160話 教団の影《Whisper》
名推理でも仕立て上げたかの如き宣言だった。
敬虔な信徒だから聖なる都の城へ祈りを捧げる。理由としては否を唱えるほどのことでもない。
しかしなぜいまになって。という疑念が先立つ。
近隣にもっとも神にゆかりある聖城を抱えるのは、聖都に住まう種族の特権。聖都に住まうザナリアにだって特別なことではないはず。
ミナトはわけもわからず騎士たちと顔を見合わせる。
すると騎士の片方が「あっ!」なにかを悟ったかのように素っ頓狂な声を漏らす。
「人間さん……! ちょいちょい人間さんこっちこっち……!」
手招きされてミナトも付き合うことにした。
なんだかんだ、と色々あったし名前すら知らない。でも一緒に怪魚と戦った仲間意識は当然芽生えていた。
互いにテーブルの上に身を乗りだしながら頬を寄せて声を潜める。
「どうしたんすか騎士さん?」
「お嬢の魂胆はおそらく昨日買ったきゃわゆ~い衣装のお披露目がしたいんですよ」
これにはミナトも「あ~……」と、得心がいった。
聖城といえばいま聖女テレノアが軟禁――もとい絶賛謹慎中の場所だ。繰りだせば十中八九彼女に会えることだろう。
もしそのときに先日購入したお気にのワンピースをザナリアが着ていれば、超偶然にもお披露目となる。
ミナトは得意げなザナリアを横目にげんなりと肩を落とす――……面倒くせぇ。
「それがマジなら滅茶苦茶大好きってことじゃないですか……」
「なにせ道を違えている切っ掛けは喧嘩とかじゃないですからねぇ。もし聖女様が真っ当に責務をこなせていられれば、いまだってお嬢と親友のように仲良しだったでしょう」
悩みを眉間にうんと寄せた騎士は、感慨深いため息を吐いた。
ザナリアとテレノアに仲良くしてもらいたい。お付きの騎士の意思がまざまざと見てとれる場面だった。
もう1人の騎士もここぞとばかりににじり寄ってくる。
「とにかく今日もお嬢のおてんばに付き合ってやってくださいな」
どうやらこちらの密談が聞こえていたらしい。
というより聞こえていないのは、どや顔で紅茶を嗜むザナリアくらいなもの。
男3人ダマになって密談を交わしていく。
「まあ一宿一飯の恩もあるから付き合うことに異論はないけどさ」
「人間さんがいてくれるだけでお嬢の機嫌がすこぶる良いんです。おかげで俺たちは今日しばかれずに済みましたしね」
「聖誕祭がはじまってからずっとピリピリピリピリ。女のヒステリーほど男に被害があるもんありませんぜ、ったく」
代わりにミナトがしばかれ尽くしたという人身御供。
世話になっている騎士2人に「どうか」「お願いしやす」かしこまられてしう。こうなっては断りにくい。
それにミナトだってわざわざ断る理由もなかった。なぜならまだザナリアから可愛いワンピースの対価である魔法の心得を教わっていないのだ。
「なに男同士でひそひそやっているのですか? お行儀が悪いですよ?」
ザナリアはすん、とお澄まし顔で口元をハンケチで拭う。
奇異な目で見られた騎士たちはにんまりと笑みを貼りつける。
「男同士だからこそ培える友情もあるってことでさぁ」
「お嬢にとってのお友だちかもしれませんけど、俺らだってこの人間さんには借りがありますからね」
そういって2人は肩を組んでケタケタ笑った。
――……ふぅん。
なんとなく。そう、なんとなくだ。少し似た匂いを感じて鼻を鳴らす。
こうして繋がる3人のことをミナトは心の隅っこのほうで懐かしく思った。
2つの黒い瞳は、手の届かぬほどに遠く離れた場所を、空虚な心もちで眺めている。
――このままザナリアに付き合っていれば見えてくるものもあるかも、だな。
最後の欠片を口に放ってスープを煽れば完食だった。
近ごろテレノアに詰めこまれていたからか胃も仕事をしてくれるようになっている。
そうしてしばし食休みがてらの団らんをしていると、いつの間にか食堂でたむろしている数がまばらになっていた。
未だ早朝の清廉な空気が霞むことなくそこにある。過酷な訓練を終えているが、今日ははじまったばかり。
「それでは私は1度私室に戻ってお着替えのほうをして参ります。御三方も各々に汗を流してくることをオススメいたします」
「俺らは別に構わねぇんですけどな。騎士なんざ汗臭くてなんぼですから」
「今朝の場合俺たちは突っ立ってだけですしねぇ」
ザナリアがすっくと立ち上がる。
すると騎士たちも当然のように面を覆う兜を装着してからあとにつづく。
今日は聖城に向かう運びということで意見は一致していた。誰も彼女の願いを叶えることに異を唱える者はいない。
ミナトも膝のパンくずをぱっぱと払いながら気だるげに椅子から立った。
「あら? なんの騒ぎですかね?」
と、同時にザナリアが眼を星の如く瞬かせる。
異質な雰囲気が食堂の出入り口の方角から徐々に近づいてきていた。
バタバタと慌ただしい足音が。次いでなにやら焦りを巻くかの如き声がざわざわ、と。
そして食堂の入り口の重厚な扉がバァンと弾けるように開け放たれる。空いた大口から飛びだしてくるのは2つばかりの駒鳥たち。
「ねえ人間! 一緒に遊ぼうよ!」
「ねえ人間! 相手にしてあげるわ!」
中庭で出会った子供たちが短い足で裾を蹴るように駆け寄ってくる。
その背後からはいい年をした大人たちが土気色の顔に汗をしどと浮かべていた。
