209話 超越的戦闘力向上法《DUEL Preparation》
長めの昼食休みが終わったなら剣の稽古がはじまる。
「はああ!」
甲高い気迫とともに風がふたつ割れた。
自然が形作る円状の空き地に白刃旋風が吹き渡る。
互いの獲物は剣。撃と撃がぶつかり合うことで明滅の火花が弾け飛ぶ。
左手に細剣 右手に骨剣を。突きと薙ぎを器用に切り替えながら相手に息つかせぬ連打を見舞う。
「いやああ!」
その動きはまさに縦横無尽。
草を刈り、枝や木の幹を蹴りつけて標的を定めさせない。かく乱を企みながら攻めの一手を担う。
とてもではないが人の可動領域を超えた双剣による剣舞だった。つまりいま現在ミナトの身体の主導権は貸しだされている。
「この身体どんどん調子が良くなっていってるよ! 獣猫のように柔軟な筋肉がしっかり身についてる証拠だね!」
狙い定めつつ最小の挙動で細剣を突く。
ヨルナは巧みにミナトの身体を操っていた。それはもう本人以上に使いこなしている。
適宜対応、臨機応変。戦いのプロフェッショナルであるかのような奮戦ぶりをこなす。
――はは、こりゃ相変わらずすごいな! まるで自分の身体じゃないみたいな挙動だ!
本人でさえ、その鳶の如き動きに目が追いつかない。
まるで絶叫マシンに乗っているかのよう。それでもミナトはヨルナの動きを文字通り身をもって学ぶ。
羽が生えた見たいに軽やか。しかも足だってバネのように良く弾む。剣を握る指の動きも繊細ならば、全身の筋肉の使いこなしだって余すことがない。
ヨルナの魂を使用したミナトの身体が、その培った技術らすべてを、記憶する。最短で最善を駆け上っていく技術向上方法だった。
「とはいえなんだけどね」
しかして状況は芳しくない。
そのため息交じりの吐息には若干の諦めが混ざっている。
拝見しているミナトにだって当然それがなんなのかは一目瞭然だった。
――ああわかってるさ。みなまでいわずともだな。
これほどの剣技が披露されているというのに、一向に好転することはない。
ヨルナのもつ双剣技術がすべて否定されていくのだ、ため息もでよう。たまらない。
刃が、刺突が、頬さえかすめやしない。すべての剣閃が叩くか、躱すかされて結果を生まぬ。
「はじめと比べて攻撃の手がどんどん緩んできてます。もっとこう、ぐわーっと攻めてこないと鍛錬になりませんよ」
リリティアは手に剣をぶら下げていた。
もつ、のではない。構えすらせず、ぶら下げているだけ。
しかも辟易としたようすで「……ふぁっ」なんて。大口開けて欠伸までする始末である。
――あんなこといってやすぜヨルナの姉御! 見るもの見せてやっちまってくだせぇや!
「なんだいその安っちい雑魚キャラ風は……? あといちおうは協力してあげてるけど……僕の本職は鍛冶師なんだから無茶言わないでよ」
ヨルナの技術があってもなお、満たせずにいた。
師であるリリティアを構えさせることさえ出来ずにいる。
まずもってして戦闘能力の差は――素人の目からしても――歴然だった。
「かく乱しているつもりでも直線的過ぎます」
「うっ――ッ!?」
ヨルナの繰りだす双剣がまた弾かれてしまう。
ことごとく、すべてが弾き、躱されてしまうのだ。
くるり、くるり。駒のように回るたび白いスカートが睡蓮のように舞う。
彼女の太刀筋が残すのは結果のみ。防御するのではなく、したという過去を映す。残影。
まさにリリティアこそが剣の乙女である。
その実力、類い希なる種にしても技術に裏打ちされた強力さを秘めていた。
「まだまだという前提は外せませんけど、ミナトさん自身がだいぶヨルナの動きにも適応してきましたね。鋭いキレのある動きとほどほどの力、はじめと比べたら圧倒的というほかないです」
あれだけ掛かりの案山子になっていたというのに余裕綽々である。
汗ひとつ掻いていない。どころか息ひとつ乱してはいない。
リリティアが剣を腰の剣鞘に戻す。と、ミナトの身体を借りたヨルナもまた軽やかに苔生す大地に着地した。
「もともとがガリガリの貧弱、死に体だったから伸び代しかなかったよねぇ」
――……うるせいやぃ。あれでも超がんばって生きてたんだからな。
そんな不自然極まりない肉体でのやりとりも、慣れたモノだった。
互いに嫌みがない。なにしろいまやミナトとヨルナは真の一心同体関係にある。
ゆえにこのような現実的ではない超越法での鍛錬が可能となっていた。
