217話 聖なる都に暗躍する執念《Hatred》
もっとも忌避すべき事態が起こってしまった。
こちら側の代表である聖女の誘拐。これは最悪のケースである。
聖城での説明によれば、テレノアが昨夜未明に姿を消したらしい。明朝に異変を覚えてテレノアの私室へ赴いたレィガリアが第1発見者だった。
こうなってはいてもたってもいられない。事情聴取ついでにブルードラグーンを飛びだし、聖都での奔走を余儀なくされている。
「どうしてレィガリアさんたちはこれが誘拐だとわかったのかな?」
夢矢は行き交う種族たちの間を縫っていく。
賑わいを躱しながらピンと立てた指をくるりと回す。
本日の聖都も観光や巡礼やらで多くの種族たちが商売と社交に石畳を踏み歩く。
小柄で華奢な彼を筆頭に置いてジュンとミナトが並んで進む。
「部屋がハデに荒らされてたんだとよ。たぶん聖女ちゃんが抵抗した後なんじゃないかって話だぜ」
「しかも魔法を使用した痕跡も見つかったらしい。部屋全体に領域外に音を漏らさない魔法を張り巡らせていたんだとさ」
ひとまず雑踏を背景に聖都東広場の聖火台近辺で聞きこみを行っている。
当然ミナトだってテレノアが攫われたのだから剣の修行どころではない。
ひとまずはパラダイムシフトスーツの上に農夫服を羽織う。ジュンと夢矢も作業服タイプの制服に身をまとっていた。
簡易的な胸当てと腰に剣。それから大幅の銀剣と、矢の番えられていないアーチェリー。3人とも各々得意武器を装備して警戒態勢へと移行していた。
「多勢に無勢。現場で見られた足跡の数からして複数だったみたいだな」
「たった1人の女の子に大勢で襲いかかって攫っちゃうなんて卑怯すぎるよ! 犯人を聖女ちゃんともども見つけだしてとっちめてやる!」
悪辣な犯行が許せないらしい。
夢矢は、ミナトの気だるげな声を聞いて愛くるしい中性的な頬を烈火の如く染め上げる。
そして小動物が威嚇するようにふんすこ頭から憤り噴出させていた。
「あんましデカい声出すなっての。いまのところ誘拐騒ぎを外に漏らさねぇようにいわれてんだろ」
「あっ! ご、ごめん忘れてたっ!」
ジュンに注意され瞬く間に意気消沈である。
そんなやりとりと横目にミナトはふぅむ、と喉を重く鳴らす。
――なんか腑に落ちないぞ。
今回の事件になにか違和感を覚えて引っかかっていた。
喉奥に通常怪魚の小骨が刺さったような息苦しさを感じてならない。
報告によれば聖女の私室には彼女の剣が転がっていたのだとか。しかも剣鞘から抜かれた剥き身の状態で。
そうなると襲われた際テレノアは剣で反撃を目論んだ。あの虫も殺さぬといった少女が武器まで抜いたということになる。
――魔物……が、聖都どころか聖城にまで入りこめるわけがない。そうなると……
いまのところ混乱を避けるために聖女誘拐は公表されていない。
代わりに聖都から出入りする者たちに目を光らせている。荷や麻袋などを抱えた種族を抜き打ちで検査しているのだとか。
大きな騒ぎにならぬよう粛々とことを進めているあたり指揮役は優秀だった。月下騎士団長レィガリアの聡明さが窺えた。
「でも僕らこんなところでふらふらしてていいのかなぁ? 聖女ちゃんを見た人はいるのかいちおう聞きこみはしているけどもっとやるべきことがあるんじゃないかなぁ?」
「現場は東と騎士連中でなんとかするってんだから俺らはつまるところ遊撃だな。いつでも指示で動ける人間がいたほうが良いってこった」
そわそわと落ち着きがない夢矢に対し、ジュンは存外冷静だった。
ときおり瞳に蒼を宿して周囲を見張っている。
呑気だが決して怠慢ではない。現場対応能力ではいざというときここ1番の働きを見せる。
