166話 みなと《False》
「それにしてもなんで急に招集? なにかあった?」
「巫女はマナの無駄をめっぽう嫌う。相応の事態ってヤツじゃろうなぁ」
「私は面倒ごとのほうが嫌い、安寧秩序。また変に乱れなければそれが1番好き」
老父と少女が語らう。
その2人を隠れ蓑代わりにミナトもつづく。
――なんなんだコイツらは? いったいどこにむかってる?
存在が浮かぬよう首は動かさず瞳だけで周囲を伺う。
どうやらこちらが迷いこんだだけというのは、バレていないらしい。
下手に騒ぎになれば危険性は計り知れない。異物だとバレぬよう留意して歩を進めるしかなかった。
――兵、いや冒険者か。根無し草とは聞いているけどどうしてこんな大勢……。
双眸のみを巡らせながら周囲を見やる。
周囲の種族たちは種々様々。小汚く使い古した鎧、趣味趣向の刺繍が描かれた丈長マント、星を吊るす三角帽子。
あまりにも統一感がなかった。それでいてほとんどの者たちに一癖あって人相が悪い。
ふと耳を澄ませてミナトはあちらの会話に意識を向けた。
「あ”~くそ面倒くせぇなぁ。そこのねぇちゃんばっくれてしっぽりやらねぇか」
「けっ。エルフの生っ白いもんなんざごめんだね。欲求不満ならゴブリンのケツでもおっかけるんだな」
「ヒャハッハッハ! 色男がフラれてやんの! ドワーフの女なんぞ狙うよか狼女のほうちょれぇしいい声で鳴くぞ!」
会話の端々から耳障りな笑い声まで俗だった。
すべてにおいて品がない。およそ無頼漢。あるいは無法者の集団。
女たちはだらしなく衣服を着崩し、男たちは垢まみれ灰まみれといった様子だった。
――盗賊のアジトにでも迷いこんだんだとしたら……最悪だな。
そうして終わりのないような廊下を真っ直ぐ進むだけ。
ミナトも周囲の変化に注意を向けながら進んでいく。見ず知らずの連中たちと行軍するかの如く歩幅を揃える。
不思議な感じだった。もしかしたならこれは死後の世界なのではないかと脳裏によぎる。肉体と魂が乖離し2度と現世に還れず、このまま進めば死に向かっているかのような錯覚に恐怖した。
微かに息が切れて額に汗が滲んだ辺りに、ようやく終焉を迎える。
――……黒い大扉? このなかに全員入っていく?
廊下の突き当たる先に佇んでいたのは、扉だった
それも人成らざるものを迎え入れる巨大な大扉。
青銅を思わす重厚かつ重々しい扉は、すでに中央から開け放たれている。
そこへ種族たちが迷うことなく次々に吸いこまれていくのだ。
「……いくしかないか」
ミナトは僅かに立ち止まるも、意を決してあとにつづいた。
この判断は己のものであって、きっとそうではない。
まるでこうすることをはじめから決定づけられているみたいなもの。引くことも戻ることも、もはや自己で決められるほどの余裕はない状態だった。
そして大扉を潜った先には殺風景かつ禍々しげな大広間が広がっている。
広間の一面が統一された黒曜の如き漆黒に包まれていた。長く敷かれた赤い絨毯の上にはぽつんと玉座が置かれている。
ミナトは、ふと粘つくような暗闇の向こう側に影を見つけた。
1人の女がふてぶてしく座していることに気づく。
――なんだあの女は? 頭に山羊の角が生えてるのか?
