190話 聖城の夜《Holy Night》
「うっひょー! ここは桃源郷かなんかかよ!」
ずらりと並ぶは流し卓。
なにより食卓を飾るのは腹の虫を唸らせるフルコースである。
彩るキャンドル、月明かり、魔法のオーブ。絢爛豪華な聖城に夜の侵入を許しはしない。
「見ろ海老とイカがあんぜ! 海産物祭りじゃねーか!」
「ジュン……はしゃぎすぎだよ。料理は逃げないんだからもちょっと落ち着いて……」
星の如く輝く晩餐を前にジュンは大はしゃぎで皿を見比べていく。
夢矢は、その様子に呆れながら愛らしい微笑の眉をひそめた。
しかしなにもはしゃいでいるのは彼だけではない。卓に食が飾られてくと早くも船員たちから冷静さが抜けていく。
チーム迷子人間たちブルードラグーンの船員たちほぼ全員が目を爛々と輝かせている。
なかでも船の料理長なんて「ヤバこれテンアゲーッ!」爆上げだった。
「こ、こんな盛り合わせノアじゃ絶対に無理だっての! さすが地に足のついた食材の宝庫ルスラウス大陸ですなぁ!」
さながら垂涎もの。
ヒカリは滴る唾をじゅるりと啜った。
乙女にあるまじき。だが今晩は無礼講。人間たちは聖都防衛の礼を兼ねての豪勢な食卓を囲うこととなっていた。
フリルと短尺可愛らしい給仕たちがカートを押して大量の料理をあくせく運ぶ。人々の元へと、ルスラウス大陸産の豪勢なメニューがぞくぞく並んでいく。
卓に着いた興奮気味の面々は、各々食に感謝を示してから料理を口に含んでいった。
「うっっっめぇ!! なんか味がどわってきてひたすらにうめぇ!!」
「す、すごい……! ぜんぶの食材が活き活きとして新鮮でありながらすべてにおいて適切な調理法が施されてる……!」
「あ”~し”あ”わ”ぜぇ”~! 料理食べるのが好きだから料理作るようになったけどやっぱり食べるの最高っ!」
舌の痩せた宇宙民からの評価は最高といって良いだろう。
なにしろ大陸の食材はすべて自然そのもの。大地の味を噛み締めるといって過言ではない。
若き少年少女たちは欲求に逆らうことなく皿の上の料理を平らげていった。
ふと小さな口で兎のように食んでいた手元がピタリと止められる。
「それにしてもここまでおもてなしいただいちゃうと気が引けちゃうね。しかも聖都を守ったお礼として大陸通貨のラウスまで貰っちゃったしさ」
夢矢は居心地悪そうに椅子に落とした腰を揺すった。
それほど待たずしてレィガリアは特に汚れてもいない口元をナプキンで拭いとる。
「此度のご活躍に相応な御礼をなさっているまでです。ゆえに人間殿たちは心ゆくまで晩餐をお楽しみくだされ」
彼の食事作法には自然と視線が吸いこまれてしまう。
乱雑に料理に運ぶ少年少女とは比べ物にならぬ清淡さがそこにはあった。
正した姿勢からなにから。ナイフフォーク等の食器の扱いかたまですべてが作りこまれた精密機器であるかの如し。
「戦闘に参加していただいた他の兵、冒険者たちにも相応の褒章をだしております」
堅苦しいようで、紳士。月下騎士団長の格と質はかなり高い。
その実、夢矢の引け目に対しても楽しんでほしいという言葉を真っ直ぐに伝えている。
だからといって乗せられる船にふんぞり返る性格かといえば別の話。
「そ、そうなんですか……。でも僕らときたらあれくらいのコトしかしてないのに……」
むにゃむにゃ、と。歯切れの悪い夢矢に暴風が舞いこむ。
白裾をわぁ、とたなびかせながら指がパチンと乾いた音を奏でる。
「はっはァ! 古今東西、金とは巡るものだ! 俺たち如きいち個人は貰えるものを貰っておけばいいだけさ!」
「おいこら。お前なんもしてねーだろがい」
ミナトの切れ味鋭いツッコミでさえなんのその。
東は突きだしたワインをくゆらせてぐいっ、とひと息に飲み干す。
「今回の功績はチームの手柄だ! つまり勝利を分かち合うということだな!」
「クソッ……コイツ! モノは言い様を極めてやがる!」
「いまごろ冒険者たちも都の酒場で浴びるほど酒を喰らっていることでしょう。ここにおられる方々とまるで変わりません」