「ではそろそろミナトさんに自身に身体の所有権を代わってあげてください」
「りょうかーい。今回僕の本気の50%くらいまで引きだしたからちょっと反動がキツいかもだね」
というやんわりとしたやりとりの後に、ミナトへと身体の所有権が返された。
それと同時にミナトはずしりと自重を感じ、それから激しい疲労を体感する。
「ぐっ――!?」
己の身体が戻ってくると、途端に膝が草葉の上に落ちた。
本当にのしかかるかのようだった。先ほどまでの疲労がいっぺんにずしりと覆い被さってくる。
全身の筋肉が燃えるように熱い。関節も油が切れたみたいに軋む。肺が酸素を捕まえるために収縮と膨張を繰り返す。
「かぁぁ! キッツ! どれだけオレの身体酷使してくれてるんだよ!」
あまりの衝撃に喉で喘ぐことしか出来ない。
そんなミナトの耳にヨルナの声が反響する。
『そりゃ仕方がないよ剣戟は基本無酸素運動だからね』
「ハァ、ハァハァ、ハァ! ヨルナに短時間明け渡しただけでこんなに疲れるってことは、オレはオレの身体の使いかたがまだなってないってことだな!」
明け渡したのはものの数分ていど。
ものの数分に1日分の気力すべてが詰まっていた。尋常ではない濃密さだった。
それだけヨルナが全力で身体を扱えているということ。所有者であるはずのミナトよりも熟知して追いこめている。
しかもこの酷使具合でヨルナの50%ほどとは。フィジカル、バイタリティー、メンタリティー。ミナトのそれらすべてが未だ熟しきれていない証拠だった。
「ハァ、ハァ、ハァ、っ! 遠すぎるな……!」
『でも追いつけないわけじゃない』
「わかってるさ……!」
口では文句垂れつつも、だ。
ミナトにとって非常に心地良い疲労だった。
『じゃあもう今日のところは交代だね。僕の使ってた細剣のほうはどうせ扱いきれないと思うし消しておくよ』
「ああ。さすがに2本扱えるほどモノにしてないから消しておいてくれ」
呼吸を整えたミナトは立ち上がるついでに左手の細剣を手放す。
すると落ちていく細剣はそのまますぅ、と光の粒子となって消失した。
武器の顕現と喪失。それが元伝説級鍛冶師であるヨルナの能力である。
己の生前に生みだした万を超える傑作を、世に現界させ、自由に扱うことが可能なのだとか。
『いまキミの身体を扱った感じそこそこ筋力が増しているね。もう少し筋肉がついたら鉄の剣を使ってみてもいいかも』
「うーん……この間試しにだしてもらったけど、けっきょく骨剣のほうが軽くて扱いやすいんだよなぁ」
ミナトは肩を回して身体を馴染ませつつ、右手の骨剣を見つめる。
それこそが先日奇跡的に討伐成功した突然変異個体――エヴォルヴァシリスクの骨だった。
超レア素材を伝説級の鍛冶師が加工したブレードである。通常の冒険者たちならば垂涎してでも欲しがるという優れもの。
刀身は美しく、しなりがあって頑丈。森の天蓋から天使の梯子の如く刺す日光に照らされると7色にキラキラと光を宿す。
「ずっとこれ使ってちゃダメかな?」
手に馴染みつつある剣をびょうと振る。
さして長くない刀身が風を薙いで嘶いた。
『たとえ怪魚の骨でも重さが足りなければ威力でないからね。魔物相手なら切れ味だけでどうとでもなるかもだけど……相手がアレだし』
「最高の品質の道具と最高の肉体の状態で挑まないとダメってことか」
『それで届くかどうかと問われれば、はっきりいって届くわけがないんだけどね』
表と裏。同時に軽いため息が2つ、こぼれた。
リリティアの背は遠い。それはもう手を伸ばして届くとは思えぬほどに遠い。
前途多難とはまさにだった。
「では少し休憩とします。お水飲んだり柔軟したり身体を休める時間をとりますよ」
はじまって2時間と少しくらいは経ったか。
ようやくリリティアから休憩という疲れた身体に嬉しい2文字が飛びだす。
ミナトは腰の鞘に骨剣を差し入れて安堵の息をついた。
「休憩だからといってただ休むのではなく先ほどのヨルナの動きを脳内で整理すること。かなり大切な工程なんで忘れちゃダメですよ」
「その辺のシミュレーションはずっとやってるから大丈夫だよ。せっかくヨルナが協力してくれてることだしさ」
『僕への報酬はあんころ餅でいーよー! 聖都にいったときにまた奢ってくれればおっけーさ!』
「お前そればっかな……」
伝説の鍛冶師であり身体能力抜群性能を借りられるのであれば、破格だろう。
