154話 陥落デート大作戦《Big Project》
視線を落とすと痩せぎすな骨の浮いた手があった。
なんと貧相なのだろうか。制服で隠れているがその身には骨に皮が貼りついているだけ。
ここは望んで努力をすれば手に入る世界。その証拠に腰の小物入れにはずっしりと金貨銀貨の重みを感じている。
誰かのためになることをすれば対価として生きる糧を得られた。
「……オレの世界か」
ミナトは、ふと足を止める。
心が不十分だった。このはじめて覚えた感覚を存分に受け止めきれなかった。
だってこんなに楽しいことは人生ではじめてだったから。ただ楽しいだけの死が隣り合わぬ時間をこの身は知らない。
このルスラウス世界では見えるモノすべてが美しかった。
空も森も海も。人も種族も大地も。ザナリアのようにはじめて知り合った者たちの幸福を浮かべる表情も。
それらぜんぶが己の世界に欠けていたモノ。
「……そう、か。そういうふうのも……あるんだな」
ミナトのなかでようやく共鳴する。
東という男がこの世界に残るという決断を下した理由。それをいまやっと現実味として噛み締める。
このルスラウス世界には当然が存在していた。
その当然とは感情を殺さず己のままに振る舞えるということ。
ここは人が人として生きられる完成された完全な環境であるということ。
「ミナト! ちゃんとついてきてくださいなっ!」
そうして思考の海を漂っていると、小うるさいのが帰ってきてしまう。
細眉を鋭角にしたザナリアが早足気味に戻ってくる。
ほどよく引き締まった脚は規律正しく、それでいて足音は少々豪快だった。
「なんですか貴方は!? 少し目を離しただけで迷子になってしまうなんて幼子とか変わらないではありませんか!?」
「お……オレ立ち止まってただけなんだけど? どっちかというとそっちが迷子になりかけてたんじゃないか?」
おそらくだがザナリアははぐれたことに気づいて急ぎ戻ってきたのだ。
微かに息を切らせてるし、ポンチョを羽織った肩が上下している。怒りのなかへ少しばかり焦燥が滲んでいる。
「べ、別にそんなことはありません! 気づいたら貴方がついてきていなくて心細くかったなんてことは断じてありませんからね!」
ザナリアは、毟りとるような勢いでむんずとミナトの細腕を掴んで引き寄せた。
そして小脇に抱えて身をピッタリと寄せる。
ミナトは一瞬びょっとした。腕に押し当てられる女性的な感触に目を白黒させる。
しかし頬横に触れる少女の甘い香りや躊躇なく形を変える房の快感を堪能する暇すらない。
「お、おいこら待て引っ張るな!? いて、いててて!? なにこの子ゴリラ並みの腕力してるんだけどぉ!?」
引かれるというより牽引というべきか。
ミナトはいちおう抵抗を試みた。
だが屈強なザナリアの腕力を前にして羽虫を潰すかのようなもの。
「私が強いのではなく貴方が男らしくなさすぎるのです! いったいなんですかこの魚類の骨の如き腕のか細さは! こんな脆弱な肉体が存在するなんて騎士を愚弄するようなものです!」
「わかった歩く! ごめんなさいちゃんと考え事なんてしてないでついていくから! その魚類のような腕の骨がお前の豪腕で折れそうになってんだよぉ!」
このわんぱくな少女をから目を離したことが間違いだった。
ミナトは、ザナリアのほどよい膨らみのなかで軋む腕に後悔と無事を祈るしかなかった。
妨害が入ったため結論はでなかった。しかし――……いまは、まだいいよな。
それからも広く絢爛豪華な店内をあーだこーだと喚きながら見て歩く。
目的は悩むことではない。はじめからザナリアという少女をめかしこむことのみに重点が置かれている。
「これとかいいんじゃないか? 可愛い7で綺麗が3みたいな感じがするけど?」
「う~ん……悪くはないのですけど、それは聖女様とは少し違う気がします」
時間はかかったがようやくショッピングらしくなっていた。
