173話 剣なんて使えない《Sliver Light、White Sword》
鬱蒼と茂る密林の葉が川のようなせせらぎとともに揺らぐ。
数多くの命が実り、そして朽ちていく。自然の輪廻は人の一生より儚く、雄大な螺旋を描いている。
ここはルスラウス大陸南東。エーテル国領地の橋の端。
大陸種族であるなら知らぬものはいないという屈強な魔物の温床なのだとか。
そんな劣悪な環境――誘いの森と呼ばれる地にて銀光が朝の静寂を切り裂いた。
「剣はひと繋ぎの線です。そして型とは河川の如きうねりや曲がり。それらを脳ではなく身体に覚えさせてください」
くるり、くるり。白裾が華やぎ剣が舞う。
踊るような体捌きに付随して白く長い几帳面なスカートが傘のように開く。
流麗でいて苛烈。一見すれば美しく舞い降りた白鳥が羽根を広げたかのようだった。
しかし本質は、燐舞曲。優雅に舞うたび銀の剣身が瞬く間に10の軌跡で空気を薙いでいる。
「ハァ、ハァ、ハァ……――ッつぅ!?」
流麗な武技に対してこちらはどうだ。
蛸の踊りか、はたまた砂で遊ぶ雀か。社交場ではじめて踊る老人の如き様は、無様極まりない。
必死で長尺の剣を振るう。と、身体が傾いて足がよろめきたたらを踏む。
「おぁっ――だうッ!?」
そうしてまた半回転して地べたに倒れ伏す。
完全な力負けだった。剣の重みに身体ごともっていかれていた。
そもそも剣をまともに構えることさえ難しいのだ。これでは鉄球をぶん回しているようなもの。
「はじめは模倣することに集中しなくても良いですからね。ただ、私の動きを身体が覚えるようついてきてください」
「ついていくだけでこれなんだから無茶苦茶いうなよぉ!? なんでその細腕でこんなバカ重い鉄の塊をぶん回せるっていうんだぁ!?」
それでもミナトは、荒く咳きこみながらへろへろの身体を揺り起こす。
すでに気合いの領域である。早朝鍛錬初日開始直後にしてすでに汗と泥の境界がわからないほど。全身がべたべたのざりざりになってしまっていた。
「クソ! 龍だかなんだか知らないが人の意地見せてやる!」
己を高く見積もっていたわけでも、舐めてかかっていたわけでもない。
それでも予想を3段跳びで超えてくる。
ミナトは剣を握り直す。しかし構えただけで足下がふらふらと覚束ない。
「ハアアアアア――あっ!」
そうして力のままに振るうと、剣の重みに負けてそのままスッ転んだ。
師であるリリティアは、無様な弟子を前に小首を傾げる。
「んー……予想以上のへなへなさんですねぇ? このていどの重みに耐えられないとはちょっと予想外です?」
ふっくらと柔和な頬に指を添えてむむ、と唇を尖らす。
こちらが泥まみれだというのに汗1滴として浮かべていない。汚れやすい白いドレスでさえ純白を保っている。
「ゲホッ、へなへなですみませんねぇ!? でもこんなの振り回すなんてバッキバキのシックスパックでも無理だと思いますけどねぇ!?」
ミナトは情けない姿のまま喧嘩腰になって眉を吊り上げた。
そもそもが長い鉄なのだ。身体の出来が異なる人の身にはどうあっても重しでしかない。
するとリリティアは、なにかを思いついたようにコクコク頷く。
「貴方は腕の力で剣を振っているんですね。そんな雑な扱いをしては身体が右往左往するのも当然です」
ぴん、と。おもむろに良くしなる指を1本ほど立てて反らす。
教鞭をとるように弧を描くよう指を振る。
「剣は全身で振るんです。腰や身体の可動部位などのしなりや流れ、それらすべてを剣に集約するのが剣の技、剣技です」
――まるで名人様みたいなこといいだしたな……。いや実際に名人なんだろうけども……。
ミナトは身を起こしながら農夫着についた濡れ葉を払う。
師の助言を聞いてもなお理解に及ばない。汗まみれの黒い頭を横に傾げて困り果ててしまう。
「そもそもレベルに差がありすぎるんだよ。龍の膂力をもつリリティアにとって簡単なことでも、こっちにとっては激務なんだ」
「あら? ずいぶんと早い弱音さんですねぇ? これくらいならヒュームの女性でも出来ることですよ?」
「じゃあソイツはヒュームじゃなくてゴリラだよ……」
リリティアはじっとり目を細めると、不貞の弟子を斜めに見下す。
それからおもむろにやれやれと華奢ななで肩をすくめて三つ編みを揺らす。
「はぁ……まったくしょうがないですねぇ。ならミナトさんは私の動きを見てコツを覚えてください」
とっぷりと吐息を吐いてから剣を細身の横に構えた。
「大切なのは巻きを切断するみたいに振ることではなく、対象を撫でることです。そして剣は常に一筆書きを描くんですよ」
では。そう言ってリリティアはミナトに横目をくれてから呼吸を整える
そして銀光をまといながら再び舞いを開始した。
男が汗だくになるほどの鉄塊をまるで紙筒であるかの如く奮う。
ひと振りは空を裂く。首を撫で切る重く鋭い風切り音が鋭さを証明した。
「フッ! ハァッ!」
まるで己の腕であるかの如く剣を操る。
その研磨された舞いは控え目に見ても美しかった。
ミナトは思わず疲弊と呼吸を忘れて目を奪われる。
「すっげ……」
とはいえやはり目の前にいるリリティアという女性と同じことが可能とは思えずにいた。
剣はゆうに2kgはあろうかというほどで、鉄塊に等しい。しかも刃渡りは1mにも及ぶのだから鉄骨のようなもの。
それを風が舞うが如く振り回す。くるりくるり。まるで情熱的でありながら品を呼ぶタンゴの調べ。
――……ん?
