216話 帰還日報《Pandora》 3
声が途絶えると呼吸の音さえ響いてこなくなった。
元よりミナトはアザー出身の埒外者。ノアでの教育を受けたことすらない。
ゆえにノアで当たり前とされている情報の断片にすら触れてこなかった。触れる暇さえなかった。
だから扱う能力のすべてがオリジナル、見て覚えて知って試しているだけ。
するとここでジュンが氷解するように動きだし、首を軋ませる。
「なあ実はずっと思ってたんだが……ミナトの使ってるワイヤーに見える能力って実は第2世代なんじゃねぇか?」
そのひと言によって船内の混乱は同心円状へと波及した。
もはやどよめきとさえいえない。ざわめきとなってオペレーションルームをとり巻く。
しかし東だけは――動揺を隠せずとも――体裁を崩すことはない。
「なぜそう思うのかを聞かせてくれ、是が非でも」
頬に1筋ほど汗が伝う。
眉の間に絶えずシワを寄せて苦しげに喉を唸らす。
「ミナトのワイヤーって身体の外へ形として現れてるんだぜ? 俺たちの呼ぶ第2世代基準ってそういうもんだろ?」
「ならミナトは第1世代能力を世代越えして操っている、と……そういいたいのだな?」
まるで問い詰めるかの如き深刻な声色だった。
しかしジュンは1歩たりとて引く様子はない。
「成功と証明が憶測を決定づけているんだろ? ならミナトが怪魚やらアンレジデントをぶっ倒したのだって成功と証明なんじゃねぇのかよ?」
すかさずリーリコが歩みでる。
特殊迷彩の裾を流しながら援護に入った。
「しかもその時の映像はALECを通して保存済み。私だってすでに5回以上は目を通している」
彼女らしい物静かでありながら理路整然とした物言い。
おそらく彼女がここで割って入ったのは、どちらかを庇うことが目的ではない。
利己的で、簡潔で、客観的な己の意思を述べていく。
「あの破壊力は間違いなく第1世代の範疇におさまらない。そして彼は血を介すことなくフレックスを物体に流しこんでいる」
「しかもミナトは2度に渡って同じ現象を再現してんぜ。そこへ映像での証拠まであるんだから否定のしようがねぇ」
リーリコとジュンのタッグは強かった。
2対1な上に証拠の映像まで残されている。
しかも2度という再現性まで明らかだった。怪魚と巨大アンレジデントで同様の手段を用いている。
そうなれば流れで否定側に立たされている東でさ反論の余地はない。
「はっはァ! だいぶ痛いところをついてくるな! 議論のために否定側に立たせてもらったがこれ以上の反論は難しい!」
完全な白旗を上げる宣言だった。
しかし東の少年のように目を輝かせている。
口角は歓喜に咽ぶかのように吊り上がっている。
「血を介さず物体にフレックスを流しこむ! これは十分どころか十二分に試してみる価値があるぞ! もし定説を実証可能であれば革新的な進歩を望める!」
つらつとして生気に満ちたが笑みだった。
他のメンバーたちでさえ長い夢から覚めたように驚愕を浮かべている。
そして全員がはしゃぐ中年を前にして反論を口にせずにいた。
「なら実際に僕らもやってみるのが1番なんじゃないかな?」
「フレックスに余裕のあるジュンがやってみろ。ガス欠連中にやらせるのは荷が勝ちすぎるだろう」
夢矢が首を捻ると、東は即座に頷き指名する。
ジュンもやる気十分とばかりに片手へ拳を打ちつけた。
「オッケー任せとけっての! で、フレクスバッテリーの換えはあんのか?」
「あっ、なら私が船倉からもってきてあげましょうともっ! 食材管理が私の仕事だから船倉のレイアウトも完璧なんだからっ!」
あれよあれよという間に話が進んでいく。
駆け足で戻ってきたヒカリがコンソールの上に小型フレクスバッテリーを配置する。
光沢のある蒼い流線型はミナトが左腕に帯びているものとまるで同じ形だった。
そこへジュンが勇み足で歩み寄る。
「ふぅぅ……よしっ!」
バッテリーを前に普段とは違って僅かな緊張を孕む。
一心に期待の籠められた視線が彼に注がれる。
