187話【VS.】界狭に巣食う深淵 アンレジデント《UnResident》 5
得てして予感というモノは悪いほうにのみ働くもの。もし杞憂であれば事もなし。
しかし敵の巨体が再動作をはじめた直後に予感は実感へと変わってしまう。
『……ケ……ケ、ケ……ケ……』
聖都に途切れながらの雑音が響き渡った。
それは古めかしいスピーカーを通して聴こえる女が啜り泣くが如きノイズ。
同時に敵は体内から最後の足の精製を完了させる。肉を裂くように飛びだした脚部は鉄を継いで接いだ歪な形をしている。
元より華奢で雑。巨躯を支えるのでやっとといったところ。足先が見事に敷き詰められた石畳を穿つたび巨体がポンコツの如く左右に傾いた。
変化前のほうが幾分かマシ。しかし見る人間によっては変化後のほうがおぞましい。
「やっぱりそうだ! アイツは負傷した箇所を復活させることで同時に進化をしているんだ!」
突き進むミナトの横にヨルナが併走する。
彼女の身体能力であれば追いつくことくらい容易だ。
「あれのどこが進化だっていうんだい!? 見てくれも雑でバランスも悪いし、どう見ても退化じゃないか!?」
「こっちの世界しか知らないからそう悠長なことをいってられるん――……っ!」
ヨルナにいわれてはじめて脳に電流が疾風る感覚を覚える。
――生物から機械だと? なら……これはヨルナのいうような退化なのか?
情報が散らばり錯綜しすぎていた。
ただこのアンレジデントと呼称される敵はいままで戦った魔物とどこか異なっている。
人は、この敵が本能に恐れてしまうなにかを有している。そんな気がしてミナトは足を止めるわけにはいかなかった。
「テレノア!」
ミナトは聖騎士を指揮するテレノアの元へ滑りこむ。
すると彼女は髪を流して銀燭の瞳でこちらを捉えた。
息を荒げるミナトが到着するとぎょっと驚いた顔する。
「……っ!」
するとなぜか顔を背けるような動作をした。
しかしテレノアは再びミナトに向き合う。
「み、ミナトさん! ダメです危険ですから下がっていてください!」
しかしこちらとて危険を承知でここまで走ってきたのだ。
だからおいそれと引くわけにはいかない。
「敵が負傷箇所を進化させている可能性がある! 闇雲に四肢を落とすのは危険かもしれない!」
「なんですって!? でもどうしてそんなことがわかるのですか!?」
「わかるわからない以前の問題だ! もしそうなったら敵はどんどん強くなっていくから最悪だってことだよ!」
しばし2人の間に沈黙という静寂があった。
普通であれば世迷い言と流されてしまっても可笑しいことではない。
しかし少年と少女の関係性には、幾たび生き残ったという確かな信頼が生じている。
「聖騎士隊は1度攻撃を中断してください! 敵の動向を見ることに注力を!」
テレノアの判断は早かった。
驚き竦む表情から即座に凜と張り詰めて指揮を執る。
前後衛と別れて攻撃していた聖騎士たちも即刻攻撃を中断した。彼女の指揮に異を唱える者はいない。
その直後だった。この判断が功を奏することになる。
『ケ、ケケケ、ケ……ケケ……ケェェェェェ!!!』
おぞましき悲鳴が大気を大きく揺さぶったのだ。
音波による衝撃は鼓膜を通り抜けて脳を揺さぶってくる。周囲に群れる観衆たちも慌てて耳を抑え目を瞑った。
敵は仰け反るようにしながら上体を反らす。喧しい絶叫を上げながら傷口がメリメリと引き裂かれていく。
余分な外殻を割り黒い粘体を巻きながら奥から無数に飛びだす。肩、射貫かれた脇腹、そして大鎌の両手。それらすべてが脱皮するかのように新たな機構を生みだす。
そして新たに生え伸びた腕部がいままでとは比類にならぬ速度攻撃を開始する。
「数だけ増やせば捕まえられると思ったのなら浅はかという他ないわね」
