219話 裏切りの刃《Back Story》
「なるほど……栄えある聖誕祭の裏側でそんな重大な事件が起こっていたのですか……」
やがてすべてを聞き終えた少女は、深刻そうに言葉を濁す。
ぎゅう、と。丸盆を抱いて豊かな胸を押さえこむ。憂いをたっぷりに含んだ切なげなため息を漏らすのだった。
どうやら明かされた事実にかなりのショックを受けている。
「まさか誰かが聖城へ忍びこみ聖女様を誘拐するなんて……」
なにしろ誘拐というだけでも絵空事。
そこに聖女という名まで付随するのであればそう易々と受け入れられるものではない。
対してこちらは、荒れた現場、魔法の使用跡。そして口外してはならないこと等、話せることをすべて話し終えた。
日常に生きる少女にとって非現実的な事態だったはず。
「ということなんだけどもし良かったらなにか知らないかな。どんな小さな情報でもいいからよその世界の僕たちに教えてほしいんだ」
「どんな些細なことでも構わねぇ! 聖女ちゃんを攫うくらい敵意をもつような輩や聖誕祭にぜってぇ勝ちたがってる連中を教えてくれ!」
そして夢矢とジュンは腰低く頼みこむ。
男2人して店員の子に縋る。そんな懇願の姿勢だった。
それときっと少女の笑顔が曇らせてしまったという謝罪も籠められているのだろう。
「聖女様への敵意と聖誕祭での勝利……ですかぁ」
店員の少女は苦しそうに天井を仰いだ。
むむむぅ、なんて。小難しく唸る姿も小さな花のように愛らしい。
「そのおっしゃりかたから察しますに……つまりアナタ様がたは教団が誘拐犯じゃないかと疑っておられるんですよね?」
やはりというか彼女のだす結論もこちらと同じだった。
こちらの世界に造詣の深い少女であってもほぼ1本道で導きだす。
つまりいまのところ聖誕祭に執着しているのは、ルスラウス教団しかないということだった。
そうなるともう犯人はスライド式に決まる。実行犯はハイシュフェルディン教その人ということ。
「まだ疑心暗鬼の段階。確定させるほどの情報がない」
リーリコは薄まったアイスコーヒの氷をグラスのなかで回した。
誰も気づかぬうちに運ばれてきたハーフピザは完食済みである。皿に残るのは焼きクズとチーズのもったりとした残滓のみ。
「だからアナタからの客観的な意見が欲しい。挑むにしても教団が犯行に及んだという手がかりが必要」
彼女だってそれほど期待はしていないだろう。
なにしろ相手は小さな喫茶店の店員ていど。大きな情報をもつはずがない。
しかし店員の少女はぱちくりと空色の瞳を瞬かせる。
「でもその予想は凄く良い線をいってると思います!」
思いがけぬ肯定だった。
これには一党らも戦慄を覚えた眼差しで彼女を見上げるしかない。
「良い線いってるってどういうこと? もしかして教団が聖誕祭に執着する理由をわかっているのかな?」
「ああいえそうではありません。ただワタクシたちのように聖都住まいが長ければ自然とあの御方のお話は耳に入ってくるというだけです」
夢矢が小首を捻る。
店員の少女は白い手をひらひら振って否定する。
それから抜けるような青い瞳が一党らを滑るように見渡す。
「あの、みな様がたはハイシュフェルディン教の奥様のこと、ご存じありませんよね?」
覗きこむように首を斜めに傾げる。
腰まで伸びた長く美しい金の髪が深い川のように流れた。
「あー……そういや娘がべっぴんさんだってコトくらいしか知らねぇな。そもそもおっさんの家族構成なんて気にしたこともなかったぜ」
「娘の名はべっぴんさんじゃなくてザナリア・ルオ・ティール。凜としたまさに花形のような少女」
すかさずジュンが指を鳴らし「そうそれだ!」途中はいった補足に軽快な音を奏でる。
補足に入ったほうはうんざりと肩を落とすだけ。