ミナトは直感でとった服をザナリアの身体にそっと重ねる。
しかしどうやらお気に召さないらしい。ベロア調のロングドレスは悲しげに棚へと戻された。
まず彼女の趣味趣向がわからないのだから数を撃つしかない。ありがたいことに品揃えは豊富。おかげで残弾は気にしなくても良さそうだ。
「じゃあこれはどうかな? これならテレノアが着ててもオカシクないと思うよ?」
つづいてミナトが見つけたのはゴシック風の黒いワンピースだ。
光るラメやフリル生地も多く設えられている。なかなかにダークで高級感がある一品だ。
「エーテル族は明るい髪色をしているから黒地を合わせることでシックでタイトな演出を実現できるかも!?」
「そう、です……かねぇ?」
それっぽい売り文句をつけてみたのだが、不発。
ザナリアも迷っているのか、ミナトの選ぶ服に対しての返答もかなりふわふわしている。
決して0点ではないのだが100点には届いていない、といった具合だった。
そこからも奮闘はつづく。ここは少女を少女たらしめる戦場と化した。
「タイトなシルエットで大人らしくかつ出来る女を表現!」
「身体のラインがですぎるものはちょっと……」
「花柄フリルで牧歌的な服装には否応なくガーリーな愛らしさを漂わせる!」
「まぁっ! 確かに可愛いという点は認めます! ですけど年相応な恰好が好ましいのですが……」
「お前ら寿命無限連中の年齢とかあってないようなもんじゃねーかぁ!?」
そうやってどれくらい経っただろう。
いつしか2人は秒針が刻まれることさえ忘れて没頭していた。
ミナトが無駄に躍起になれば、ザナリアは声を潜めて鈴を転がすように笑う。
そんなただ楽しむだけの2人を周囲はいったいどういう形で見ていただろう。
姉弟、友、はたまた恋路。実のところどれでもない、もっとちぐはぐな関係だ。
そうして果てしない店内をおよそ1巡はしただろうか。
「もう少しシンプルめにするべきか……それともいっそ誰もが想定しない攻めかたをしてみるか……」
ミナトは腕組みをしながら店内を親の敵の如く睨みつける。
もうここまできたならとことん付き合う構え。ザナリアを最高の女に仕立て上げねば気が済まないところまできていた。
この短時間でかなりの研鑽を積んだ。いままで根づいていなかったセンスが着々と培われつつある。
「よし――これだぁ!」
そしてついにミナトは己の才能を開花させた。
これで最高点が得られないなら玉砕覚悟である。
「このトラディショナルなスタイリッシュさとエスニックを兼ね備えるミックスこそオレの選ぶ最高の組み合わせだぁ!」
掴み得た作品を己の最高のファッションセンスを審査員長へ提出した。
しかし最高点を叩きだすはずだったのだがそうもいっていられない。なぜなら先ほどまで隣にいたはずの少女の姿がなくなっているではないか。
最高の組み合わせを手にした男1人が、店内でぽつんと寂しく佇む。
「あ……あれ? おーいザナリアさーん?」
呆然とミナトは華美なる店内に視線を彷徨わす。
熱くなっていたからとさすがに見失うとは思いもよらない。
しばしきょろきょろと客足まばらな店内を爪先立ちで窺う。
「…………」
すると遠巻きに清淡な横顔を発見する。
ザナリアは3分前に通り過ぎたあたりの壁をじぃっ、と見上げていた。
彼女を発見したミナトは――安堵しつつも――やれやれと最高傑作を棚に戻す。
「こんどはなにみつけたんだよ……葉っぱの鎧とかか?」
どうせ碌なモノではないだろう、なんて。超軽装鎧の二の舞を脳裏によぎらせた。
そうして隣に佇み、彼女の銀燭の瞳を追ってみると、なんの変哲も無い清楚なワンピースが掛けられている。
「これ、着てみたいです」
「……え?」
「私……これが良いです」
ミナトは消え入りそうな彼女の声を聞き返してなお呆気にとられてしまう。