対象となったのは、光を携えたフィナセスという女性騎士だった。
彼女は伸びてくる6の腕をものともしない。蠱惑な笑みを浮かべて待ち受ける。
「フフン! 私にお熱になるとはなかなか見る目があるわ!」
それからひらり華麗に見躱していく。
四方八方から襲いくる黒き鋼の腕を躱し、潜り、越え。縦横無尽かつ美しい所作で掻い潜る。
しかしおぞましきかな2爪のついたアームは早々に彼女を追うことを止めた。
そして次に狙うのは聖騎士たちですらない。もっともはじめに戦闘で疲弊した冒険者たちだった。
巨躯から繰りだされるのは素早くかつ精確な6本の腕である。
「腕を巧みに使って俺たちを捕まえる気だ! 絶対に捕まるんじゃないぞ!」
「魔法壁で行く手を阻むのよ! 逆に私たちが囮になって聖騎士たちを援護するわ!」
これにはたまらずと冒険者たちは算を散らすよう逃げ惑う。
魔法と矢の応酬だった。しかし元より効かないことは嫌というほど理解しているはず。
『ケ、ケケケ、ケケケケ!!』
まるで暴走した工業重機。
アームを振るうたび全身の関節を悲鳴の如く軋ませる。
種族たちに漆黒の腕を振るう。細く歪な足が歩むたび聖都の大地に傷を残していく。
「ひっ……!」
そしてついに腕の1本が1人の少女を捉えた。
彼女は身に余るほど巨大な2つの爪によって全身を挟まれる。そうして毟られるように足が地上から離れてしまう。
「後衛の1人が敵に捕縛されたぞ!」
「クッ! 未熟者が前線にでるなっていったじゃないか!」
「それは違う僕は遠巻きに観察していた! 敵の目的ははじめから僕たちの撹乱で後衛が主目的だったんだ!」
冒険者たちは少女の捕縛された腕に攻撃を集中させていく。
しかしやはり通常の魔法や攻撃ではまったくといっていいほど効くことはない。
そうしている間にも2つの爪の幅が駆動音とともに狭まっていった。
「い”ぎ”――あ”が”あ”あ”あ”あ”!!!」
全身が丸ごと強制的に圧迫されていく。
いまや少女の姿は見えず。それでも2枚の鉄板の隙間から金切り声だけが木霊した。
『ケケ、ケ……ケケケケケケケ!!』
ノイズ入りの女の声が悦楽を謳うが如く響き渡る。
執拗なまでに命を脅かす。もてあそぶよう掲げた少女をゆっくりと締め上げる。みちみちと肉を押し潰すように圧殺を試みる。
まるでなかに邪悪でも乗っているかのよう。意思を持って広場に死を知らしめようとしているみたいだった。
「《聖剣》、《強化付与》」
絶望の光景に白き閃光が横切った。
フィナセスは敵の腕を伝いながら足下を光の剣で刻んでいく。
細切れのガラクタとなった腕から落ちる少女を宙で受け止める。
しかし敵も逃さぬとばかりに余った手で2人を追う。
「しつこいわね!」
すかさず剣を手放す。魔法矢の射出可能な機械弓を装備し直した。
コンパウンドクロスボウの射出口には赤い魔法のディスプレイが張り直されている。そこへ矢が貫通することで魔法が自動で付与される。
しかし難点があるとするなら1本限りということ。強力であるが故コッキング――引き切るという動作が必ず求められるため連射は不可能だ。
「まずっ!? 数が多すぎてどの腕を狙うべきかわからないかもぉ!?」
5本の腕がほぼ同時にフィナセスと少女に迫っていた。
しかし身は空中にあり、片腕に気絶した少女を抱えているため攻撃手段も乏しい。
そうして狙いが定められずにいるうちに5本の腕がいっせいに襲いかかった。
「……ふぅぅ」
だが、そう簡単に最高戦力を失ってたまるものか。
蒼い閃光が鞭の如くしなりながらフレクスバッテリーへと巻きとられていく。
ミナトはワイヤーを打ちこみ少女とフィナセスのどちらもをこちら側へと引き寄せ救助した。
「あらやだ大胆っ! こんなに情熱的なアプローチはじめてかもっ!」
