201話 超自然トレーナー《Heal & Run》
「じゅう……ごぉぉぉ! じゅう……ろおぉぉく! じゅ、う、な……なぁぁぁ!」
黒い頭の後部で手を組み姿勢を上げて落とす。
もう幾度と絞り上げるように数字を刻んだだろうか。顔中には霧でも吹きかけたかの如く大量の汗が滲む。
「じゅう、はぁぁぁちぃぃ……! じゅ、う、きゅ……ぅ”ぅ”!」
少年の身体中の至る箇所に青蔦が巻かれていた。
部屋中のあらゆる箇所から伸びた柔軟かつ丈夫な蔦は太ももの筋縮小に十二分な不可を掛けていく。
それらは筋肥大を目的とした筋肉養成ギプスの役を兼ねる。
「に……じゅ、う”ぅ”ぅ”!!」
顎先から滴り落ちるのは精魂、つまるところ魂の絞りかす。
ゆうに体力の限界を超えていた。だがそれでもこの永遠とも思える責め苦は終わることを知らぬ。
なぜなら高い位置に生やした不自然なほど巨大な葉っぱから蔑むような視線がついぞこちらを見下している。
「ほら休むんじゃないわよ! 1秒休んだら1セット追加だからね!」
「に”じゅ、い”ぃ”ぃ”ぃ”……ぢぃ!! ぐ、お”お”お”お”!!」
しかしすでに立っていることでさえギリギリだった。
疲労と加重に苦戦しているだけで彩色異なる瞳がギラリと光る。
「いちいち惨めに叫ぶなっ! 叫ぶ余裕があるならもっとキビキビ動けっ!」
耳の長い鬼エルフ教官から叱咤激励が飛ぶ。
同時にしなり上げた青蔦のムチが木床をぴしゃりと打った。
健全な肉体には健全な魂が宿るという。ならばこの状況は健全であるといえるのか。
巨大な葉っぱからは脚線美の目覚ましいすらりと長い足が垂らされている。Sっ気全開の眼差しは左右異なるシャローグリーンとハニーブラウン。美と品の2つの色合いが秘められていた。
だがこちらはとうに限界を迎えている。蔦による逆引きの高重量により膝ががくがくと笑ってしまう。
「に”ぃ”ぃ”……っ! ぐへぇっ!?」
ここでミナト・ティールはとうとう崩れ落ちてしまう。
びしょびしょに濡れた額からそのまま直にべしゃり、と。無様に木床の上へ突っ伏した。
精根尽き果てる。余力なんてない。立ち上がる挑戦をする気概すらなくなっている。
「も、もうむりぃ……! 太ももが爆発しそうだぁ……!」
情けない体勢でギブアップを宣言した。
乳酸の溜まった太ももは燃えるように熱い。しかも体中の毛穴が汗を濁流の如く吐きだしている。まとう厚手の羽織でさえびしょびしょだった。
起床は明朝、日昇りきらぬころ。そこからトレーニングを開始してすでに5時間は経っている。
通常であれば過負荷もいいところだろう。これでは筋肉組織の破壊どころか肉体そのものが機能しなくなってしまう。つまり余裕のオーバーワークだった。
「ん、今日のところはそんなもんで良いでしょ」
大きな葉を自由意志のように操りながら長い足で優雅に降り立てくる。
「高負荷スクワット治療魔法コミで56セットってところかしら?」
ユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッドは、くびれた腰に手を添えると前へ屈む。
意外そうに目を丸くし、燃え尽きた平たくなったミナトを見下した。
「ご、ごじゅうろくせっとか? ということは30掛ける56くらいで……せ、せんろっぴゃくくらい?」
「数えるの面倒くさいからおおよその数字だけどね。でもヒュームと同レベルの身体能力のわりになかなかがんばったほうよ」
腕を組むと、蔦に巻かれたたわわな実りを押し上げられる。
豊満で柔和な房がくっきりとした形を浮かべた。
「すく治療魔法使って上げるからじっとしてなさい」
崩れ落ちてなおミナトの足はついぞ痙攣しつづけている。
肺は絶え間なく収縮と膨張を繰り返し、酸素を求めた。呼吸する音はさながら削岩機であるかのよう。
「お、ねがい、します」
「……その状態で律儀に喋らなくていいわよ。どうせ頼まれなくたってこれが私の役目なんだからね」
ユエラは予め手にもっていた葉をミナトの上にはらりと落とした
5指を伸ばしたかのような葉が揺らめきながら半死半生の背に乗る。
「《ハイヒール》」
詠唱すると、重ねられた手から鮮明な光が生みだされた。
自然色をした光は陽光とはまた別の暖かさだった。
肉に染み入るというか、じんわりと暖かさが染み広がっていくかのよう。
過酷トレーニングによって破壊された筋組織がみるみるうちに回復していく。半死半生で消えかけていた身体に生命力が戻っていった。
ようやく身を起こしたミナトは胸を反らすように体重を後ろに傾けてどっかと尻を落とす。
「はぁ……死ぬかと思ったぁ~」
「さ、終わり終わり。さすがの私も朝から付き合い通しだからお腹減ってくたくただわ」
「長い時間ありがとうございましたぁ~」
ミナトは疲労たっぷりに礼を伝える。
するとユエラはひらひらと手を振って応じたのだった。
回復魔法付き筋肉トレーニングをはじめてすでに1月が経過していた。同時進行で剣術の手ほどきも行われている。
ミナトの余命は後5ヶ月とまで差し迫っていた。そのため命懸けの決闘で勝つため日々の鍛錬は欠かせない。
1日ずつ日々を刻むような生活だった。いままで生きてきた日々が薄くかすれて感じてしまいそうなほど。過酷ながら確実に1歩ずつ進むような生活を送っている。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
――決闘相手は、龍族。このていどじゃまだまだ足りないな。
ミナトはここ数日で己の変化に気づきつつあった。
指の根元では幾度とマメが潰れてタコになってしまっている。日常的に剣を握っているため皮膚が厚くなっているのだ。
変化はそれだけではない。骨が浮くほど痩けていたはずの身体も順調に調整が成されている。一般人と変わらないほどの肉付きに成長を遂げていた。
しかも着崩れて覗く胸元には明確な逞しき隆起が見てとれる。飢餓状態だったころより肩幅もかなり広くなり、それでいて全身が柔軟な筋肉を身につけつつあった。
すべては勝ちというという執念の賜である。5ヶ月後までに迫った決闘で勝てさえすれば素の世界に帰ることが出来るのだ。
考えているのは戦い勝って元世界の宙間移民船に帰ることのみ。血反吐を吐いてまで努力する理由は十二分にあった。
「おっはろー。みんなの愛玩動物スードラくんのご到着だよー」
と、ここで木組みの家の扉がとん、とん、とノックされる。
軽快――かつ不謹慎――な挨拶で家屋に入ってきたのは、男娼。
ではなく、男娼風の装いをした恰好を龍だった。
(区切りなし)




