156話 ゲームオーバーはいらない《Ture Queen》
「ねいちゃー・・・なにがし?」
ミナトは聞き慣れぬ単語に首を捻るしかない。
状況を整理するのは非情に困難だった。まず情報そのものが欠落しすぎている。
落ち着き払うミナトとは異なってザナリアのほうは大騒ぎだった。
現れた女性を視界に入れるや否や、唐突に伸び上がるかのように姿勢を正す。
「この御方はネイチャークイーンです! ルスラウス大陸でも高名を馳せる者にのみ与えられるLを冠する数少ない超越者! 自然魔法と薬学の髄を極めた伝説級の最強魔法使い――ユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッド様です!」
ザナリアは早口気味に捲し立てた。
しかしミナトの口からは「へぇ~」いまいち芯を喰わない吐息が漏れるばかり。
教団長の娘がこれほど冷静さを欠く事態に陥っている。しかも先ほど本人の口から発されたのは、お師匠様だ。とりあえずすごいエルフなのだろう。
以上の点を踏まえてミナトのとるべき行動は1つだった。気さくに手を立てながら歩み寄ってくる女性に軽い笑みを作る。
「この間はどうも。エルフの女王様に謁見させていただいたせいで大混乱でしたよ」
おかげさまで。別に彼女が悪いというわけではない。
だが現状から考えると、大体アレが元凶となっていま現在に至るのだから棘も立とうもの。
「まさかミナト……お師匠様と知り合いなのですか?」
「ちょっと会って話したていどの顔見知りだよ。彼女がオレたち宛てに送られてきたエルフの女王様からの密書を届けてくれたんだ」
「そ、そうだったのですか……私のお師匠様とすでに出会っているとは不思議な縁もあったものですね」
ザナリアはどこか納得がいっていない様子だった。
銀目が踊ってミナトと女性を交互に見やる。
あの蔓蔦と花弁のみをまとう卑猥な恰好に、竹の如き艶めく濃緑色の髪色。日が経ってもそうそう見間違うモノではない。
女性は羽織った外套をゆらりなびかせ猫のように腰を揺らす。外套の下には自然が巻かれているだけで布はそれきりのみ。
なによりザナリアに最強の魔法使いとまで語らせたのだ。目を覆いたくなるような恰好をした女性ではあるが、つまり恐ろしい、あるいは強いが同衾しているということ。
ミナトはいちおう敬意を払うべき相手であると認識した。
「お久しぶりですね。あとあいかわらずほぼなにも着てないような恰好ですねぇ」
ひくり、と。笹葉の如き長耳が跳ねる。
「この間だって普通に着てたじゃない?」
「あー……」
さも当然でしょという返答だった。
なのでミナトの脳内にはいっぱいの面倒がくせぇ並んだ。
おそらくはエルフ、なのだろう。その証拠としては背もすらりと高く、胴が短い代わりに脚が驚くほど長い。
完成された彫刻の如き理想像を地で行くかのよう。彼女はまさに絵に描いたような美貌の持ち主だった。
たしか名前は――……ユエラだったっけか。なんか色々長かった気がする。
「というよりザナリアこそこんなところでなにしてるのよ?」
ザナリアは声を掛けられただけというのに全身を強張らせた。
女性の魔性を秘めた視線も相まって蛇に睨まれた蛙のよう。
「教団の娘とテレノア側の人間が一緒にいるって……わりとすごい現場よね? もしかしてそこの貴方は聖女側を裏切って寝返ってる真っ最中ってことかしら?」
感情の読みづらい彩色異なる瞳が、今度はミナトのほうを捉えた。
言われて見れば。ちぐはぐの正体がようやく判明する。
対立するはずの間柄なのに仲良く買い物をしていた。構図としては訳がわからなくて当然。
ミナトは若干ほど気圧されながら固まってしまったままのザナリアを援護に入る。
「人間が教団側についたわけじゃないですよ。オレが個人的にザナリアから魔法の心得を教わろうとしているだけです」
別に隠すようなことでもあるまい。
人間から見れば魔法なんてお伽噺の出来事である。興味くらいもって文句をいわれる筋合いはない。
すると女性は刹那ほど目を見開くと、蠱惑な笑みの端をうっとり深めた。
「ほんっと人間って面白そうなこと考えるのねぇ。でもいっておくけど人間は私たちのような体内マナをもたないわ」