ともあれ一時危機を迎えた聖都だったが平穏をとり戻す。
あれだけの騒ぎだったというのに重軽傷は数名。なんと死者0名というのだから有終の美を飾ったといえよう。
なにより治療ではなく治癒を強制する魔法があるというだけでもかなりの数の命が救える。民のほとんどが魔法を扱えるということも死傷者がでなかった要因だった。
ミナトは率先してひょいと分厚い贅沢肉を頬張る。
「それにオレがぶっ倒した大型の御礼も混ざってるんだろ。ならここにいる全員ぶんオレの奢りだってことにすれば良い」
噛み締めるとスパイスの香味と肉の脂がじゅわっと湧き立つ。
良い肉であることは間違いない。そしてこれを調理している者もおそらくは伝説級のスキル所持者。
「あははっ。ミナトくんにそれをいわれちゃうと観念するしかないよね。ありがたくおもてなしを受けさせて貰おうかな」
と、根負けしたように夢矢が食器をもち直す。
直後に狙った皿から赤身と火入れの美しいローストビーフが1切れ、旅立つ。
「そうだぜ! いくら料理は逃げねぇっつってもぜんぶ俺の胃袋に避難しちまうかもしれねぇんだからな!」
横ではジュンが肉料理のみをたいらげ済みだった。
その上、無差別に肉を奪うマシンと化している。
「あー!? それ僕のお肉じゃないかぁ!?」
「お肉様もおありがたく食べてくれるヤツの胃のほうが良いってよ! うだうだいってねーで食っときゃ見放されなかっただろうになぁ!」
「わかったよ食べれば良いんでしょ!? あとジュンはお野菜も食べないとダメだからね!?」
そんな気の抜けたやりとり繰り広げられ柔和な空気に満ちていく。
船員たちは思わずと感じで吹きだしそうになってしまう。
久しぶりの平和に、満面の笑顔があふれていた。
なにも気負わず、何者にも侵されず。ただこの時間を友と語らい楽しむだけで良い。
ある意味で人間たちにとっては初めての経験だろう。
この大陸世界ではじめに触れる心の安寧なのかもしれない。
「はわわわぁ♪ 特盛りあんころパフェだぁ♪」
人間たちと少し離れた個人用の卓に特盛りパフェが添えられた。
あちらではメロメロになった乙女の視線が甘味に釘付け。
うきうきのヨルナの前には、とりどりのフルーツとあんこが山盛り。それとたっぷりの白玉と生クリームたっぷり積まれている。
「はぁぁ~……幸せすぎて成仏しそう……」
甘味に頬を押さえながらうっとり眦を垂らす。
ハートの浮いた眼を宙に泳がし、舌鼓を打つ。
彼女こそ今作戦での立役者だろう。大金星を飾れたのはヨルナの活躍あってこそだった。
それどころかミナトにとって巨悪を打てたのは仲間たちの功績としている。だからこそ今宵の報酬は真っ当なのだ。
そうしてミナトが成仏しかけている幽霊を遠巻きに眺めていると、骨身の浮いた肩に手が添えられる。
「おいお前あんな美少女と出会っているどころか身体に宿しているなんて聞いていないぞ」
なんだかんだと隠し通せていたのだが、ここが分水嶺。
ここまでバレたのであれば隠す必要はない。
「恥ずかしいからバラすの止めてくれって口止めされてたんだよ。ああ見えて男に免疫が皆無なんだとさ」
ミナトは肩に覆い被さる手を埃のようにぱぱっと払う。
しかし払われたほうは微塵も気にした様子がない。
「レィガリア殿曰く彼女は元伝説級の鍛冶師らしいな?」
「本気で怯えるからいい寄るなよ。はじめはオレも全力で逃げられたんだから」
「ふむ……神域のヨルナ・E・スミス・ベレサ・ロガーか」
……興味深い。東は、ミナトの軽口にさえ意に返すことはなかった。
神妙な面持ちで熱の籠もった視線をあちらへと向けるだけ。
ヨルナの存在が周知されたところで――ヨルナが羞恥する以外――とくに差し障りはない、はず。
船員たちの数名がはじめは幽霊という言葉に戸惑っていた。しかしすぐに慣れるだろう。
なによりヨルナ自身がそれほど嫌われるタイプではないこともあるし、ミナトもしばらくはブルードラグーンへ合流することはないのだから。
「ところでよぉ……卓の中央に堂々と置いてあるデッケぇ卵ってなんだ?」
(区切りなし)




