163話 共謀と裏切りの螺旋階段《Imperfect Chalice》
月下騎士団長レィガリア・アル・ティールが佇んでいた。
亭亭たる長身に月を背負うマントをなびかす。
騎士然とした形式張った隙のなさ。誰もが彼を一目で熟達した強者であると理解させられる。
レィガリアは、詫びるというより会釈をするよう腰を曲げて銀糸の頭を小さく下げる。
「東殿お待たせしてしまい申し訳ない。聖女様に付き従う我らには祈りが欠かせぬ」
「フッ、信心深きことに非礼を感じる必要はない。それに俺もこの聖堂の粛然とした空気を好んで付き合っている。だから気にしないでほしい」
「ありがたきお言葉痛み入る」
7色の光を浴びた鎧の小札が隆々と勇ましく輝いた。
背に通す大剣も屈強ならば傷顔も彼を称える装飾に過ぎない。
他の月下騎士や教団騎士と比べても彼のまとう風貌は群を抜いて洗練されている。
「しかしザナリア様が聖誕祭の最中に大聖堂へ訪れるとは少々以外でした」
名を呼ばれたザナリアの肩がひくっ、と揺らぐ。
相対的に見れば騎士と騎士の邂逅。月下騎士と教団騎士がステンドグラスを背景に巡り会う。
「お父様は聖誕祭にて獅子奮迅の如き奔走を強いられておいでです。ですのでハイシュフェルディン教が祈れぬ時は私が代わって神にお遣えさせていただく、これは騎士としてではなく娘としてのお役目です」
最初こそ刹那ほどの動揺を見せたが即座に凜とした顔つきで応対して見せる。
さすがは教祖の娘といった立ち回り。腐っても鯛。
「素晴らしいお心構えです。貴殿のようなご令嬢が身辺にいるのであれば父上君もご安心なされる」
レィガリアは感心したように頷いた。
そして銀の眼光を光らせると、ザナリアの足先から頭部までをゆっくりと見上げる。
「……。お召し物が普段と異なるようですが他に別のご入り用でもございましたでしょうか?」
「なっ――!?」
普段の彼女であればここで決めて、締めくくりだった。
しかしいま帯びているのは鋼鉄ではなく乙女の様相だ。
「べ、別にそういうわけではございませんでしてよ!?」
言い当てられて、途端に声が裏返ってしまう。
ザナリアは存外脆い。若さ故の未熟かは皆目見当もつかないが、ミナトはなんとなく察していた。
さすがに敵従者に向かって聖女へお披露目をしにきたとは口が裂けてもいえぬ。
瓦解して慌てふためく主を前に、お付きの騎士たち2人が同時に頭を抱えていた。
するとレィガリアは、ふ、と頬にシワを深める。
「いつもの戎衣姿も憮然として目を見張ります。しかしいまのお召し物も別の観点で非常に魅力的であらせられます」
「も、もも、もったいなきおとこばですっ!」
この場の誰もが紳士を見た。
いっぽうレィガリアに褒められたザナリアは煮られた蛸のよう。
耳だけではなく、顔面を真っ赤にして、ぷしゅぅぅ、と茹だってしまっている。
「お嬢……もう少し男慣れしましょうよ。剣より先にそっちを慣らしたほうがいいじゃないですかね?」
「いちおう俺らの顔役なんですから。初心すぎて見てるこっちが恥ずかしくなってきやがりますよ」
「お、お黙りなさい! お相手はあの月下騎士を束ねるレィガリア様なのですからさしもの私であれ心の余暇というものが必要なのです!」
そこへ騎士たちが加わると、もう喧々諤々だった。
それを見て月下騎士たちやミナトたちも思わず頬が和らいでしまう。
対戦相手が一堂に会しながらほのぼのとした空気が流れている。
国の玉座を賭ける戦いの最中だというのに互いが互いを称え合っている。
そんな珍妙かつ謎めいた光景が広がっていた。
『とても素敵だね。この縁が繋がったのは』
脳裏に唯一この場に存在しない声が反響した。
姿こそ見えないが歌うような声色だった。
『君たち人間が繋いで完成したんだ。そう……君たちこそが蒼き英雄の血族たち……』
