につづこうと思うのか。
『はっはァ! そうすれば俺はお前たちのために1を100にでも1000にでもしてやる! 先々のことは俺にすべて任せてお前らはお前らの思うように動けばいい!』
わかったか!? それは信頼に足る男だから。
意味不明な根拠のない自信だって、そう。耳障りな高笑いだって誰かの丸くなった背を伸ばさせるためのもの。
この東光輝という男こそが人類の救世主なのだ。その明晰な頭脳で、多くを率いて、成し遂げている。
『教団側が聖女を拉致したとして悪いようにはしないはずだ。なにせ彼女はヤツらにとってのジョーカーなのだからな』
「ジョーカー? もしかして最後の切り札としての人質? 聖女ちゃんを解放してほしいのなら聖誕祭を降りろー、ってこと?」
『フン。夢矢のそれも悪はくない推察だ。だがいまの状況で聖女はただの人質ではない』
見下し試すような笑みだった。
しかもそれはどうやら1人に向かって向けられている。
気づいたミナトは即座に思考の海に身を閉じた。
売られた喧嘩なのだ。これほど期待されて売ってもらったのならば買わぬは、恥。
――ジョーカー……いまの状況……?
東の言葉のなかにきっとヒントはあったはずだ。
新たに店員が運んできたグラスの氷がからりと鳴る音さえすでに意識の外側となる。
ミナトは全神経を脳に集約し、答えを求めてさらに得た情報の深淵にまで潜っていく。
すると不意に雁字搦めと思われた情報たちがある1点目掛けて錯綜していることがわかった。
それこそが現状。いまの状況。こうして教団と争う理由である。
「……供物か」
答えを導きだす。
身体を叩くような喝采はなかった。
しかし『正解だ』6拍ほどの手が打たれる。
『ヤツらにとって聖女は最後に聖火へ焼べる供物だ。だからおそらく絶対に見つからないところで貴婦人を迎えるかの如く丁重に扱われていることだろう』
「じゃあ無理に聖女を捜索する必要はない? なぜなら最後の舞台が整ったら向こうが勝手に連れてくる?」
『連中にとって聖女は神を崇拝する上で必要な偶像。ならばわざわざ穢すよりもより潔白の状態で信仰する神へ捧げたいはずだ』
東が肯定すると、リーリコは透けた起伏をほう、と撫で下ろすのだった。
暗躍しているのだからテレノアのことを他人以上に良く見ている。だからか冷静ぶっていても内心では気が気ではなかったのだろう。
聖女を探しだす必要はない。そうなってくるとこちらも手持ち無沙汰となってしまう。
「じゃあつまり俺たちはなんもしなくても勝手にことが進んでいくってか?」
ジュンもすっかり怒りが冷めたらしい。
いちおう東なりの考えがあって情報を伏せていたことが明らかとなった。これ以上場を乱すほど頑固ではない。
『馬鹿をいうなお前らはフレックスの保存法を確定させる役割があるだろう。なんでもやってやり尽くすのがお前たちの役目なんだからな』
しかし馬鹿といわれて僅かに片眉がひくりと動いたのだった。
『現にこの大陸世界はお前ら若者を大いに飛躍させている。夢矢は第2世代に目覚め、ミナトとジュンは新たなフレックスの保存法をみなの前で実践してみせた。それは俺がチームリーダーだからではなくお前たちが率先することで得た勲章だ』
目の前に佇んでいると錯覚するほど。実直な投げかけだった。
それでいて大人びた低い声は、諭すようで、励ますようで、ともに分かち合う。
憤っていたはずのミナトとジュンもすっかり牙が折れている。
「たしかに?」「いわれてみれば?」なんて。東への怒りはきれいさっぱり忘れていた。
『チームシステムとは精神的に隣り合うことを意味している! そして指揮役は存在してもそこには若人も大人もない! 役職はあれど全員が横並びであるということを忘れるな!』
と、いい感じでおさまりかけた。その時だった。
こちらの通信に割りこむようにして別の回線が混戦してくる。
