151話 魔法のある世界《Magic This World》
宛てもなく聖都を放浪する。特に目的もない。
喫茶店の少女に教わったのは、慌てぬこと。己の征くべき道を見定めて迷わぬこと。
心境はまるで白紙だった。ただ雑念はない。どう筆を踊らせて描いていくかを模索する。
空は青く澄み渡って広い。雲の切れ目が尾を長くしてキャンバスを漂う。
爽快な日差しが心地良くて試しに両手をうんと広げてみた。空を抱きしめるよう伸びをする。
「ふぁぁ~……」
ミナトとて暢気なモノだと自覚はあった。
とはいえしがらみもなく肩の荷を放りだすというのは背徳的価値がある。
腹立たしい大人を遠ざけ、仲間を視界に移さず、あるがままに生きる。要は、こういう時間があってもいいじゃないか、だ。
ただ1つ懸念、気懸かりがあるとするなら背後からひしひしとした視線が常時注がれていることか。
「…………」
ガッチャ、ガッチャ。鎧関節の繋ぎの辺りが喧しげに軋む。
整頓された石畳に軍靴の如き厳かな音色が刻まれている。
険しげな油断のない様相に反して彼女の美貌は本物だ。そうやって口を真一文字に引き締めて闇を見るような薄目をしていても美しいのだから。
ミナトは耐えきれず立ち止まる。すると彼女も同じように騒音を止めた。
「えっと……なにかオレに用事でもあるのかな?」
頬を掻きながら振り返ると、彼女はそこにいる。
毛ほども心揺らぐ様子もなくただこちらをじぃと見つめている。
「とくにお気になさらず」
「いやでも……」
「お気になさらずに」
すん、と澄ました尊顔は一段と凜々しい。
冷ややかな視線を浴びてミナトは「そ、そう」目を逸らすほかない。
これで幾度目か。こちらが歩き始めるとザナリアもまた同じ歩幅で歩きはじめる。
――怖いんだけど!? あれからずっと着いてくるんだけど!?
なんか怖い。ミナトの心境はだいぶ穏やかではなくなっていた。
種族的な力の差なども当然あるだろう。しかも相手は重装鎧まで着こんで腰に剣までぶら下げているのだ。
対してこちらは丸腰で武器のひとつもありはしない。左腕には流線型の滑らかなフレクスバッテリーを帯びてはいるが戦えるかと問われれば、狂気の沙汰だ。
そんな怒濤の懸念もあってミナトは夜道に恐る恐る振り返る乙女の心もちだった。
と、そんなさなかザナリアのお付きたちが声を潜めて語り合う。
「これお嬢ってばさっきからなにやってんですかね?」
「バカお前そりゃこの間助けてくれたお礼とかがいいたいけど気恥ずかしいやらぁん、プライドが邪魔してるやらぁん、でいいだせねぇんだろ」
ピクッ、と。ザナリアの端正な細眉が稲妻を受けるが如く痙攣する。
しかしお付きの鎧兜たちはそんなこと気にも留めずにつづけた。
「えぇ!? お礼がいいたいのなら早く切りださないとどんどんいい辛くなりますよぉ!?」
「んで、結局いえずじまいで家に帰って悶々とするんだろうな、どうせよぉ」
「お礼をいうのにも順番ってありますからねぇ。お嬢が先にいってくれないと俺らもいえずじまいですよぉ」
漏れ聞こえる声に前を歩くザナリアの肩鎧がふるふると震えていた。
どうやら完全なる上下関係が構築された従者というわけではないようだ。聖女を囲う月下騎士や聖騎士と比べるまでもない。
そしてひそひそひそひそやっていると、ようやく堪忍袋の緒がぴしゃり途切れる。
「貴方たち先ほどから好き勝手にひそひそと! 私は別にお礼をいいたいわけではなく――そうっ! こうして人間という種族を遠巻きに観察しているだけなのですっ!」
「普通そういうのって相手に隠れてやるもんじゃないんすか?」
容赦ない切り返しにザナリアは従者をキッと鋭く睨みつけた。
鎧兜は「くわばらくわばら」兜のなかで声を曇らせながらすごすごと引き下がる。
どうやらザナリアは口ではないといいながらも用事があるらしい。
理解したミナトは、もう1度振り返って対話を試みることにする。
