197話 この声が届きますように《The Half Year War》
……こ……て……すか?
き……え……いま……
こちら……る……
……じん……い
救援……い……す
た……けて
一党らは足早に近辺のリニアバスへと乗りこんだ。
メールによって指定された集合地点は艦橋区画にある管理棟である。
管理棟にはノアの意思決定を司る重要人物たちが複数集う。そこはある意味で人類最高決定機関の本丸といっても良い場所だった。
バスのなかには一斉送信メールによって呼びだされたであろう者たちが同乗している。
「ねねねぇラミィちゃん!!? とっても重要なお知らせっていったいなんだろうね!?」
「艦長直々の招集命令とかちょっとやり過ぎな気がするねぇ? しかも緊急だなんてあの冷静なミスティさんらしくないっつーかさぁ?」
バスのなかの至るところで似たような会話が繰り広げられていた。
誰ひとりとして詳細な内容を知らされていないことが確定する。おそらく知るのは中枢機関内部の者のみということ。
「あら? あれって……?」
ふと杏は最後部列の辺りに意外な人間を発見した。
背もたれから半分ほど顔を覗かせそちら側に目配せする。
「ねぇウィロあれ見て」
くいっ、と。杏は声を潜めながらジャケットを引く。
すると袖を摘ままれたウィロメナは不思議そうに「?」と、一緒になって覗きこむ。
「あれって、《キングオブシャドウ》のメンバーじゃない?」
「あ、本当だね。普段は人前に滅多に姿を現さないのに珍しいねぇ」
最後部列に座っているのは、チーム《キングオブシャドウ》の構成員たちだった。
杏は、頭の上にのしかかる柔和な重みに耐えながら目を細める。
「もしかしてあの2人ですらも今回の呼びだしについて関わっていないのかしら?」
「リーリコちゃんがいなくなっちゃってからもミスティさんの影として活躍しているって聞いてるよぉ。あの2人も知らされていないんだとしたらかなりの秘匿っぷりだねぇ」
影からじまじと見つづけるのも失礼というもの。
杏とウィロメナは早々に顔を引っこめ引き上げた。
影の王は、いわゆる情報収集チーム。おおよそ隠密や裏の仕事に遵守するため周囲への警戒や対策は強い。
「…………」
「…………」
2人ともバイザーを帯びて目元は隠していた。
だがおそらく見られていることには気づいているだろう。
チームリーダーであるリーリコ・ウェルズを失ってもなお影に徹する辺り現艦長への忠誠度合いが窺えた。
「あの2人すら関わっていないっていうことはノアの深部が動いているってことでいいのかな?」
「十中八九ね。なんだか無性に嫌な予感がしてならないわ」
杏は、ウィロメナのひそひそ声に、ぷるりと身を震わす。
不安に駆られながらも平面に浮上するバスは管理棟へと進路をとっていく。
艦橋区画へと繋がるトンネルに入ると一気に流れる景色が黒1色に変化する。
節電の影響からかすべての内部照明が切られてしまっていた。ときおり橙に点灯した光が窓を投下し乗客席に斑模様を描いていく。
――これじゃまるであの日のよう。あの革命の当日も……こんな感じだった。
艦橋区画に進むこのトンネルはスペースラインと呼称されるていた。
本来であればトンネルが下った先でもう1度上昇する作りとなっている。そうして透明な筒状に空が開かれ星々の海を仰ぎ見られるという絶景スポットだった。
しかし普段は透明なガラスもいまはすべて閉ざされてしまっている。船内からはどうやっても外が見られないよう管理されてしまっていた。
しばし闇に抱かれるような窮屈さを覚えながら物思いに耽っていると、ようやく艦橋区画の光に目が眩まされる。
それからリニアバスが停留所前でゆるりと自動ブレーキを踏む。浮上していた底がゆっくりと磁力を制御し降下する。
ようやく艦橋区画への到着だった。
「へー、信さんってお味噌汁も大好きなんですか。なんだか以外ですわね」
「あまりゴテゴテとしているものよりも、豆腐やふの味噌汁が好ましいな」
杏たちが先に降車していると、信と久須美も後から合流してきた。
どうやら隣席で同乗したため世間話が尾を引いているらしい。
ウィロメナは、やってくる2人を眺めながら杏に背丈を合わせて顔を寄せる。
「信くんってなんだかんだちゃんとお話ししてくれるよね。はじめのころはもっと怖くて堅苦しい武士みたいな感じかと思ちゃってた」
「存外慣れたらけっこう喋るわよー。慣れたら喋るってさ、ミナトの紹介が100パーセント合ってたってことになるわね」
そうして合流と同時に自然と並び歩くのも慣れたもの。
足先が自然と管理地区のほうに揃う。
昨今、外れ者たちでまとまることが多かった。そういった経緯もあってか呼吸が合う機会もしばしば。
管理棟への道すがらは、まるで雑踏である。ぞろぞろとノアの制服に身を包んだ男女が1点を目指して靴音を重ねていく。
ウィロメナは長い前髪をはためかせながらきょろ、きょろ。落ち着かぬ様子で周囲を見渡す。
「なんだか良く見知った顔が多いよねぇ? もしかしてアカデミーの生徒が大半なのかな?」
あまり人が多いところを好まぬという性格もあってか居心地悪そうにしている。
