174話 幽霊少女との友情《Dance with Ghosts》
ミナトがヨルナに向けるのは紛うことなき軽蔑の視線だった。
信頼していたからこそ裏切られたときの揺り返しはこうも強い。
死闘をともに乗り越えたからこそ培った友情もあったはず。それでもミナトはこの件をおいそれと許すつもりはなかった。
「あ、あんなことになるとは思わなかったんだよ! それに僕にも報告する義務があったし……君の命まで奪う事態に発展するなんて……」
ヨルナの語る言い訳から徐々に語気が失せていく。
それをミナトは表情ひとつ変えぬまま。真一文字に口を結んで返すさえしない。
「…………」
「……あ」
ヨルナは伸ばしかけた手を止めた。
力を失うようにしながら言葉のすべてをとりさげる。
俯きがちに前髪の奥へ表情を隠す。震える手をぎゅうと腰の横辺りで結ぶ。
「……ごめんなさい」
頭を垂らして呼吸を刻む。
ようやくといった感じで吐きだせたのは、ひとことのみ。
軽蔑と失意を浴びて唯一絞りだしたのは、純粋に己の非を詫びる言葉だった。
「僕から君に伝えられる言葉はこれだけだ……。君を死地に追いやった僕には君に対して許しを請う権利がない……」
身体は竦み力んでいるせいで肩が上がってしまっていた。
声はいますぐにでも泣きだしてしまいそうなほど。小刻みに震えている。
目測はどうあれ結果としてミナトを裏切るという行為に発展した。ゆえにここが縁の裾。信頼とは崩れるときはかくも脆い。
「あはは! そ、そうだよねごめんね! あんなことしておいてまだ友だちとか虫のいい話しすぎるよね!」
そうやってヨルナは誤魔化すみたいに手を振った。
見られたくないのか顔を上げようともせず踵を返しかける。
「いや別に謝ってくれるならそこまで尾を引く話じゃないけどな」
「ほ、本当に急に現れちゃってごめんねっ! 僕すぐ消えるからさ邪魔しちゃって――……え、いまなんて?」
ハッとした感じで前髪が浮く。
同時に濡れそぼった瞳が見開いた。
滲んで黒耀色をした視線の先では、ミナトが腕組みしながら眉を傾げている。
「だから謝ったのならもうそれ以上責めたりしないさ。あとなんで泣いてるんだ?」
ヨルナは2回ほどぱちくり丸くした目を瞬かす。
「いいの? 僕あんなことを君にしちゃったのに……許せるの?」
「それはまあ……さすがにはじめは絶交するつもりだったけどさ。あの場でヨルナだけは最後までオレを死なせないようにしてくれてただろ」
事実、ヨルナがいなければ巻きこまれることはなかった。
事実、ヨルナがいてくれなければ確実にあの場で殺されていた。
そう簡単に許すつもりはなくても、謝ってくれるのなら水に流す。なぜならあの四面楚歌の場面で唯一味方でいてくれたのは彼女だけ。エルフ国女王をあの場に召喚してくなければ首と胴はとうに別れていただろう。
ミナトは固まったまま動かないヨルナの頭にぽんと痩せぎすの手を添えた。
「だからそれでチャラだ。もしそれでも気が済まないっていうのなら」
「……いうのなら?」
きれいなオウム返しだった。
うるうると揺れる瞳が愛らしい。上目がちな表情には不安がいっぱいに滲んでいる。
直後にミナトの大脳に落雷の如き衝撃が疾走する。
――でもちょっとイラッとしたのは本当だし……久しぶりにあれやるか。
卑しげな目端で眼光が鈍く光った。
いっぽうヨルナのほうは気が気ではない様子。
沈黙のなかでも落ち着かない感じでうずうずうと腰を揺らしている。
「もしオレがぜんぶを許したら……」
「ゆ、許したら……?」
「ヨルナはオレになにをしてくれる!?」
そしてミナトが導きだした最終結論は、人任せ。
「えぇ!? 僕が決めるの!?」
彼女が戸惑うことさえ予想のうち。
ミナトは構わず圧を強めて結論を急がせにかかる。
「それが誠意ってヤツだ! 反省しているのか決めるのはヨルナのこれからしだいだな!」
この方法は秘技だった。元は同居していたチャチャという姉的な存在に使用していた技。
だが今回は違う。ヨルナは家族というよりあくまで友という括りの仲である。しかもそこそこスタイルも良く顔もキュート。
この方法は報酬を相手の価値観に託すというもの。つまりこちらの想像を上回るなにかを得られるかもしれない。
ミナト的にはそんなものなくても実際のところもうすでに許している。が、なんかしてくれるならしてもらおうというずる賢い魂胆があった。
「え、えとえと、僕に出来ることならだいがいは……するよ?」
