214話 帰還日報《Pandora》 1
野っ原には翼の折れた蒼き鳥が横たわる。
そうなる前までならば何処かの遠い星の海を泳いでいただろう。しかし未だその身は空さえ飛ぶことが叶わない。航空力学の推移を詰めこんだ流線体が、ただ静かにそこにあった。
「や~んなにこの子ぉ!! 超可愛いんだけどぉ!!」
「…………」
右へ左へ。右往左往。
少女が目を輝かせながら幼子を追い回す。
船内一室で追いかけっこが繰り広げられていた。
そうでなくともブルードラグーンは小型艇。狭苦しいオペレーションルーム内が騒々しくなっていく。
「あ~ん待ってぇ! そのもちもちの尻尾をちょーっと触らせてくれるだけでいいからぁ!」
ミトス・カルラーマ・ヒカリは、どうやらモチラを捕まえたいようだ。
しかし唐突に追い回されているほうも、そうやすやすと捕まるつもりはないらしい。
無礼者に小ぶりな尻をぷりぷり見せつけながら尾を振って逃げつづけている。
そうやってモチラとヒカリは部屋に置かれた会議用のコンソール回りをぐるぐると回りつづけていた。
「もう逃がさないわよー! とーう!」
「っ」
距離が縮んだところでヒカリがダイブした。
しかしモチラは一瞥をくれると軽やかな身のこなしで避ける。
目的を失ったヒカリは勢いをそのままに堅い船体の床へとヘッドスライディングを決めたのだった。
モチラは身を翻して倒れ伏すヒカリの元へと歩み寄っていく。
「だいじょう、ぶ?」
「…………」
しかし返事はない。
ヒカリは屍のように突っ伏したまま平たくなっていた。
だが、唐突にガバッと起き上がったかと思えば再び襲いかかる。
「ゲットオオオオ――……ありゃ?」
油断を誘った姑息な策は成らず。
広げた両腕が空を切り無を抱きしめたのだった。
能力の蒼が軌跡を描くも、無駄。フレックスまで発動させたのにもかかわらず軽々避けられてしまう。
とうにモチラはコンソールの逆側に回りこんでこちらをぼんやり覗きこんでいる。
「ふ、ふふふ、燃えてきたわ! こうなったら意地でも捕まえて思う存分ハグさせてもらうんだから!」
そして子龍と欲望滾る少女の追いかけっこが再び幕を開けたのだった。
どういった経緯でこうなっているかといえば、買い物である。
誘いの森でとれる食材は限られているため塩や砂糖などは定期的に買いだしに出向かねばならない。
だからいまリリティアたちが聖都で買い物をしている間だけ、こうして人間たちの巣であるブルードラグーン号に赴いているということ。
「おーいあんまりモチラを追い回すんじゃないよ」
ミナトは呆れながら暴走するヒカリに注意喚起した。
なにしろいくら可愛いとはいえ龍の子供である。怒らせたらなにをするかわかったものではない。
しかしヒカリは欲望に目の眩み切っってしまっている。可愛いモノを逃がすまいと回りが見えていない。
「美味しいご飯作ってあげるからぁ! あ~んお願いだからちょっとだけ止まってよぉ!」
「…………」
モチラは無表情で走り回るばかりだった。
これといって抵抗とする様子でもない。ただ袖振りながら短い足で子兎のように逃げ回っている。
ただときおり足を止めてヒカリを待って、また逃げる。そんな良くわからない行動を繰り返していた。
――……あれはあれで楽しんでるのかね?
