198話 この声が届きますように《The Half Year War》 2
もし叶うなら……
………………
…………
…………
……この声が届きますように
いわれてみれば、と。杏もようやく納得がいくというもの。
「あー……通りで見た顔だと思ったわよ。久須美のお姉さんって居住区画統制機構のお偉いさんだったわね」
朧気な記憶と見覚えのある女性が重なっていく。そうすることでより鮮明となる。
知り合いでもなければ友人ですらない。なぜなら彼女と出会ったのは、街中に置かれた宣伝広告だった。
啓発活動の指標ポスターなどで良く見る顔である。つまるところ政治家というやつ。
ウィロメナもこくこく首を縦に揺らしながら大玉の前で手をぽんと打つ。
「確かくっすんのお姉ちゃんって宙間移民船ノア居住局総合管理監視委員長だったよね。通称マスタリーベースのお偉いさん」
「どさくさに紛れてくっすんいうなですわ!? あとお偉いさんといういいかたにもどことない軽率さがあって気に食いませんわよ!?」
管理棟をバックに高みに佇む女性こそが、久須美の姉である。
彼女こそが中央統制役。管理棟に務めノアという船の統合を行う艦長とはまた別の指示役を担う、いわば重鎮。
久須美は背を反らし鼻を伸ばしてふんぞり返る。
「あの御方こそが我が鳳龍院家の正式な跡継ぎであり、ワタクシの姉! 名誉ある宙間移民船ノア居住局総合管理監視委員長! 鳳龍院加津美ですのことよ!」
姉の登壇に驚愕していた空気はどこへやら。
身内の威光に乗りこむ様は、まさにいけしゃあしゃあ。いますぐに高笑いでもはじめてしまいそうなはしゃぎっぷり。
とはいえそれだけ久須美は姉を信頼し誇りに思っているという映し鏡のような姿でもあった。
――なぜ? どうして民から選出された最高機関の頂点がなぜでてくるの?
機関の正式名称は、宙間移民船ノア居住局総合管理監視委員。通称、マスタリーベースとも呼ばれる。
そして群衆の前に威風堂々と現れた彼女こそがマスタリーベースの長を務める親玉。さらにはノア建造のさい多大なる出資をした御三家のうちの1つ。鳳龍院を冠する久須美の姉――鳳龍院加津美である。
『我々マスタリーベースの役割はノアの民である皆様と常に寄り添うこと。そして管理棟側の立案する政策に対し中立なる民の立場をもってして議論を重ねることにあります』
途中でつまることさえない。一言一句はきはきとした演説だった。
それでいて聴くものに品とカリスマ性さえ覚えさせるほど。
通信でなくても聞こえてくる声の張りかたは勇ましいささえ感じてしまう。語りかける身の振りかたも人の心へ響くかのよう。
彼女から発されるそれらの挙動の1つ1つにそれだけの引きこまれる。
「さすが加津美お姉様ですわぁ……! 文武両道を家訓とし志す我が鳳龍院家において傑作と名高き御方……!」
姉の権威。すでに久須美はすっかり骨抜きとなっている。
さながら煌びやかな宮廷音楽に惚れこむ乙女の様相。だらしなく目尻をうっとりと垂らしながら腰を左右に揺らす。
壇上に立つのは民意によって選出されたリーダー的存在である。聴衆と化したノアの民たちも往々にしてすっかり聴き入ってしまっていた。
「……やっぱり気に食わないわね」
しかしそうでない者たちもいる。
杏は仁王立ちの体で腕組みをし、睨む。切れ長な眼差しに蒼を秘めて壇上の異物へ敵意を秘める。
不審な点があるとするならば、彼女の立ち位置だった。
街頭演説ならまだしも、なぜ管理棟を背に講釈を垂れるのか。
「なんで民衆側の総意を汲むはずのマスタリーベースが管理棟側に立ってるのよ」
「それ私も思った。しかも周りを良く見るとマスタリーベース側の職員が武器を携帯してるっぽいね」
ウィロメナもこの空間の異様さに気づいたらしい。
艦橋区画に集う民衆たちをぐるりと囲うよう警備体制が敷かれているのだ。しかも警備員さながらな様相をした職員たちは各々武器を手にしている。