「ん?」と。不意にミナトは急に思い当たる。
それはヨルナ・E・スミス・ロガーの発した柔らかな声が切っ掛けではない。
別のところから声がするのだ。そう、もっと遠くで。2つの玉座のちょうど中央に位置する祭壇が置かれた最前列の辺りから。
しかもこのタイミングで気づいたのはミナトだけではない。ジュンや東も同じように音の聞こえるそちら側へ視線を滑らせる。
「天使様、天使様。聖杯の贄はつつがなく集まっておいでですよ」
「天使様、天使様。お与えくださったお役目をちゃんと果たせておりますわ」
舌足らずな声の主は、子供たちだった。
2人は天を抱くように両手を掲げている。
そうしてなにもないところを見上げて語りかけていた。
「ではこれより次なる段階へと種族たちを導いていきますね」
「ご承諾いたしましたわ。ではこれ以降は大陸種族たちの思うがままに努めていただくとしましょう」
演技というわけでもなく、とても奇妙だった。
2人が話しているのではない。誰かがもう1人そこにいるかのよう。
そうやって天を仰ぎながらまるで誰かと対話している。祭壇の奥には彫像が威風堂々と槍を掲げていた。
「ま――まさかッ!!?」
みなが呆然と見過ごすなか。
大聖堂でもっとも迅速に動いたのは、月下騎士団長のレィガリアだった。
それも弾かれるような早さ。片膝を地に伏し、頭を垂らす。
「どうか失礼を承知で伺わせていただきとうございます!! よもや貴方がたは天から使わされた者らでは御座いませぬか!!」
声は震え、気概に満ち、焦燥感が滲みきっている。
そして彼の発言に聖堂がざわりとどよめき、狼狽した。
「――控えろォッ!! 天使様がご降臨なされておられるのだぞッ!!」
地の底が震えるが如き叱咤だった。
それによって敵味方関係なく一斉にその身を堅め平伏する。ザナリアも含むエーテル族全員が雷の如き早さで地へ膝を落としていく。
恐ろしい。屈強な騎士たちが並び並んで頭を垂らし慄いた。もはや立っているのは状況が飲み込めぬ人間くらいなもの。
ジュンは間抜け面で辺りの異常を見渡す。
「どうなってんだ……こりゃあ?」
その問いにはミナトも東だって答えられるはずがない。
そんななか子供たちは簡素ながら清潔な白い裾をゆらり翻す。
背景には、豪華なステンドクラスの7色を背負う。そうして小さな手が顔の面を剥がしていく。
「ボクが司るは、調和。均整なれど決して楽園ではない真の調和を編むことこそ至高」
「ワタシが司るは、調律。叫び、喘ぎ、嗚咽、憤慨、それら世界の生む旋律を平等にしたためることこそ崇高」
半分ほど覗かせた幼き表情には逆向きの影が貼りついている。
仄暗い影のなかには幼さに不釣り合いな光沢のある蒼き瞳が煌々と輝く。
そうして佇む2人の薄い背には清廉なる白き羽根が生え伸びていった。
「祖父の慈愛によってお与え下さった真名は、調和の天使カナギエル・ヴァルハラ」
「祖父の慈悲によって現界せし御名は、調律の天使ミナザエル・ヴァルハラ」
種よ、以後お見知りおきを。降臨せし天の使いは美しい音色を揃えて種族に敬意を払う。
しかしこの場にいる大陸種族たちの全員が、一切2人を仰ぎ見ようとしてない。ただ平伏し、屈し、息を潜める。異常な光景だった。
開かれた翼は両手で抱くより広く、純白よりも澄んだ白は気高く。神々しささえまとう。
存在が異なっているということだけが、ミナトでさえまざまざと理解に至っている。
7色の逆光に浮かぶ蒼き瞳、背に生え伸びる雄大な翼。それらすべてが彼、彼女らを天からの遣わし者であることを定義していた。
「はっはァ……! とんでもない者たちを連れてきてくれたじゃないか……!」
東が笑みを凍りつかせながらそう言った。
薄ら笑みの口角がヒクヒクと痙攣を起こし、目が乾くほどに瞬きを忘れる。