ミナトは、黒い髪をガリガリと手で乱しながら傍観を決める。
リリティアとともに聖都に向かわなかったのは、子守だった。
無論、こうして同種である友人たちと久しぶりに会いたかったということもある。だが、子龍のモチラを聖都に連れて行けないためこうしてブルードラグーンにやってきていた。
もしモチラがはじめて赴いた聖都で多くの種族を前に暴れでもしたら。新生児であるモチラが暴走したら。大災害の引き金になりかねぬ。
だからこそ7種族相手するのだから人くらいには慣れておかねばやっていけぬ。
「待て待て待てぇ~! おねーさんがたっぷり甘やかしてやるんだからぁ~!」
そんな繊細な事情とは知らずヒカリは追い回す。
活発そうな見た目のショートヘアを乱し、一心不乱にモチラと追いかけている。
――変質者レベルの相手に平常心保てるのなら聖都に入れても大丈夫なような……。
しかしどうやら杞憂だったらしい。
モチラはヒカリという大きな壁を前にしても冷静に対処できていた。
「さて、と。モチラの子守はヒカリに任せておくとして……」
ミナトは肩を回しながら振り返る。
ひとまずあちらは置いておくとしてこちらも少々不穏な空気が漂っていた。
あらかじめ帰還の意図をALECナノコンピューターで伝えていたはず。なのにオペレーションルーム内は歓待ムードどころか静まりかえっている。
集まった女性陣たちのミナトを見る眼差しが、だいぶというか、よそよそしいのだ。
「……なんだその身体は?」
そして代表の開口一番がしかめ面とは如何様か。
東光輝も女性陣たちと同様、ミナトを怪訝そうな目で眺めている。
久しぶりに会ったというのにこの扱いはなんだ。しかも他人ほどの距離を保つとは何事か。
ミナトは不快感を顕わにしながら上腕二頭筋を引き締める。
「なんだとはなんだ。どこからどうみてもナチュラルマッソーじゃないか」
「どこがナチュラルだ!? たったの1ヶ月ていどでどうやったらそこまで変貌が出来る!?」
「どうやったらって……めちゃ頑張ったから?」
「人の常識というものをもう1度勉強し直してこいッ! もはや見た目から別人になってるコトに気づけッ!」
東はたまらずとばかりに声を張り上げた。
郷に入っては郷に従う。いまばかりミナトにとっては久方ぶりのパラダイムシフトスーツ姿だった。
ぴっちりと肌に貼りつく生地には臆面もない筋やコブが目立つ。丸く張った肩、ブレートの如き胸筋、大筋2本の背筋。僅かに腹筋も形がわかるくらいには発達している。
「なにがおかしいんだよ……。あのころよりよっぽど健康的な身体になっただろうが……」
苦節1ヶ月、くる日もくる日も痛めつけつづけた。
そしていままとっているパラダイムシフトスーツには、くっきりと肉の筋が浮いている。
これほど努力が実ったというのに不評とは。褒められるどころか女性たちからの視線は若干の恐怖が籠められていた。
代表するようにリーリコ・ウェルズが歩みでる。
「これ、どうやら本物。現実的にあり得ない、過度な成長」
気難しげに喉を鳴らしながら指で筋に触れていく。
目を細めながら指先で弾力を確かめる。
「お前まさか……変な薬とか飲まされているんじゃないだろうな……?」
深刻そうな声色だった。
恐怖というより案じている。
それもそのはず。ついこの間まで彼は骨と皮しかない体つきだった。
そんな痩せこけた少年がいまや常人と同列にまで追いついているのだ。気色悪いという奇異な視線が向けられても無理もないか。
「ただ目いっぱいに食べて限界まで運動して治癒魔法をかけてもらっているだけだ。特に心配されるようなコトはしてないよ」
「治癒魔法を使ったトレーニングを施しているとは聞いていたが……まさかこれほどの効果を及ぼすとはな。聞きしに勝るとはまさにこのことか」
ミナトが説明してやってもどうやら納得がいかないようだ。
東は無精髭を撫でさすりながら彼の身体をしみじみと観察する。
いちおうチームリーダーとしての責任というものがあるのだろう。チームシグルドリーヴァ唯一の大人として見過ごせないといった感じ。