「お、お控えくださいませ! このような粗野な場をご覧に入れるのはあまりにも……!」
神官服と思しき男が子供たちを止めに入った。
しかしつかず離れずといった距離を常に保ちつづけている。強引に止めようとは決してしない。
仮面の子供たちは慌てふためく大人たちにぐるぅり首を回して振り返る。
「……なんでボクたちの自由を拒む権利をもっているの?」
「……どうしてワタシたちの行動を委ねなければならないの?」
「――うっ!?」
薄い仮面の下から発されたのは冷たい声だった。
神官服の男と大人たちは大袈裟にたじろぎ子供2人に道を譲る。
とはいえ落ち着いた声だってまだ未熟なもの。覇もなければ気もないし、それほど怯えるようなものでもない。
木偶と化した者たちをよそにハイシュフェルディン教がコツリコツリと歩みでてくる。
「ふむふむ。なるほどなるほど」
さすがというか他の面々とは威厳の格が違う。
彼は腰の後ろ辺りで手を組みながら慎ましやかな微笑を崩さずにいた。
そしてハイシュフェルディン教は、なにもわからず立ち尽くすミナトをちらりと片目で覗く。
「是非この子たちを連れて外出を楽しんできてもらえないかね。無論、そちらが頼まれてくれるというのであれば、だけれどね」」
えぇぇっ!?まず声を上げたのは、横にいるザナリアだった。
それからミナトも「はぁ?」なにいってんだコイツという表情を隠しもしない。
子守なんぞごめんこうむる。この世で10位以内に入る面倒ごと。はいそうですかと引き受ける理由がない。
するとハイシュフェルディン教は、「ンッ」と小さな咳払いをする。
「贄の狩りに子供たちを連れていくのは気が引けてしまうんだ。それにもし引き受けてくれるというのなら……相応の御礼を約束するとしようじゃないか」
大人の匂いが香る小癪なウィンクが、人間に向けて送られた。
それ受けてミナトは腰に手を構えて大きく肩を上下させる。
「是非お引き受けいたしましょう!!」
グッ、と。返す刃の如き男らしいガッツポーズで依頼に応じた。
騎士たちが面をぐるん、とミナトのほうに向ける。
ザナリアも黙っていられるかとばかりに目を剥きだしにした。
「えええ!? ちょ、ちょっとなぜそのような話になるのですか!?」
言うに及ばずとはまさにこのこと。なにせ彼女はアレの娘なのだ。
子守如きで教祖に恩を売れる。さらに相応の礼まで寄越すのであれば、倍づけ。
こんな美味な仕事を放りだしてたまるものかよ。ミナトは一瞬で己のやるべきことを見定める。
「オレガキのことだーいすきだからぁ! 可愛すぎてもう面倒とかすごい見ちゃうからさぁ!」
「よくもまあそれほど絶ッッ対に嘘をついている顔ができるものですね!? まず子供が好きならガキなんて軽蔑するような単語で呼ばないはずですでしょうに!?」
ザナリアは今日イチの剣幕で捲し立てにかかる。
ミナトの両肩を捕まえてぐらぐらに揺らしながら詰め寄った。
「そもそもこれから聖城へいくのではなかったのですか……? 教会は子供たちを喜ばせるようなところではありませんからね……?」
「そこはまあオレだって子供と同じベクトルだよ。正直教会とかどうでも良いと思ってるし」
「不敬にもほどがあります……! 神が耳にしたらどれほど悲しむと思っているのですか……!」
が、忘れてはならないことがある。
この依頼主は誰でもない、なにを隠そう教団の長である彼女の父直々の依頼なのだ。
ミナトからの承諾が下りた時点で娘であるザナリアに決定権はない。ハイシュフェルディン教が白といえばたとえ黒でも白となる。
「本日のご予定はあの人間へご同行するということでよろしいですかな?」
「うんっ! 神殿に閉じ籠もっているよりもすごくわくわくして楽しそう!」
「ええっ! それに1度で良いから聖城にもご挨拶へ赴こうと思っていたのよ!」
子供たちは無邪気に彼の足下を跳ね回った。
仮面という異物があるためある意味で異質な様相ではある。
しかし笑う声は鈴を転がすみたいに純粋無垢。とてもではないがザナリアの考える黒幕とは思えない。
ミナトは狼狽えるザナリアの耳に口元を寄せる。
「心配なら真意を確かめようじゃないか。もしあの2人が黒幕てことならハイシュフェルディン教から離しておくべきだろ」
「ま、まさかあの刹那の間にそこまで考慮していたということですか……? 己の身を差しだすことで真実を暴こうと……?」
ああ。ミナトは爽快な笑みで嘘をつく。
別にルスラウス教団が大いなるなにかに操られてどうなろうと、知ったことではない。無責任。
対してそんな薄情者を、ザナリアは目が覚めたかのように瞳を潤ませ見つめていた。
体の良い嘘をついたのは別として。聖城に向かうことに追加で子供のお守りが増えたくらいなもの。仕事でいうなら魔物狩りのほうが遙かに高リスクで低リターンだろう。
「それでは彼の者等をどうかよろしくお願い致す。見事やり遂げてくれたならば貴方が必ず欲しがっているであろうとっておきをご用意致そう、人間殿」
ハイシュフェルディン教は代わらずのたおやかな微笑で一党らを見送る。
それからはザナリアが先日購入したワンピースに身を包んだりと色々準備を仕立ててからいざ出発と相成った。
活気の良い子供たちに手を引かれながら、ミナトたちは聖なる都に繰りだす。
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