215話 帰還日報《Pandora》 2
扉の開閉とともに現れたのは、ジュン・ギンガーだった。
所属するチームのリーダーをみつけるなり快活な笑みを見せてくる。
「あれ? お前なんか変わったか?」
「問題です! オレのどこが変わったでしょう!」
唐突なクイズだった。
ジュンは、再会に緩んだ表情をきりりと引き締める。
「ぁ~~…………髪が伸びた!」
「おめでとう! 一昨日きやがれポイントを進呈しよう!」
これが2人にとっていつものリズムだった。
相手のほうが2つほど年上でも関係はない。それに1ヶ月ていど離れていたとしてこのように友人関係が変わるわけではないのだ。
ただそんな男子中学生レベルのやりとりを女性陣は薄ら笑いで眺めている。
「そういえばさっきリーリコにも聞いたんだけど、お前ら男陣はなにやってるんだ?」
「おう? 東辺りからこっちでも新しいことやってるって聞いてねぇのかよ?」
そんな話は聞かされていない。
ミナトは「……新しいこと?」疑問を抱き首を横に傾けた。
こちら、ブルードラグーン側の成すべきことは聖誕祭勝利の1点であろうところ。
ならば全メンバー総動員で魔物狩りに奔走しているのが普通であるはず。
「前に東が帰還条件だしてただろ? シグルドリーヴァのチーム全員を第2世代にすることっつう無茶苦茶なヤツをよぉ?」
ジュンは喜ばしくない表情で両手をぶらぶらと振った。
いわれてようやくミナトも思い当たる。
「あー……たしかにそんなこといってたなぁ」
世代とは人類に芽生えたフレックスと呼ばれる蒼き力の習熟値を示す言葉だ。
フレックス使用者にまず与えられるのが、第1世代である。大多数の人類のほとんどが身体能力強化までに留まっているという。
その上の第2世代は、天才秀才の領域だった。未だ次の舞台に登っているのはごく少数となる。
なお使えぬモノを呼称する言葉は存在せず。つまるところミナトは無世代という悲しい位置づけだった。
「つまりいま俺らは全員でフレックスを鍛えまくってんだよ。もちろん鍛えるだけじゃなく次世代に進む新しい方法をみんなでいくつも考えながら試してるんだぜ」
そういってジュンは腰に手を添えカッカと快活らしく笑う。
よくよく見ればその笑顔にも僅かな疲れが見える。
頬は紅潮し、髪先にだって汗の滴った跡があった。
「そうでなくても第2世代っていえば数万人に1人しか到達できない領域なんだよな。それをチーム全員って……無理筋にもほどがあるだろ」
「つってお前だってクソほど努力してんだ。だったら俺たちもお前1人に頑張らせておけねぇよ。そんなこんなでこっちだってやるべきことを増やしてるってわけだ」
そうやって近況報告をしている間にぞろぞろという足音が居並ぶ。
ジュンに塞がれてしまっている出入り口にいっそう愛らしい影がぬぅ、と現れる。
「ジュン退いてぇぇ~……自分が元気だからって僕らも一緒だと思わないでよねぇぇ~」
その正体は、腰からぐんにゃりとへし折れた虎龍院夢矢だった。
まるで歩く死体。酔っ払いのように揺れながら佇んでいる。
「お、わりぃわりぃ。ミナトのやつもう戻ってんぜ」
「えっ……あ、おかえりミナトくぅぅ~ん」
覇気というか、生気すらない。
とぼとぼと歩く姿は痛ましい。一目惚れ相手にキツく振られた5秒後みたいな力のなさ。
久々に再会した夢矢は、なにやら疲れ果てていた。
「どうしたんだ? 朝飯抜きでフルマラソン2往復したみたいな顔してるぞ?」
「あ~……そっちのほうがちょっとだけマシかもぉ~」
コンソールまで辿り着いた夢矢はそのまま砕けるように突っ伏してしまう。
ミナトの目から見てもかなり疲弊しているのがわかった。顔色も悪くげっそりとやつれてしまっている。
そしてその背後からもぞくぞく、と。歩く死体がくたばりかけといった様子でオペレーションルームに押し入ってきた。
「も、もう無理だぁ……! 精神も肉体も限界で歩くことも辛い……!」
「へぇ、へぇ……! せ、せめてフレックスが回復すれば少しは楽になるはず……!」
足下もふらふら。声だって喉で喘ぎ喘ぎ。
どいつもこいつも生気が抜けかけた生白い顔色をしている。
「お前らだらしねぇでやんの。毎回そんなんじゃ昼間の狩りにもでかけられねぇよ」