「治癒魔法をかけてもらうと筋肉痛になる成長する過程をスキップ出来るんだとさ。だから毎日筋トレし放題成長させ放題なんだよ」
「つまり治癒魔法の効果は細胞分裂の誘発ということか。なんらかの副作用を及ぼしそうで末恐ろしいな」
さすがの慧眼といえよう。
色ボケ、女好き、軽薄男気どり。それすべて彼の上面でしかない。
ミナトは根負けして自笑気味にいう。
「寿命のあるヒュームに治癒魔法を使いすぎると老化が早まって早死にするらしい。だからたぶんオレの身体も多少は寿命をペイしてるんだろうな」
「……っ。ロマンとリスクは両立せず、か。魔法とうたいながらなんとも現実的なことだ」
東は本当に一瞬だけ瞳に蒼を瞬かせた。
しかし瞬くほど刹那の間だけ。一呼吸終える間に深みのあるダークブラウンに瞳が戻った。
そっ、と。東は、ミナトの発達した肩に手を触れる。
「……頼むから無理だけはやめておけ。お前の命の使いかたは危うすぎる……」
まるで通りすがりざまに囁くかのよう。
誰にも聞かれないようミナトだけに伝わるような潜められた声だった。
それを受けてミナトも東にだけ聞こえる声で伝える。
「いま無理しないでいつ無理するんだよ。それに数年早死にするより半年後に死ぬほうがごめんだっての」
「……そうか。なら俺からかけてやれる言葉はそう多くない。お前にとって後悔のないようやれることをぜんぶやっておけ」
応よ。拳と拳をぶつけ合う。
寿命をペイすることさえ安易である。半年後に剣聖リリティアとの死闘があるのだ。だから1年2年寿命が削られたとて安いもの。
東はそれがわかっているからミナトに余計なことをわなかったのだろう。どこぞ人権を吠え叫ぶ厚顔無恥に成り下がらなかった。
軽めの報告を終えたミナトは、改めて船内をぐるりと見渡す。
「そういや男どもと夢矢はどこにいるんだい?」
近くにいるリーリコへ何気なしに尋ねた。
「男連中はいま別室で任務中」
「じゃあ夢矢は?」
「夢矢くんも男のカテゴリーに入れて上げるべきだと思う」
物静かで簡潔な回答だった。
リーリコ曰く男連中は別室で任務中らしい。
ふとミナトは「……別室」違和感を覚える。
「外で狩りじゃなくて船の中で任務? いったいなにやってるんだい?」
「それは本人たちに聞けばいい。ほら、そろそろ戻ってくる」
リーリコはオペレーションルームの外に繋がる隔壁を真っ直ぐ指した。
それから数秒ほど。ミナトもようやく彼女の意図するものを耳にする。
なにやら複数人の歩く足音がここ目掛けて近づいてきていた。
「リーリコって耳がいいんだな。やっぱり影の王のリーダーをやってるだけのことはあるってことか」
「私たちフレクサーは耳が良い。アナタも使えるようになればすぐわかる」
彼女の口にしたフレクサーというのは、使える側の総称だった。
フレックスを扱える人間はことごとく視力や聴力に長けている。だから彼女には人を超越する力をもつ。
「なに?」
ミナトがぼんやり横顔を見つめていると、リーリコはきょとんと小首を傾げた。
とくにこれといった理由はなかった。いいなぁ~、という淡い嫉妬の感情があっただけ。
ミナトは心が覗かれてしまわぬよう彼女から自然に目を逸らす。
「相変わらず凄い恰好してるなーって思っただけだよ」
「そう? てっきりフレックスが使えることをうらやんでいるのかと?」
「……ぐっ!!」
ぜんぶ1mmと違わず言い当てられた。
ミナトは崩れ落ちたい気分をこらえて痛む胸の辺りを抑える。
「私嘘を見抜くの得意。アナタさっき私の身体じゃなくて横顔を見つめていたからすぐわかった」
「そ、そうなんだ……次回に生かせるよう努力するよ……」
「ふふっ、あと身体を見てても女性ならすぐ気づく。だからどっちにしてもすぐ気づく」
そういってリーリコはSっ気たっぷりな嘲笑を浮かべた。
言い負かされたミナトはたじたじになってぐうの音もでない。
潔く嫉妬した恥を認め、力なく頭を垂らすのだった。
「お、ミナトじゃねーか! もう帰ってたのかよ!」
(区切りなし)