「諜報する上で家族構成はかなり重要になる。家族間でのいざこざや確執はときにおぞましい真実に繋がることもある」
と、そこまでいってふとしたようにリーリコは卓横に佇む少女を見上げた。
「まさか……その家族になにかがあった?」
リーリコの表情が途端に冷気を帯びる。
友と語らうのとは異なる、影としての冷徹さが表面に顔をだす。
影としての予感があったのだろう。それも特段嫌なほうの悪寒だ。
すると店員の少女は盆を抱えながら輪郭に立てた指をそっと添える。
「えっと……確かハイシュフェルディン教の奥様はザナリア様を生んだ3年後にお亡くなりになっておられます。ザナリア様を生んだ直後から体調をお崩しになられて病床に伏せったと聞き及んでおりますね」
「病床に伏せった……ということは病死? この魔法の使える世界でそんなことがあり得る?」
「魔物被害や事故以外でも病死は普通に起こり得ることです。しかもハイシュフェルディン教の奥様は不治として有名な黒の病を患ってしまったようです」
魔法は万能ではない。
いつぞや髭の中年がミナトの負う副作用に呻いていたことである。
それと同じで魔法でも重篤な病は治せないのかもしれない。あるいは治せるほどの者がいなかったか。
「黒の病はとても有名で大陸種族たちみなが怯えるほどの病なんですよ。身体の場所問わずぶよぶよが現れ死に至らしめるという悍ましい病ですね」
「ぶよぶよってしこりのこと!? だとしたら黒の病って癌なんじゃないッ!?」
おもむろに卓を叩いて立ち上がる。
そんな夢矢に店員の少女は、ぱぁ、と笑顔を広げた。
「そちらの世界ではそのような言いかたをなさるんですか! いわれてみれば身体に岩が出来るような病ですし理にかなってますねっ!」
「いやそっちのじゃないんだけど……で、でもあながち間違ってない……」
そして彼女の陽気に当てられながら力なく座りこむのだった。
とにかくここで重要なのは病の内需ではない。ハイシュフェルディン教の妻がすでに亡くなっているということのみだろう。
ミナトは虚空を眺めながら椅子の後ろ足をゆらゆらと前後させる。
「男手ひとつで育てられたのならどうりでオシャレのひとつも知らないわけだ」
無に思い浮かべるのは、あの男勝った性格の少女のこと。
オシャレな服をプレゼントされただけで羽が生えて飛び立ってしまいそうなくらい喜んでいた。
ここにきてようやくそのどうでも良い理由がわかるなんて思いもよらない。
夢矢は甘酸っぱい白色の飲み物をストローでぞぞ、と吸う。
「そうなの? 彼女ってお嬢様だし、僕てっきり鎧を着ていないときはドレスとかで着飾ってるのかと思ってたよ?」
両手でグラスを押さえながら上目がちに対面を見つめた。
ないない。ミナトは呆れながらも笑えずにいる。
「衣服を装備だと思ってるし防御力が足りないとか抜かすし根っからの騎士だよ。顔は良くても明後日な思考回路してるからそれだけは絶対にないな」
「あ、あんなに綺麗なのにずいぶんとRPGみたいな世界観で生きてるんだねぇ……」
教団側の思想が少しずつ判明しつつあった。
それに今回の聖女誘拐でザナリアが関わっているという可能性は比較的ゼロといえる。
彼女は実直なれど心の底まで騎士色ではない。少なくともミナトはザナリアをそう評価していた。
――もしこの件をザナリアが知っているなら絶対に許さないはずだ。
鎧に着られているだけで純な少女。
着飾り花を愛で美しいものに憧れ抱く。
夢に夢を見、恋に恋する、籠の鳥。
口でなんといってもザナリアはテレノアを心から崇拝している。
「ハイシュフェルディン教は父として娘であるザナリア・ルオ・ティール様を溺愛なさっております。それはもう蝶よ花よと丹精こめてお育てになられ素晴らしいおかたなんですよ」