暴動の抑止、鎮圧をあらかじめ予測しているかのような徹底した配備だった。
さらには演説のほうも過熱しているようで、そうではない。
聞き心地の良い音色を奏でて聴衆を煽っているが、未だ本題には入っていない。
『昨今のノアの管理体制は非常に目に余ります。空調の停止、謂われない節電、そして人々の生活を支える多くの資源を強行するように停止するなど。我々マスタリーベースもまたこのような事態は看過できません』
なのに聴衆する者たちは、情熱的な演説に引きこまれつつある。
同調する声にも熱が籠もっていく。
しかしこれではまるで粗末な劇でしかない。仕込まれた、ヤラセ。
市民側の代表格が立ち上がる。つまり現体制下へ抗議する声がついに届いたということでもある。
これから隠匿された事実がつまびらかとなっていく。少なからず人々は希望を宿して新たなるリーダーを見つめていた。
『しかし我々は、管理棟側の敷いた体制は人類を保護するための正当な行為であると判断いたしました』
そのはずだった。
しかしあまりに容易く期待は打ち砕かれる。
杏は驚愕と同時に己の耳を疑った。
「正当な行為ですって!? アザーへの物資採掘すら止めてさらに生活水準を下げることのどこに正当性があるっていうのよ!?」
聞き入っていた聴衆たちでさえ戸惑いを隠せずにいる。
耳を疑う隙さえ与えられず断言されたのだ。民たちは薄氷を割るよりも容易く、奈落の底へと落とされた。
当然、広場に集められた若者たちは口々に不平と不満を顕わにしていく。
「ふざけないで!! なんの説明もなしに私たちの生活が脅かされるなんて黙っていられるわけがないでしょ!!」
「そうだ!! これ以上理不尽を押しつけるのならこっちだってやりようってものがあるぞ!!」
どよめきが渦を巻き間欠泉の如く噴出していく。
抑圧と隠蔽によってここが我慢の限界となったのだ。堪忍袋の緒が切れたというやつ。
若者たちは管理棟への階段に足をかける。加津美にむかって無数の抗議の声をあげる。
もはや暴動寸前だった。しかし民衆の総意である彼女は冷たい視線で怒れる民を見下ろすだけ。
「静まれ!! それ以上動くんじゃない!!」
「強行するようであれば痛い目にあうぞ!!」
すかさず周囲待機していた警備員たちが階段の前を陣どった。
手には実弾入りのアサルトライフルが銃が構えられている。
この状況でさえ折りこみ済みということか。制圧ではなく殺傷力のある武器で脅す。
「このっ――民になんてもん向けてんのよッ!?」
杏にはそれが胸が焼けただれるかと思うくらいに我慢ならなかった。
ひしめく民目掛けて武器を用意することのどこに正義があるというのか。
制服をまとった身体に蒼が沿う。額に青筋を浮かぶ。
己の反骨心が滾るかの如くフレックス能力を発動させる。
「くっ!? フレックスだと!?」
「しかもこの子は第2世代所持者だったはず!」
これにはたまらず警備服たちも僅かに防衛線を下げざるを得ない。
相手の大半は大人で構成されていた。で、あるなら第1世代能力がせいぜい関の山だろう。第2世代能力までに至るのは若者たちのほうが圧倒的に多い。
フレックスの発露にたちまち大人たちの優勢が裏返りつつあった。
ここで警備服たちの前に久須美が躍りでる。
「フレックスはいけまんわ!! ここで能力を使い合ったらそれが騒乱の火口となりかねません!! これだけの数がいるなかで能力者同士がぶつかればそれこそ暴動ですわよ!!」
慌てて飛びだすと、階段を背にし、身をもって制止に加わった。
こちら側の数名が飛びかかれば制圧は容易だろう。
しかしその時にはあちらも確実に発砲してくるはず。
「フレックスを発動している者は防衛能力で死ぬことはありませんわ!! しかし杏さん以外の人間のうち誰かが運悪く被弾しますわよ!!」
「――つッ!? チッ!」
杏は舌を打つ。
そこまでいわれて実行するほどバカではない。
