170話 寿命まであと170日《The Half Year》
――うーん……気まずい……。
屋内に移動してまずミナトを襲ったのは、肩身の狭さだった。
住居として与えられた家がボロということもある。ほどほどに清潔にしてはあるがどうにも不相応極まりない。
薄汚れた年季テーブル越しには、エルフ国女王がちょこんと座っている。
リアーゼ・フェデナール・アンダーウッドは、興味深そうにぐるぅりと煤けた屋内を見渡す。
「なかなか清潔になさっておられるのですね。私、実のところ宮殿などよりこういう自然豊かな環境にわくわくするタイプなのです」
真珠の宝石に似て美しい目を爛々と輝かせた。
きょろきょろと落ち着きがない様子で部屋に目を向け、ときおり笹葉の如く先細る耳をひくひくと振る。
対面に座したミナトは好奇心旺盛な姿に「はぁ……」僅かに安堵を漏らす。
「いまでさえ女王などという席に身を置いておりますけれども、出身は海岸沿いで潮の香り豊かな村でしたので」
なんといってもその美しさたるや。美の化身と言い換えても過言にはならぬ。
ミナトでさえ、彼女は眩しすぎて思わず目が細まった。
「そういえばこうして護衛もなく単身出歩くのはいつぶりでしょう。思わずわくわくと胸が弾んでしまいますねっ」
はしゃぐような声は、精巧に調律されたフルートのよう。囁きでさえ男の意思を容易にねじ曲げるだろう。
椅子に座っているだけなのに絵になるとはまさにだ。弧を描く背は曲線美を極め、肢体は抑揚激しく女性の体そのものを現していた。
しかも愛らしく動作をするたび彼女の着た頼りない布の奥でたふたふと豊かな肉房が波を打つではないか。
「どうかされましたか? 私のお顔になにかついておられます?」
リアーゼはきょとんと首を捻って長い髪を流す。
できものひとつとしてない頬に触れながら晒した白い肩をすくませる。
「いえいえなにもついていない……というか凄いのがついているというか!? あとジロジロ物珍しそうに見ちゃってごめんなさい!?」
視線が下がりかけていたせいで声が上ずってしまう。
ミナトは両手をわたわたと踊らせ誤魔化す。
するとリアーゼは控え目に細白い喉をくつくつ上品に奏でる。
「女王ですものまじまじと見られることには慣れております。エルフが珍しいというのであれば存分に御拝見なさってくださいな」
色々なことを察した上で相手を傷つけぬ究極の対応である。
とてもではないがミナトの太刀打ちできる相手ではなかった。才色兼備。あらゆる意味で住む世界が違う――……そして本当に違う。
とはいえ女王がわざわざこんなあばら家に足を運ぶだけの理由がある。
「それではそろそろ本題のほうに入らせていただきます」
リアーゼはこほんと愛らしい咳をひとつ落とす。
それだけの工程で彼女のまとうほんわかした空気感が一気に引き締まった。
「はい。会議の結論はどうなったのかを聞かせてください」
ミナトも肩頬をぴしゃりと叩いて心を入れ替え姿勢を正す。
女王が直々に出向く。理由なんてここ最近で起きた大きな問題のことで十中八九、違わない。
「先日エーテル国聖城にて行われた審判会議の結果をお伝え致します」
澄んだ声が埃臭い静寂を貫いた。
審判会議。それこそがミナトの運命を定めるために開かれた会合である。
開催された場所は中立を意味するエーテル国聖城だった。
