193話 同じ夢を見よう《Passage of Light》
曲がらない真っ直ぐな宣言だった。
晴れ晴れしいドレスをまといながら銀燭の瞳にも決意が秘められている。
いままで友の父と王座を天秤にかけていた。にもかかわらずテレノアは冥府の巫女へ公言してみせた。
そんなテレノアの背後でフィナセスが真剣な表情で主の勇姿を見守っている。
「相も変わらずだな。こっちと違って穢れのねぇ無垢な瞳をしてやがる」
レティレシアは大理石の床へ大鎌の柄を立てた。
嘲笑するが如き笑みを閉ざす。代わりに神妙な面持ちで背に生えた蝙蝠のような羽根を開いた。
「しかもテメェは歴代聖女のなかでもトップクラスで光が強い。天に求められそして祖父に愛されながら生まれてきた証拠だ」
腰をしならせながらテレノアのほうへと歩み寄っていく。
こつり、こつり。拍を踏むように長く繊細な足を交互に繰りだす。
互いの距離が詰まっていくが、テレノアのほうも1歩たりとも引かない。
「そして眩いほどの光をその身に宿しながら一心に期待を受けていまなお寵愛の加護を受けつづけている。そう、この祖母によって創造された余とはまるで性質が違う」
そうして聖女と冥府の巫女が正面切って対峙した。
2人の佇まいは、まさに聖と邪である。
幼げながらも芯のある聖女に対し、巫女は妖艶で粗暴に見下す。
「玉座に着くってんならルスラウス教の元締めの命を聖火に焼べる覚悟ができてるってことかよ」
「……っ。なぜ貴方がその話を知っているのです?」
「こう見えて耳は早ぇほうだし、なんなら天界が絡む事情だととくにだ。地上に調和と調律が降臨したこともとっくの昔に冥府側から聞いてんだよ」
テレノアは頬に触れられたことで一瞬動揺を見せた。
すぐさま引き締め直す。己より上背のあるレティレシアをキッと睨む。
対してレティレシアは小鳥を愛でるような手つきでテレノアの白い頬に指を這わせていく。
「冥の祖母であるラグシャモナからの知らせを聞いたということですか?」
「なにも驚くこたぁねぇ。それが余に与えられた唯一無二の絶対である使命だからな」
「生まれの神の言葉を聞いて大陸に伝える。それが冥府の巫女の役目ということですね」
「聖女であるテメェも不完全な状態じゃなければ天界側でまったくの同じ使命をまっとうしていただろうがな」
冥と聖の邂逅というわりに不思議な光景だった。
字面だけならば対立に思えるような2人の関係性である。しかしあの粗暴を極めるが如き女が険を捨て、聖女であるテレノアに真っ当な態度をとっていた。
しかもまるで慈しむかのよう。輪郭に沿う手は母性をもって手慰む。決して傷つけるようなことはしない。
「テメェは教団の娘に気心加えて迷っていたはずだったよなぁ?」
言葉遣いとは裏腹に穏やかな問いだった。
彼女がどこまで知っているのか。テレノアにとっても疑問のはず。
それでも彼女は、恐ろしき嬌艶の巫女から眼を逸らすことはなかった。
「迷いはありますしなにも進展していないかもしれません。それでも成すべき使命を再び見つけ直すコトが出来ました」
「迷い悩み、その先に絶望が待ち構えていたとしても挫けずに役目をこなす気概はあるのか?」
「ソレを未熟な私に教えてくれた大切な御方もまた道半ばです。悩み挫けても立ち上がって歩く方法を教えてくれた御方でもあります」
そうかよ。レティレシアは感情を籠めず呟く。
テレノアの頬から手を引いて道を譲るようにして体を横に逸らした。
するとテレノアは退いた彼女へこくりと頷いてから広間のなかへと踏み入る。
優美なドレスの裾を引く。凜としながら見据える瞳には、確かな光が宿っている。