ザナリアが肩すかしを食うみたいに「……へ?」と漏らした。
それを見た女性は「あら、やっぱり知らなかったのね」ふふと笑う。
「で、ですが……根源たるマナをもたないのであれば魔法を扱えないのでは……?」
「そっ。魔法が使えない代わりに人間は体内に蒼き力をもつの。魂を代償として滾らせる生命の胎動とでもいうべきかしら」
くる、と。得意げによく反る細指を回す。
「それと人間は大陸種族のヒュームと同様、生まれた直後から寿命を与えられるわ。だから私たちが生きる早さとは異なる時間概念をもつためしょっちゅう動き回ってるのよ」
筋の通った鼻をふんと吹いて饒舌な講義が始まっていた。
蔦の絡む幅の広い腰に手を添え背を弓なりに反らす。そうでなくても大人回りな胸が押しだされて艶めかしい。
女性が荷を解くよう解説をしていく。逆にザナリアは静聴しながらときおりこくり、こくりと頷きを返す。
そして2人の女性が視線を向ける先に立つのは、件の人間である。
――人体模型に心があるとしたらこういう気持ちなのかもな。
種族単位で語られることもそうそうない体験だった。
どうやら女性のほうはやけに人間に詳しいようだ。しかもフレックスのことまで学びがあるとは。
ミナトが女性の登場に居心地の悪さを覚えていると、突然ザナリアがハッと肩を揺らす。
「ところでなぜお師匠様が聖都におられるのです? 聖城のお抱え薬師であれ聖誕祭へ参加できないほどの多忙と伺っておりましたが?」
「それはそこの彼のお陰というか原因っていっても過言じゃないわね」
逸れたはずの視線が再びミナトのほうに降り注ぐ。
しかも今度はやや迷惑そう。形の良い眉の根が寄せられ目端が鋭角を描く。
女性はミナトを軽く睨みながら白枝の如き手を払ってみせた。
「こっちは妖精領に降臨した時の女神の軍勢とやりあってたんだから。なのに特殊な魔物がエーテル国を中心に頻発していると聞いたら誰かしらが戻ってくるしかないじゃない」
「つまり7色獣の来襲……!? 降臨した軍勢の討伐は成功したのですか……!?」
「辛くもだけどいちおうは勝利ってところね。重篤な症状は多かったけれど、私が上級治療魔法で治してあげられたから奪われた魂の数は少ないわ」
んっ、と。気だるげに伸びをすると重苦しいため息がつづいた。
女性はまるで全身を祟る疲労を口から吐きだすかのよう。
観衆を気にした風もなく伸びや筋肉ほぐしていく。そのつど蔦蔓巻いただけの危うい房がこぼれそうになる。
「ご無事でなによりでした……犠牲も少ないのならば幸運です」
そんな女性にザナリアは十字の印を結んでねぎらいの意を送った。
唐突に漂う深刻そうな空気に、2拍ほど。たん、たん、という破裂音が響き渡る。
「運良く可愛い教え子と会えたことだし、私はそろそろ聖城のほうに顔をだしてくるわ。変に無茶したおバカな子を叱ってあげなきゃいかないからね」
場の空気を払拭するような有耶無耶なウィンクだった。
彩色異なる瞳の琥珀色の側をぱちりと閉じて新緑色の側を晒す。
「それにぃ~、なによりぃ~」
そしてたっぷりと間を開けながらイタズラに目を細める。
もてあそぶ気満々といった具合。しかも対象は新品の清楚なワンピースを着た少女が狙われた。
「あの堅物に鎧を着せて固めまくっていたはずの子が楽しんでいる時間を邪魔しちゃ悪いもんねっ」
蠱惑、というか小癪な、だった。
ザナリアは僅かに遅れてカァァといった感じで一気に顔中へ朱色を広げる。
「なっ――なにをおっしゃられるのですか!?」
「あら? じゃあさっきまで楽しそうにしていたのは私の見間違いだったのかしら? てっきり私はデートをしているのかと思っていたのだけれど?」
素っ気ない素振りをしているが、意地が悪い。
声を掛ける前に観察していたのだろう。訳知ったるといった感じが非常にイジワル。
対してザナリアは意気消沈といった感じ。指を編みながらもじもじと腰を揺らすだけ。
「……た、楽しくはありましたけど……でも、デートなんてそんな……まさか……」
「ザナリアもうちょっとがんばろう! 相手は完全にからかってきてるだけだからな!」
