211話 幸せになりたいなら手を繋ごう《Memory OF》
もし、という思いがあった。
もし天涯孤独の生に手を差し伸べるモノがいなかったなら。
もし荒廃した星に捨てられた身を導いてくれなかったなら。
――そんな世界は否定してやる。
ミナトは、ふっ、と頬を和らげた。
1歩進む。この距離ならば大丈夫だ。
もう1歩進む。怯え竦む瞳が向かってくるミナトに視線を固定する。
さらに1歩進む。と、あからさまに尾が揺れた。
「やぁ……!」
子龍によるか細き否定の呻きだった。
たどたどしく数歩ほど後退する。
つまりこの3mが接近できる限界であることを意味していた。
ミナトはおもむろに膝を落とし、姫にかしずく騎士のように腐葉土の上へしゃがみこむ。
「おいで」
平を上にしてふわりと手を開け広げた。
小鳥でも載せるかのようにそっ、と。それでいて子猫を呼ぶように優しく。
それでも子龍は頑なに半身を晒すくらいで木陰からでてきてはくれない。
「もしよかったらオレとお友だちになろうよ」
ミナトがそういうと、子龍は目を丸く見開いた。
いままで怯えているだけだったが、明確に反応を変える。
「……おともだち?」
あどけなく、濡れた眼をぱちくりと瞬かせた。
唐突な誘いに戸惑いを隠せぬ様子だが、逃げない。
どうやら興味と恐怖が半々の辺りでせめぎ合っているらしい。
ミナトは腰の低く、手を差し伸べたままの姿勢で、彼女に微笑みかける。
「そう、お友だちだ。一緒に遊んだり一緒に笑ったりして、そんななんてことのないただ楽しいを一緒に作り上げていくだけの関係だよ」
これが答えだった。
おそらくこの生まれたての龍は、母ではなく世に怯えている。
なぜわかるかといえば、この身もまた同じ境遇を知っていたから。
だから1人ぼっちで悲しいのならば、1人ぼっちにさせなければ良いだけのこと。
その昔に不器用な女性が己にしてくれたことを、もう1度。繰り返すだけ。
「たの、しい?」
「痛くないし怖くないし寂しくもない。自然と頬が和らいで声を重ねてみんなと笑い合う。そんな暖かい感覚を楽しいって呼ぶんだ」
このたった1人で生まれ落ちてしまった龍もまたミナトと同じだった。
心を失って死の星に打ち捨てられた身と同じ。なにも知らぬまま導く親さえおらず、孤独に怯えている。
逆をいうなら知っているミナトだからこそ、無作為にだせる結論でもあった。
「もしよければこんなオレとそんな素敵な関係になってくれないかい?」
とはいえスードラのいうことも間違いなく引き金になっているのだろう。
でなくばこれほど臆病になるとは到底思えない。ゆえにここからは子龍の側がどう動くのか賭けでもある。
ミナトは心音が高鳴るのを感じながら手を差しだしつづけた。
やがて燃えるように赤い髪の少女は、おずおずと二の足を踏みながら姿を現す。
「なりたい、です! おともだち!」
そしてようやく小さな手が、手と重なったのだ。
ぱぁ、と。晴れやか、とまではいかない。未だ半信半疑で頬に涙の跡が伝いつづけている。
しかし彼女なりに勇気をだしたのだ。そうやって未熟な尾っぽがピンと上向きに伸び上がる。
ここまでくればあとはゆっくり歩み寄ればいい。彼女のほうから距離を詰めてくれたのだ。残すのは心の距離の精算である。
「よしじゃあせっかくお友だちになるんだからなんて呼べばいいか考えないとな!」
「……よぶ?」
「そりゃそうだろうせっかくお友だちになったんだから相手をどう呼ぶのか決めないと会話にならない!」
ミナトが勢いよく立ち上がると、子龍は僅かに怯んで腰を引く。
そしてミナトを上目がちに見上げながら小首を捻る。
どうやら生きる上では必須ともいえる呼び名の重要性が良くわかっていないらしい。
ミナトは手の上に乗る体温の高い滑らかな手へ、さらに手を重ねる。
「じゃあいまからキミのあだ名をつけよう!」