その出席者は、人間を代表する東光輝。エーテル国の代表たるテレノア・ティール、それとザナリア・ルオ・ティール。そして冥府の巫女である。
「ミナト様には、170回ほど日が巡った後に、もう1度棺の間へ赴いていただくことになりました」
「オレがまた……あそこに?」
棺の間とは、先日ミナトが殺されかけた異空間の名だった。
リアーゼからの思いもよらぬ指定に虚を突かれて眉間の刻みが深まる。
「そして貴方には冥府の巫女の凝望するなか、彼女が貴方を生かす理由を提示しなければなりません。つまるところ貴方自身の生死を賭けた決闘を行っていただきます」
白き瞳には一切の曇りがなく、冗句をいっているようには見えない。
ミナトは湿った天井を仰いで肺から深く吐息を吐ききる。
そうすることで――辛うじてではあるが――正気を保てた。
「その決闘とやらに勝てば生き残れるということですね。逆にもし負ければ……」
「我々と冥府の巫女の間に強制させた制約が必ず執行されなければなりません。ゆえに敗北すれば冥府の巫女の手によって貴方の命は輪廻へ旅立つことになるでしょう」
ぞくり、と。美しくも清淡な声に寒気を覚える。
輪廻へ旅立つ。特異な言い回しだが、確定した死を意味する言葉だった。
ここで真っ先に動いたのは、同席したソルロである。
「そ、そんな!? なんとか女王様のご偉功でミナトを助けてあげられないのですか!?」
舌足らずな叫びだった。
ローブのフードをふわりと浮かし、小さな手で卓を叩く。くりくりとした目は赤く、涙が浮いてしまっている。
他人事だというのにまるで自分のことであるかのよう。ミナトに救われた恩を返したいという意思は頑なだった。
しかしリアーゼは、自国の民の叫びに大きな反応を返さない。
長いまつげの影を伸ばし、静かに首を横に振る。
「この制約はあの場にて消えるはずだった命の灯火を延命させる応急な処置に過ぎないのです。そしてこの強行する形となった制約が巫女に受け入れられたこと自体が奇跡に等しいことを忘れてはなりません」
「……っ!」
幼きモノを優しく諭すような声色だった。
一瞬身をすくめたソルロだったが、声を抑え唇を噛むしかなくなってしまう。
巫女との交渉役を担ってくれたのは、女王である彼女だけではない。エルフ国の重鎮たち含め、他からも数々の応援があったのだとか。
そのなかでももっとも矢面に立ったというのは、チームシグルドリーヴァのリーダー――東光輝である。
「それと誤解のないよう補填させていただくと、決闘自体を審判会議に引きだしたのは貴方がたのリーダーを務める御仁です」
御仁、と。耳にしてミナトの脳裏へ即座に浮かぶ顔が存在した。
白い羽織を身にまとう中年、東光輝の立ち姿である。
「東様の説得はとても素晴らしく情熱的でした。そして聖女であるテレノア様と教祖の娘であるザナリア様たちもまた一丸となって冥府の巫女と対話をなさってくださいました。この御三方の協力があってようやく、巫女レティレシアの首を縦に振らせることに成功したのです」
つらつら、と。書き綴るかのよう事務的に会議の様子が語られていく。
するともうすでにミナトは頭を抱えることでしか返しようがなくなってしまう。
――東のヤツなにを考えてやがるんだ!? オレにはフレックスが使えないって決闘!? 丸腰で戦えってのか!?
