213話 恋する乙女道《Third WAKE-UP》
「それで月下騎士団団長としての意見は如何でしょう?」
「現状はおおよそ拮抗していますね。はじめこそ突然変異個体でアドバンテージを得られておりましたが、教団側から徐々に差を詰められております」
こじんまりと一服設けた席に3人ほど腰を休める。
蒸された茶葉の色濃い香りが部屋を抜けて夜に向かう。
これが王の玉座であるなら不遜と捉えよう。しかし卓には聖騎士、月下騎士、そして聖女もどきがいるだけ。
兵の目もなくば衆目さえ届きやしない。ならばたとえどれほど陳腐であれ文句を垂れるものもいないということ。
「切迫しだすのも秒読みであるかと。こちらも聖火へ投じる供物の工面を迅速に最適化すべきかもしれませぬ」
「そう、ですか……」
テレノアはティーカップの持ち手を指と指で器用にもちあげた。
ついぞ上品な香を立ち昇らせる淹れ立ての紅茶にそっと口づけを交わす。渋みのある琥珀色が喉を通って胃にじんわりと熱を届ける。
レィガリアからの報告は非常に単純明快で簡潔だった。
彼は文武両道を重んじるきらいがある。ゆえに前線にも躍りでるし、内政屋の一面ももつ。だからこそ頭の巡りもまた素晴らしい。
しかしそれではいけない。きっと賢い彼なりに気を使ってしまっている。
テレノアはカップをそっと静かにソーサーへと戻す。
「私への気づかいはもう必要ありません。虚偽や添削を抜きに真実をお伝えください」
僅かな沈黙が、紅茶とは別になって部屋のなかへ充満した。
レィガリアの騎士団を率いる威厳は揺らがず。
ただ1つだけ。こほん。咳払いを零した。
「やや……いえ、すでに巻き返され差が大きく開きはじめています。由々しき事態であると覚悟を決める必要があるかと」
レィガリアもまたテレノアの真意を汲むしかない。
いまや歯に衣着せている場合ではないのだ。
そして彼女の心だってとうに定まっている。
「やはり教団としてまとめられた数の大きさには圧倒されてしまいますか……」
「こちらが優勢だったのは聖誕祭開始僅かまでです。突然変異個体を捧げたことによる急加速以降は教団側に敗北を喫しつづけています」
レィガリアは苦々しく眉を寄せて腕を組んだ。
忠信注ぐ者から聞く真実は残酷な現実だった。
テレノアは頬に手を当て薄い胸から憂う吐息を零す。
「ハイシュフェルディン教はいったいどれほどの数を大陸中に派遣しているのでしょう? エーテル領内での活動ならば私たちのほうが勝っているはずですよね?」
「相手は大陸単位で信奉される大宗教です。ゆえに教団の信徒が各地に散らばっておりますので教団側は遠征をする必要がない。各地方から流れる行商などを用いて聖都へ供物を集めることが可能となっております」
「つまり大いなる利があちらの味方をしているということですか……」
耳が痛いのは、きっとテレノアだけじゃなく彼だってそうだろう。
今日も狩り三昧。どうせ明日も狩り三昧。あっちに羽馬を飛ばせば、今度はこっちに宙返りな日々だった。本当に目が回る。
そうやって奔走しながら供物となる魔物を狩っては集め、聖火に焼べる。
なのに教団側とくれば欠伸をして待っているだけで口に供物がじゃんじゃん集まってくるというのだからたまらない。
「魔物の源泉たる誘いの森近辺を抑えても叶いませんか。物量が敵対するとはままなりませんね」
「確かに領地内に巨大な巣が存在しているのはありがたいのです。しかしあの魔境の森に居着く魔物は強力すぎる上に部隊で戦うには地形も悪い。焦りを生じてより多くの供物を求め森のなかに立ち入れば部隊の全滅は必至かと」
なんとも生産性のない話しかでてこないではないか。
テレノアもレィガリアも祟られたみたいに浮かない顔を沈めるしかない。
「冥府からでてくるすべての魔物を根絶出来れば世界全体が平和になるんですけどねぇ」
「魔物の根源は我々が死を迎えた魂が冥府にて浄化される際にあふるる負の感情です。数多く繁栄すればするだけより魔物も増え甚大な被害を及ぼすほど強力になるでしょうな」
このルスラウス大陸に南東は存在しない。
それはもう見事なまでに世界が切りとられている。
大陸最南東には、冥と呼称される負のあふれる場があり、魔物の源泉と化していた。
生きた種族の溜めた負が死によって浄化される場こそ、冥である。浄化の際にあふれてしまった負が魔物となって大陸に跋扈跳梁するという仕組みだった。