そうしていると彼女のスカートがふわりと幾度となく翻ってめくれ上がる。
白いタイツに覆われた細い足が8分目まで晒されることも、しばしば。
――……もうちょい、もうちょいで……。
ミナトは斜めに身体を傾け目に邪気を宿す。
検分するかの如く眦を引き締め紳士たる視線を師に向ける。
リリティアがどれほどの傑物であろうが美しいことには変わりない。白く透き通るような肌も、温和そうななかに隠す冷徹な一面も。それらすべてが彼女を魅力的に彩っていた。
ゆえにミナトも男。見えないものを見ようとするのは、どうしようもない男の性だった。
執念に視線を集めていると、唐突に終わりがやってくる。もう少しといったところで浮いた百合の花弁の如き裾がひたりと沈んでしまう。
「貴方はいまどこに注目しました?」
そう問われてまともに答えられるはずがない。
パンチラを見計らってました、なんて。口にだした瞬間に首が雑草の上にごとりと落ちかねない。
ミナトは、なにごともなかったかのように姿勢を正す。
「パン……いや、体ですかね?」
「体捌きに着目しましたか。それならいちおう及第点ですね」
思わぬ高評価だった。
それととりあえず嘘はいっていない。
舞いを終えたリリティアは剣を腰の鞘にすらりと戻した。
「では、私の体をみてどう思いましたか?」
「う、うーん……すごく柔らかそうだな、と思いました」
ミナトは視線を逃がす。
嘘はいっていない。言葉を選んだだけ。
するとリリティアは女児の如く不十分な胸の辺りで手を打つ。
「案外見こみがあるじゃないですか! 節々の柔軟さに気づくとはとても良い観察眼をお持ちですよ! おかげで私もちょっとやる気が湧いてきました!」
密林のなかにぱぁっと無垢な笑みが咲く。
弟子の隠れた才能にふんだんな笑みでもって称え謳う。
同時にミナトは「お、おぅ……」己の不埒さに罪悪感を禁じ得ない。
初日目だというのにここまで経験という実感が湧かないとは。懸念もあってか先行きの不安で集中力さえ欠きつつあった。
――本当にこんなので強くなれるのかぁ……?
思わず剣をぶら下げていないほうの手が額を叩く。
別に師のせいというわけではないが、どうにも強くなれている気がしない。
「……ふぅん?」
そんなミナトを金色が捉えながらが瞬いた。
リリティアは薄く淡い桃色の唇にちょんと指を添える。
しばし雑木林の天蓋を仰いでから「ならこうしましょう」指を鳴らした。
そうしておもむろに頭を回して斜め上のほうを仰ぐ。
「ヨルナ。ミナトさんにとり憑いて私とかかり稽古です。貴方もこちら側なんですから少しでも協力して下さい」
呼ばれた先には、なにもいない。
ただ太い幹から腕の如く伸びる枝が1本あるだけ。
しかしその透明な空間から声が響いてくる。
『それやってをどうなるんだい?』
「直接ミナトさんの身体に動作を叩きこんで慣らします。相応の実力があってヒュームと人の垣根もそう大きくはありませんから」
リリティアの視線の先で揺らぎが生した。
揺らぎはじょじょに波打つように大きくうねり形作る。
やがて枝の上に座る黒い髪をした少女の姿を作りだす。
「貴方もそんなところでミナトさんの修行風景を見守っているのです。そもそも協力してくれるつもりだったんじゃないですか」
姿を現したのは、ヨルナだった。
木の幹に背を預けながら頭の後ろに手を組んでくつろいである。
どうやら話を聞くにずっとそこにいたらしい。
「べ、別にミナトくんのことを見ていたわけじゃないさ。ただなんか面白そうなことしているから眺めてただけだよ」
「ならどうして姿を隠していたんです? しかもそこって周囲に魔物が現れてもすぐ発見して飛びだせる絶好の見張り場所ですよね?」
リリティアへの返答はなかった。
ヨルナは身じろぎひとつせず顔を背けている。
若干ほど耳の辺りが暮れ日色を灯しているように見えなくもない。
「……ごめんなさいは遅くなるといい辛くなっちゃいますよ?」
「わかったわかったよ! 確かに心配だったから気にかけていたのは認めるよ!」
リリティアの言葉がトドメだった。
ヨルナは、太ももの裏で枝を挟んで逆しまになった。
くるり、と。宙で1回転を決めながら5メートルはあろうかという高さからひと思いに降りてくる。
「うげっ……裏切りものの悪霊女だ」
ちょうど着地をした彼女のすぐ横には、憤怒を滾らすミナトが待ち受けていた。
ヨルナはミナトを視界に入れた瞬間びくっと身体を震わせる。
「うぐっ!? ま、間違ってないけど……そんないいかたしなくても……」
「じゃあ人の魂を喰らう魑魅魍魎だ」
しかしこちらにも怒る権利があった。
そもそも彼女がチクリを入れなければこのような事態に陥っていないのだから。
ミナトは目すらあわせようとしない。彼女に向かって送るのは静かで確定した怒りそのもの。
「よくもまあオレの前におめおめと姿を現せたもんだよな? 半年後に死ぬかもしれない滑稽な人間を笑いものにでもしにきたのか?」
声をむやみやたらに荒げるようなマネはしない。なぜならこれは彼女に対する失望を意味している。
裏切られたのだ。信じていたはずの友によって死の淵へと落とされていた。
「言い訳があるならなにかいってみろよ」
(区切りなし)