おそらくそれもまた苦肉だったのだ。
リアーゼの口ぶりから察するに、あの颯爽中年は相当な大立ち回りをやらかしたらしい。
相手はあの山羊角女である。人を見るなり肩口を大鎌で抉る狂人。
東は、そんな相手にも臆することなく立ち向かった。チームメンバーのミナトを死なせぬため躍進してみせた。
そして冥府の巫女レティレシア・E・ヴァラム・ルツィル・オルケイオスを相手に命を拾う。
決闘などというフザケた寿命といえるものを手土産にして、だ。
「テレノア様とザナリア様たちの弁護もまたこの結末へと導いた一因です。あの真摯たる姿はエルフ国の重鎮含め私でさえ見とれてしまうほどご立派でしたから」
女王を前に伏せてばかりもいられない。
ミナトは乱れた髪を直そうともせず乾いた笑みを貼りつける。
もうここまでお膳立てされてしまっては、笑うしかない。
「そうなるとオレは、リアーゼ様とテレノア、それからザナリアにもお礼を言わなければなりませんね」
「私の場合本望なのですからお気になさらないでくださいまし。勇敢な人種族には多くの民を救っていただきましたから」
リアーゼは豊かに盛り上がる胸の布地にそっと手を添え微笑みを返した。
それからミナトが淹れた西洋風ティーカップに口づけし、茶で唇を湿らせる。
「とはいえお話はここからとなってしまうのですが……」
「わかってます。……いちおうは、ですけど」
耽美な表情が僅かに曇ると、ミナトもテーブルに視線を落とす。
東の力で生き残ったとはいえ事態はまったく好転していなかった。いきなり決闘などというわけのわからないことを告げられて目算もクソもたつものか。
リアーゼもそれを理解しているからか、それ以上の言及は避けている様子だった。
ミナトは疲れ切った表情で諦めきったような息を長めに吐く。
「冥府の巫女の目的は、そもそもオレの命を奪うことじゃないんですよね?」
まずは状況の整理がしたかった。
冥府の巫女がミナトの命を狙う理由は別にある。
「彼女の目的はあくまでも回収です。本来の願望は貴方様にかけられている《神羅凪》と呼ばれる呪いをその手に収めることです」
「その神羅凪の呪いっていったいなんなんですか? なんでオレは元の世界へ逃げられないよう仲間たちとの面会さえ許されずこんなボロ小屋に閉じこめられなきゃいけないんです?」
相手が女王ということさえ忘れ声に怒りの感情が乗ってしまう。
まずもってして呪いとやらがなんなのかさえわからず、内約さえ知らされていなかった。だからミナトはなにも知らされずのまま唐突にこの牢獄たるボロ小屋に連行されている。
そして一方的な言いがかりによって命のやりとりをしろというのだ。辟易とするには十分な異常事態であろう。
「……イージスの形見をとり戻すため」
リアーゼの口から告げられた名に戦慄する。
ミナトは喉を詰まらせ息を止めた。
「審判会議の場にて冥府の巫女が主張しつづけていたのはそれのみです」
それは聞き間違えようのない、恩人の名だった。
彼女の名は、イージス・ティール。ミナトの名乗るラストネームと同じ名を持つ少女である。
ミナトに名を与えたのも彼女だった。そう、記憶と心を失った少年に大陸世界用語で、心無き人――心無人と、名づけた少女がいた。
――イージスが……オレに呪いをかけた? いったいなんのために?
心に問うても答えはでない。
なにせイージスは、この大陸世界ではなく、宇宙世界で姿を消してしまっている。だから彼女を探して真意を尋ねようにも、あまりに遠すぎる場所だった。
考えだせばキリがない。ミナトは雑に散らばった脳内に混乱して動けなくなってしまう。
「とにかく貴方様は生きることを最優先に考えてください。これから170日を賭して強者とならねばなりません。そして貴方を殺めようとほくそ笑むレティレシアへ、自己の存在を証明しなければいけないのです」
そんな意を汲んでか、リアーゼはぽんと手を打って状況をまとめた。
考えても仕方がないということもあるだろう。いまやるべきは生き残ること。それだけなのだから。
「で、その決闘相手って誰なの?」
ずっと黙っていたスードラがようやくといった様子で口を開いた。
こちらが真剣な話をしているというのに当の本人は相も変わらずスカしている。