バッテリーとは通常フレックスを籠め凝固阻止剤などを混ぜた血液をなかに締まっておくためのもの。だからいまはただの入れ物でしかない。
「じゃあやってみるぜ」
その声に室内の緊張が最高潮へと高まりつつあった。
メンバーたちは固唾を呑んで見守る。
実際のところはメンバーの誰も彼がやり遂げられると思っていないはず。
なによりここから先は人類未踏の領域なのだ。踏み入るのであれば、試行錯誤が必須となる。
ただいままでと1箇所異なる点が存在した。ここにいる全員が出来るという証明を確立している。
そしてジュンは期待を一身に背負って準備に入る。
強張った肩をほぐしおえて、フレクスバッテリーへと手を伸ばす。
「…………」
蒼き流線型へと触れて、瞳を閉ざした。
と、同時に能力を発動させる。全身に薄く蒼い膜を発生させる。
ジュンを中心にぼやりとした蒼き光がオペレーションルームの影を散らす。蒼が炎の尾の如く揺らぐと影もまた揺らぎと明滅を繰り返した。
「……っ」
彼の口から息を止めるような苦悶の音が漏れた。
集中しつづけている。手を意識しているのが良くわかる。バッテリーに触れている右手が蒼の色を強めている。
しかし輝くのは手のみ。鎮座するフレクスバッテリーは一向に流れこんでいかない。
誰もが落胆する。当然であると位置づける。
欲していたものをとり上げられたかのように肩を落としかけた。
その時。1人の少年が張り詰めた空気のなか、靴底を踏む。
「もっと力を抜くんだ。呼吸も整えて、意識すらしなくていい」
ミナトは、ジュンの手に手を重ねる。
囁くよりは強く、語るよりは精密な声で指示をだす。
「オレのワイヤーは手足を動かすのと変わらない。自分の手足を動かすのに意識なんていらない」
「……おう、わかった」
ジュンは、ひと呼吸ぶんたっぷりと吐息を深く刻む。
それから静かにゆっくりと呼吸を整える。手元に集っていた蒼は消え、全身を覆う膜と同じ規律をとり戻す。
「お前なら出来る、なにかを無理に信じなくて良い。出来る、考えなくても出来る。意識はいらない、自分の思うがままに」
「出来る、出来る、出来る、出来る。俺の思うがままに、もっと自由に」
ミナトとジュンが触れ合うのと同じように、調べが重なる。
自然体のままに、ありのままに。彼を覆う膜となっていた蒼が、波を沈めて定着を開始した。
一切の淀みのない静謐だった。清らかで揺らぐことのない蒼がジュンの身体を包みこんでいる。
そして蒼の揺らぎがおさまると、すぐ後にじわり、と。蒼き光がフレクスバッテリーへと流れていく。
とうとうジュンのフレックスが物体へと流入をはじめた。血を介さずバッテリーへと注ぎ込まれていく。
「ほ、本当に出来た!? ジュンいま血を使わずにバッテリーへフレックスを流しこめてるよ!?」
「ウソッ!? 練習とかなしでこんな簡単に出来ちゃうものなの!?」
夢矢とヒカリはほぼ同時に驚愕を口にした。
まるで脱兎の如く。ぴょんと跳ねて目を丸くする。
歴史的偉業を目の前にし、船内が総毛立って狼狽えつつあった。
血を介さず能力を閉じこめるという快挙を前に諸手を挙げて喜びを表現する。
ガッツポーズするものやハイタッチするもの。少女同士で抱き合うったりするものまでいた。
そうして身体を叩くような喝采が鳴り渡るなか、静かに蒼き光が収束していく。
「なんだ……いまの? まるで……身体?」
能力を停止したジュンの様子がオカシイ。
明らかな戸惑いを浮かべながら己の手を見ていた。
そしてその戸惑いを秘めた瞳のまま隣の少年をのほうへ向く。
「お前の普段やってることって……こ、こんな感じなのかよ? だ、だとしたら……マジでヤベェぞ?」
怯えるような口端の震える笑みだった。
ミナトにはそのヤベェの意味はわからない。ただ事実としてあるのは友の成功である。
ジュンは見事に全員の見ている場所でミナトの願いを叶えてみせた。
ならば必要なのは2つきり。通り過ぎざまに「おつかれ」あと「ありがとな」役目を終えたジュンの肩を気さくに叩く。