レィガリアは我に返ったかのように姿勢を正す。
「あの成り、あの佇まい……! 霞とて曇らすことのできぬ静謐な貫禄……! あれほど聖誕祭に負い目を感じていた聖女様の身になにがあったというのだ……!」
道行く聖女の姿を双眸に映しながら唇を震わせた。
お付きの如く寄り添うフィナセスも、彼の隣で足を止める。
「私が元気づけて上げようと思ってたんだけど、お仕事奪われちゃったみたいなのよねぇ」
2名の側近騎士たちは、しずしずと遠ざかる聖女を見送った。
そうしてテレノアは人の集うまでやってきてから足を止める。
「すぅぅ……ふぅぅ……」
小ぶりな胸に手を添え、ゆっくりとした深めの呼吸で1度落ち着く。
閉ざした瞼を開く。銀燭の瞳が人々を1人1人の顔を順繰りに確認していく。
そして最後にミナトを見て、それから真一文字に結ばれていた口から声を紡ぐ。
「貴方がたはミナトさんを理解できていません。この人の真の目的を知らぬからそうして迷いが生じてしまうのです」
気品に満ち、貫禄ある佇まい。
自信に満ち、なお佳麗。紡がれる音も毅然として悠揚たる落ち着いた物腰。
しかし人々は彼女の言う言葉の意図を汲み切れていない。
「理解していねぇっていわれてもなぁ? 決闘に勝つためにクソほどがんばらなきゃならねぇってことくらいなら聞いてるが……?」
「だから僕たちはミナトくんが犠牲にならない道を選ぶか、それとも意地でも帰るかっていうことで迷っているんだよね」
比較的付き合いの長いジュンと夢矢でさえ首を傾げるばかり。
他の面々もミナトとテレノアを交互に見るばかりで要領を得ていない様子。
するとテレノアは断固たる意思をもって唐突と語りはじめる。
「ミナトさんがここまでがんばる理由。それは貴方たち人間さんたちを元の世界へ帰すことしか考えていないのです。なのになぜ貴方たちがそれを理解してあげられないのですか」
残留派である青年がたまらずとばかりに踏みだす。
「リベレイターの考えは大いに理解はしているつもりだ。生き残りに希望を賭けて元いた世界に戻りたいって理由も十分承知している。だからこそ俺たちはこうして――」
違います。テレノアは青年の言葉をぴしゃりと切ってしまう。
彼を見つめる瞳と声には静寂な怒りが籠められている。
これには青年も「うっ……!」と、引くしかなかった。
「半年後の無謀な決闘に命を賭けてでも立ち向かうのは己のためではありません」
「ッ、自分のためじゃないというのなら誰のためだっていうんだ!? 危険を冒して無謀な賭けにでているだけじゃないか!? それは己の意思を以外のなにものでもない!?」
「分かれ道で迷いつづけているみなさんを救うために決まっているじゃないですか!」
その真っ直ぐな瞳で発された音が反響を残し、やがて消える。
すると人々はみな相応に固まった。青年でさえ声を忘れて佇むだけ。粛然たる沈黙が大広間を覆い尽くす。
だがテレノアだけは思いを隠すことなくすべてを明かしていく。
「このかたははじめから己の命を顧みていないんです! このかたは常に全力で貴方たち人間のために先頭を切って己の背を見せているんです! それなのになぜ貴方たちはその先陣を担うミナトさんの背から眼を背こうとしているのですか!」
人々の耳を叩いたのは完全で否定しようのない怒りだった。
青年は叱られた子供みたいに萎縮し、よろよろとたじろぐ。
「……俺たちの、ため?」
顔色は冷め、宛てもなく宙に浮かした指先が小刻みに震えていた。
まるで鈍器で頭を殴られたかのよう。足下がふらふらと覚束ない。
だからミナトは、行く当てを失った手を掴む。