そんな彼に不信感を抱きながらミナトは頭を捻るしかない。
「なにが起こってるんだ? たかだか天使が現れたからって……さすがに仰々しすぎるんじゃないか?」
「きれーな羽根してるよなぁ。ブロンドの髪もきらきらさらさらで良いとこの坊ちゃん嬢ちゃんって感じだぜ」
ジュンも状況に狼狽えながら頬横を指で掻いた。
どうにも場の流れについていけずにいると、急にミナトの脳内にだけ声が響く。
『天界は大陸世界に干渉しないはずなんだ。過去数度ほど種族の前に現れたという例外のような歴史の分岐はあったらしい。だけど基本は絶対の決まりのようなものなんだよ』
やけに神妙な声色だった。
潜めた部分に緊張が嫌というほど滲んでいる。回りに聞かれる音ではないのにもかかわらず、だ。
だからこそミナトはますます意味がわからない。
「なんでそんなすごい天使様とやらがルスラウス教団の神殿にいたんだ?」
そう発した瞬間凍りついていた時が一斉に動き始める。
膝を屈したすべての騎士たる者たち全員がまとまって肩を揺らしたのだ。
東に至っては目が零れんばかりに剥いてミナトを映している。
「ミナト……それは本当なのか!? あの天使たちがルスラウス教団側にいたというのは事実なんだな!?」
「というよりたぶんハイシュフェルディン教たちは正体に気づいてたと思うぞ。やけにあの2人に対する態度がよそよそしかったしさ」
沈痛なる静寂に墜ちた大聖堂にいる者たちすべてに届く。
否応なしにミナトの発言を耳にしてしまう。それによって動揺はより深刻さを深めていく。
「そ、そんな……!? まさかお父様が天使様と結託を!?」
無論、教団側のザナリアとて例外ではない。
狼狽で震える様子から見て、知らされてなかったことは明らか。
決して天使たちを仰ごうとはせず、面を上げることはないが、顎先からしどと冷えた汗を滴らせていた。
降臨した天使たちは素足で大聖堂のなかを右往左往と徘徊する。
「あははっ! みんなびっくりしてお揃いのポーズをしているね、カーナ!」
「うふふっ! これはワタシたちへの敬意という愛を見せてくれている素晴らしいことなのよ、ミーナ!」
天使たちは種族たちの嘲笑いながら小躍りするようにゆらゆら腰を揺らす。
背に羽根さえ生やしていなければなんてことはない。未だ性別すらはっきりしないくらい未熟な子供の見た目。
そんななか大陸種族のなかで唯一勇気ある男が伏した顔を上げる。
傷顔に僅かな緊張と忠誠を秘めて、閉ざされていた口を開く。
「調和と調律の天使様方にいくつかご拝聴いただきたいがございます」
停滞に問いかけを注ぐ。
勇気ある者の正体は月のシルエットを背に帯びた騎士団長だった。
天使たちはレィガリアの前で足を止めると、翼の生えた背を丸め、膝を抱えるようにしゃがむ。
「いいよお話ししようっ! ボクも大陸種族たちともっと色々お話しがしたかったのさっ!」
「ワタシ退屈なのが嫌いなのよ! でもいまはとーってもご機嫌だから少しくらいつまらなくても許して上げましょう!」
晴れやかな笑顔と、快諾だった。
では。レィガリアは意を決したように呼吸を深め、整える。
「如何様でこの大陸世界へと、ご降臨なされたのでしょう?」
それはこの場の誰もが知りたいことだった。
言葉を選ばなければ、お前らなんでこんなとこにいやがる。なにをしに地上へ干渉してきやがった。
すると頬肘をついた調和の天使が、にっこりと頬を和らげる。
「聖誕祭を完成に導くためだよ! 種族たちには成し遂げるのが難しいから序列高位天使たちが心配してボクたちを抜擢したんだ!」
「聖誕祭の完成……? 過去我々は2度も聖女様を奉る聖誕祭を成功させてきたと記憶に御座いますが?」
訝しがるレィガリアの頬に白く小さな手が触れた。