「あのぉ、時間あって暇してるっぽいしちょっといいかな?」
「な、なんですか唐突に!? 相手を勝手に暇と断定するなんて不敬ですよ!?」
ザナリアは音がでそうな早さで髪を振ってこちらに振り返った。
というよりこのままこの距離感で追われていては胃がもたないというのが本音であるところ。
周囲からの視線もなかなかに痛ましいのだ。騎士に見張られるというのは状況的にもよろしくない。
なにより乗りかかってくれたのだからちょっとくらい引きずり込んでやろうという魂胆もある。
「不敬かどうかは置いておくとして、軽い相談に乗ってもらえないかな?」
「軽い相談、ですか?」
ザナリアは鎧で膨れ上がった体格のわりに小さな頭をくたりと横に倒す。
希薄な関係ゆえ懐疑心はあるだろう。しかし興味がないわけでもないといった様子だ。
彼女は目を丸くぱちくり瞬かせながらミナトの言葉を待っている。
「えっと、キミらって魔法とか使うよね? なんか手から水をだしたり風を呼んだり?」
「ええまあ……使えるにこしたことはありませんし、なにより魔物から身を守る術でもありますし、生きるために使いますが?」
「その魔法とやらを使うための心得的なモノを教えて欲しいんだよね」
ミナトが旨を伝えると、ザナリアは「はぁ……?」眉を寄せてとぼけてしまう。
どうやら要領を得ないらしい。それもそのはず突然魔法を教えろと懇願するなんてあまりに唐突が過ぎている。
だからミナトは恥も外聞も捨てて実状を明かしていく。
「オレたち人間にはフレックスっていう特別な力が備わってるんだよ。なのにオレだけどう頑張ってもその力がまったく使えないんだ。だから魔法っていう別のアプローチ方法を試してみたいのさ」
引いてダメなら押してみろ。ダメ元でもとっかかりが欲しい。
フレックスでさえ未開の力なのだ。人にとって魔法なんてもっとわけのわからないもの。
ならば学ぶしかないではないか。それが明後日の方角を向く努力だとしてもやる価値はあるはず。
するとザナリアは手甲の平をカチャンと合わせる。
「ああ、あの蒼き力のことをいっておられるのですね。確か人種族のみに宿る蒼力と呼ばれる力。マナとは別に存在する力であるとどこかの書物で読んだことがあります」
――なにその書物!? 滅茶苦茶読みたいんだけど!?
「ですが貴方はあのとき使っておられたではないですか? 私たちを救うために、あの巨大怪魚にむ、かっ……て……」
「ん? どうしたの急に黙りこんで?」
ミナトは、違和感を覚えてそちらへ1歩ほど歩み寄った。
なぜだかザナリアの顔が秒を経るごとにかぁぁ、と朱色に染まっていく。
そしてついには重装を着ているとは思えぬ跳躍で後方へと飛び退いてしまう。
「きょ、許可なくこっちにこないでいただけますか!? 危うくあのとき聖女様のパンツ見たさに這いずっていた不埒罪を忘れるところでした!?」
「なにその不埒罪って!? あと別にあのときだってテレノアのパンツが見たくて近づいてたわけじゃねーし!?」
「ではパンツは見ていなかったと創造主に誓って堂々宣言できるというのですか!? 心の底からパンツを見ていなかったと誓えますか!?」
「パンツなんて見えてませんって堂々宣言される創造主はお前のところのヤツだろ!! あと若い女が街頭でパンツパンツ連呼するんじゃありません!!」
路地の中央で男と女が喧々諤々と覇気を飛ばし合う。
それは周囲の種族たちが見て見ぬ振りを決めこむほど。
ザナリアはもう耳の先まで真っ赤にして捲し立てるし、ミナトだって体裁があった。
とにかくあの巨大怪魚との戦いの際に聖女のパンツは確かに見えていたし、網膜にも記憶してある。だからこれだけは事実だった。
2人のやりとりを遠巻きに、お付きの兜頭ががっくりとうな垂れる。
「あーあー……せっかく向こうが歩み寄ってきてくれてるのに……」
「そういやお嬢って男所帯で育ってるからなぁ……。ちょっとした色恋やらエロス的なものにすげぇ敏感なんだった……」