なにごとか、と。一党が慌ててALECを操作しようとするよりも先に繋がってしまう。
『はわぁぁぁ~……ねむぅ』
すると画面に喉奥まで見えるほどの大口があった。
目端に涙を蓄えた眠たげな少女の顔がデカデカと映しだされる。
全員ギョッと目を丸くした。だが、一党のなかでもっとも慌てふためいたのは夢矢である。
「珠ちゃん!?」
『んぇあ……夢矢くんじゃん。いますぐこっちにきて助けてよぉぉ~……』
回線に割りこんできたのは、亀龍院珠だった。
夢矢にとって彼女は、《セイントナイツ》のチームメイト。しかも鳳龍院虎龍院亀龍院で構成されるノア御三家の馴染み。
そんな珠が相変わらず眠そうに助けを求めているのだからたまらない。
「珠ちゃんいまどこにいるんだい!? 朝の会議にでてなかったけど部屋で寝てたんじゃなかったの!?」
「……寝てないよう。それどころか早朝東に起こされてから変なところに連れてこられてずっと働きっぱなしだよう……」
珠はがっくり肩を落としながら気だるげに周囲を見回す。
焦げ茶色の背景から察するにどうやらかなり殺風景な場所にいるようだ。
なだらかな丘陵には水気はなく、そびえ立つ岩壁もまた老父の肌の如く荒い。彼女の背後には緑がひとつとして窺えない不毛の地が映されている。
『ハァーハッハッハァ! その件に関してはトップシークレットだから喋るんじゃないぞッ!』
『おっさん私だけ働かせるの虐待だからね。申し訳ないと思うならさっさとこっちきて手伝ってよね』
どうやら2人の間にひと企みあるらしい。
そして不本意ながらその駒とされてしまった犠牲者が、珠なのだろう。
彼女はゆらゆらと揺れながらじっとりと目を細めて東を画面越しに睨みつけていた。
『こちらの誘拐事件の会議もひととおり済んで区切りがついた! 早々に向かってやるからそう寂しがるな可愛いやつめ!』
『別に寂しくはないんだけど……ってかちょっと喧しいくらい?』
ではな! 半強制的に回線がぶち切られてしまう。
唐突に訪れた静寂に戸惑うしかない。一党は消えた半透明を未だ目で追いながら固まっている。
ようやく腹も膨れて状況の整理も、し尽くした。
ならばここらが暖めておいた席を立つ。潮時というやつだろう。
「じゃあ私はせっかく聖都にきたんだしもう少し身を隠しながら情報収集に入る」
はじめに席を立ったのはリーリコだった。
脱いであったローブをそそくさとみにまとうと、口元まで襟を引き上げる。
それにつづくようにジュンと夢矢も揃って席を立つ。
「なら俺はブルードラグーンへ戻って血を流さねぇフレックス保存法をレクチャーしてやるとすっかな」
「僕もジュンと一緒に合流組だね。それでミナトくんはこれからどうするの?」
もう少しこの団らんとした空気に浸っていたい。
仲間たちと共有するなんてことのない時間を心で求めてしまう。
「オレはこれからモチラと一緒にリリティアと合流して剣の稽古だ。ここの支払いは済ませておくから先に出てていいぞ」
そんなのは我が儘だとわかっていた。
だから別れを惜しみつつ、下手くそながらに笑みを浮かべる。
「店員さん情報提供ありがとうねっ! あとミナトくんもまたねっ!」
「じゃあ俺らもがっつりやってっからミナトもバテねぇていどにな!」
ミナトは立ち上がってすんと澄ました店員の少女と隣り合う。
そうして去って行く友の背に手を振って見送るのだった。
「そういえばワタクシの差し上げた十字架はおもちですか?」
会計を終えようと財布に手を伸ばしかけて、はたと止まる。
少女が身体を傾け覗きこむ。空色をした瞳がこちらをじっ、と見つめていた。
金貨の入った袋の代わりに腰の物入れから十字架をとりだす。
「あ、ああまあいちおう? もってはいるけど?」
それはなぜだか受けとってしまった彼女からの贈り物である。
しかも出所は少女がちょこまかと動くたびにたわむ、豊満でツンと尖った胸の谷間。
