157話 ドキッ☆ミストサウナと乙女と騎士道《Absolut Knight》
聖都中央にそそり立つ聖城を越えた先。聖都真北に位置する都北部にルスラウス教の総本山が存在する。
都を睥睨するよう立てられた聖城は、礼拝者からすると聖地に近いのだとか。聖地で種族が祈りを捧げれば願いはやがて空を越えて天界の神に届くとされているらしい。
聖都は、聖なる都の名の通り宗教を主軸としている。そのため大陸の津々浦々から多くの種族たちがこの聖地を目指して訪れるのだという。
そして教祖の娘に連れられて辿り着いたのは、聖なる都のお膝元。ルスラウス教信者のブレインたる教団の祖が住まう大神殿だった。
そこにミナトは1泊させてもらった後、いまに至る。
「もっと身体の柔軟さを意識するのです! 腕だけではなく身体全体を使わないからそのように疲労が一部分にのみ溜まってくのです!」
朝活ならぬ朝喝だった。清廉な朝に剣風吹き荒れる。
日さえ未だ寝ぼけ時。星々の謳う空がようやく8分ほど瑠璃色を覚えた頃合い。朝早い。
なのにそんな早朝からすでにミナトは疲労困憊。襤褸雑巾の体を博している。
「ひぃっ……ひぃっ……ひぃっ……! なんでオレがこんな目に……!」
転倒を繰り返し顔は泥まみれ。額と身体からは滝の如く汗が噴きだす。
そして明光を秘めたる銀の短剣がへろへろと朝霧をなぞった。
斬るというよりもはや斬られている側だ。足どりも覚束ない。頭も禄に起こすことさえ難しい状態である。
そんな死に体にザナリアは容赦なく鞭を打つ。
「疲弊しているときこそ型を意識するのです! それと顔で疲れている合図をするのは田舎上がりの軟弱な生娘くらいです!」
大鎧をまとった乙女に先日までの繊細さは微塵もない。
杖代わりにした素振り用の大木刀でズンッと庭の土を穿つ。
「もっと早く! もっと豪快に! なぜそのていどのことが出来ないのですか!」
「も、もう勘弁してくれぇっ! このままじゃ両腕が棒になるぅ!」
「棒のほうがまだ使い道があります! 貴方の存在は棒未満であることに気づきなさい!」
超鬼教官指導の切っ掛けは、先日の入浴だった。
寝る前には風呂に入るモノである。とはいえそうミナトが知ったのはノアに上がってからだ。
ここルスラウス大陸でもご多分に漏れず清潔が常識だ。ならば神殿の入浴場を借りるというのは当然の行動であろう。
なのでミナトは意気揚々と浴場に足を運んだ。問題があったとすれば施設の確認をとらなかったことくらいか。
………………
「……あ」
「……へ?」
目が合って、まず覚悟したのは、死だった。
扉を開くとムワッ、という多温多湿の蒸気の壁が身体を叩く。それから霧で不鮮明なミストサウナのなかに1つほど先客の影があった。
まるで波打つようなシルエットだけで想像は容易だった。女性のものであることは――どう足掻こうが――確定している。
「…………」
ザナリアが無言で密室唯一の出口を唖然と見つめていた。
銀燭の美しい目を剥くように見開き、長い髪を結おうと両手を後頭部に掲げて時を止める。
あまりの事態に圧倒されたか、身のすべてを曝けだす恰好のまま隠そうともせず固まってしまう。
「すぅぅ……」
ミナトは世界を閉ざして肺いっぱいに後悔を溜めた。
ショッピングの疲労やら心労が祟って意識散漫だったのは認めよう。事前にノックするという儀式を忘れたことも原因かもしれない。
脳内であれやこれやと考えたところでもう遅い。肺の後悔を全身に巡らせながら今度は空にしていく。
「ふぅぅ……」
そして誰が悪いのかなんて関係ないはないのである。
見たか見ていないか、ただそれだけ。当然ザナリアだって見せようとして見せたわけではない。
人の脳とは不便極まりない。記憶を自由にデリート可能であれば贖罪のしようもあったはず。見えた極上の景色のすべてを彼女の目の前で堂々と映像をデリートしてみせただろう。
しかしいまのミナトにそんな器用な能力はないのだ。現実だけが怒濤の如く押し寄せる。
「ごめんなさいッッ!!!」