「……あだ、な?」
「いまとっておきのクールで可愛いやつを考えてやるから待ってろ!」
「はぁ……?」
心の距離を詰める。ゆえのあだ名作戦だった。
その場限りでも呼び名くらいは必要だろうという安直な判断である。
とはいえRPG風にあああなんてつけるわけにもいくまい。さらにいえば名付け親になることもおこがましい。
急な発射だったため得に思い当たらず。とはいえ時間を費やせばようやくでてきてくれた子龍が再び恐怖をぶり返してしまうかもしれない。
ミナトは思いつきを自信満々とばかりに胸を張って発表する。
「よし! なら今日からキミのあだ名は、モチラだ!」
なんとなく。ない知恵を絞ってひりだしたのが、ソレだった。
要因としては、触れている体温高めの手が非常にもちもちとした感触だったから。
「も、ちら? われ、モチラ、です?」
子龍は動揺を隠せずにいた。
首を左右に捻りながら尾先も一緒になって左右に揺らぐ。
唐突になんか良くわからないものを与えられた子供といった感じ。
「あくまで名前じゃなくてお友だち同士で呼ぶあだ名だけどな! その可愛い見た目にぴったりかつ龍であるという格好良さがあるじゃないか!」
ミナトだけは自信満々だった――……というより空元気だが。
そして周囲の反応は、「そうなの?」、「そうなのかな?」、「そうなんだろうねぇ?」矢継ぎ早な疑問が舞う。
待機組のヨルナ、スードラ、ソルロは、一概にYESという空気ではない。というより微妙に残念なものを見るような視線をミナトに集めている。
しかしここまできたのだからもう引き下がってたまるものか。
「ばっかお前らセンス皆無か! 名前の後ろにラがついたら古今東西森羅万象格好良いって常識があるんだよ!」
「ミナトくん……それいったいどこの世界の常識なんだい?」
「オレが元いた世界だよ! 異世界人にはこの卓越したセンスがわからないのか!」
「なら僕らじゃ知りようがないし、もうどうとでもいえるじゃん……それ」
ヨルナでさえ若干訝しげだった
というよりいまばかり友人としての立ち位置を決めあぐねている。
しかし周囲はむにゃむにゃ、と。有耶無耶な力技に圧倒されていた。
無論、子龍でさえ突風を浴びて立ち尽くすが如し。ただ呆然と状態に流されている。
「な!? モチラもそう思うよな!?」
「……え?」
当事者でさえ戸惑うばかりで釈然としていない。
甲乙つけるのが難しいというより純粋に良くわかっていないのだ。
しかしミナトは勢い任せに畳みかけていく。
「いいからとにかくうん、っていっとけ! キミがうんうん、っていえば話がぜんぶ丸くおさまるから!」
「……う、うん?」
「はいけってー! この子今日からモチラだから! もう異論とか認めないからー!」
怒濤の勢いで子龍の呼称が決定した瞬間だった。
しかし呼称なんて実のところどうでも良い。環境を荒れさせることで見えなくなっているが、すでに目標は達成されている。
「…………」
モチラ――というあだ名の少女――は、もう遠くない場所にいた。
木の陰にずっと隠れていたはずの少女が輪の中に加わっている。
そしてミナトと繋がった手を不思議そうに見つづけていた。
「アナタモチラちゃんっていうの!?」
龍に気圧されぬ少女が1人ほど。
颯爽と歩みでたソルロは、若葉色の目を輝かせながらモチラへ接触を図る。
「ワタシはソルロっていうの! 種族はエルフでカマナイ村ってところに住んでるんだよっ!」
「そる、ろ?」
「で、こっちがスーちゃん! で、こっちがヨルナちゃん! そっちはミナト!」
「すー……よる……と?」
物怖じなんて親の腹に置いてきたかのような溌剌ぶりだった。
それもそのはず。彼女には龍を村に招いたという最強のコミュニケーション能力の持ち主。
きっと大人の龍たるスードラにさえ同じようにして接触したのだろうことが窺える。