調律の天使は猫を嗜むように彼の頬を撫でながら蠱惑に目を細める。
「対立のない聖誕祭は完成であって未完成なものだったのよ。正しい聖誕祭はその名の通り聖なる力を蓄えた聖杯を勝者が勝ち得て生まれるという聖なる儀式だったの」
指先で愛撫するようにしっとり、と。
傷跡をなぞり、輪郭をそって、鼻先にツンと優しく突く。
レィガリアは己が石であるかのように身を固め、「せい、はい?」天使からの寵愛を受け入れた。
「聖火とは聖杯の種子だよ!」
「聖杯が完成したときはじめて聖なるマナは勝者の身体に宿るわ」
「完全で究極な形としてだね!」
調和と調律の天使は「「ねー!」」と向き合って身体を傾けた。
そして手を繋いで立ち上がると、種族たちをぐるぅりと見渡す。
「極上の聖杯を作り上げるためには穢れをもっと浄化しなければならないんだ!」
調和の天使カナギエルが子兎の如く跳ねるたび、羽根が舞う。
少年にしては長く、少女にしては短な髪がそのつどさらさら流れた。
「そして穢れを浄化しきった完全な聖火を手に入れた者は、新たな聖者――聖女と成り代わる権利を得られるのよ!」
調律の天使ミナザエルはくるりと回って純白ローブの裾を翻す。
花弁の如く開いた布の奥で皮膚の薄い若い足が白く、眩しい。
そこへ東は間髪入れずに問う。
「で、あるからこそ調和と調律を行い聖誕祭をより苛烈なものへ調整している。という理解でよろしいかな?」
天使たちは意外そうに目を丸くしたが、動きを止めたのは一瞬だけ。
「あのままだったらまた聖誕祭が不完全に終わっちゃうかもしれなかったからね!」
「それにこれはハイシュフェルディン教の意思でもあるのよ! ワタシたちは聖誕祭の根底を彼に明かしただけにすぎないのだから!」
無垢で無邪気な笑みは人相手であっても平等に降り注いだ。
2人はここに至ってずっと1つの感情しか表さない。
まるでこうして語らうことが楽しくて楽しくて、つい踊って跳ねてしまいたくらい嬉しいといった感じ。
とにかく天使たちからは危険や敵意というものは感じられなかった。
「つまり聖杯という仕組みを明かしただけで直接的な協力は控えている……か」
東は深刻そうな顔つきで口元を手で覆った。
確認したのはあくまで平等であること。天使と教団は利害こそ一致していても直接的には結託していない。
身を寄せ合ったミナトとジュンは、いちおう周囲の様子を見つつ、小声で囁き合う。
「ってことはあのおっさん……聖女ちゃんになりてぇってことでいいのかよ?」
「おいこらジュン待て。ちょっと嫌なものを想像しただろ、責任とれ」
脳裏に刹那の間だけかなり嫌な妄想がよぎった。
ハイシュフェルディン教もエーテル族としての美を持ち合わせているが、やはり男は男。テレノアのひらひらスカートを着せたら立派な変態でしかない。
ミナトは酸っぱい顔をしながらジュンを睨みつけた。
「だってそうじゃなきゃ聖誕祭に意思をもって参加する意味なんてねぇだろ?」
「マナを宿すとかそういう話してるんだろ。なんで性別まで変わるんだ――ッ!?」
ぬっ、と。下から生えてくる白い翼に息を呑む。
いつからそこにいたのか天使が2人してミナトとジュンのすぐ目の前にまで迫っていた。
「ハイシュフェルディン教が聖女にしたいのは己自身じゃないのさ。もっとふさわしいものに聖杯を託すつもりみたいだよ」
「彼が聖杯を託し聖女に認めたいのは、そこの子。ザナリア・ルオ・ティールという自分の愛する娘ただひとりだけ」
玉を転がすような黄色い声がけらけらと笑う。
しかしその発言によって、7色の光が満ちる大聖堂が一斉に凍りつく。
そのなかでも呼吸を止めるほどの衝撃を受けたのはいうまでもないだろう。
「わ、たしが……聖女に? それが、お父様の……本当の願い?」
(区切りなし)