とくかくこのままではおさまるどころか風評という被害が広がるだけだ。
お付きの2人にどう、どう、と律されてようやく。ザナリアとミナトは頭を冷やして冷静に戻る。
「とはいえ協力を請うのであればこちらとて無碍にはしません」
「え、マジ。てっきり高い位置からゴミだのグズだの貶されるだけかと思ってた」
「貴方……はぁ、私をなんだと思っているのですか」
これはさすがに思いがけぬ返答だった。
ザナリアは重くため息をつくと、諦めきった表情で銀糸の如き髪を深い川のように横へと流す。
「己の負を制しようと行動に起こすものを見捨てるは恥以外のなにものでもありません。努力を重ねて道を切り開こうとする、信念を燃やすモノはなにより尊きもの」
頬に興奮の余韻を残しながら、ぷいっ。
端正な顔立ちを横に逃がしながらも濡れた銀燭の瞳はミナトのことを捉えつづけている。
「使えぬ力を使いたいというのであれば協力は惜しみません。なにより……そのっ……ぉ、れ……ぃ、とか……」
そしてまたザナリアは顔を伏せて黙りこんでしまう。
沈黙の再来。と、思いきや今度の彼女はすぐに再び伏せた美貌を振り起こした。
「だ、だから少々私からも貴方へ提案がありますっ!」
ビシッと。銀の手甲に覆われた指を立てて指し示す。
ほう? ミナトは指を差されながらも感嘆の吐息を漏らした。
「つまり対等な取引ってわけか。オレに魔法を教える代わりに別のなにかで精算しろってことなら話が早くていい」
「その通りです! な、なので貴方にはこれから私と一緒に――ぶ、ぶてっくとやらに同行してもらいます!」
彼女の早口に耳を疑う事態となる。
同じようにお付きの鎧たちも、「「えぇ!?」」驚愕を兜のうちに響かせた。
ザナリアはいったいなんといったのか。ミナトは脳内でぶてっくという聞きなじみのない音を反芻させる。
おそらくはブティックといいたかったのだろう。ブティック、それはおよそ女性用の衣類や小物の売っている店を指す言葉のはず。
「貴方には聖女様が着ても差し障りないくらい愛らしいお洋服を私のために選定していただきます!」
ツンと筋の通った高い鼻立ちから荒い呼吸を刻んでいる。
半暴走気味というかやぶれかぶれの様相。興奮しきっている。
これにはミナトも困り果てて黒い頭にぼりぼりと爪を立てた。
「えぇ~……オレにそういうセンスないよ。たぶんだけど」
「四の五のいったところで決定権は私にあります! それに貴方は普段から見慣れているであろう聖女様を私に模倣すれば良いだけですから!」
――ん~……? 聖女だと認めないわりにずいぶんとテレノアにこだわるんだなこの子?
はじめて会ったときからそうだった。
ザナリアはどこか聖女に固執している。それは他人であるミナトの目からでも一目瞭然。
そのくせ咎めるのではない。可愛い、女性らしいと、憧れの対象にしている場面も多くあった。
「で、どうするのですか! もし着飾ることに協力してくださるのであればこちらも努力は厭わぬつもりです!」
もはや錯乱だ。目をぐるぐると回しながら引くに引けぬといった感じ。
見るに見かねてミナトも渋々同意するしかない。
なによりこの残念な美女が悲しむのは、少々どころかだいぶ心が痛む。
「わかったわかった。それじゃあやれることはやってみるけど、期待はしないでくれよ」
するとザナリアの表情がぱぁっと日が差すように明るく華やいだ。
玉座レースの敵対関係という奇異な状態ではあるが、ことここに至って一時休戦となる。
なんの因果かほとほと所在は不明である。とにかくミナトはウキウキと足どりの軽やかなザナリアについていくこととなった。
そしてその先に、まさか女性の戦場が待っているとは、このときまだ誰も予想していない。
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