もう頭から湯気が立ち昇ってもオカシクないほどに真っ赤だった。
ミナトでさえ見ておれず応援に入るほど。
そんなやりとりに女性はカラカラと豪快に笑って目のフチの涙を拭う。
「でもまっ、色々試してがんばってみるのはとても良いことだわ。こっち側の世界を知るのは貴方たち蒼を秘めたる人間にとっても悪いことではないはずだから」
そう、意味深な微笑を貼りつけて外套を優雅に翻した。
一見して陽気だがまるで手のひらを返すようなミステリアスさだった。
切り上げ時とするなら頃合いだろう。ザナリアは完璧にノックアウトしてブツブツと声にならぬ声を端つづけている。
なにより周囲にも女性を見つけて脚を止めた多くの者たちが群がりつつあった。
女性は待たせてある樹木の根までいくと、ついと指を振る。雄々しくも柔軟な木枝が伸びさばらえ彼女の身体をひょいと軽々掬い上げる。
そうしてザナリアの師は枝に円弧の如き臀部を下ろして優雅に脚を組む。
「ああそれと言い忘れていたのだけど、ごちそうさまっ。あのレア肉はかなり食べ応えがあって美味だったわ」
ミナトは上から降り注ぐ2色に思いがけず「……ごちそうさま?」木霊を返す。
レア肉。この場合のレアは焼き加減ではないはずだ。
「あら聞いていないのかしら? あのバカでかい怪魚はうちのシェフが買いとって香草焼きにしてからみんなに振る舞ってたわよ?」
「そ、そんな話まったく聞いてないぞ!? ってかあれ喰えたの!?」
僥倖だ。怪魚とは無論エヴォルヴァシリスクのことを差している。
討伐の後は聖女の騎士たちが聖火に焼べられるべく聖都に持ち帰ったはず。
「だってあの死骸は聖火の供物にするために使ったはずじゃ――」
「ちなみにビッグヘッドオーガの肉もうちのシェフが買いとってきたわよ。確かアズーマとかいう人間がマーケットで売ってくれたとかいってたわね」
ミナトの脳裏にとある人物の苛立たしい顔がよぎる。
アズーマ。十中八九、東光輝を意味していた。
そうなると東は聖火に贄を捧げず金に換えたということになる。これは裏切り以外のなにものでもない。
「あ、アイツ……裏でそんな謀略を図ってやがったのか!」
ミナトが頭を抱えていると、女性はぱちくり彩色異なる瞳を瞬かせる。
「聖火に焼べるのは角膜だけで十分だったでしょ? それなのにお肉まで持って帰ってきたってことは売るためじゃないの?」
……あ。ミナトはいわれてようやく己のミスに気づかされた。
焼べるのは魔物を討伐したという証だけで十分だった。巨大怪魚であれば背びれのひとつでも放れば十分贄とみなされるだろう。
つまり東はこちらには内密に贄の死骸を高値で売りさばいていたということ。
はじめから異変に気づくべきだったのだ。
ビッグヘッドオーガを討伐したあとテレノアが求めていたのは角膜のみ。なのに東は周到に荷車まで用意して聖都へ死骸を丸ごと持ち帰っていた。
なぜ、どうして。ミナトの混濁した脳内が無数のクエスチョンマークで埋め尽くされていく。
「なにを企てているのかはわからないけど、あまりいまの大陸を動き回るのはオススメしないわよ。近ごろは魔物の動きがいやに活発だからかけっこうな被害が増加しているから」
そう言い残してユエラという女性はひらりと手を振った。
這いずる樹木とともに聖城の方角へと向けて去っていってしまう。
大柄な影が夜の方角へ遠のいていく。するとザナリアはほう、と豊かな膨らみを押さえながら安堵する。
「まったく……いつもあの御方は唐突なのですから。今度聖女様にお会いしたときにからかわぬよう注意していただかないと……あら?」
どうしたのですか? 身体ひょいっと横に倒しながら立ち尽くす彼を覗きこむ。
最後。とり残されたミナトは夜に向かうユエラの背を見つめたまま。動けないでいた。
もしかして、というあまりにも儚く淡い光が灯っている。
「東のヤツ……もしかしてまだ諦めてなんていないのか?」
夜風が描かれた盾の背を押す。
夜空を見上げて握りしめた拳のなかには熱いなにかを閉じこめていた。
人はそれをキボウと呼ぶ。
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