彼女の場合は特にだろう。なにしろ彼女のもつ第2世代能力、《心経》は意識せずとも心の声を聞いてしまうのだ。特性が人の波を遠ざけてしまう。
杏はいちおうそんな彼女を横目ながらに気づかっている。
「フレックスを扱える者が優先的に管理棟に集まれとの追加指示が成されていたのよ。さっきのメールに書いてあったわ」
ウィロメナは、どうやら得心がいったらしい。
突出した胸囲が当たらぬよう、ひょい、ひょい。
人混みを器用に躱しながら「あぁ~……」という、とぼけきった声を漏らす。
「そうなってくると若い人に偏よっちゃうのも頷けるね。若い間にフレックスに目覚めないと開花が難しいっていうし」
「というより管理棟前の広場に全員が入りきれないから気を使ってるんでしょ。能力を使えない人たちは艦内放送の中継で見ているはずよ」
そうして一党らは頂上に管理棟のそびえ立つ階段の前で足を止めた。
未だぞくぞくと人足は増えるばかり。すでにかなりの人間がここ管理棟前広場に集っている。
緊急の招集だったからか着の身着のままといった様子で私服制服構いなし。
なんらかの作業中だった者たちはとくにわかりやすい。パラダイムシフトスーツを身にまとう。
そんな有象無象な光景をぐるりと見渡し、舌を打つ。
「ハァ……ずいぶんと多いな。一刻も早くこの場から立ち去りたい」
信は不快感を眉根に揃えた。
人嫌い極まる。話せば壁がとり払えるとはいえ、この様子である。自分から他者と関わろうという気概が微塵も感じられない。
猛禽類の如き睨みが幅を利かせると、恐れた周囲の人混みが彼から距離をとってしまう。
これはまずい、と。杏は威嚇する信の胸ぐらを掴んで強引に引き寄せる。
「アンタ熊かライオンじゃないんだから無尽蔵に周囲を威嚇するの止めなさいっての! そうでなくても前艦長の懐刀だから信用できないとかいわれてるんだからね!」
「俺は誰の信用も欲していない。俺からの信用を得たいのなら周囲が俺に合わせるべきだ」
叱られているというのに、この言い草である。
胸ぐらを掴まれていることさえどうでも良さそう。気だるげ。
せっかく整った顔立ちに生まれたというのに、もったいない。得を上回るほど性格がねじ曲がってしまっていた。
「いいから少しはいうことききなさい! この船に乗っているということは少なからずな人数とも関わっていかなきゃならないの! 勝手にセルフ生きにくい世界を作ってんじゃないわよ!」
「…………」
杏が青筋立てて捲し立てても、信は素知らぬといった姿勢を崩すことはなかった。
威嚇癖が治れば他人からも距離を詰めやすくなるのだ。あとは華のあるところへ蝶が舞うように友も増えていくだろう。
つまりところ矯正をかけるには信頼という距離が足りていないのである。杏の言葉では頑なな彼の心には届きそうになかった。
せめてアザーのもう1人が助っ人に入ってくれさえすれば――……と、いっても無理な話ね。
杏が掴んだ胸ぐらを解放すると同時だった。細々と囁き合っていた群衆のざわつきが途端に色を変える。
「あ、そろそろはじまるみたいだね」
ウィロメナの声を聞いて一党らはそちらを仰ぎ見た。
広場に集った人々も周囲の気配を察して管制塔のほうへ視線を集わす。
そして管理棟のなかから1人の女性が現れる。
『同志諸君ようこそお集まりくださいました。偉大なる宙間移民船ノアの新未来を担い彩る若き志士たち』
ALECナノマシンを通じての通信だった。
平静でハキハキとした声でありながらどこか威厳がある。高圧的というより、事務的というべきか。
予想と違う天界だった杏とウィロメナは、ほぼ同時に首を傾げる。
「え? 私たちを呼びだしたのってミスティさんじゃないわけ?」
「声からして別の人だねぇ? てっきりミスティさん本人がでてくるものかと思ってたけどぉ……」
2人の意見は、おおよそな民意であった。
広場に集う他の人々たちも意外な影の登場に狼狽える。
ざらつくようなどよめきを波紋の如く広げていく。
「なんか……あの人に見覚えあるわね」
杏は、双眸に蒼を浮かべ視力にフレックスを注ぎこむ。
他の人々もぞくぞく瞳に蒼を宿す。
そうやって遠見状態へ能力を移行させ、遠間に佇む女性の顔を仰ぎ見る。
女性の雰囲気から察するに年は恐らく杏たちの一回りほど上といった感じ。
ヒールで伸びた背丈も相まってか麗しき美女である。秀才な顔立ちは品性に満ち年齢を一切感じさせぬほど、整っている。
そしてそれはこの場の全員が予測していない人間なことだけは確かだった。
「――エ”ッ!?」
その上、もっとも予測していなかったのは、おそらく彼女。
まるい腰を屈めて目を細めていた久須美は、たまらず声ならぬ声を発する。
「あ、ああ、あれって――!」
動揺しながらも、弾かれるにして姿勢をピンと正す。
現れた女性のかっちりとしたスーツを身にまとう。
その黒地の沿う豊かな胸には、1輪差しの造花が飾られている。
久須美は、そんな女性を見つめ、身を強張らせた。
「お、お姉様ぁ!!?」
刹那に青ざめると、ぎょっと目を剥きだしにした。
(区切りなし)




