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BREVE NEW WORLD ―蒼色症候群(ブルーライトシンドローム)―  作者: PRN
Chapter.7 【この声が届きますように ―The Half Year War―】
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192話 冥府の誘い、甘き失望の蜜《Chaos Nectar》

挿絵(By みてみん)

冥よりの

巫女


持ちかけられる

甘い提案


心背く


幻惑の蜜


 いつの間にか開いた一室の一角には血色の渦が出現している。

 こつり、こつり。ヒールめいた高い音がじょじょに枠を越え、気配を鮮明にしていく。

 ミナトは、近づいてくる殺気に恐怖が昇るのを感じた。


「なにしにきやがった……!」


 すぐさま腰の剣に手を添え身構える。

 逆をいうならこれから現れる相手に対して構えるくらいしか対応する術がない。

 間もなくして隆起する女性の箇所を皮切りにゲートから1人の女が姿を現す。


「余の視界で身構えてんじゃねぇ鬱陶しいクソが」


「オレのことを殺そうとした相手が現れたっていうのに身構えないわけがないだろ……!」


「ケッ、そもそも約束反故にしてテメェ襲うのなら秒で殺してんだよ」


 この邪悪を煮詰めた恐怖、忘れられるものか。

 高く括った髪束が長く尾のように揺らぐ。頭部には2本の山羊に似た角を生やす。しかも口の悪さは1級品で、人の命をなんとも思っていないときたものだ。

 惑う人間たちの前に顕現したのは冥府の巫女だった。

 彼女こそ惑いの渦中でもある。人々の若人たちは露骨に彼女に対して警戒心を顕わにする。


「ご機嫌麗しゅう冥の巫女様。本日は如何様なご用件あっての来訪ですかな?」


 しかし東だけは率先して歩みでた。

 紳士的な振る舞いで彼女にへりくだる。というより社交辞令的な大人としての対応だった。


「余計な手間ぁかけさせやがってボケが。気色悪ぃ演技ぶっこいてんじゃねぇ」


「おや、これは失礼致しました。どうやら先刻の会議から尾を引いておられるようで」


 東が気を引こうとするも、レティレシアは視線さえ送ろうとはしない。

 ただ自身が不愉快であるという空気のみが全身からしどと漏れでている。

 彼女の登場によりほがらかな晩餐から一転して最悪の険悪ムードと化す。

 なによりミナトにとっていたら飯が不味くなるランキング堂々の1位の座に居座る女。それが彼女、冥府の巫女レティレシア・E・ヴァラム・ルツィル・オルケイオスである。

 肩を血色の大鎌で抉られ、殺されかけた。もっとも見たくない顔と言い換えても良い。


「もう1度聞く……なにをしにきた? エルフ女王との密約でオレの身の安全は保証されているはずだぞ?」


 ミナトは剣から手を遠ざけて改めて問う。

 しかしレティレシアは反応すら返さなかった。のらりくらりと広間のなかを彷徨くだけ。

 歩く姿は高嶺の花。大振りな尻を猫のように左右に揺らし色を振り撒き靴音を奏でる。

 邪悪でありながらも確固たる美貌をもつ。さらにいえば臆面もなく晒す肢体だけならば極上。そこらの女性でさえ無意識に振り向かせることが可能だろう。

 そして色香に惑わされた男は暴虐によってなじられる。当然の如く大鎌を肩に抱えての登場である。

 レティレシアは、ちょうどミナトの隣を通り過ぎたあたりで徘徊する足を止めた。


「テメェが今回の襲撃で勝手におっ()んでてくれりゃ時間の無駄も省けたんだが」


「五体満足の健康体で残念だったな。もう半年は健康に生きていくつもりだ」


 背を合わせて互いを視界に捉えることはしない。

 そもそもこれは会話として成立しているのかさえ不明なのだ。

 彼女にとってミナトは狩るべき対象でしかない。要するに獲物ということ。


「そもそもテメェを生かしてんのも余興なんだってこと忘れんじゃねぇぞ」


「……余興だと?」


「せいぜい余を楽しませるために必死こいて踊れってことだよ。もしワンチャン愉快に踊れるのなら苦痛を伴わねぇ死にかたを選ばせてやる、キシシシ」


 脅しにしては安い。しかしこの女にとってこれは脅しではなく確定した事項である。

 レティレシアはミナトの耳元にゆっくりと顔を近づけると片側の口角を引き上げた。

 発達した犬歯を剥きだすと、険をを深めて邪悪な笑みを作る。


「だがこっちも悪魔じゃねぇ。こっからが本題ってわ・け・だ・が――」


 ふっ、と。温い吐息を耳に吹きかける。

 甘く、それでいて微かに鉄の香が耳奥の脳を蕩かすかのよう。

 それでもミナトは身じろぎひとつせず。レティレシアの次の言葉を待つ。


「余の温情を異世界種族連中にくれてやろうと思ってなぁ?」


 まるで歌うかのように喉奥から笑みを転がす。

 この時点で碌でもない提案であることは決まり切っている。