「それでアナタのお名前は!」
「……モチ、ラ、です」
「じゃあよろしくね! モチラちゃん!」
ソルロはモチラの空いているほうの手をひったくるように握りしめた。
モチラはなんの抵抗もせず。ただそれを享受するだけ。振り払うことすらしない。
なぜならすでに彼女の意識の刷り込みが済んでいる。ミナトの作戦が水面下で成就しているのだ。
モチラがソルロに連れだされると、隙を縫ってスードラが歩み寄ってくる。
「いったいどんな魔法を使ったんだい? あんなに頑なだった臆病ちゃんをこうも簡単に連れだすなんてね?」
本物の魔法を扱う龍がなにをいっているんだか。
ミナトは口からでかけた言葉を呑む。
「やったのはいわゆる第一印象の矯正だ。大事なのは無理強いする強制ではなく、治すほうの矯正だってことけどな」
仮名モチラの求めていたものさえわかればこうも容易い。
彼女の求めていたのはただ1つだけなのだ。それさえ与えてやれば良かった。
「あの子が求めていたのは繋がりなんだよ」
「繋がり? 手を繋ぐってことかい?」
「直接的にはそうじゃないけど、そうともいえる」
男2匹が語らうなか。
あちらではソルロの能力でしっかりとした輪が完成している。
「わぁ~! モチラちゃんの手ふわふわだぁ~!」
「でしょでしょ! スーちゃんの手は冷たいけどモチラちゃんの手は暖かいねっ!」
揉みくちゃとまではいわないが、近い。
ヨルナも晴れて触れることが出来てうっとりと眦を下げていた。
ミナトはその姦しい様子を眺めながらふふ、と目尻を細める。
「とにかく誰かと繋がりたかったんだよ。だからビビりながらもこっちの様子をじっと観察していたんだ」
「ああ。確かに逃げようとはしていなかったね。だから僕も無理矢理触れるようなことしなくても済んでたわけだけど」
スードラも小鳥のさえずるような華やかさを穏やかに見つめていた。
子龍の求めていたのは、知ること、知ってもらうこと。
ならば誰かがその手に触れて体温を伝えてやれさえすれば、己がここにいるのだと自覚する。相手が敵ではないと理解する。
「だからアレは病気とか精神病とかの類いじゃない。自分のことを知らないし誰からもわかられていない状態こそが臆病を招く原因だったってことさ」
「そうやって周りは敵じゃないって教えて上げたってことね。子龍相手になかなか勇気あることするねぇ」
「とはいえ――……」
言いかけてミナトは口を閉ざす。
スードラが「とはいえ?」とつづくが、答えるつもりはなかった。
――本来なら親がその役目を務めるべきなんだけどな。
例外は、稀にある。
その例外が己だったというだけ。
ミナトはあの時に握ってくれた手を決して忘れない。あの荒野に1人捨てられた子供に温もりを教えてくれたのは、誰でもない。イージスという女性なのだから。
「ううん? なんだか勢いだけで上手く転がした感じがするねぇ?」
「バカいうなよひと苦労だったっての」
繋がりはやがて輪を作る。
輪は繋がりが増えるたびにどんどん大きく形成を変えていく。
やがては世界そのものを構築するくらい広大かつ膨大に変化していくのだろう。
「ところで名前まで決める理由ってあったのかい?」
きっとスードラはなんとなく聞いたのだろう。
なんとなく、ミナトにどうしてなのかと問う。
その問いならばミナトだって答えるのもやぶさかではない。
「リリティアがいないいまのうちに決めておかないと……もっと酷いコトになると思ったから付けた」
……ああ。森を抜ける風がスードラの煤けた頬を撫でていくのだった。
こうしてひとまずのところ臆病な子龍問題は収束を迎える。
なのだが、午後の鍛錬が終わったというわけではない。
ミナトは、大量の魔物を抱えて帰ってきたリリティアにより、こってりと絞られるのだった。
………………