「底なしのフレックス馬鹿にいわれたくないよぉ! ジュンのフレックス量は常人の5、6倍! それに比べて僕らのフレックス量は並みなんだからね!」
夢矢がジュンに食ってかかるも、やはり覇気はない。
今のところジュンを除いて全員が疲労どころか死に体である。
これを異常事態と呼ばずしてなんとするか。当然のようにミナトの怒りの矛先は責任者の下に向かう。
「おいこら東。お前また変なことを思いつきでやらせてるんじゃないだろうな」
「俺の指示じゃないぞ。そいつらは自分たちの意思でフレックスと血を抜いているんだからな」
……は? 一瞬意識が明後日に飛んだかと思った。
ミナトは側頭部を殴られるような衝撃を感じて目眩を覚える。
血とフレックスを抜くという行為は、血を媒介としてフレックスを溜めるということ。つまるところ先代宙間移民船艦長のとっていた暴虐の策だった。
しかしここにきてなぜ、しかも自分たちから進んで家畜の如き道へ踏み外すのか。
ミナトは、頭を抱えながら霞む脳裏へクエスチョンマークをいっぱいに敷き詰める。
「おいジュンどういうことだよ!? なんでいまさらそんな馬鹿げたことやってるんだ!?」
大股になってジュンに詰め寄っていく。
驚きというより怒りのほうが強かった。革命を経てようやく手に入れた人の道をみずから踏み外す友が許せない。
「オレがお前らを長沢晴紀の檻からだしてやったのはそういうことをせずに生られるようにするためだってわからないのか!」
感情が爆発して胸ぐらを掴みかねない勢いだった。
頭1つぶん背の高い年上のジュンを侮蔑を籠めて睨みあげる。
「それくらい知ってんぜ」
「じゃあなんでなんだよ!?」
「これがいっちゃん効率的だってコトだよ」
ジュンは怯みもしない。
ただ優しい目で憤るミナトを見つめるだけだった。
「っ、なんの話をしてるのかわけわかんねぇぞ! なんなんだよ効率的ってのは!」
「だから……次世代へ進むために必要な最短経路ってことだ。これは俺ら全員で相談してやるって決めたことだぜ」
ジュンは爽快な表情でぐるりと船内を見渡す。
するとくたくたになった青年たちは各々揃って親指を立てる。
「第2世代に進むためにはいまの自分を超えないといけない……!」
あれはいったい誰だったか。ミナトにとっては名も知らぬ。
しかし記憶にはあった。はじめに少女とともに実世界への帰還を望まなかった青年だった。
地べたで仰向けに転げながらやつれた頬に笑みを寄せる。
「だからこの最悪な方法でも縋ってやる……! たとえ死にかけたとしても全力で次世代に這い進んでやるんだ……!」
無理して立ち上がろうとする青年を少女が慌てて支えに入った。
しかし彼は手で制すと、己の膝に手を立てて立ち上がろうとする。
「そうさ、いま俺たちは……いや、男女問わず交代制でフレックスをブルードラグーンに貯蓄している」
声のしたほうにミナトが振り返ると同時だった。
1人の青年がその動揺にするミナトの肩へと触れる。
『弱い俺たちじゃもう戦うことも失うのもいっぱいいっぱいなんだ! あの世界のスピードについていくのはもう嫌なんだ!』
それは間違いなく、あの時に慟哭した面長の青年だった。
他の面々より疲労が軽微なのか、もうすでに己の両足で立ち上がれている。
「そ、んな……どうしてまたこんなッ!」
ミナトはわけがわからなかった。
仲間たちがもっとも忌避すべきことを行っている。
「別に他の方法だってあるだろ! そんな立ち上がれないほどの身体になりながらこの半年耐えられるわけがな――」
「君が死ぬ気で努力している横で指を咥えていられるほど僕らも落ちぶれていない! またそうやって助けて貰うだけなら僕らは到底君の仲間でいられないからだ!」
「――ッ!!?」
ミナトは言葉を失った。
彼の表情は、決意の滲んだ勇壮たる様だった。
なにごとも恐れず、怯えてすらいない。真っ直ぐにただ信念をやり尽くそうとしている。
ゆえに決して言葉に嘘はない。そう、見る者に認めさせられるだけの説得力があった。
青年たちのやりとりを横目に東は、得意げに筋の通った高い鼻を吹く。