そして大陸南東に位置するエーテル領土には誘いの森という魔窟が存在する。冥府と隣り合う災厄の場だ。
「我々が狩っているのはあの森での巣争いから負けあぶれた矮小者たち。そんな誘いの森に居着く連中は勝ちつづけている猛者といえるでしょう」
レィガリアは、淹れたテレノアに軽い会釈をしてから紅茶に手を伸ばした。
分厚い手甲にもたれていると高級なカップがよりいっそう小さく見える。
「たびたび無謀な冒険者一党めらが分と武を弁えず足を踏み入れ帰らぬ者となることが多いのです。であるからこそ我々とて安易に足は踏み入れられませぬ」
剛気勇猛な見た目からは信じられぬほど繊細な所作だった。
くゆらせて香りを楽しんでからすぅっ、と香りごと茶を啜るのだった。
テレノアは全身の力が抜けたようにへなへな、と。卓の上に白い頬を落とす。
「こう現実と向き合ってみると私たちが如何にどん詰まりなのかがわかってしまいますねぇ~」
こんなに醜態を晒すほど尽力しても正気は見えず。
やはり教団側がもつ数の甚大さに遠く及ばぬ。
このままでは聖女側は汗水垂らして負け戦を演じるしかない。とはいえ打開策があるかといえば、そんなことはないのである。
「誘いの森に踏み入ってすぱぱーっとやれてしまえば晴れてよりの大逆転……というのも絵に描いた餅ですかぁ~」
卓の上に顎を置いてぐったり、と。
苦労と疲労が募ってすっかり瞼がとろり溶け始めている。
「そういえばあの森にはいま元剣聖様たちが住まわれておられるのでしたな」
「――っ!?」
レィガリアのふとした声に心臓がとくんと跳ねた。
眠たい目が開眼する。テレノアは慌てて砕けた姿勢を正す。
「どうかなさいましたか?」
「い――いえっ!? な、なんでもありませんよっ!?」
両手をわたわたと踊らせる。
あまりの動揺に声が上ずってしまう。
「……ふむ?」
レィガリアは訝しげに厳めしい目立ちの影を深めた。
なんでもないわけがなかろう、と。目が語っている。
そんな様子のおかしいテレノアをよそに、ぐびり。底まで乾いたカップが置かれて陶器の高音が木霊した。
「んっ、くぅぅ~!」
紅茶をひと息に飲み干したフィナセスは、退屈そうに伸びをした。
軽装具の隙間から綺麗な脇の窪みがぽっかりと口を開ける。
そしてまたティーポットから新たな茶をカップへと注ぎ足す。
「そういえばテレノア様って急にやる気になりましたよね?」
注ぎ直した紅茶にせっせと砂糖を投げ入れていく。
トドメとばかりにミルクも忘れない。
「そういえばあの聖都強襲のとき以降から前線に出突っ張りですし、なにか心境の変化でもあったんですか?」
「あっ、い、いえそのですね!? 心境の変化というか心変わりといいますか!?」
フィナセスの問いにテレノアは昏倒寸前だった。
意外と良く見ている、というか見られていることに動揺を隠せない。
よくよく考えてみれば2人は彼女を敬愛している。だから多少の変化があっても普通は気づく。
「私はあの日ほど聖女様とともに時を共有する喜びを得た日はありませぬ! まさか聖女様のご自身の口から聖女と玉座をとりにいくと宣言なされるとは!」
レィガリアも噛み締めるように握り拳を眼前に掲げる。
「私はいつ如何なる場であっても聖女様のお傍に付き従って舞いました! そしてようやくあの日貴方様から本当の声を聞かせて頂けた! この感動褒章や勲章などを賜ることにさえ勝る!」
「レィくんは情熱と理想が熱すぎ高すぎなのよ。今回の聖誕祭だって本当なら不参加のはずのところを無理矢理参加させちゃうんだもん」
「機が熟すのを待つのは兵法ならず! 機を熟させるのが本来の策士なのだ! ゆえに時として滑走という手段を強行することもまた主君への忠義!」
レィガリアはいまにも祈りを捧げてしまいそうなほど。
しみじみと感動に打ちひしがれている。
対してフィナセスは飄々としたもの。
茶をくゆらせながら女の余裕めいた色気を漂わせていた。
「でっ。誘いの森から話は変わりますけど、どんな切っ掛けで聖女様はお立ち直りになったんです?」
そしてフィナセスは手を打ちながら再び問い直す。
しかしテレノアはもういっぱいいっぱいである。
――それ実はまったく話が変わってないんですぅ!! まるまるぜんぶ1本で繋がってしまっているんですよぉ!!
