『※新イラスト有り』159話 ライ麦と不安の香り《Bitter & Sweets》
朝の訓練を終えてようやく一同は食にありつく。
ミナトが案内されたのは来賓用の絢爛豪華な神殿の来客間ではない。兵たちが日常使いする汗の臭いが染みついた食堂である。
なにしろこの身は転がりこんだだけ。大層なゲストとして迎えて貰えるはずがないし、そのつもりだってない。
据えた色の使い古した木机には、カチカチで酸味がある黒いパン、ぶどうジュース、野菜を煮こんだ簡素シチュー、赤い果実が1つほど。
決して豪華とはいえないがさほど貧相でもなかった。胃と身体を温められるし、栄養の偏りも少ない。朝食にするならわりかし最良といえるメニューだ。
朝食をとる部屋は厳かな神殿の片隅。他の教団騎士たちも朝の鍛錬や警備を終えてぞくぞくと集まってきている。
「いただきます!」
そこへ、ぱんっと。1拍が打たれた。
周囲のものたちがなにごとかと、こちらへ数人ほど振り返る。
むろん卓をともにするザナリアも同じように目を丸くぱちくり瞬かせていた。
「それはいったいどのような作法の様式でしょう? 大陸広しといえど手を結ばぬ感謝の伝えかたは存じ上げておりませんが?」
「本日の糧との出会いを簡易的に祝うポーズだよ。ウチにはこれをやらないとぷりぷり怒る人がいたからさ」
ミナトが説明してもザナリアは「はぁ……?」横に首を傾げるばかり。
しかして手を結ぶのとは別の作法だってあって叱るべし。
やはり食前の挨拶は欠かせない。極貧の星で育ったからこその優先されるマナーだった。
これをいわねば同居人のチャチャにもの凄くドヤされるのだ。挨拶をせねば再会は出来ぬという彼女らしいほんわか理論をたっぷり教えこまされている。
「ほぉ~……桃源郷とはまさにここか。コイツはなかなかに胃が破裂しそうな量の豪勢な食卓だ」
「そ……そこまでのものを用意したという自負はないのですけどね……」
ザナリアが呆れかえっているが、それはそれ。
ミナトはもう1度手を合わせてから黒いパンをむんずと掴む。
どうにも食欲という腹の虫は我が儘である。先ほどまでいらぬと訴えていたくせに食事を前にしたらぐうぐう喧しくてたまらない。
そして大きな期待とともに黒い焼き目にがぶりと噛みつく。
「んっ、んんん? なにこれぇ……すごくかたぁ~い」
まるで木の根を囓るが如し。歯形がつくくらいで噛み千切ることさえ困難だった。
ふわふわを予想していたのだが、どうにも大敵である。
「長期保存を効かせるために水分を極力少なく作っているのです。いざ聖都が危機に陥ったさいも保存が効けば長期的に食糧不足に見舞われることは少ないですからね」
ミナトが黒パンに四苦八苦していると、ザナリアはクスリと楽しげに喉を奏でた。
「手元のナイフで小さく刻んでからよく噛んで食べるのが習わしです。そのまま齧りつくのはドワーフか獣族くらいでしょうね」
このように、と。彼女はパン皿の縁に塗られたバターを指さす。
そうして細かく刻まれた黒いパンへバターを少量ほど塗りつけてから頬張った。
しばし噛み締めたのちぶどうジュースを含んでこくりと細い喉へ流しこむ。
「それ以外にもシチューに浸したりと種によって様々な食べ方をなさりますよ」
「へぇぇ。そういう味わいかたが人によって変わるのは楽しいな」
じゃあオレも。ミナトは刻まずシチューにパンのキワを浸してみる。
しばしふやかしてから焼き目に犬歯を立てて引く。と、先ほどより容易に千切れた。
「おお! こうするとパンの酸味がまろやかになってシチューとの相性が抜群だ!」
「そうでしょうそうでしょう。果実の形を崩れるまで砂糖水で煮たものを乗せて食べるのも非常に美味ですよ」
噛むたびに穀物の豊かな香りが鼻腔を抜ける。
野菜の旨味が溶けこんだ塩味の効いたスープも唾液腺を刺激してどんどん喉の滑りが良くなっていく。ぶどうの汁も甘み酸味とコクがあって、赤い果実はデザートだ。
いわゆる真っ当な食事だった。教団の騎士たちも眠たげな目をしながら文句もいわず今日の気力を黙々と蓄えている。
よくもまあ飽きずに毎日食を慈しむモノだ。そんなことを考えながらもミナトは胃と心が満たされていくのを感じていた。
「そういえばさっきのアレってなんだったんだい?」
ここまで食べてようやく5合目といったところ。
ミナトは、すでに完食してティータイムにはいっているザナリアへ改めて問うてみる。
さすがにあの事態を日常とは括れまい。あのあとハイシュフェルディン教は子供たちを連れてなにもいわず中庭から去ってしまった。
ザナリアは口元に運びかけた手を止める。
「……突然、なんの前触れもなく急に現れたのです」
声を抑え気味に長いまつげを伏せた。
手に持ったソーサーの上にティーカップを置いてからテーブルへと戻す。