「おっと、ようやっと諜報班のおでましだ」
「ちょーほーはん? あ、ジュンどこ行くの!?」
ジュンが唐突に歩む方角を変えた。
慌てて気づいた夢矢は置いていかれぬよう小走りになって彼の背につづく。
「家内は寝て待てっていうだろ。駆けずって情報を集めるのは俺ら戦闘チームの役目じぇねぇってこった」
「寝てても結婚は出来ないと思うよ! どっちかというとがんばりどころじゃないかな!」
「果報は寝て待てだからな。夢矢もツッコみかたを間違ってるぞ」
そうやってジュンが向かう先には、不自然な揺らぎがあった。
その背景を透かす淡い揺らぎが道横の屋根伝いに降りてくる。
「シャドウ1、合流」
瞬くように明滅を繰り返す。
特殊迷彩が解除されるとリーリコの抑揚あるシルエットが明らかとなった。
「聖都の外の様子はどうなってた? もし聖女ちゃんが外に連れて行かれたらそりゃもう闇雲っきゃなくなるぜ?」
「昨日今日聖都から出入りする業者の荷物は龍族を使って調べ尽くしたらしい。だけど聖女が捕まっていたという報告は上がっていない」
リーリコは眉ひとつ動かさずに淡々としている。
彼女は黙々と役割をこなしただけ。
そしておそらくジュンはそんな徹底した彼女からの情報を頼りにしていたのだ。
「つまりまだ聖女ちゃんはこの都に留まりつづけているってコトか。なら本格的に動きださねぇとだな」
「あるいは原型を保っていないまま外に放りだされたか、ね」
嫌なコトいいやがらぁな。ジュンは呆れがちにわしゃわしゃと頭を掻き乱す。
さすがは艦長の懐刀といったところか。暗部で暗躍する《キングオブシャドウ》ならば諜報もお手のもの。さらにそのリーダーともなれば質がモノをいう。
そうなると次の争点はテレノアがいったいどこにいるのか。誰に連れ去られたというのかという点に絞られてくる。
「あーあーなんだってこんな重要なときに攫われっちまうんだよ。城の連中はいったいなにしてやがったんだか」
「――っ!?」
ジュンにとってそれは何気ない戯言だったのだろう。
しかしミナトはその言葉を聞いて脳に稲妻の如き衝撃を覚えた。
「重要なときだからこそ攫われた……? 聖誕祭を効率良く妨害するために……?」
すると伸びをするジュンの動きがピタリと止まった。
「するってぇと犯人は聖誕祭の対抗馬のなかにいる誰かってことかよ!?」
「個人というより大勢の可能性が……っ。そうか確かテレノアの私室には足跡が複数あったんだよな」
未だそれらは憶測の域をでない。
しかし情報を整理していくと、嫌な方向に固まりつつあった。
ミナトは奥歯を噛み締めるよう声を曇らせる。
「オレもさすがにまだ材料が少なすぎて確証はもててない。けど鷹やトンビに攫われたわけじゃない」
「つまり計画的な犯行といいたいの?」
「かなり手がこんでるのは間違いないだろうな」
リーリコは「それは……厄介」ぷっくりとした唇を山なり尖らせた。
まだ推理可能な状態ではない。しかしこれほど安易な推理ゲームならば駄作決定である。
それに今回の聖女誘拐は推理ゲームでない可能性が高まりつつあった。悪巧みと悪巧みを積み上げる戦略ごっこかもしれない。
――まさかソコまで堂々とコトを起こすか……?
さっきジュンのいっていたことが憶測を加速させる決め手となっていた。
城の連中はいったいなにしていたのか。そうでなくとも聖都はおろか城の警備は強固である。
荒らされた現場の強引さと、聖誕祭終了まで残り6日というタイミング。どちらもうまく出来すぎていた。
否、水面下で蠢きながら時を見計らっていたのだ。そして時満ちて聖女誘拐という狂乱にでた。
――まさか……だとしたらお前のその執念はどこからくる……?