目的を終えたのだからそろそろ潮時だった。こちらもこちらで剣の鍛錬に勤しまねばならぬ。
そろそろリリティアの買い物も終わる頃合い。ミナトは忘れ物はないかと、騒がしい船内をぐるりと見渡す。
「……すやぁ……」
忘れ物が部屋の片隅で足を伸ばしながら穏やかな寝息を立てていた。
薄暗い省エネルギーモードのオペレーションルームは快適である。空調も完備で眠るにはもってこいの環境だろう。
ミナトは、無垢な寝顔に思わずといった感じで目尻を和らげる。
――ヒカリに遊んでもらって疲れたみたいだな。抱えてもち帰るか、モチラだけに。
それから無防備に爆睡するモチラをそっと小脇に抱え上げた。
抱えられてなおもぐっすりな少女の感触はふわふわとして、体躯の割りにそこそこ重みがある。
生まれたての新生児を3000gとするならばモチラはその10倍はあるだろう。肉体が貧弱だった頃ではこう抱えることも出来やしない。
「顔なじみの顔も見られたし目的も達成したしそろそろお暇するとしますかね」
船内はいい感じで暖まっていた。
せっかく感動を共有しているのだから邪魔するのも忍びない。
ミナトは気づかれぬよう静かにその場を後にしようと部屋の出口へと向かう。
「……東? なにやってんだアイツ?」
すると出入り口のちょうと人影があった。
若人の輪からはみだし、いい大人が1人でぶつぶつとやっているではないか。
しかもナイスミドルに険を寄せながら口元を手で覆っている。
「固定観念の逆転、いや円転とでもいうべきか……? だとしたら俺たちの扱うフレックスと根底から……?」
「おーいオレそろそろ帰るぞ。なにしろこのあと森に帰って剣の稽古をしこたまやらなきゃならないからな」
どうやらミナトが声をかけてようやくこちらの存在に気づいたらしい。
東は、口元に添えた手を退けて顔を上げる。
「……ん? あ、ああ。そうだな、見送りはいるか?」
「みんな盛り上がってるのに水を差すのも申し訳ないからいいよ。ところで――」
わざわざブルードラグーンに返ってきた理由。
ミナトがもっとも知りたかったことが1つだけある。それを聞くためだけにここを訪れたといっても過言ではない。
「勝てるのか? 聖誕祭?」
フレックスが溜められようが、人が強くなろうが。関係はない。
あと7日まで迫った聖誕祭に勝てねば、そこまでの努力のすべてが水泡と帰す。
東は腕を組むと顎を上げて僅かに首を傾ける。
「……フゥン? こちら側の心配はいらないと前にいわなかったか?」
「心配性なんでね。せめて不安くらいは払って貰えないと夜もろくに眠れないんだよ」
ミナトは肩をすくませおどけてみせた。
大人に対してこのような態度は失礼にあたる。しかし友相手ならば問題はない。
対して挑戦を振られた東は、ニヤリ、と。含みのある笑みを作る。
「俺を見くびってくれるなよ。革命を矢の1本で成し遂げた策士だぞ」
2人の間に多くの言葉は必要なかった。
ミナトは信じる大人から期待通りの答えを黙して待つ。
そして「確実に勝つさ」期待通りの答えを返してくれるのが、この東という男である。
「究極の聖誕祭攻略法はとうに見つけてある。ただ唯一の懸念があるとするならば――」
その時だった。
ちょうどミナトの目の前にあったはずの壁――エアロックの扉が自動で開いた。
否、自動ではない。その入口側に誰かが立ったため急遽センサーが反応したのだ。
そして廊下側には小型艇には似ても似つかぬ白鎧を着た風貌の女性が息を絶え絶えに佇んでいる。
「聖女様が、ハッ――聖女様がッ!!!」
急な来客に賑わいがシン、と打ち消された。
その刹那にミナトは確かに聞く。
東が「……チッ。やはりきたか……」という強めの不満を舌を打ちならしたのだ。
さらにその不満の元凶のすべてを船内にいる全員が理解する。半強制的にさせられる。
「聖女様が攫われたわ!!!」
飛び入ってきたフィナセスによる悲鳴だった。
あるいは悲劇の始まりだった。
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