ミナトはそんな彼女の不安を受けつつぶどうの汁を空にする。
「捨て子とかを拾った……とかではないのか。そうだよな、それにしてはずいぶんと奔放だったし……」
「あの2人の子供たちが現れてからというもの教団幹部たちの様子がわからないのです。ある日、急に聖誕祭にて玉座をとりにいくと大陸全土に布告したことさえそれからの出来事でした」
ザナリアは辛そうに揺れる琥珀色の水面を見下ろす。
微かに濡れた唇が震えていた。
「つまりあの子たちが教団の中枢を牛耳っているってことかい? さすがにそれは飛躍しすぎな気もするけど?」
「ですがあの子供たちがなにかの切っ掛けであることは間違いないのです。なぜなら私の父は――」
そこまでいってザナリアはハッと口元に手を添えた。
ミナトは赤い果実に齧りつきながら「ん?」眉をしかめる。
「いえなんでもありません。さすがにお友だちのミナトが相手とはいえ教祖たるお父様の素性を他者に明かせませんので……」
そういってからティーカップに口づけをするよう琥珀色の液体で唇を湿らせた。
教祖の娘ともなれば情報漏洩にも気を使ってもオカシイ話ではない。いくらどこの馬の骨もといミナト相手とはいえ警戒するのは当然だった。
「ですがご相談に乗ろうとしてくださったのですよね。そのことには深く感謝していますよっ」
そして悪者が目を眩ますほどの笑みがぱぁ、と咲いた。
やや恥ずかしげに肩をすくめ、はにかむ。もうどうしようもなく嬉しいことを隠さない純粋さが後光すら生みだす。
ミナトも耐えきれず目をしょぼしょぼにされてしまう。
「それ……いちおう友だちとして忠告しておくけど。ワザとやってるんだとしたら男を狂わせるぞ?」
「な、なにがですか? 私いまなにかしてしまったのです?」
純粋もここまでくると心配になってくる。
ミナトは、どこまでも愛らしい友に目の奥を刺されながら「うわぁ……」果実の芯を皿に投げたのだった。
しばらく経つと徐々に食事を終えた騎士たちが食堂から去っていく。
十字架の刻印された鎧を整え、油臭い剣を腰に履いて、ロートルな兜を帯びる。これから騎士の鍛錬や都の警らに赴くのだ。
聖都の騎士と教団の騎士はおおよそイコールな存在らしい。聖城にも上級騎士が待機して有事の際にいつでも動けるようになっているのだとか。
そのなかでも例外として聖女の親衛隊とでもいおうか、聖都最強の精鋭聖騎士と月下騎士という別の派閥もあるという。
「そういや今日の予定はどうなさるんで? 人間さんを連れて贄を探したらまたでけぇのに行き当たりそうで不安なんですがねぇ?」
口いっぱいに頬張った騎士のひとりがもごもごと雑に問う。
横でも赤い果実をカラリと囓る騎士が座している。
「かといって今日も服を探すのは芸がないですよね。ならいっそ今度は女の子らしい髪飾りとかの装飾品でも探しに行きましょう」
例外とするならこの2人も、そうだろう。
教団の騎士と同じ恰好をしているのだが、やっていることはザナリアのお付き――世話役である。
さすがの騎士といえど食事時は面を覆う兜は脱いでいた。
――コイツらこんな顔してたんだぁ。
鎧兜のしたは、――やはりというか――眉目秀麗。
エーテル族であるから想定通りではある。
タイプは異なるがどちらの騎士もこざっぱりと整った顔立ちをしていた。
もしノアに2人がやってきたら即日で異性に告白されてもオカシクはない器量の良さだった。
ザナリアはしばし細顎についと指を添えて宙に視線を巡らしていく。
「晩には戻らねばならないので本日は聖都内で過ごすことになるでしょうね」
「そういえばハイシュフェルディン教と晩餐のお約束をなさってやしたねぇ。ならおめかしついでのお買い物辺りにでかける可能性が濃厚になってきますなぁ」
騎士は5つ目のパンを雑に毟って頬張った。
2噛みほどしてほぼ固形のままスープでずず、と豪快に飲み下す。
「そうなるとまた昨日のぶてっくですか? 宝石や貴金属類はそこそこ良いもの揃えていかないと見栄が張れませんからねぇ?」
勇猛な食い意地に比べて隣のもう1人の騎士は、ちまちまと食を進めていく。
背を丸くしながら小刻みに、1口1口は小さい。ミナトほどではないが食べるのは遅いほうだった。
とりあえず男3人の意思は決まっている。騎士すぎるザナリアをもっと女の子に変えてやろうという目的の下に団結していた。
しかしザナリアはくるり、と指を回して板金越しの胸を張ってみせる。
「予定はもう決めてあるのでご心配は無用ですよ!」
はて? 男どもはほぼ同時に首を横へと倒す。
彼女はかなり自信満々とばかりに筋の通った高い鼻をふふんと広げた。
「久方ぶりに霊験あらたかな聖城へとお祈りを捧げにいこうと考えておりますわ!」
(区切りなし)