 その上、ミナトではなく、異世界種族。つまりチーム全員が対象であることを意味していた。

 まるで彼女以外の時が止まってしまったかのようだった。リリティアとヨルナでさえも静観という立場で口をつぐむ。

 それによって1室は、1匹の女という恐怖によって支配されていた。

 レティレシアは船員たちのほうに艶容な腰を揺らしながら近づいていく。


「もしもテメェ等が帰るなんつー幻想を抱かねぇっていうのなら時間に猶予が生まれる。そうなれば時間をかけてそこのクズから命を奪わず神羅凪の解呪が可能かもしれねぇ」


 現状人間は1つになりきれていない。

 それはチームとしてあってはならぬ亀裂でもあった。

 居残る派と戻る派の2つの派閥が水面下で火花を散らしている。


「つまりそこの雑魚を生かしたまま、この大陸世界で、犠牲なく、のうのうと生きつづけられるようにしてやるって話よ。悪くねぇ提案だとは思わねぇか?」


 そしてレティレシアは唇に舌を這わせた。

 人々の心に生まれた僅かな隙間を狙っているのだ。この場に現れたタイミングだってあまりに出来すぎている。

 選択を余儀なくされた若人たちは動揺した眼差しで仲間たちに視線を彷徨わせた。

 ALECナノマシン側での通信が飛び交う事態となっている。


『ミナトが死なないで済むだと!? ってことは余命半年とかいうフザケた状況が打破できるってコトかよ!?』


『でも受け入れたら僕らはこの世界から帰れなくなってしまう!? そんなの断る1択じゃないか!?』


 慌てているのは帰還派であるジュンと夢矢だけではない。

 残留派である人々も同じくらい動揺を声なき音で響かせる。


『じゃ、じゃあこの提案を受ければ誰も死なずに済む!? ならこの流れに乗らない手はないだろう!?』


『これで気懸かりが1つ減ったということだ! 大陸世界に残っても俺たち誰1人として欠けることはない!』


『大陸に残ると決めれば第2世代にだってならなくても良いなるもんね! 戦わず平和で静かに暮らせるようになる!』


 レティレシアからの提案は、犠牲のない平和だった。

 それは心理操作(マインドコントロール)めいた甘美な蜜。唐突に突きつけられる淡い希望はあっという間に人々の心を掌握しつつあった。

 当然人間たちの統一されていない未熟な心は、大きく揺らぐ。2派閥の亀裂はレティレシアの思惑通り修復不可能なまでに深まってしまう。


『ちょ、ちょっと待ってよ!? これって誰がどう決めれば正解なの!?』


 ヒカリが助けを求める先には、チームの責任者がいる。


「…………」


 しかし東は黙して語ろうとはしない。

 長裾白衣の襟に指をかけながら眉ひとつ動かすことはなかった。

 代わりに通信の届いていないレティレシアが騒々たる沈黙を破る。


「別に即断即決しろとはいわねぇ。だが、あのていど襲来で縮み上がってるようじゃ亀裂を抜けるなんて100億年早ぇってことだけは教えといてやる」


 醜悪な笑みの横で指が蠢く。

 長い爪が踊るとさながら蜘蛛足のよう。

 甘言ににじり寄る者を巣に絡めかけて喰らわんとする。


「200年前の大規模襲撃に参加したテメェなら連中の規模くらい知ってんだろ?」


 「なありリィよぉ?」唐突に話が振られて細身の肩がひくっ、と揺らぐ。

  指名されたリリティアは小さな吐息を吐いてから粛々と語はじめる。


「あの量がすべてとはとても思えません。私も先ほど疑念を抱いていたのですが……まだあの1千から1万倍はいると考えるべきです」

 

 彼女の口から空想めいた数字が飛びだした。

 想像を絶する規模に人々は怯え震えどよめきを発する。

 人間に提案を拒否する理由を確実に1つ1つ潰していく、逃げ場はない。

 これではもはや詰め将棋だ。人々を大陸世界から帰還をさせまいと、希望を根絶やす悪魔の囁き。


「それでも帰りてぇなんて戯れ言を抜かすってんなら……――正気の沙汰じゃねぇーよなァ!!」


 悪魔は血色の瞳を剥きだしにゲタゲタと笑う。

 ガラスを引き裂くが如き狂笑が大広間を幾重にも乱反射する。

 誰もが拳を振るあげる気力さえ奪われてしまう。光を失い心が屈していく。

 この場はレティレシア側に支配されつつあった。


「貴方の語る理想なき未来に価値なんてありません!」


 その時。廊下へとつづく両開きの2枚扉が力強く開け放たれる。

 現れた少女の勇ましさによって狂乱の高笑いがピタリと息を潜めた。

 レティレシアは頭をもたげるようにしてゆらりと風上のほうを睨む。


「これはこれは。役目の果たせねぇお飾りお姫様じゃねーか」


「いえ、私は聖女です! 次期エーテル国女王聖女テレノア・ティールです!」



(区切りなし)

挿絵(By みてみん)


最後までお読みくださりありがとうございました!

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