木椅子にまったりと腰掛けて青く野太い鱗尾を垂らす。両手を青い頭の後ろに組んで男のわりに白く癖のない脇を大いに晒す。
「あの暴力巫女は直々にでてくるようなタマじゃないよね? なら棺の間なかから誰かが選出されるってことになるのかな?」
下着のようなホットパンツから伸びる生白い足が、伸ばしたり、曲げてみたり。
その都度、古めかしい椅子の前脚が浮いて、ぎぃぎぃと、軋みを上げる。
「だいいちミナトくんが決闘に挑むにしても誰かがつきっきりで特訓してあげなきゃいけないってことじゃない? ちなみに僕がその役目をやってあげてもいいけど、170日ぽっちじゃ絶対に間に合わないよね?」
スードラの主張としては、こう。
たがだか170日で人如きがそうそう変われるとは思えない。なによりこの世界の種族は魔法を使う上、ミナトは無能。結果は日の目を見るより明らか。
するとリアーゼも「それなのですが……」不安そうに腰を揺らすと、身に帯びる脆弱な薄布を揺らめかせる。
「その件に関しては、東様が俺に任せておけとおっしゃっていたのですが……以降音沙汰がなくて……」
だいぶ歯切れの悪い回答だった。
彼女自身なにも聞かされていないといった感じ。長耳を下向きにし、戸惑いが隠せていない。
「かなり自信ありげな様子だったことだけは覚えています。しかもビッグサプライズなどというなにか良くわからないことをおっしゃっておりました」
この事態に嫌な予感を覚えたのは、おそらくミナトだけ。
どうやらあの快活で狡猾な中年はこの期に及んで状況を楽しんでいるらしい。
そうなるとこの先、碌なことにならないことを意味していた。
すると狙い測ったかの如く、隙間だらけのボロ小屋の外に気配が近づいてくる。
「ハァーハッハッハァ! ハァーハッハッハァ! ハァーハッハッハァ!」
正体は、腹立たしい高笑いだった。
しかもどうやらちょうど扉の向こう側に佇んでいるらしい。
向こう側が透けて見えるかのような笑い声がまざまざと漏れ聞こえていた。
ばたん、と。豪快に開かれた扉の先に焦げ茶色の髪の男が、威風堂々腕組みしている。
「囚われの姫にとっておきのプレゼントを用意してやったぞッ! それも極上の美女が2人も遊びにきてくれくれているッ!」
いうまでもなく東光輝その人だった。
そんな中年の背後には、2つほど。いる。
「お前ッ!? 忘れもしないぞ!? あの時棺の間にいた女剣士だな!?」
ミナトはあまりの驚愕に弾かれるような速さで退いた。
倒れた椅子が騒音を響かす。即座に戦闘態勢を整え、左手を構える。
東の背後に立つ片方の女は、ミナトにとって恐怖の対象でしかない。
「オレに剣を振りかざして殺そうとした女だよな!? なんでそんな危ないヤツが東と一緒にいやがるんだ!?」
女は、金色の瞳、金色の髪をしていた。
そして証明であるかのよう腰には、ミナトの首を落とそうとしていた剣を帯びる。
殺されかけたのだ、冗談ではない。あの日ミナトはあそこにいる女によって殺されかけた。
「フフン。想像通りの反応だ。没個性で面白みがない」
「東ソイツから離れろ!? ソイツはあの日オレの首を躊躇なく切り落とそうとした女なんだぞ!?」
「なにをたわけたことを抜かしている? 女である以上それすべて俺にとっての宝だぞ?」
ミナトが注意喚起するも東は一向に離れようとしなかった。
それどころかエスコートでもするように礼をして女を家に招き入れてしまう。
「さぁ! それでは役者も揃ったところで自己紹介と洒落こもう!」
東は、白いドレスを着た女性の隣に立つ。
そして白い羽織を舞い上げると、大袈裟な振る舞いで恭しく礼をする。
「この女性が半年後にミナトの首を切り落とす」
「なんだとッ!? ってことはその女がオレの決闘相手ってことなんだなッ!?」
「そしてそうならぬようお前のことを全力で鍛え抜くため立ち上がった剣の師でもあるッ!!」
中年が怪しい笑みを浮かべて、時は2秒ほど経っただろうか。
屋内にいた全員がほぼ同時に「は?」という同じ音を吐いたのだった。
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