「これがお前の選んだ道だ。そして俺たちがみずから選んで進むと決めた道でもある。どちらにもあるのは究極の我が儘と、代えがたいという志だな」
諦めと見えそうな微笑を浮かべながら白衣越しに腰へ手を添える。
周囲の疲れ果てていた面々も起き上がって1点を見据えている。
「全員の不動だった心を動かした旗本は、お前だろう」
東が顎を使って指し示す。
その中央にはフレックスさえ使えない役立たずのミナトが立っていた。
男女問わず。チームの全員が彼を肯定している。あれほど世界に怯えきっていたとは思えぬほど、清々しい笑みを携えて。
「あれから全員が本気になってんだ。半年ていど全力で走るなんてわけねぇことだぜ」
「すでに第2世代に進めた子も何人もいるんだよ! この短期間で著しい成長が望めたのはノアのなかでも前代未聞さ!」
いつの間にかその並びに女性陣からヒカリとリーリコも加わる。
「とはいえ先は長いですなぁ。でも美味しいご飯が食べられるってだけでやる気になる人もいるけどねぇ」
「みんな誰も置いていったりしないし、貴方1人を置いていくつもりもない」
ミナトのいない間になにがあったのかはわかりっこない。
しかしチームシグルドリーヴァは、このルスラウス大陸世界にやってきたことで1つになっている。
帰還という1人の我が儘によって掲げられた無謀を、一緒になって掲げようとしていた。
ミナトは目の奥がツンと痛むのを感じながら顔を伏せる。
――でもダメだ。
みなの決意が固まっていた。
――こんなことをつづけていたらまた必ず淀む。オレがアザーで経験したときみたいに必ず心をアクが蝕む。
だからといってはいそうですか、と。お涙頂戴にはならぬ。
全員フレックスを使用した疲労と血を抜かれたことによる貧血で限界だった。
青白い顔をしている。明らかに無理をしつづけている。
――探せ、探せ、探せ……別の方法はないのかを探しだせ。
フレックス値は限界まで使用すると最大値が引き上がるという法則があった。
限界値まで使用するとなれば並々ならぬ苦痛を伴う。それはこの部屋にいる青年たちが証明しているではないか。
その上に媒介となる血液まで抜いていては精神まで参ってしまう。やがていずれは気づかぬうちにぽっきりと心が折れてしまいかねない。
「……ん?」
ふと思い当たる。
ミナトのなかにある経験が脳裏を過った。
「なんで血を媒介にしないとフレックスを溜められないんだい?」
唐突な疑問に船内がざわめきたつ。
そして戸惑いの眼差しが一斉に向かう。
この場でもっとも年長者である東の元に群がる。
「……フゥン。それは学会にてフレックスの権威である美菜博士が解いたフレックスの媒介法にある」
「美菜博士? フレックス媒介法? なんだそれ?」
「フレックスは未知なる力だ。人間によって生みだされながらも人間という生命以外がもたぬという2つの側面をもつ。だからこそ人の一部、すなわち血液ならば放出されるフレックスを留めることが可能だということを書き記した論文が存在している」
さながら講義であるかのよう。
新参者のミナトは当然知らぬとして。他のメンバーたちも黙って静かに聴講している。
「現にこうして血を媒介とすることによってフレックスの保存が世界ではじめて成功しているというわけだ。成功と証明が美菜博士の憶測を決定づけている」
東はピリオドを打つようにぱちん、と指を鳴らしたのだった。
人から発される力。であるからこそ人の血液を介してなら保存できるという理屈。
周囲のメンバーは異を唱えずただこくりこくりと頷くばかり。
しかしミナトには1点のみ腑に落ちぬ箇所があった。
「それってオカシクないかい?」
「学者様の立てた理論に異を唱えるな。俺たちには想像がおぼよぬほどの議論を重ねてだしたものを結論というのだからな」
「いやいやだってオレ……剣にフレックス籠めて怪魚を倒したんだぞ? どこにも血なんて使ってないじゃないか?」
静まった。
というより全員が刮目しながらミナトを見つめたまま放心状態にあった。
「そもそもオレの使うフレックスバッテリーのワイヤーだって物質を介してだしてるんだぞ。なら血じゃなくて物質そのものにフレックスが介在しているってことじゃないか」
(区切りなし)