その直後。棘のある罵声が大広間を叩いた。
「おっせぇーぞカスノロ共。余が招集かけたら爆睡してても秒で目覚めやがれ」
女は色欲をふんだんに詰めるような所作で肉の厚い太ももを逆側に回し変えた。
容姿端麗なれど、美的ではあるが決して愛くるしくはない。
笑みは見下すことのみに特化された感情の薄いもの、それでいて周囲を蔑む凶暴さを秘めている。
「――あっ!?」
思わずミナトは目を点にして声を漏らす。
血色の玉座でロイヤルを気どる女性の両側面にも、ずらりと居並ぶ者たちがいた。
そしてそのうちの1人に黒い髪と燕尾のマントが特徴的な幽霊少女が混ざっているではないか。
「で、どいつよ? その特異点が送ってきたっていうメッセンジャーとやらはよォ?」
山羊角女は苛立たしげに顎をくいっ、と上げる。
すると居並ぶ者のうち、1人が白い指で示す。
「彼だ」
そう、口にしたのはヨルナだった。
真剣な面持ちで真っ直ぐにミナトを指定する。
「ヨルナてめぇ裏切りやがったな!? オレをいったいどこに連れてきやがった!?」
我慢ならぬとミナトはずけずけ絨毯に靴跡を刻んで前へ躍りでた。
しかしヨルナは意に介そうともしない。澄んだ黒檀の如き瞳でこちらを見つめるばかり。返事さえしようとはしなかった。
「なんとかいいやがれ! オレをこんな場所に連れてきてなにがしたいんだ!」
「あー……ピーチクうるせぇなァ。余は救世主に尋ねただけで、テメェに発言権なんていう上等なもんは与えてねーんだよ」
玉座の女はつい、と爪の長い指を軽く振った。
それだけでミナトの両肩に尋常ではない圧が襲いくる。
「グッ!? ……だ、これ、は……!?」
あまりの重さに膝から崩れてしまう。
頬を地べたに落とし、従者の如く伏すことを強要された。
立ち上がることはおろかまともに状態を起こすことさえ無理だ。上からのしかかる重さはさながら抗えぬ暴力。ミナトはせめて潰されぬよう両手で堪えることのみ、唯一の対抗手段だった。
「つーか臭ぇし鬱陶しいからもう勝手に喋んな。野郎がさえずる姿なんぞ醜くて反吐がでやがる」
山羊角女は気だるさふんだんに身にまとい立ち上がる。
玉座に立てかけておいた物体をひょいと拾い上げた。
それは大鎌。刃部分が血の如く赤黒い。凶暴な弧を描く刈りの道具である。
「余がテメェに託す望みは失望させらんねェことだけだ。極論いうと質問以外のことを喋れば躊躇なく余はテメェをぶち殺せる」
身の丈と変わらぬ大鎌を担いだ女は、猫のように腰をしならせた。
足を交差させながら色香を振りまく。そうして辿り着くとおもむろに足を止める。
「……ッケ。なんだってこんなもんが器なんだァ?」
見下す瞳はとびきり邪悪だった。
頭を上げることさえ出来ぬミナトでさえ首筋にチリチリという痺れを感じるほど。
そして女は短尺のスカートなのにもかかわらず恥ずかしげもなく股を大っぴらに開いて座りこむ。
「――がぁッ!!?」
ミナトの伏した顔が強力な力で無理矢理地べたから引き剥がされた。
女の手によって掴まれた毛髪が幾本かブチブチと千切れた。
「テメェはなんだぁ?」
ひどく曖昧で暴虐な問いかけだった。
女の深紅色をした瞳に心が屈しかける。全身の毛が逆立つ、目の前にいる強者の覇気に吐き気さえもよおす。
完全に狩る側と狩られる側だった。ミナトがとれる手だては彼女の期待を裏切らぬことのみ。
「……ミ、ナト……ティールだ……」
名を告げると、山羊角女の引き上がった口角が僅かに不変を崩す。
さらには大広間内に群れる種族たちからも微かなざわつきが起こった。
それから1拍ほど遅れて「……チッ」。女はおもむろに立ち上がると凱旋するみたいに大広間を練り歩く。
「おいおいこれはいったいぜんたいどういうことだァ? 余の耳にはクソほどフザケた単語が聞こえてきやがったがなァ?」
そう。それこそがミナトが覚えていた違和感の正体だった。
いま山羊角女が口にした。この大陸世界の種族はミナトという単語になんらかの覚えある反応を示しつづけていた。
テレノアも、ザナリアでさえも。ミナトの名を聞いた瞬間、名を聞くというより別のなにかを彷彿とさせるような反応をしていた。
だからミナトはあえてマテリアルのミナトと名乗りつづけた。そのあとにつづくティールというラストネームを答えぬよう徹していた。
「ティールとは、エーテル国領土内に住まうモノが冠する土地の名なんだよ」
いつの間にか影を踏む。
気配を消して近づいてきたヨルナはミナトのすぐ真横に膝を落とした。
静聴せよといわんばかりに声量を低く、いまだ立ち上がれぬ人の頬へ、そっと手を触れる。
「心無人とは、心を無くして魂の抜け殻を意味するルスラウス大陸世界の忌むべき単語だった」
「オレの名前が忌むべき……言葉?」
「そう、そしてもしキミの口からイージスという単語さえでなければ偶然ということで済ませられたかもしれない。だけど――キミがこの世界にいることさえすべては仕組まれた必然だったんだよ」
ミナトは紗がかる視界をヨルナから背けた。
側頭部をなにか硬いもので思い切りぶん殴られたような目眩を覚える。
言葉を発することさえ出来ぬほどの衝撃に身を揺すられた。
この名は、命の恩人がつけてくれた大切な宝物だった。ティールというラストネームでさえ恩人から賜ったもの。
「心を無くしたから……みなと?」
彼女に与えられたものは命と幸福だけ。
そう思っていたからこそミナトにとっては残酷な現実との対面だった。
そしてそれは幼き記憶すべてを失っている者にこそ値する。
心を無くし、名を無くし、人として生まれた瞬間さえ知らない。
幼きある日になにもかもを捨てたこの身にこそ、その名は相応しかった。
「さあ、器は来るべき時を前に還されちまった。神羅凪の呪いによって注がれたあの子の蒼力を即行で移し替えんぞ」
山羊角女は血色の大鎌をびょうと振るう。
そして刃先をミナト首筋へと添えた。
(区切りなし)




