218話 憩いの聖域《Angel Smile》
「ぱふぇっ!」
モチラははじめて見る物体に目を輝かせる。
ことり、と。卓に運ばれてきたのはひんやり冷たい甘菓子。背の高いグラスからあふれんばかりに綿雲の如きクリームがそびえ立つ。
しかし仕掛けはひとつではない。グラス奥に進むと様々なベリィやアイスが層のようにわけられている。
「おーっ! おいしそーっ!」
幼子であるとばかりのはしゃぎようだった。
両手を卓に放りだしてビー玉のように目を輝かせる。むっちりと野太い尾っぽは床を叩かんばかりに振られている。
そして横のヨルナも特段珍しくもない物体に目を輝かせた。
「あんころもちっ!」
白く絹の如き滑らかな餅を小豆と砂糖で良く煮たヴェールで包みこんだもの。
そうして乙女たちは各々にスイーツを口に含んでは舌鼓を打つ。
「セットのお飲み物は如何致しましょう!」
「れもんじゅーすがいいですっ!」
「じゃあ僕は苦くて喉が痛くなるくらいの濃いめ緑茶でっ!」
そんな2人のすぐ傍に華がある。
給仕である店員がニコニコと幸福そうな笑みを浮かべていた。
彼女の分け隔てのない微笑みは自然と周囲のほころび誘う。
「かしこまりましたぁ♪ それではごゆっくりおくつろぎくださいっ♪」
店員は、歌うように注文を受けてスカートをくるりと翻す。
足どりでさえ拍を踏むようにしなやか。嬉しいという感情を隠そうともしない。歩みに吊られて女性的な箇所が鞠の如く弾む。
一党らは甘き香に誘われるように喫茶ヴァルハラへとやってきていた。
聖女を探すにも情報がなさすぎる。そのため1度止まり木で羽休めをしようという算段だった。
「そういやここの料理って一貫性ねぇよな? フレンチ、イタリアン、和食……なんか既視感がすげぇぞ?」
ジュンは頬杖をつきながらストローでレモンスカッシュの氷を掻き混ぜる。
夏に浴びるシャワーのような気泡が美しい。グラスのなかで透明なレモン水がしゅわしゅわ湧き立っていた。
「確かに僕たちの文明と不思議なくらい似ているね。文化形態はそれほど離れていないし食文化の成長過程も似ているのかも」
夢矢は、運ばれてきた出来たてオムライスの前で手を合わせる。
かけられているソースは通常のトマトソースではないオリジナルであろうデミグラス。おまけとばかりに茶掛かったソースの上にはなにかの白い乳があつらえられている。それらが出来たての湯気とともに芳しい香を昇らせていた。
本日も――といってしまうと失礼かもしれないが――それほど広くない喫茶サンクチュアリの席は空きが多い。
とはいえソレが良い場合もある。素朴なれど居心地の良い隠れ家的風情は情緒を重んじるべきであろう。
ひと口ばかりを含んでから甘いカフェラテが卓へ静かに置かれる。
「で、聖女捜索の目算はどうする?」
リーリコは半目がちに対面の男子2人をじとりと睨む。
「まさかなんの目算もなく喫茶店にきたわけじゃないはず」
どうやら現状が不服らしい。
不機嫌であるとばかりに片頬を膨らませていた。
「食事中にそういう話しはやめとこうぜ。せっかくの羽休めなんだからよぉ」
「むぐむぐ。リーリコちゃんもなにか胃に入れておいたほうがいいんじゃないかな」
美味しいよっ。夢矢が無邪気に匙にとったオムライスを突きだす。
しかしリーリコは胸の下辺りでどっしりと腕を組んだ。
手をひらひらさせて夢矢からの分け前を拒絶する。
「聖女捜索より可愛い女の子のお尻を追うほうを選んだくせによくいう」
「――うぐっ!?」
「っ、げほげほっ!?」
彼女からしてみればそれはもう不服なはず。
あんな中途半端な宙ぶらりんの状態で小休止とは。しかもチームメンバーが器量の良い店員にハートを貫かれたとあっては立つ瀬がない。
そんな図星を容易く言い当てられた男たちは同時に喉を詰まらせたのだった。
「まあまあそうツンケンなさるんじゃないよ」
咽せる男たちをよそにこちらは冴えたもの。
ミナトは食べ慣れた魔物肉のオーガ肉ハンバーガーに齧り付く。
弾ける肉肉しさと癖のあるスパイス多めな味が唾液腺を直に刺激してくる。
「休めるときに休むのも大事だぞ」
するとリーリコの矛先が真横のミナトに向けられた。
「……ミナトくんまさかアナタまであっち派? ああいう純粋そうな女がタイプ?」
「オレのタイプはなにをいわれようがチャチャさんだ。それと仲良くなってくれる子がいたらだいたい好きかな」
リーリコからの蔑みの視線さえなんのそのだった。
こうしているのだって別段理由なしというわけではない。
どころか猪突猛進に探そうと企むよりよほど建設的で利潤を生むといえよう。
「実際のところ東からの連絡を待つほうが無駄玉を打たないで済むかもしれないぞ」
ミナトは食べ終えて汚れた口と手を卓上のナプキンで拭っていく。
「そう……かもしれない、でもそうであるとも限らない。なにより東が的確な指示をだせるかさえ不明、博打が過ぎる」
リーリコは良くも悪くも効率屋だった。
常に中立を重んじる。従って簡単に言いくるめられるほど馬鹿には慣れない性格である。
ナプキンをたたみ終えたミナトは、そんな彼女に向かってちろりと舌先を覗かせた。
「オレはフレックスが使えないんだ。だから都中を駆け巡るのはごめんだね」