「オレはテレノアを聖女にするし決闘にも勝つ。そしてみんなで元いた世界へ帰ってぜんぶを上手くやり抜く」
そしてそっ、と両手で包みこんで熱と言葉を伝えていく。
網膜に描くのは我が儘で自分勝手で夢現を抜かすような夢物語だった。
しかしそれこそが本懐。誰もが遠すぎて諦めてしまう本物の願いなのだ。
「強欲といわれようが構いやしない。ただなにひとつとりこぼしたくないだけなんだ」
青年はきっと頼りない手だと思うだろう。
これは1人で多くを救うことさえ叶わぬ無能の手である。
しかし迷っている友の手を引くことくらいなら造作もない。
青年は動揺しながら俯いたままのミナトを見つめつづけていた。
「だからせめて諦める最後の瞬間までオレに夢を見させてくれないか。せめて決闘の結果がでるまで起きて見つづける夢をみんなと一緒に見ていたい」
ミナトは優しい声で励ますように青年の手をそっと己の額に宛がう。
黒い頭を垂らし、両手でしっかりと握りこむ。
まるで祈り。祈るのは神でもなければ運命でもない。ただ友と一緒に幸福で無責任な夢を描きたいだけ。
ミナトは手を離してやると、青年に柔らかな笑顔を向ける。
「決闘に勝てば帰還、負ければ残留、単純な話だろう?」
「で、でもそれじゃあ……死ぬかもしれないんだぞ?」
「ソレは負けてから考えるさ。はじまってもいないのに諦めたらもったいないじゃないか」
ミナトは同じ世界からやってきた仲間たちを見渡す。
あちらには呆れながらも肩をすくめて笑う友がいる。
「俺ははじめっから諦めるつもりはないぜ? それにミナトが負けるとも思っちゃいねぇ」
こっちにも真剣な眼差しでやる気に満ちる友がいる。
「やるまえから諦めるのは絶対にダメだよ! 僕らもやりきって全員第2世代になしてみせる!」
改めて広がった世界には、光があふれていた。
そこにいるのは残留派でも帰還派でもない。ただ1人の示す決意の元に集う人間たちだ。
ミナトが勝てば人々は元いた世界に帰る。しかし負ければ1人の命を対価としこの平和な大陸世界で生きていく。
成否を決めるのは、たった1人だけ。ただしそのレールを切り替えるために1つの命が使用されるというだけの話なのだ。
「みんな頼む。辛い半年になるとは思うけど、オレの理想についてきてくれないか」
ミナトは、チームの仲間たち全員に向けて勢いよく頭を下げる。
無茶は承知の上。それでも叶えたい夢があった。
「もしオレが決闘に負けたら潔く諦めよう。でも、勝つことができたのなら全員でノアに帰るんだ。そのためにみんなも悔いの残らないように自分にやれることをやり遂げてほしい」
それこそたった1人の望む願いだった。
仲間たちははじめは驚いた表情をしていたが、往々にして眼差しを細めてこくりと縦に頷く。
そして残留派の青年もまた見つめた手に拳を作る。
「わかった。そこまでの覚悟を見せられて黙ってはいられない。まだ遺恨の残るようなヤツがいるようならその説得は俺がしてみよう」
「すまん。それと、ありがとう」
突きだされた拳にミナトも拳をぶつけ合う。
すべてをやり遂げてなおイージスの旗本に帰るとなれば至難といっても良い。
それでも人が別つことなく信じ合えれば、道なき道も明るく照らされていくはず。
「もし万が一にも帰る状況が整ったとして、実はまったく希望が皆無というわけではないんですよ」
こちらの話がまとまったタイミングで金色の三つ編みがふらり、揺らいだ。
気を見計らったようにリリティアは、にんまり顔の横で白い手をぽんと叩く。
「ミナトさんにかかっている呪いの正式名称は神羅凪の呪頁です。そしてもし呪頁の解呪に成功すればミナトさんの身体には大いなる力がもたらされるはずです」