人種族の話題がでた途端に、正気でいられない。
あの日を思い返すたび頬が熱くなる。胸が弾けそうなくらい高鳴る。油断をしたら頬がとろとろに蕩けてしまいそう。
――あ、あんなに目の前でミナトさんは私のことをしっかり見てくれた! ただそれが嬉しすぎて聖誕祭に参戦を決意しているなんて絶対にいえるわけないじゃないですか!
破廉恥ですよぉ! 心の声がか細く悲鳴を上げた。
真っ赤になった顔を隠したくて両手で覆う。それから卓の下で足をぱたぱたさせながら首を振って髪を散らす。
どれほど散らそうとしても記憶が離してくれない。あの時に自分を見つめてくれた真摯な瞳だって、瞬きをすればまざまざと蘇ってきてしまう。
聖女としてではなく1人の女の子として見てくれた。己を認めてくれた唯一が、人種族の少年だった。
テレノアはおもむろに不審がる2人の前で立ち上がる。
「わ、私は聖女として自覚が足りなかったのです! だ、だからその、聖女になって……い、いっぱい褒めてほしい……というわけではありません!」
決意あふれる断固たる宣言だった。
が、その裏は耳まで真っ赤にするほどの下心しかないのである。
これは彼女にとって生まれて初めての恋だった。民に振る舞う愛とは違う。自分だけの胸に閉まっておく大切な宝物。
――~~~っっっ!
はじめに高鳴ったのは、ビッグヘッドオーガから命を救われたとき。
あのとき両足を折られたテレノアを――初対面であるにもかかわらず――捨てずに最後まで背負ったのも彼だった。
エルフ国で怪魚エヴォルヴァシリスクと戦闘を行った際だって、そう。彼がいなければ全員あの場で食われていただろう。
そしてこのテレノアの気持ちが確かな形となったのは、あのアンレジデント聖都襲撃のときである。
――ッ、3度も命を救われて好きにならないほうがオカシイじゃないですかぁ!!?
彼は、民を、テレノアを、その命さえ顧みず救った。
あまつさえ聖誕祭に後ろ向きだったテレノアの背を押してくれたのだって、彼なのだ。
そのような経緯があっていまに至る。
「私はなんとしてでも勝ちます! 勝った後のことは正直まだ決めあぐねていますけど、とにかく勝って勝利をこの手におさめるのです!」
――私が王となってあのかたの望む世界へ必ず帰すためにッ!!
テレノアは、これが決して叶わぬ恋だとわかっていた。
それでも聖誕祭に勝ち、聖女として、王として見送る。立つ鳥の翼を直して見届けねばならぬ。
そうした乙女心によって聖誕祭に回帰するという荒技を成し遂げていた。
「とはいえど……現状を打破せねば光明の尾を掴み引き寄せることも叶いますまいな」
「聖誕祭も残すところ7日ほどだもんねぇ~……このまま最終日にもつれこんでも結果は見え見えの見えよぉ?」
だからといって重い空気が晴れるということはない。
いくらテレノアがやる気に満ちていても結果が残せていないのだ。
「教団側もこのまま勝利を確固たるモノにしてくるやもしれん。もっとも恐れるべきは最終日までこちらの目に見えぬところへ貯蔵しておいた供物を一挙に聖火へ投じることくらいか」
「わざわざこっちにこれだけ狩れましたーって、見せびらかすわけないものねぇ……。接戦なんていう熱い空気を作るだけこっちがやる気になるぶん向こうは損するだけだしぃ……」
レィガリアとフィナセスが揃って肩を落とすのも無理はない。
ふとテレノアは茹だりかけた頭に疑問が浮かぶ。
それからぽんぽん、と。エアリーなふわ髪を叩く。
「そういえば、いまごろ東様たちはいったいなにをなさっておられるのでしょう?」
聖誕祭終焉まで残り7日。
ルスラウス教団側の供物を上回れねば、テレノアを待つのは死のみ。
そして人間種族たちも船を直せず、元世界に帰る望みは絶たれる。
決して交わるはずのなかった運命共同体たちの夜は刻一刻と更けていく。
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