久須美に諭され冷静さを取り戻す。フレックス能力の噴出を抑えた。
己以外に被害を及ぼすというのであれば頭に昇った血を下げるしかなない。
現環境に不平不満を抱く人々のメッセージがようやく上に届いたのだと思っていた。その結果が、これ。
理解あるものがノアの民の疑念や不満を汲みとる。そうすることで体制が動き始めるのだと誰もが予想していた。
しかし加津美は、多くの民が待ち焦がれていた英雄ではなかったということになる。
久須美は、冷静になった杏を認めると、1度ばかり頷いてから振り返った。
「お姉様これはいったいぜんたいどういったパフォーマンスなのでしょう? アナタほど優秀なお人であれば民をイタズラに憤怒させるようなマネは避けられたはずですわよ?」
平静な声色なれど若干の怒りが滲んでいるのがわかる。
姉に信頼と心を寄せているからこその威嚇だった。壇上に立つ姉を決して融和ではない瞳で見上げた。
すると加津美は僅かに頬を緩ませる。
『前もった説明なく久須美に大役を任せるようなマネをしてごめんなさい。しかし人とは1度冷静さを欠かないと本来の意味での冷静さを保つことができなくなってしまうの。だからこの場での力の行使が無謀だという手綱をつけさせてもらったわ』
「なぜそのような行為をなさるのかをご説明いただけますわね?」
ええ。そう告げることには緩んだ頬も神妙に変わっていた。
加津美は、耽美ながらも深刻めいた面持ちを作り直す。
『前もって私に与えられた役目は皆様に冷静になっていただくこと。そしてここからの説明は管理棟側からの一方的な命令ではなく私たち宙間移民船ノア居住局総合管理監視委員も関わっているということをご理解ください』
そういって姿勢を正すと、右手を左肩の辺りに構えたのだった。
それは軍ではなくノア式の敬礼である。ノアに住まう民たちに敬いを示す行為に等しい。
加津美は、折り目正しい礼をすると軽やかな身のこなしで踵を返した。
『……久須美』
「はい? なんでしょうお姉様?」
耳を打ったのは、先ほどまでの雄弁な音ではない。
吐息の如く消え入りそうな声だった。
加津美は、表情を見せぬようにしたまま。全体通信で久須美に対してのみ語りかける。
『如何なる状況であれ強く生きなくてはならない……覚えておいて』
そう言い残して彼女は靴音高く管理棟の入り口から捌けていってしまう。
久須美は意図の掴めぬとばかりに「……?」小首を傾げて姉の姿を見送った。
その直後に管理棟正面入り口のガラスが中央から割れ、開いていく。
まるでこの瞬間を待っていたとばかり。開かれた管理棟のなかからぞくぞくと、複数の足音が響いてくる。
そしていまようやく管理棟に閉じ籠もっていた第8代目艦長ミスティ・ルートヴィッヒが民の前へと姿を現す。
「諸君らに集まっていただいたのは他でもない!! 現在水面下で行われている改革についての真実を知ってもらうためだ!!」
白い羽織を舞わせながらの真打ち登場だった。
しかも登場と同時に発した声に通信機特有の陰りはまったくない。なぜならミスティは肉声で民に話しかけていた。
彼女が現れただけで一気に艦橋区画そのものの空気感が一変する。
圧倒的なカリスマ性を体現するかの如き佇まいだった。
押し黙る若者たちは一斉に彼女のみを視界に捉えている。その圧倒的なカリスマに自然と引き寄せられる。
存在感の大きさは計り知れない。大人としての魅力や容姿の美しさだけに決して留まらぬほど。
人々に敬愛され、愛をもって人々へ返す。そうして革命を終えて得たものこそが彼女の座す8代目人類総督の席である。
「なッ――!?」
杏は、意図せぬ光景に息を呑んで刮目した。
そしてそれは恐らくこの場に集う若者たち全員の共通認識であるところ。なにしろ管理棟のなかから現れたのはミスティだけではなかった。
現れた複数の人影は、次々に人類総督の横に陣どると、足を止める。
「8代目人類総督と、《四柱祭司》!?」
(区切りなし)