「ハァーハッハッハァ! 半年の修行でパワーアップしたチーム! さらにミナトの身体にはこちらの世界の少女が100数年培った膨大なフレックスが宿るということだ!」
東も一緒になって高笑いと同調をしてみせた。
若人たちの言い争いを見物していたかと思いきや。どうやらリリティアと同じく頃合いを探っていたらしい。
「先に出た話だがいま俺たちははじまってすらいない! これから世界の枠を越えた青き果実は熟成しツヤと色を高めていくんだ! 未来に賭ける可能性は無限大だぞ!」
「また東が根拠のないこといいだしたよ……。あとその下りは僕のパクりだからね……」
「落ちこんでていてもしょうがないってことですなぁ! いよっし、私も明日からフレックスの鍛錬に気合い入れるとしますかねっ!」
無邪気な中年のリーダー役に若者たちも次々と乗せられていく。
夢矢とヒカリもテンションに差はあれど、どちらもやる気に満ちていた。
と、それまで黙って見ていたレティレシアが鋭く舌を打つ。
「チッ。三文芝居のお披露目会場ってか……胸くそ悪ぃ」
大袈裟な振る舞いではたはたと手で振った。
豊かな弧描く胸元に風を送りながらだるそうにへの字に口を歪ませる。
そして悪意たっぷりの笑みを貼りつけた。
「余の誘いを断るどころか堂々と喧嘩売りやがるたぁなぁ。なかなかどうしてクソ雄にしては良い度胸してやがる」
そうしてはじめと同じようにミナトのほうへと歩み寄って足を止める。
手の触れられる間合いに入ると血と色の香りがツンと鼻腔を漂う。
「余の提案を蹴ったことを後悔すんじゃねぇぞ。こっちは遠慮なくテメェの未来を閉ざしてやる」
「そっちこそ首洗って待ってろ。あの日の借りはきっちり返してやるつもりだ」
人と山羊角。奇しくも身長差はあまりない。
同じ高さにある血色と黒色の瞳が正面からしばし睨み合う。
「――ハッ! 救いの手をみすみす見逃すバカと語る言葉はもたねぇ!」
先に引いたのはレティレシアのほうだった。
なによりこれ以上白熱したところで彼女にミナトへの攻撃は出来ない。エルフ女王との密約もあってこちらを攻撃することは許されていない。
レティレシアは大鎌を回して肩に担ぐと羽を仰いで踵を返す。
「つまらねぇ死にかただけはすんじゃねーぞ。小生意気なガキの血しぶきはさぞ見応えがあるだろうからなぁ」
あふれそうな白い太ももをこすり合わせ、この場から遠ざかっていく。
幅の広い腰を優雅に揺らしながらゲートのほうへと去っていってしまう。
そして道すがらに佇むリリティアの隣に差し掛かったあたりで足を止める。
「余はあの子の功績を逃がすつもりはねぇ。還された神羅凪と人は来るべき時に究極の戦力になるはずだ」
「私もミナトさんに手加減をするつもりはないですよ。たとえ時をともに歩んだ人の子相手であろうとも結末はしっかり見届けるつもりです」
そう二言三言ほど囁き合う。
「……期待はしねぇ」
レティレシアはしばしの沈黙のあとにゲートのなかへと消えた。
唐突な襲来だったが、結果として得たもののほうが大きい。
なにより浮ついていた人々の心が1つとなった。その上でテレノアも聖誕祭への意欲を復活させている。
人間たちの課題は山積みだった。しかし今宵のおかげで確かな希望が生まれつつあった。
「そういえばなぜ貴方たちはアンレジデントという呼称を存じ上げておられぬのですか?」
ちょうど船員たちの気が緩んだところだった。
レィガリアに虚を突くつもりがあったとは思えない。
しかし人々は、未だ暗黒のなかに生きつづけていることを思い知らされる。
「あれは貴方たち人間がこの大陸へもちこんだ言葉のはずです」
○ ○ ○ ○ ○