「つまり男1人不器用ながらに娘を育てた結果、大層な騎士様になっちまったってか。遠いとこの話とはいえなんとも切ねぇ話だなぁ」
嬉々として語る少女とは異なってジュンは眉を渋く寄せた。
彼女としてはもう教団側が犯行に及んでいるという結論に至っているらしい。
リーリコは訝しげにじっとりと目端を細める。
「それがなぜ聖女誘拐に繋がる?」
「それはもう愛ゆえですっ!」
自信満々とばかりに腰に手を添え背を弓なりに反らす。
押しだされたたわわが弾むと、リーリコでさえ「……あ、愛?」言葉少なにたじろいだのだった。
それから少女は両頬を手で包む。くびれの下にある丸く円状の腰をくねくね左右に揺らす。
「教団の教祖である前にひとりの父ですぅ! そんな父として愛する娘様のために手段を選ばなかったのですぅ!」
制服のスカートが右へ左へ裾を流れる。
そうでなくとも短な生地がめくれ上がった。太ももの根元の辺りまで見えてしまいそう。
「愛する妻に先立たれたハイシュフェルディン教は忘れ形見であるザナリア様を聖女とするために邁進をつづけているのですっ! なんという加減のない親子愛ではないすかっ!」
妄想に耽るような内容だった。
事実として店員の少女はすっかり父子の愛に酔っている。
先立たれた妻のぶんまで不甲斐ないながらに躍起になる父親。
色恋に飢える客を喜ばす物語としては上出来か。
なおも店員の少女は頬に桜色を染めながら饒舌に語っていく。
「それに昨今ハイシュフェルディン教は祈る際に祈願成就を強く求めいらっしゃいました! おそらく聖誕祭で聖女様と対立すべく信念を神に誓っておりましたからね!」
興奮気味かつ矢継ぎ早な語り手だった。
その合間を縫うよう、ふとした感じでジュンが気だるげに問う。
「ずいぶんとあちらさんにお詳しいじゃねぇのよ? そんな祈りの内容だなんて内面的なことをいったいどうやって知ったんだ?」
揺らいでいた裾が、はたと止められた。
少女は、一瞬「……」視線を横にずらした。ような気がした。
しかしすぐに柔らかな笑みで頬をふふ、とほころばす。
「ワタクシの実家がある小さな村で噂になっているていどのお話です。ですが信憑性はなくとも火のない所に煙は立たないともいいます」
「そこらでも噂になるくらい有名な話ってコトかよ。しかも実際に戦いになってるってんだからあながち間違いってわけでもねぇな」
ジュンは退屈そうに椅子の背もたれにもたれかかった。
愛ゆえの暴挙。動機とするなら上等だろう。
しかし1点ほど。先ほど少女はなんといったか。
ミナトとほぼ同時で、リーリコも勢いよく店員の少女を見上げる。
「ちょっと待ってくれ!? いま対立すべくっていったのか!?」
「はじめから対立構図になっていなかったということ!?」
異口同音。彼女もまたミナトと同様に気づいたのだ。
もしこの憶測が事実であるならば、事と次第が180度変わってしまう。
教団がはじめから敵だったのではなく味方だったとする。そうなれば構図としては寝返りではないか。
たっぷりとした間を置いてから少女は、たわむ大鞠の前で「そうですよ!」白く拙い手を叩く。
「はじめ教団と聖女様側は協力関係だったんですっ! それなのに教団側は突如として手のひらを返すように対抗派閥へと立場を逆転させてしまったのですっ!」
麗しい笑顔とは裏腹だった。
衝撃の事実が判明する。ルスラウス教団は聖女を裏切り寝返ったのだ。
店員の少女から聞いてわかったことは、教団に聖女を貶める――裏切るだけの――なんらかの動機があったということ。
そして聖女からその称号さえ奪おうという最悪の敵となったのである。
…… ○ …… ○ ……




