202話 力を求める、進化する《Evolver》
「まーた汗臭いことやってる。毎日毎日がんばるねぇ」
訪問者は、スードラ・ニール・ハルクレートである。
汗だくで未だ息が荒れているミナトを見るなり呆れたように眉をしかめた。
こうして定期的に訪れるのも、こなれている。だからか得に遠慮もない。友の家を尋ねるくらい気さくさだった。
パンツの丈は見るモノが振り返るほど短い。しなりしなりとむっちり野太い尾を揺らがす。
そうやってスードラは床板を軋ませながら丸太の家の屋内に踏み入ってくる。
「ユエラちゃんもこんなことに付き合わされて迷惑じゃないの?」
「それが実は以外とやり甲斐があるのよね。この子ってば精神力が異常に高いせいかどこまでも頑張れちゃうんだもの」
昼前にする井戸端のような他愛もないやりとり。
2人はもともとの知り合いらしい。宇宙や地球と比べれば大陸世界は有限である。顔見知りでも不思議ではない。
「しっかしそんなことしないと力がだせないって人種族は不便だよねぇ? そんな無駄なことは止めてそろそろ諦めちゃえばぁ?」
スードラは海色の瞳をイタズラに細める。
地べたで涼むミナトへ小癪な笑みが向けられた。
とても少年からとは思えぬほどの艶容たる色気がむん、と香る。
しかしこれはミナトにとっていつものこと。
「やれることはやっておきたいだけだ」
小うるさいハエを寄せつけぬみたいにしっしと手を払うのだった。
こうして彼が訪れるたび、諦めろ、止めてしまえ。まるで常套句。
スードラは「ちぇー」と、唇をちょんと尖らせる。
「僕ら龍族なんて生まれた瞬間から岩くらい握り潰せたよ?」
「……エルフ族でも無理よ。というか貴方たち龍族が特別なんだから」
「その特別な龍族と決闘やり合おうってほうがちょっとクレイジーすぎるでしょ」
「まあ……それはそうなんだけどねぇ。でも本人がやるっていってきかないから」
ユエラとスードラの視線が人の背に降り注いだ。
常軌を逸している。まずもって命懸けの決闘をすること事態が異常なのに相手は大陸最強の龍である。
しかもいまミナトが毎日行っているトレーニングもまた、常識の外にあった。
「上級治癒魔法で筋細胞を治癒させて破壊する……かぁ。よくそんな冥府の釜茹でみたいなマネを毎日毎日やれるもんだよ」
スードラは白い肩をすくませ海色の髪を左右交互に散らす。
いっても効かぬ子供を前に困り果てる親であるかのよう。呆れきって眉が開く機会すら失っている。
治癒魔法。それは科学に秀でる人の世にさえなかった反則ワザそのものだった。
人の科学が辿り着いたのは、しょせん治療である。傷の治りを早くすることは出来ても完治させるという術はもたない。
対してこちらの魔法はマナと媒介を使用することで傷を瞬時に治すもの。骨折した足でさえ1晩で完治させてしまうほどだ。
ミナトは手の調子を確かめるみたいに開いて、閉じるを繰り返す。
「筋細胞の破壊から生じる炎症さえ早送りして一瞬で治す。つまり栄養さえ摂取していれば筋肉痛という工程をまるまるスキップできるわけだ」
よって見違える。
骨の浮くほどガリガリに痩せ細っていた手も、足も、胴も相違ない。
「この魔法式超自然トレーニングでここから一気に追い上げてやる。やればやっただけ成果を得られるのならどこまでも貪欲に求めてやるさ」
ミナトは完成しつつある己の身体にほくそ笑む。
他人と遜色ないレベルまで追いつきつつある。魔法を使った超トレーニングの助けによって人間にはなし得ないショートカットを決めていく。
栄養と筋肉に満ちあふれた身体は、まるで血が通るかの如し。すでに元あった身体は不良品同然である。
「これが人間のもつ普通の力ってやつか。確かに1ヶ月前のオレじゃ女子供にさえ劣ってたわけだ」
これはもはや魔法を使った覚醒である。肉が身体に馴染むことでようやく肉体となった。
アザーという不毛の大地から一転し、ここは恵みの大陸世界。
この堅実かつ確実な成長を祝福せずなにを称えれば良いのだろうか。
「でもいくらいい体になったからってそれじゃダメダメさ。どれだけがんばっても僕らとの種族性能差はつま先ていどくらいしか縮まってないこと、忘れちゃダメだよ」
……うっ。これには思わず耳が痛むというもの。
自信に満ちていたミナトの心がスードラのひとことであっさり折れかかった。
龍の剛力をもってすれば人の全力なんてたちまちひれ伏すであろう。単身で岩を砕き地を破壊する能力を前に単純な力勝負は分が悪すぎる。
「さっさと冥府の巫女に謝っちゃえばいいじゃないか? いきり立ってごめんなさい死にたくないから許してくださーい、って?」
「それだけは絶対にイヤだっていってるだろ! だいたいこの大陸世界から元の世界に帰れなくなるなんて横暴もいいところだ!」
ミナトが食ってかかるも効果なし。
スードラは身なりと同じ涼しい顔を崩すことはない。
どころか海色の瞳が凜とし、真っ直ぐにミナトを見据えていた。
「この大陸に残ったら楽しいこといっぱいだよ? 可愛い女の子はいっぱいで選びたい放題だし、食べ物にも困らないし、なによりキミの仲間たちもそれを望んでいる」