「あ……っ。それ、いまだしてくるの凄くズルい。卑怯」
「卑怯でけっこう。ガス欠になってから後悔したんじゃ遅いと考えてるだけさ」
リーリコは、「……はぁ」肩を落としてすぼめた口からため息を吐く。
どうやら諦めたらしい。その証拠に卓の端に立ててあるメニューに手を伸ばす。
「ここの支払い……割り勘?」
「ヨルナとモチラもオレの奢りだしそっちのぶんももつよ。この間怪魚倒したときの金貨が重くってしょうがないんだ」
ミナトがたんまり膨らんだ革袋を揺らす。
リーリコは観念したとばかり。首を横に振ってから小さく挙手をした。
すると店員が軽快な小走りでこちらの卓に向かってくる。
「ご注文お決まりですかっ!」
「……このタウロスチーズのピザとかいうのをハーフでお願い」
「タウロスチーズピザのハーフワンですね♪ かしこまりましたぁ♪」
注文をとった彼女は華やかな笑みでキッチンのほうへと消えていく。
「ところで本当にああいうのがタイプ? 確かに女の私の目から見ても明るくて愛らしい?」
本日のリーリコはいやに食い下がってくる。
しかし今度はふてくされているようには見えない。
そう、まるで好奇心。丸い瞳がミナトのことをじぃっと真っ直ぐに見つめていた。
「オレに恋愛対象を選ぶ権利なんてない。色恋沙汰より明日の食い扶持だったアザー暮らしを舐めるな」
隠す理由もない。正直に答えてやった。
するとリーリコはただひとこと「そう」とだけ呟く。
「なんだ? 恋バナでもはじめるのかと思ってたのにそれで終わりかい?」
「ふふっ。この辺で終わりにしたほうがアナタの身のため」
「なんだそりゃ?」
ミナトが眉を寄せるも、すでに関心はこちらに向いていなかった。
リーリコは僅かに頬を和らげている。
卓の下でローブを蹴るように足を交互に揺らすのだった。
「あのぉ……少々不躾でぇ……申し訳ないのですがぁ……」
唐突だった。いると思わない相手が急に現れたのだ。
ミナトを含む誰もが不意を打たれている。そちら側になかったはずの気配を察知する。
しかしそこには見知った顔と制服の少女が立っているだけ。とくにこれといって警戒すべき相手ではない。
ただ店員の様子が少しばかり不思議だった。
彼女は、両手でもった銀盆でスカートを抑えながら立ち尽くしている。
もじもじ、と。生白い太ももの内側をこすり合わせて落ち着きがない。
「別に、そのっ、聞き耳を立てていたわけではないんです……。みな様のお話を盗み聞きしていたわけではないんですけどもぉ……」
なにか言いにくそうにまごついているのだった。
出番であるとばかりにジュンがレモンスカッシュを飲み干す。
「どうしたってんだ? 世話になってるんだしなんか聞きてぇことがあんなら答えるぜ?」
「では…………――聖女誘拐ってどういうことですか?」
彼女は笑顔のままだった。
誰もが幸福を得てしまうようなへにゃりとした融和の微笑みだった。
しかしどうやら感じとったのはミナトだけではない。
ジュンや夢矢、リーリコでさえ、彼女と目を合わせられずに視線を1箇所に固定している。
状況としては、なにか良くわからない。
怯えているわけでもなければ強張っている理由すらない。
良くわからないのだが、なぜだか指先ひとつ動かせない。
それがなんなのか、どこから生じる症例なのか。
誰もなにもかもがわからないまま、彼女の声だけが響いてくる。
「なにか深刻そうなお顔付きだったのでお節介でしたら申し訳ありませんっ。でももしよろしければワタクシお力になって差し上げられるかもしれませんよっ」
彼女は天真爛漫な笑みを浮かべてから突起する胸の前で手を打つ。
手が打たれると同時に覚えた異常が、ぱっと糸がたゆむように解れたのだった。
本当に一瞬である。だからそれはただの勘違いだったかもわからない。恐ろしく記憶に残らない状態にあった。
だが、すくなくとも覚えた感覚はとても冷たく鋭利な威圧に似たなにかだった。
「な、なあ? この店員さんにならあのことを相談してもいいんじゃねぇか?」
「それに店員さんだったら僕たち人間のことも知ってくれてるよね。なら事情を説明すれば黙っててくれるかも」
ジュンと夢矢からの提案だった。
彼らのいう通り、サンクチュアリは人間たち唯一の行きつけである。このルスラウス異世界で唯一といっていいほど限定された心安らぐ場所といっても良い。
しかも店員の少女は、ここにいるのが人間という別種族であると知っていた。知ってなお愛想の良い対応と美味しい料理を運んでくれていた。
ミナトは一考しつつ、リーリコへと視線を配る。
「……アナタに任せる。なぜならこの世界に流れ着いてからアナタの選択はなにひとつとして間違っていない……」
彼女からの返答は、信頼だった。
ならばその信頼に応えるのだって与えられた使命である。
ミナトは決意して片頬にぴしゃりと手を打った。
「店員さんにお願いがあるんだ。ちょっとだけ、いや……もの凄く力になってほしいことがある」
「は、はいっ! わ、ワタクシでよろしければいくらでも頼ってくださいっ!」
「オレの大切な友だちが悪意ある誰かに攫われたんだ」
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