それはとてもシンプルなものだった。いままでミナトが提出したどれよりも――申し訳ないが――らしくない。
しかし彼女は広げて壁に飾られた若葉色のワンピースから脇目すら振らず。まさに執心といった様子。
買ってもらったばかりの真新しい衣服の胸元をきゅう、と。シワになるほど強く握りしめていた。
ミナトは衣服掛けの棒を手にとって壁からワンピースをひょいと拾い上げる。
木製のハンガーから生地がシワにならぬよう丁寧に脱がせていく。
「じゃあ着て見せてご覧よ」
ミナトがワンピースを手に掛けてそっと差しだす。
するとザナリアは怯えたように恐る恐るの体で若葉色の生地を受けとる。
そしてなにもいわずに更衣室の幕の向こうへと潜って入っていってしまう。
「なぁんだ。自分で着てみたい服があるっていえるんじゃないか。まったく苦労させやがって」
ミナトはすっかり待ちぼうけとなった。
若干ほどふてくされながら肩を回し、回し、着替えが終わるまで待機となる。
しかし顔にはださないが心中は穏やかだった。なぜならここまでずっとこの時を待っていたのだから。
「結局のところ誰かの趣味趣向より自分で決めたものが1番良いんだよな。ここまで付き合ってやってようやくザナリアも自分の本心に気づけたか」
ミナトがニヤついていると、急に頭の奥の辺りから声が囁きかけてくる。
『彼女が自分自身でいいだすのを待ってたってこと? つまりさっきまではしゃいでたのってぜんぶ演技だったの?』
人の身体に間借りした幽霊少女は『ほぇぇ~』と腑抜けた音を漏らした。
ザナリアが遠ざかって声を掛けてくるあたりいままでずっと様子を覗き見していたらしい。
しかもミナトだってすでに慣れているためこれといって少女の登場に驚くことすらしない。
「オレの選ぶヤツで決めてくれるならソレはソレで良かったんだけどな。でもやっぱこういうはじめての思い出――宝物って自分で選ぶべきだろう」
『へぇ~やけに楽しそうにしてたから声を掛けづらかったんだけど、まさか裏ではそんな大層な計画を練っていたとはね。なかなかに憎いこと企むねぇ』
このこのぉ、と。実意のない称賛が脳裏に響いた。
ミナトは、ザナリアという少女を決して男と間違うことはない。
なぜなら彼女はそこらの女性よりも少女だった。ちょっとのことですぐに赤面してしまうほど無垢なのである。
だからミナトは企んだ。彼女の凍った心を無理矢理楽しいで埋め尽くすことで引きずりだした。
その結果ついにザナリアは氷解する。厚いプレートの内側で凍らせていた乙女心を芽吹かせつつあった。
「たぶんだけどあの子の場合は高貴な家柄のせいで欲求を言葉にしないことが当たり前になってたんだ」
『世界最大宗教の元締めとなるハイシュフェルディン教の娘だからね。仕方ないっちゃ仕方ないかなぁ』
「そのしがらみのせいで敬愛する聖女との間になにしらの不和が生まれたんだろ。あの兵士さんたちからの情報がなかったら思いつけなかった作戦だな」
心の声を引きだすコツは相手が気づかぬまま意表を突くことだった。
ゆえにミナトは本気で楽しんで見せたし、きっとザナリアも夢のような空間に憧れを抱いたはず。
『僕はてっきりラブラブデートでも見せられてるのかと思ってたよ。腕まで組んじゃってもう見てられなかったよね』
「バカをいうなバカを。ただちょっと宗教だかの複雑な理由で仲違いする2人が個人的に嫌だなって思っただけださ」
そんなの寂しいもんな。ミナトは2人の関係を見てただそう思っただけ。
ゆえにこれは押しつけである。そういうのが嫌だと思ったから勝手にやっただけに過ぎない。
『……ん? ソレって結局ただ優しいだけなんじゃないのかな?』
う、うるせっ。ミナトは肩頬をぴしゃりと打って居候の地縛霊を黙らせた。
会計を済ませて店をでる際には、すっかり西日が目の奥を刺すころになっている。
聖なる都は黄昏を覚える。夕闇の影を伸ばしはじめていた。
◎ ◎ ☆ … …
 