「……まるで正気に戻れとでもいいたげだな。仲間からは同意をもらってる。あとノアにだって可愛い女子くらいいくらでもいるからな」
「なにせキミのやっていることはみずから死を選ぶ行為に等しい。多くの命を救ったキミ自身が命を粗末に扱うんだから意味がわからないよ」
ようやく足の疲労がおさまりつつあった。
ミナトは膝に手を立てて立ち上がる。
黒色の瞳とマリンブルーの瞳が正面から向かい合う。
「キミのやろうとしていることは正気じゃない。僕ら龍族と決闘することさえ無謀なのにしかも相手は龍族で屈指の実力を誇るあの白龍なんだよ」
真剣な眼差しを見つめれば見つめるほど澄み渡っていた。
スードラは、こうしてときおり様子を伺いにくる。それはきっと友としての立場にいるから。
呆れるほど真っ直ぐな視線には友が幸せに生きてほしいという願いが籠められている。
「これだけはいっておくよ。白龍との戦いは、聖都ではじめて僕と遊んだときと比べ物にならない」
青い尾っぽがゆるやかに揺らぐ。
と、開きっぱなしだった入り口扉から小柄な影が床を軋ませた。
見ればそちらからはローブをまとった少女が覚束ない足どりでこちらに向かってきている。
「わっせ、わっせ」
両手で抱える籠には、山盛りだった。
野菜果物等の青果がこんもりと山のように詰まれていた。
「お邪魔しまーす! お届けものでーす!」
活気ある声に、創的で鮮やかな村の染め物が無邪気に流れた。
ソルロ・デ・ア・アンダーウッドは、大量の成果物で顔が隠れてしまっていた。
そうしてふらふらとテーブルまで辿り着くと、どずん。古くすすけた木目に籠を落とす。
「あら? これって果物よね? しかもすごい量じゃないの?」
ユエラは赤い果実ひとつを手にとる。
ルビーの如く艶めく果実を眺めながら目を丸くした。
荷物を置き終えたソルロは、ローブのお腹辺りをぽんぽんと叩いて汚れを払う。
それからにっこりと陽光じみた無邪気な笑みを作ってみせる。
「今朝カマナイ村でとれたばかりのお野菜と果物のおすそわけっ! 豊かな森の食べ物には精霊さんたちが沢山宿ってるから栄養豊富で美味しいよっ!」
おすそわけ、と。聞いた途端だった。
ユエラのエルフ耳がピンと上向きに張る。
「形も良いしツヤもあるし新鮮そのものね! しかもエルフの土地で育ったのなら高級料理店に卸されるレベルの品だわ!」
籠に盛られた新鮮青果に負けじと彩色異なる瞳を蘭々に輝かせた。
置かれた果物野菜はさながら宝石である。傷みも汚れもなくキラキラと照り輝いている。
「村のみんなが美味しく食べてねっていってた!」
「貰えるのならいくらでも食べるわよ! これはもう新鮮野菜シチューとアップルパイ決定ね!」
やいのやいの、と。室内は姦しや。
無垢な童女の登場に対峙する空気感が一気に失せてしまう。深刻めいた空気感から一気に脱力状態だった。
スードラはミナトを一瞥すると寄せた眉を開いてからため息を吐く。
「カマナイ村のエルフたちが怪魚を退治してくれたお礼だってさ」
「村のみんなにミナトががんばってることを伝えたの! そうしたらみんな村を挙げて応援させてほしいって張り切ってたよ!」
スードラは足下で跳ね回るソルロの芝色の頭にぽんと手を添えた。
ミナトもひと区切りつけることにする。
これからきっと幾度と止められる。その都度正気かと疑われる。
しかしだからなんだというのか。この身を動かすのは大いなる夢を叶えることに他ならぬ。
帰還して人類を救いたいという一心のみが原動力となって突き動かしていた。
ただ優しくも小癪な友と過ごすいまの時間は、なによりも宝物である。
「スードラも飯食っていけよ。丁度いい時間帯だし相伴に預かってもバチは当たらないぞ」
ぶっきらぼうにそっぽ向く。
するとスードラは一瞬驚いたように尾先を伸ばす。
しかしすぐさまにんまりとした柔和な笑みを浮かべた。
「そこまで頼まれちゃったらお付き合いさせてもらっちゃおうかなっ。僕って頼まれたら断れないタチなんだよねぇ」
「別に頼んではいないぞ。ただの手間賃がわりだ」
この一瞬もまたミナトにとって掛け替えのない時間だった。
幸福で、豊かで、暖かくて。いつまでも浸っていたいと願ってしまうくらい大切だった。
その時は待たずともやがてはくる。時間とは常に有限であって見過ごすことさえ許してはくれないのだ。
だからこうして絶対に出会わなかった時間をともに、友と過ごす。この時この場所に出会えたことを祝福しつづける。
「ところでその料理を作ってくれる白龍はどこでなにをしているんだい?」
「リリティアならそこのテーブルに顎を乗せながら平らになってるぞ?」
こちらが努力している間だって、決闘相手は、ぐうすか。
朝の眠気に負けテーブルに突っ伏したまま寝息を立てていた。
この寝坊助こそが剣士であって決闘の士。そしてミナトにとっての剣の師である。
リリティア・F・ドゥ・ティールは、もっちりと白い頬を潰すように身を放りだしながら爆睡していた
「白龍って昔っから朝が弱いんだよねぇ……それでいて本当に起きないんだ」
「しかもこれを毎日だからな。昼にならないと棒でも梃子でも絶対に起きない」
料理人は、夢のなか。
どうやら昼食までもう少し時間がかかりそうだった。
○○○○○