「なにぃ!? もっと明確にしてくれないかなぁ!?」
鬼の首をとったように高い位置から詰めかかる。
そうするとヨルナは目に見えて狼狽、もとい混乱をはじめてしまう。
「ぼ、ぼぼ、僕に出来ること!? 僕がミナトくんに――あわっ!? あわわわわ!?」
こうなるともうパニックであろう。
許してもらいたい、でも恥ずかしい。その揺れ動く振り子の幅が悪意ある謀略によってどんどん大きく揺さぶられていく。
まともな精神状態を奪われた者の末路は、冷静な判断を失うもの。実際ミナトもチャチャを1晩抱き枕にするという報酬を得たことがあった。
そして謂れなき罪を仕向けられた幽霊少女もまた末路へと収束を開始する。
「つ、疲れたときに膝枕をしてあげるとかでどうかな!? そのっ、恥ずかしいけどっ……がんばってみるからぁ」
両目はぎゅうと瞑り羞恥の涙が浮かんでいた。
顔色も茹だったかの如く真っ赤で、言葉尻なんて蚊の鳴くほどに小さい。
膝枕ていどでここまで決死を奮う辺り初心なヨルナらしい提案だった。
ミナトは、こくり。十分な成果を確認して大きく首を縦に揺らす。
しかし踏ん切りのついたヨルナはそこで止まらなかった。
「あ、あと! 僕も付き合ってあげる!」
「付き合うのかッ!? どういう流れでそうなったッ!?」
両手をぐっと握りしめおもむろに白い足で1歩踏みだす。
みずみずしく濡れた瞳でミナトを見上げると声高々に宣言する。
「うんっ! 君が半年後に必ず勝つためなら全力でがんばってなんでもするっ!」
「そ、そうかなんでもしてくれるんだな!? さすがに友だち相手にそこまでは望んでないぞ!?」
責めるはずだった側が逆に追いやられていく。
どうやらヨルナは羞恥の向こう側に辿り着いてしまったらしい。
興奮したかのよう鼻息ふんふん荒げながらミナトにずいずい詰め寄った。
目と鼻の先まで端正で中性的な顔が近づく。距離が詰まると女の子特有の甘い香が鼻腔に広がる。
「で!? 僕はいまから君の信用をとりもどすためにどんなことをしてあげればいいんだい!?」
「ならまずは1回離れろ!? もう許したからイジワルをしたオレが悪かったから!? とりあえず冷静になって話し合おうじゃないか!?」
純真無垢を欺いたバチが当たった。
そもそもが初心なのである。それなのに無情にからかったせいで暴走をはじめてしまう。
そしてミナト自身も未だ純真。決して色恋に浸れるほど豊かな世界で育ってはいない。同居人のおかげで女性に慣れているとはいえ、限界があった。
「メイド服を着て君専属のお茶くみにでもなれば気が済むのかい!? それとも毎朝耳元で優しくおはようって起こせばいい!? なんだってやってやろうじゃないか!?」
「もうなにもしないでいいっていってるだろ!? っていうか以外と乙女っぽい引きだしもってるんだな!?」
「そりゃそうさ! こっちは数十年かけてあの丘でぼんやりしてたんだからラブロマンス的な妄想の1つや2つくらいしてて当然でしょ!」
仲直りムードどころか喧々諤々だった。
これだけヨルナが前向きということは相当謝りたかったのだろう。木の上で静観していたときも機会を見計らっていたのかもしれない。
有耶無耶なのはさておくとしてこれで2人の友だち契約は再更新されたのだった。
そして事態が丸くおさまると次の課題が見えてくる。ニコニコ顔で一部始終を眺めていた者が白裾を揺らして動きだす。
「それじゃあずいぶんとお時間がかかってしまいましたけど、早速ヨルナを憑依させてください」
「……へ? まだやるの?」
ミナトは素っ頓狂な声を漏らした。
白くふくふくとした頬を緩めたリリティアの笑みが満面と華やぐ。
「へ、じゃなくて修行のつづきをやるに決まってるじゃないですか。休憩時間が無駄に長かったんでそのぶんしっかりやりますから」
否。いまそこにいるのは、鬼だ。
少なくともミナトの目にはとても恐ろしい人成らざるモノを映す。
「い……いつまでやるの? 実はオレもうけっこうくたくたなんですけど?」
「貴方の肉体がヨルナの繊細な動きを完璧に覚えるまでですっ♪」
それはもうみっちりと。そういってリリティアは影で笑む。
その言葉が嘘ではないと。ミナトが知るのに5分とかからなかった。
しばしの間、密林には剣戟と情けない男の悲鳴が鳴り止まなかったという。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆




