167話 神羅凪の呪い《Over Charge》
――器? 呪い? コイツらなにをいって……。
ミナトは首筋に当てられた冷たい刃の感触に悪寒を覚えた。
しかしとうに抗う統べはない。四肢がバラバラになってしまいそうな重圧に苛まれている。肉体ごと山羊角女に制圧されてしまっている。
「お、おい! お前らいったいなんのはなしを――」
そう、ミナトが声を荒げた直後だった。
首筋に添えられていた大鎌の刃がひょうと風を薙ぐ。
「がっ!?」
肩口に硬く鋭い先端が突き立てられた。
痛みより衝撃のほうが強い。そして遅れて肉を裂かれたという熱さがこみ上げる。
山羊角女は彼の顔に唾を吐いてから刃先をぐりぐりとひねりを入れた。
「黙れっていわなかったかァ? 次も約束を守れねぇのなら舌かイチモツを撫で切んぞォ?」
痛みに藻掻く絶叫が大広間に響き渡った。
「あ”っ、ぐあ”あ”あ”あ”あ”!!?」
ミナトは激痛に悲鳴を上げる。
喘ぐほどの痛みに脳漿を焼かれながらも、この身は藻掻くことさえ許されていないのだ。
この場において彼に権利も尊厳もない。ただこの山羊角を生やした女が命さえを支配している。
女はしばし見下し、それから刃を引き抜く。同時にミナトの背を蹴るようにして踏みつけた。
「ようやく自分の立場を理解したようだなァ? テメェなんぞズタ袋よりも使い道のねぇただのクソの肉袋なんだよォ?」
「グッ……ア、アアア……」
弱ったミナトを前にして、女はただ笑うだけだった。
喘ぐ呼吸音を塗りつぶすように卑しげな笑い声が響き渡る。
これは純粋な凶事である。真っ当な悪。純粋な武力による支配と制圧。
そして集まった他種族たちもまた助けに入る動きすら見せず。ただ苦笑やら吐息を零すばかりで眺めているだけだった。
「殺すのはダメだってあらかじめ約束したはずだよ、レティレシア」
そんななか1人だけ燕尾のマントをゆらりと流す。
何者かがミナトの倒れ伏したすぐ横の絨毯を踏む。
「なんだァ? ヨルナテメェの気に入りかよォ?」
山羊角女が血走る瞳を滑らせた先に、ヨルナが立っていた。
そして彼女の手には短刀と細剣が握られている。
「生娘の分際で色を知るたァ笑いぐさだなァ! 天界行きと救世主の間で日和見気どってた中途半端モノの癖に生意気なこったなァ!」
山羊角女は、彼女の武器を一瞥し、にたりと下卑た笑みを深めた。
弧を描く唇にわざとらしく舌を這わして潤いを加える。
欺き小馬鹿にからかうような笑み、それでいて鬼気たる形相だった。
それでもヨルナは凜とした佇まいを崩すことない。手にした武器の柄を力強く握りしめる。
「僕は、彼に死ぬ理由がないという当たり前の話をしているんだ。それでも暴力を振るうのなら僕にだって友だちを守る権利がある」
真意ある双眸が真っ直ぐ山羊角女を捉えていた。
すると女は忌まわしげに舌を打つ。飽いた子供のように笑みを閉ざして「面倒くせェ」大鎌を振り回す。
まるで大道芸。背丈と変わらぬ大鎌の刃をくるりくるりと手に滑らせていく。最後は両腕を吊り下げるよう首の後ろに柄を構えて唇の端を歪ませた。
「ならこっちだって暇じゃねんだ。特異点の任務が失敗したことを知らしめるために救世主を目覚めさせたからな。1分1秒を無駄にしてマナを浪費するのは釈然としねェ」
そういって女は再度ミナトの元へ歩み寄る。
リズムダンスでも踏むかのよう幅の広い腰回りを大袈裟に揺らす。
そうして辿り着くと、絨毯に片膝を落として姿勢を低くする。先ほどのよう粗暴に引っつかむのではなく黒い髪へそっと手を触れる。
「あの子がその身を犠牲にしてまで集積した希望の頁だ。どこぞのテメェには悪ぃがあるべき場所に返却してもらう」
開いた白い手から深紅の明光が瞬いた。
現れた陣の如き紋様がしだいに形を作って円を描く。
――暖かい、光?
ミナトはもはや考えることさえ止めた。
未だ貫かれた肩口からの出血は止まらずしどと絨毯に鮮血を吐く。意識は朦朧としていて耐えず与えられる重圧に肺が押されて呼吸もままならない。
そうして力なく色の失せた瞳は、為す術なく見つめるだけ。朱色の光が暖かく、血を吐いて熱の失せた身体にじんわりと染み入っていくことだけ知覚可能だった。
「おい……! こりゃあどういうことだァ……!」
徐々に光が失せていくと、山羊角女が喉奥を絞るようにそう漏らす。
はじめて聞かせた動揺の音だった。憔悴が混ざり歯噛みしてかみ砕く、そんな戸惑いだった。
「呪いが完璧な癒着をしすぎてこのクソ餓鬼から外れねェ!? コイツの血と呪いがありえねぇほど順応して解呪を不能になってやがるッ!?」
女の声が尾を引いて広がると、直後に大広間一帯にどよめきが舞いこむ。
ここまで静観という立場をとっていた種族たちも明らかな動揺を示したのだ。
「そ、それってつまり呪いだけを外すことは不可能ってこと!?」
そしてヨルナもまったく同じ反応を見せる。
まるで眼前で花火が炸裂したかと思うくらい目を見開いていた。
それでも山羊角女は朱色の陣を発動させる。
「チッ、くっそだりィ! 恐らく血とは別の関連性で奇跡的に結びついてやがるッ! なんど試しても乖離できやがらねェ!」
苛立ちを隠そうともしないで、幾度と光の照射を繰り返す。
しかし何度やっても結果は変わらないらしい。彼女にとっての満足いく結果が得られていない。
やがて山羊角女はミナトへかざした手を引っこめて、立ち上がる。
「こうなりゃ1択だ。コイツの命そのものを刈りとって所持者の空席を作るしか方法はねェ」
再び大鎌の柄を握りしめると、今度は大きく天にかざす。
そこへすかさずヨルナが「待って!」風を掬うみたいに間へ割って入った。
「殺さないって約束だったよね!? 吸血魔法は君にしか使えない魔法だから良くわからないけど、他にも方法はあるんでしょ!?」
「血族の盟約が血縁ですらねぇにも拘わらず完全な同化する現象なんて前例にねェ。おそらくは片割れの縁に引っ張られてんだろうなァ」
山羊角女は、かざした構えを解こうとはしなかった。
すでにヨルナさえ視界に入っていないのだろう。氷の如く凍てつく瞳は倒れ伏したミナトを虫のように見下している。
「彼に罪はないんだよ!? それどころかこの短い期間で多くの大陸種族を救った実績さえある!?」
「ならそのチンケな魂如きが救われて窮地の聖戦に余裕で勝てるようになるってのかァ? 神羅凪に籠められた蒼力の価値を上回るわけがねぇよなァ?」
「そ、それでもこんな――」
女は、食い下がるヨルナに「退け邪魔だ」と、冷たく言い放った。
「もし命令が聞けねぇってんならテメェのもつ救世主の権限を剥奪する。そうなりゃテメェは天界に向かう以外世界に留まれなくなんぞ」
「……ッ!!」
この場に至ってすでにここは混乱の渦中である。
周囲からはガラの悪い連中の声がわあわあ喚き立てていた。
「殺れ殺っちまえ!」「1撃で決めろよォ!」「血だ! 久しぶりの血を見せろ!」そのどれもが捲し立てるものばかり。
筋骨隆々の老父は諦めたようにゆるりと首を横に揺る。その横では2房結いの少女がつい、と視線を背く。
もはや扇動の収拾はつかず。唯一求められているのは命の灯火が消えること。四面楚歌の悪辣な空間となっていた。
「そういやぁ……これをやるのは余の役目じゃねぇなァ?」
ざわめきに滴が墜ちるよう山羊角女の凶暴な笑みが咲く。
おもむろに振りかざした大鎌を下ろす。
「あの子を旅立たせた責任を持ってテメェの手で殺れ。けじめさえつければ自動的に呪いの主導権は空席になってテメェに引き継がれる」
蛇の如く狡猾な目がおどろおどろしい光を宿す。
血色の瞳がギョロリと剥かれて滑るようにそちらを指定する。
「これはただの器だ。じゃなけりゃ……なァ?」
すらり、と。そちらから鋭利で冷ややかな音が鳴った。
ミナトにはそれが腰に履いた剣を抜き放った音だとわかっていた。
「……ごめんなさい」
ひどく怯えた、それでいて美しい女性の声だった。
もしかすると泣いていたのかもしれない。それほどまでに声は震え、寒々しい色をしていた。
「せめて……痛みを感じる間もなく安寧へと送ります」
影が動くとともに、死の足音が近づくのがわかった。
ミナトは蒙昧とした意識のなか、剣を構える乙女を見る。
――ああ……綺麗な人だなぁ。オレなんかのために泣いてくれるんだ。
死神というにはあまりにも優しい顔だった。
それでいてどこぞ馬の骨を捌くというのに黄金色の瞳はしどと濡れて頬を伝う。
なぜか、なぜだか。髪色だって違えば、そんな優しい顔すら見たことがない。なんなら涙なんてもってのほか。
はじめて会うこの女性に、古くから知る面影が重なって見えた。
「……イージス……ごめん……」
はじめて呼んだ名を終わりに願う。
そうしてミナトは静かに世界を閉じたのだった。
「っ、縁を繋ぎたまえ! 《幽玄錬成》――《夢想剣》!」
それはヨルナの叫びだった。
手にした細剣を藪から棒になにもない虚ろな闇へ振るう。
花紋の銀閃が疾走ると、ガラスを割るような亀裂が生みだされる。
やがて亀裂が幾万もの断片となって砕け、開いた穴かから靴音が聞こえてきた。
「その人間は蜜月の契約に含まれております。ゆえに刃を突き立てることは、この私への侮辱と同義」
こつり、こつり。優雅な歩調に合わせて長く白い足が音を奏でる。
ツヤのある白き髪が滑らかな光を流し、長身痩躯のわりに豊満な揺らぎが波を打つ。
「もしその愚行を存じ上げてなお執行するというのであれば、我が名をもってして誅を下すと致しましょう」
細剣によって切り開かれたことで大広間の狂人たちがいっせいに口を閉ざす。
そして向こう側から現れたのは、1人の白きエルフだった。
それも彼女こそが気高くも華美を極めたる唯一のエルフでもある。
「この混沌とした場はいったん私が引き受けさせていただきますわ」
死の危機に瀕したミナトを救ったのは、女王リアーゼ・フェデナール・アンダーウッドだった。
Chapter.6 【世界選択 ―Choice make your world?―】 END
NEXT
Chapter.7 The Half Year War
importance:***REDCLASS*** 『Finalized』
not a moment to lose
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Suffering and screaming
And Then...
..
Do you hear my voice from far, far away?
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『please respond』
『please respond』
『please respond』
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『Do you hear this voice?』
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『WE...Still Alive』
Message from birthplace
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【MISSIONCOLOR:ONLY ONE HERO】
Capter.7 『この声が届きますように―The Half Year War―』