順当にとった行動は、誠意ある謝罪だった。
「一瞬しか見てないんで2~3発殴ればたぶん忘れると思う!! でも痛いの嫌だなぁ!!」
規則正しく踵を揃え腰が直角になるよう頭を垂らす。
謝って許されるなんて甘い考えは捨てている。2~3発なら許容範囲とする。
とりあえずミナトに出来ることは5体満足のままで、明日がくることのみを祈るしかなかった。
「――ッッッ!!」
瞼をぎゅうと閉めて断罪の時を待つ。
すると瞼の裏側の闇にもうもうと。均整のとれたバストや幅の広い腰回りなど思いがけぬ景色が立体になって暗幕に映った。
良き人生だったとは口が裂けても言えない。しかしこれほど安易な死亡フラグが異世界に埋めこまれているなんて誰が予想しようものか。
それからも頭は上げず、首が埋まるほど肩に力を入れて立ちすくむ。
「……なんですか?」
と、2人きりの密室のなか動く気配があった。
ザナリアは素足でひたりひたりと執行人の如くミナトのほうへと歩み寄った。
そして――彼女の時がようやく動き始める。
「いったいなんなのですかッ!? その骨身の浮いた軟弱な肉体は!?」
「え――ちょおっ!?」
ガバッと。両肩を掴まれたかと思うと身が引き起こされる。
ミナトの眼前には、ザナリアの美貌がうんといっぱいになって広がった。
鼻先が触れるのではないかという険しい距離。しかも彼女も彼も濡れた肌の一切をありのままに晒す。
拘束されてしまったミナトは、不測の事態に「え、あ、え……ああ?」黒眼を白黒させながら狼狽するしかない。
対してザナリアは彼の肩を痛いほど両手で握りながら怯えるように怒り狂う。
「腕ばかり細いと思えば全身が皮と骨とは舐めているのですか!? 飢饉に見舞われたゴブリンでさえもう少しまともな肉付きをしているはずです!?」
「べ、つに舐めているわけじゃ……。そういう環境で育ったというだけで……」
「言い訳は許しません!! 私は貴方を心の底から軽蔑させていただきます!! 男子として生まれながらそのような貧弱かつ勇ましくない体型は確固たる意思で否定します!!」
………………
以上がことここに至るまでのあらましである。
まさか扉を開け放ったミストサウナの空間にザナリアがいるとは思うまい。
そこまでならばただのラッキースケベで済んだだろう。ちょっと怒られて謝って痛い思いをすれば事もなし。よくある、よくある。
だが、ミナトとザナリアの場合そう簡単な話ではおさまらなかった。もとい、そうなってはくれなかったのだ。
これはミナトがザナリアの裸体を見てしまったことが原因ではない。ザナリアがミナトの裸体を見てしまったことが、いまに至る元凶だった。
「その明日死んでしまう虫の如き身体を鍛え上げるのですッ!! いち、友として身に骨が浮いた軟弱な肉体を決して見過ごせるモノではありませんッ!!」
そう、彼女にミナトの貧弱さがバレてしまったのである。
ガリガリに痩せ細った腕、蹴られたら折れてしまうような脚、腸まで浮かびそうな肉の削げた腹。それらすべてが騎士道を歩む彼女を変貌させた。
ゆえにザナリアは鬼と化し、烈火の怒りを鞭とする。裸体を男子に見られたことさえもはや彼女の意識の外。
「おかげさまでもう虫の息なんですけどォ!? 明日どころか現在進行形で死にかかってるんだぞォ!?」
「問・答・無・用・です! 明日死ぬも今日死ぬも対して差異はないのです! しかも抗うほどの気概があるのなら死にはしません!」
ここルスラウス教総本山の神殿では、2食風呂トイレ完備。なお修行付きだった。
そんなしばかれるミナトをお付きの騎士2人が遠巻きに眺めながら震える。
「あ、ありゃあダメですぜ……! 完全にお嬢に火が着いちまってます……!」
「ま、巻きこまれないように近づくのは止めておきましょう! 人間さん、ごめんなさい! その骨は俺らじゃ拾えないです!」
柱の陰からひょっこりと。騎士なれど、怖いものは怖い。
勇敢な鎧のうちがカタカタを怯えと悲鳴を同時に奏でていた。