しかもミナトの財布は特殊変異個体を買ったことでそこそこ潤っている。
「では私はちょっと消費の早い晩ご飯の狩りにいってきます。食べる数が増えたぶん多めに仕留めてきますから私が戻るまで自由時間です」
リリティアは颯爽と長い三つ編みを翻した。
「ユエラー! 晩ご飯の狩り手伝ってくださーい!」
「わかったわー! 私夜は鳥が食べたいかもー!」
家のなかからでてきたユエラと合流し、どこかへ飛んでいってしまう。
まさに風の如し。2人は立つ鳥のような速さで森のなかへと消える。
厳しい師匠が視界からいなくなると、一気に場の緊張を解けたのだった。
それから各々の意思で場に散らばっていく。
正直なところ先が見えないというのが、ミナトの思いだった。
どれほど手ほどきしてもらっても、ますます決闘相手兼師であるリリティアとの差に打ちひしがれるだけ。
肉体的な向上は計り知れない。が、結果という芽吹きが頭をだすには如何せん修練が足りていない。
――停滞は、後退。オレがテレノアにいった言葉じゃないか。
それでも立ち止まらないという覚悟があった。
どれほど打ちひしがれても拳を堅く握る手は解けることはない。
「ざぁ~こざぁ~こ♪ 雑魚雑魚人間種族ぅ♪ 棒を振り回しながら下手くそな踊りしか踊れない雑魚雑魚ミナトく~ん♪」
が、率先して折ろうという行動は喧しい。
どれくらいかといえば先ほどの稽古中ずっとミナトの耳障りになっていたくらいには、鬱陶しい。
ミナトは半分呆れかえったような視線を木陰に向ける。
「で、なんでスードラはさっきからオレのことを煽りつづけてるやがるんだ?」
「え? こうしたほうが欲情――もといやる気とか滋養強壮とかそのへんが滾ってくるんじゃないかと思ってさ?」
スードラは、さも意外とばかりに尾を揺らす。
手には――どこから引っ張りだしたのか――チアリーダーよろしくなポンポンまで。
それが彼なりの応援なのだとしても、はた迷惑極まりなかった。
「はいお水どうぞ!」
そんなスードラの横をするりと抜けて愛らしい笑顔が咲く。
ミナトは、ソルロから差しだされた竹筒の水筒を受けとる。
「お、ありがとう。どこぞの露出狂と比べてかなり助かるぞ」
「えへへっ! タオルもあるから使ってね!」
受けとった水筒から繊維の蓋を抜く。
それから逆さまにして細い飲み口からがぶりと水を流しこむ。
温い水が胃の腑に流しこまれる。よほど乾いていたのか内臓が慌てて動きだし、身体に吸収していくのがわかった。
「ところでこんなところで油売ってていいのか? あの子はいったいどうしたんだよ?」
ふと思いだしたかのように何食わぬ顔で佇むスードラへと問う。
鍛錬に勤しんでいたため気にしている余裕はなかったが、やはり放っておける話題でもない。
「ああ、あの子ならあそこにいるよ」
「……あそこ?」
ミナトは、スードラの指す方角に視線を巡らす。
鬱蒼と茂る幹のうち1本の向こう側になにやらかが揺れていた。
幹の影からはみでているのは、赤くふっくらとして自然色に馴染まぬ鱗の尾っぽ。
そうしてときおり怯えた面の半分ほど、こちらを覗ている。
「……っ!」
そして目が合うと、すかさずひっこむのだった。
ミナトは、ソルロから渡された手ぬぐいで額の汗を拭いながら汗の貼りついた首を傾げる。
「あれなにやってるんだ? 超初級のかくれんぼとかかい?」
「さあ? 気になるのなら直接聞いてみたらいいんじゃないかな?」
通常であればスードラのソレは、とんちんかんな回答だっただろう。
通常新生児といえば笑う泣く寝るが基本行動である。機嫌を伺うなんてもってのほか。
しかしこの世界の新生児は、どうやら普通に喋るらしい。口は言葉を介するし、肉は貪るし、自発的に水だって飲む。
「えー……その件に関してはオレの管轄外だろ。これ以上色々背負わされたらキャパ限界だぞ」
「でも僕が近づくと露骨に逃げちゃうんだよね。捕まえるのは楽々だけど、暴れられたら面倒臭いし。龍じゃないキミだからこそ話くらいなら出来るんじゃないかな」
スードラのいう通りであり、英断だった。
子供とはいえ龍である。暴れでもしたら丸木ていどの家屋では壊れかねない。
なにより説得可能なうちにとりこめなければ人的被害が――ミナトにだけ――でかねなかった。
「……しゃーなしだなぁ。まったく母親は子供放置していったいなにやってるだか……」
《区切りなし》