フィナセスは、腕の中で丸くなっていた。
そうしてぱちくりと、丸く目を瞬かせる。
「とはいえ私の美貌を手に入れたいのならもっと紳士的かつ利己的じゃないとちょっとなびけないわよねぇ!」
横たえるような姿勢でくねり、くねり。身をよじった。
死の淵にいたはずなのに存外余裕があるらしい――……騎士としてはどうかと思うが。
ミナトは無視してちらりと横目を配る。
と、そちらではヨルナが瀕死の少女を受け止めていた。
「その子は無事か?」
「息があるからギリ間に合ってるよ! あとは治癒魔法をかければなんとかなるはず!」
「ではそのかたはこちらで引き受けます! 手に余裕のあるかたは彼女を遠くに運び急ぎ治療をお願いします!」
テレノアが指示すると聖騎士のひとりが少女を抱えて戦場から遠のく。
どうにか死なせずに済んだが、これでは堂々巡りを避けられそうになかった。
ミナトは地鳴りを響かせこちらを向く巨体へ憎々しげに舌を打つ。
「あの野郎……! せめて弱点の1つでもあれば……!」
「弱点? あるわよ?」
独り言に答えが返ってくるとは思うまい。
ミナトは一瞬虚を突かれながらも腕に抱えた美女を見下ろす。
フィナセスは尖らせた唇に指を立てて添える。
「それにしてもアイツ……コアが露出してないのよねぇ? このパターンはちょっとはじめてかも?」
さすがにこれを聞き逃すわけにはいくまい。
ミナトは抱えた美女にむかって露骨に眉根を寄せる。
「核? なんで敵にそんな都合のいいものがあるってわかるんだ?」
「コアというか……目玉っていえばいいのかしら? 少なくとも私が百数年前に戦ったアンレジデントならそこを狙えばやっつけられたわよ?」
フィナセスは訝しげな問いにさも当然とばかりに頷く。
どうやら嘘をいっている感じではない。だとすれば本当に弱点が存在することになる。
「だらか私戦闘開始からずっと目ん玉を探してたのよね。でもざっと見た感じ表面にはどこにもついてないの」
「……核がない個体だって可能性はないのか?」
するとフィナセスは首を左右に振る。
「コアがアイツらの力の源で外殻を形成しているはずだからそれはないはずよ。だからきっとどっかに隠していると思っているのだけれど……」
この情報は寝耳に水もいいところだった。
しかし思い返してみれば得心がいくというもの。
そういえば、と。聖騎士たちの魔法矢射撃も当てずっぽうだったではないか。
――あの時聖騎士たちは核を探して狙っていた。
見落としがあったとするならこの世界であの異形ははじめてではないこと。
当然ミナトははじめてである。しかしこの長寿世界では過去に経験している者もいるのだ。
――しかも核の形は目玉……か。
ようやく方針が定まっていく。
ミナトは片膝をついた姿勢で美女を抱えたまま己の額に拳を添える。
――そうなるとあと必要なのは敵の殻すら破る必殺の1撃を……2回。超精確に弱点へぶちこめばいい。
ここで必要な工程が出揃う。
脳が情報という栄養を蓄えきってフル回転をはじめた。
フィナセスは熟考するミナトの頬に指をつんつん押しつける。
「もしもーし? 居心地いいけどそろそろ美女は起き上がっちゃいますよー?」
しかし極限の集中を前にそのていどの茶化しなんてものともしない。
「よし」
「おぉ? やっと動きだしたわね?」
ミナトはフィナセスを解放すると静かに立ち上がった。
そしてヨルナ、テレノアと順番に視線を巡らせる。
「全員集合だ。ここからは単身じゃなくチームでいくとしようじゃないか」
掌に拳を叩きこむ。
少年は死を嘲ることをしない。
「ジャイアントキリングと洒落こもう」
ゆえに死神は笑わない。
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