ミナトの頭には1人の男の顔が浮かんでいる。
あの、人がよさそうに見えて、人を食ったような温和そうな顔だった。
男の名は、ハイシュフェルディン・ルオ・ティール。ルスラウス教団の教祖であり、聖女との対立組織の長である。
「なんかミナトくんずっと小難しい顔してるね? 小脇に龍の子を抱えながらなにを考えているのかな?」
思考の最中ふわりと甘い香りが鼻腔を抜けた。
ひょっこりと現れた夢矢が視界を占拠する。
唐突に現れた可愛い物体にミナトは――不本意ながら――心音の高鳴りを覚えてしまう。
「その子抱えられてるのにぐっすりだねぇ? 危ない任務かもしれないし船においてきたほうがよかったんじゃないの?」
ミナトの小脇に抱えられた龍の子はぐっすりである。
両手両足をだらりと垂らしながらすやすや安らかな寝息を立てつづけていた。
「あんな危ないところに放っておけません! ヒカリになにされるかわからないし!」
「いやそれヒカリちゃん聞いたらたぶん悲しむと思うなぁ」
念のためモチラを聖都に入れてはいけないという話だった。
しかしこうなっては仕方がないではないか。船に1匹置いておくのも可愛そうではないか。
とりあえずこうして抱えられながら眠っている間は安全である。
「さて情報収集はここらにするとしてもどうしたもんかねぇ? 外にでてねぇっつってもこの都ときたらデカすぎだぜぇ?」
「それに長い時間放置するのはかなり危険。もしかしなくても聖女の命の危険に代わりはない」
ひとまずのところ会議はここまでだった。
ジュンとリーリコもそろそろ動きだすつもりらしい。
とにかく情報が櫛の歯の如く欠けすぎている。聖女が未だ存命であるかさえ定かではなかった。
ジュンは平に拳を当ててから関節の気泡を鳴らしていく。
「それじゃあボッとしてるよりとにかく探すっきゃねぇな! 最悪フレックスで聴力を研ぎ澄ませながら聖都じゅうを駆けずり回んぞ!」
そう、彼が気合いを入れて動きだそうとした時だった。
ちょうどジュンが勢いよく振り返って歩きだそうというタイミングに事件は起こる。
大きな1歩を踏みだそうとしたその刹那だった。
不運にも通行中の影が彼の前を横切ろうとしたのだ。
「――きゃうっ!?」
「おっとぉ!?」
2人の行く先が交差すると、当たり前だが衝突してしまう。
ぶつかった直後か細くも高めの繊細な悲鳴が響いた。
ジュンの分厚い胸板によって弾かれた少女は、よろめいてぺたんと尻餅をついてしまう。
「……あいたたた」
少女は涙を浮かべながら尻の辺りをなでり、なでり。痛みに喘ぐ。
しかもよほどの衝撃だったのか抱えていたバスケットがひっくり返しまう。ばらけた果実が石畳の上にごろごろと散らばった。
夢矢は慌てて駆け寄る。転がっていく果実を急いで拾い集めていく。
「背が高くて筋肉質なんだからちゃんと回りを見なきゃダメだよ! ジュンに跳ねられたら僕だって吹っ飛んじゃうんだからね!」
「跳ねるって俺はダンプカーかなにかかよ!? ってか、お嬢ちゃんマジで大丈夫か……よ?」
ふとその場の全員が少女の姿を見てようやく気づく。
吹き飛ばしてしまったジュンでさえわなわなと唇を震わせた。
「いえいえお尻を打ってしまっただけなので怪我はないから平気です。それにこちらもぽやーっとしていたのでお気になさらないでください」
茫然と見守られるさなか。少女はいそいそと立ち上がる。
風が吹くだけでもめくれてしまいかねないスカートの尻部分をぽんぽんと叩いて埃を払う。
日の下で見るとよりいっそう目覚ましい。眉の辺りで切りそろえられた金色の髪が微風に流れてキラキラと光沢をまぶす。
「ところでみな様がたはいったいこのような場所でなにをなさっておられるのです?」
まさに文字通り路頭に迷っていた。
そんななか一党らの前に突如として舞い降りたのは1人の天使か、あるいは女神か。
この人の住まわぬ別世界で偶然にもよく見知った顔である。
「最近ご来店がご無沙汰で寂しかったんですよっ! もしよろしければ1杯ほど如何でしょうっ!」
豊満で横皺が際立つシャツの前で軽快に白い手を打つ。
童顔に咲いた無垢な笑顔は頂点の陽光よりも眩しく、愛嬌に満ちている。
そんな少女の正体は、喫茶サンクチュアリの店員だった。
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