なおも超鬼教官からのキツいしごきは終わらない。しかしミナトも限界が間近まで迫っている。
「へぇ……へぇ……へぇぇ~……! もう無理ぃぃ~……!」
「なにをバカなことをおっしゃいますの! 匙より重いモノをもたずに生きるおつもりですか!」
「オレの……がらじゃ……ないんだよ……こういうの……!」
「ならばその不抜けた意識ごと打ち砕き更生していただきます!」
ひぃぃ~!? 少しでも弱音を吐けば10倍になって返ってくる。因果応報。
しかも鍛錬道具は、ザナリアの寵愛によって加減されたショートソードだった。
まずロングソードでは持ち上がらなかったということもある。しかし短くても鉄の棒は鉄の棒。鉄アレイだって鉄なのだから重いモノは重い。
そんな――ミナトにとっての――高重量を筋肉の肉の部分さえついていない体で扱いきれるわけがない。
もはやミナトは早朝から1日分の体力を使い果たしてへろへろだった。
だらしなく舌をだして乾かす。下手な踊りのように剣を振るう。というより短剣に振り回されつづけていた。
「それが終わったら朝食をおだししますので尽力なさって下さい! ほらまた教えた型が崩れていますよ!」
どれほど意識が遠のいても鬼の鍛錬はつづく。
ここは無感地獄か。そう脳裏に描けるくらいには、もうくたばっている。
「この後に飯とか食ったら吐く……絶対に吐く……。胃になにも入ってないいまでさえ吐きそうなんだから……おえっ、マジ吐く……」
「吐いたらまた新しいものを用意しますのでご安心ください。それでも難しいというのであれば無理矢理胃の腑に詰めこませていただきます」
「こんなの拷問だよぉ……ねぇいまオレがやられてるのって拷問だよなぁ……?」
風呂を覗いて頬をひっ叩かれたほうがまだマシ。そう甘く思えるくらい苦行だった。
犯した罪以上の罰と報いが待っている。そこで学ぶのは己の浅はかさのみ。
なにせここには教団の騎士を育成するためのあらゆるモノが揃っている。時を戻るなら浴場ではなく昨夜彼女に誘われるところから。
そしてとうとうミナトの芯が尽きる。短剣を空振りしてそのままとさりと芝の上に頭から寝転んでしまう。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……――ぎゅうっ!?」
うつ伏せに寝転んだ頭が上から圧された。
硬く重量級のサバトンが乗せられる。
「……私の裸を見ておきながらもうオシマイですか……?」
「ッ!!?」
頭上から降り注ぐのは、悪寒。
汗に濡れた背の珠が凍ったかと錯覚するくらい冷たい声だった。
「……ねぇ、見たのでしょう……? ……私の……嫁入り前の……血縁であるお父様にさえ見せたことのない……無垢なる恥部を……?」
ザナリアは徐々に体重を増加させていく。
ぐりぐりと髪の感触を足裏で確かめるよう、こね回す。
ミナトは轢かれた蛙のように無様な姿で戦慄するしかない。
――やっべぇぇすげぇ気にしてたああ!! 話の流れ的に流れたと思ってたのに滅茶苦茶話題の中心だったああ!!
「……ほうら……いい加減立ち上がったら如何です……? ……それとも私の裸体はそれほど無価値だったということでしょうか……?」
逃げられない。そう悟らせるには十分な気迫だった。
虫けらを見下すが如き視線がひしひしと上空から圧をかけてくる。
しかしミナトとてもはや限界だった。ここは絶望の底。もうこれ以上は剣を振る力もなければ立ち上がる気力さえ残っていない。
するとその時。裏庭を囲うように敷かれた渡り廊下に、ぞろぞろという雑踏が舞いこんでくる。
「おはよう、ザナリア。今日も朝から鍛錬とは気が入っているねぇ」
気品ある微笑が法衣の裾を引く。
現れたのは蚊も殺さぬという優美な男だった。
しかもその背後には別の法衣たちが一団となって追従している。
「お、とうさま……?」
ザナリアの首がギギ、ギと軋みながらそちらに向けられた。
男は、怪訝そうに目を細めて首を僅かに傾げる。
「……おや? そちらの見慣れぬかたはいったいどちら様かな?」
(区切りなし)