ミナトは多少の照れを覚えながら少女に十字架をもっていることを伝える。
「でも祈りみたいなのを捧げたことがないからこういうの使い道がわからないんだよねぇ……」
手のひらサイズのそこそこ大きく重厚感のある十字だった。
いるかといわれれば、当然いらない。
祈る暇があったら剣を振っていたほうが身になるというもの。
そうやって十字架を片手にミナトが辟易としていると、小さな花弁が開くような笑顔がぱぁ、と咲く。
「祈るとは万人に許される慈愛を乞い感謝を捧ぐとても美しい行為です。もしアナタ様が寵愛を望むのであればその十字架に祈ってみるといいかもしれませんよっ」
きっとそれは客に対する上辺のものではない、彼女自身のもつ可憐さなのだ。
しかしミナトは明るさに当てられつつも、困ってしまう。
なにしろ急に祈れなんていわれてもやったことがない。
「祈れっていわれてもなぁ……。誰かが崇拝する信仰や宗教を否定するわけじゃないけど、いまいちよくわからないんだよ……」
「アナタのいらっしゃったという世界での神がどうかはわかりません。しかしこのルスラウス世界には必ずやアナタを見ている神がいらっしゃいます」
「いるとは聞いているけど大陸世界とは不干渉なんだろう? なら祈ったところで助けてくれようがないじゃないか?」
「いえ、天界は大陸世界ではなく住まう種族の和を乱さぬようにしているだけですよ」
少女はまるで会話を楽しむかのよう。
ときにくるりと回ってみたり、踵を上下に揺らしてみたり、と。子供のように忙しい。
そうしてついには十字架をもつミナトの手を閉じこめるよう両手で包んでぎゅっと握りこんでしまう。
「枠外の人種族がもし祈りを捧げたのなら……道理に背かぬ例外になり得るかもしれませんから」
店員の少女はミナトの手ごと一緒に祈りを捧げる。
両手を編んで額を添え瞼を閉ざす。
その力はさほど強くはないが、しかし弱すぎるというわけでもない。
まるでこうして祈るんですよ、とばかり。ミナトは彼女から直接伝わってくる体温に頬を赤らめながら固まった。
そして額が遠のいて適正な距離になると甘い香りも離れていく。
「もしかすればアナタ様がたのことをとっても大好きでいつも見ている天使が手を差し伸べてくれる……かも?」
「かも、って……。まあそういう事態に陥らないことを逆に祈っておくよ」
「ワタクシにも影ながらですが幸運を祈らせてくださいっ♪ アナタ様がたに良き再誕の日が訪れますようっ♪」
天真爛漫で眩しい笑顔だった。
それからミナトは会計を終えてモチラとヨルナを回収して喫茶店をあとにする。
扉が閉まってベルの音が消えるまで、彼女はずっとこちらに手を振っていてくれたのだった。
大通りまででて振り返ればもう喫茶店は遠く、彼女はいなくなっている。
――……再誕?
何気なく立ち止まったのには理由があった。
本当に少しだけ後ろ髪引かれるものがあったというだけ。
本当に些細で些末でどうでも良い軽い違和感を覚えた。
「みなとー? これからどこいくの?」
モチラの小さな手に袖を引かれてミナトはハッと我に返る。
リリティアの買い物をしているであろう場所はおおよそ把握済み。このまま合流して誘いの森に戻ればまた修行の日々が待っているのだろう。
ならば今日ここでやれることはやるべきであろう。そんな風に思考を巡らせながらこれからを決めることにする。
「んー……そうだなぁ」
考えたらすぐに決まった。
考える間さえなかったかもしれない。
「報われてないほうの友だちのところに顔でもだしてみるとするか」
ミナトはモチラの手を引いて離さぬよう目的地へ歩みだす。
この聖誕祭でもっとも被害を被むったのは1人の少女である。
友として、そんな失望の淵にいるであろう報われぬ友の元を目指すのだった。
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