150話 運命の十字架《Gift》
はじめてだった。有意義と思えるくらいたくさん話した。
エルフ国からの提案を呑むかというところまでを話すつもりだった。そのはずなのにいつの間にか不安や不満まで口にだしている。
よくよく考えてみれば、常に溜めこんでいた。弱気なのを気どられぬよう強がって生きていた。誰かに心配されないためにひた隠して暮らしていた。
だからミナトにとっていまはこうして打ち明けられる相手がいることが楽しくて、嬉しい。
「オレはノアのみんながまだ生きてるって信じているんだ。でも力に目覚めないオレの言葉に説得力なんてない。どのみち戦うのはオレじゃなくて別のヤツだから人任せにするしかないんだ」
他人にどうこうできる問題ではないことは理解していた。
しかしそれでも解決の糸口くらいは模索したい。
対して少女はあくびするでもなく、真剣な眼差しでミナトの話に耳を傾けてくれる。
「なるほど。つまり元の世界へ帰るということは過酷な戦いに身を投じるということ。そしてそのための力がご自身にないことを憂いている」
ぷっくりと麗しい唇の前に指を立てて眉を寄せた。
まるでそれが己のことであるかのようむむー、と小難しそうに唸る。
「これはひっじょーに難解な問題ですよ。私はいったいどの立場から発言すべきかをとぉーっても悩んでいます。そもそも人間様たちに帰るという選択肢があるということ自体が想像の範疇を超えてしまっております」
少女は瞼を閉ざし天を仰ぎながら腕を組む。
華奢な腕回りのわりに豊かに育った実りが押し上げられて形を歪める。
「ああいや……さすがにそこまで悩んでもらわなくても……」
「いえいえこれは由々しき事態です! こちら側としましてはこのまま人間様たちは大陸世界に住まうモノかと決めつけておりましたので!」
だん、と。少女は勢いよく立ち上がりながら両手で卓を叩いた。
透明なコップの飲み干されて溶けかけた氷水が波紋を作る。
さすがに親身すぎるだろう。ミナトはありがたくも違和感を覚えながら「こちら側?」首を横に捻った。
すると少女はハッと息を詰まらせる。
「こほん。大陸種族として、という意味です」
冷静さを振る舞うみたいに可愛く咳払いをした。
それからお澄まし顔で膝を揃えつつ椅子にちょこんと座り直す。
「過去にこの世界へやってきた人間様はその限りではありませんでした。はじめから迷わず永住を望んでおりましたのでてっきりアナタ様たちもそうなのかと……」
ふぅん? ミナトはやけに歯切れ悪い回答に疑念の視線を送る。
「なんか……キミ、変に詳しすぎない? もしかしてなんか知ってる?」
「い”っ!? い、いやそんなことはとてもとてもぉ~!?」
少女の口ぶりはさながら実際に見ていたといわんばかり。
神の加護により寿命無限なんてフザケた世界なのだから実際に会ったといわれてもあり得る話ではある。
しかし彼女は悩みを聞きながらも非常にロールプレイをしてくるのだ。ミナトの悩み相談なのにも関わらずそれが己自身の問題であるかのような言動をしてくる。
どこか他人事ではない空気を仄めかしつづけていた。
「そ、それよりも大切なのはアナタ様の願いです!? その一途な願いは他者にとやかくいわれて曲がってしまうほど軽い信念なのですか!?」
少女は両手をわたわたとさせ腰まである長い髪を踊らせる。
最後は妙ちくりんな不可思議ポーズにおさまった。
なにかと大袈裟な少女ではあるが、相談しているのはこちら側である。疑るのは失礼。
ミナトは落ち着きのない少女をぼんやり眺めながら顎に手を添えた。
「オレは帰りたい。帰ってみんなともう1度……」
ふと情景が脳裏をよぎって言葉が詰まる。
網膜に焼き付いているのは、あのとき8代目人類総督ミスティ・ルートヴィッヒと宙空から見た美しい光景だった。
そこではたくさんの色がひしめいてたくさんの命が輝いていた。そしてメッセージのことも覚えている。
ミナトが押し黙っているとよく晴れた空に似た蒼い瞳がこちらを見つめていた。
「アナタ様はどうされたいのですか? 隠さない本当の心の声を私に聴かせてください?」
そういって少女はたおやかな丘を作る胸元へ手を添える。
急かすのではない柔和な眼差しで、頬に肩を寄せるよう首を傾げた。
ミナトはこくり、と。1度ばかり頷いて彼女の瞳に見つめ返す。
「ちゃんと友だちになりたい。もっと色々話して笑って悩んで悔やんで、いままで失っていたぶんの時間をとり戻したい。誰がなんといおうともとにかくあそこはもうオレの居場所で、帰るべき場所なんだ」
はっきりとした口調で己の――心の声を吐きだせた。
いままで隠してきたモノ、気づかなかったモノ、閉じこめていたモノ。本当に欲しかったモノ。
アザーという死の星に奪われていた人としての時間を友とともに作り上げたい。それがミナトの純粋な願いだった。
聞き届けた少女は吐息をひとつばかり漏らして椅子から立ち上がる。
「本当に心から世界へ帰るというのであれば幾たびの苦難を乗り越えねばなりません」
それからぽんぽんと短尺のスカートを叩いてミナトのほうに歩み寄っていく。
ミナトは横にきた少女を椅子の上から見上げる。
「わかってる、と思う。実際にやってみないとどうなるかはわからないけど、立ち向かう覚悟はある」
未だ曖昧でしかない。ただ早々に諦めて足掻くことは止めたくなかった。
いつだってそうやって生きてきた。醜くても足掻いてここまで生きてきた。
だからミナトにとって目の前にある苦難とは当然の産物だった。
「ならばワタクシはアナタ様の長き旅路に心ばかりの祝福を授けましょう」
しゅく、ふく? ミナトが言い終わるより先に少女の手が胸元のボタンへと掛けられている。
繊細な指先で止めの1つ1つがぷつりぷつりと解かれていく。白くたわわな実りが制服から零れてしまいそう。
ミナトが愕然とした眼差しを送っていると、少女は深い谷間の奥からするりとそれをとりだした。
そしてそっとミナトの手をとって少女はそれを手渡す。
「これ、は……片羽根の生えた十字架?」
手の上に置かれていたのは、ネックレスだった。
ミナトは生暖かいそれに内心鼓動の高鳴りを覚えながら少女を見上げる。
「それは天使のなかでも最上位の運命を模した装飾品です。大陸中にありふれているものですが、所持者に良き縁と未来を与えるといわれています」
「これ、大切なモノじゃないんですか? なんかくれるみたいな流れになってますけど?」
すると「ありふれたものですから」といってにこやかな笑みを咲かせた。
ぱちり、と。愛らしく片目を閉じてから指をそっと唇の前に立てる。
「これもお得意様へのサービスということで。ついつい迷える子羊に手を差し伸べてしまいたくなったというだけですのでお構いせずっ」
軽やかな足どりでくるり、回ると春風に似て可憐。
しかも胸元が明け透けに解放されているため魅惑を秘めていた。
思わず目を奪われてぼんやりしてしまいそう。ミナトでさえ心奪われてしまいそうなほど、彼女は優しく、魅力的だった。
蒼い瞳はどこまでも澄んでいるし、日差しのように明るい笑みは冷えた心まで溶かしてしまう。時と場合によっては恋心でも芽生えてしまっていたかもしれない。
ミナトは片翼の十字架を手に秘めてもう片方の手を重ねて包みこむ。
「ありがとう大切にします。おかげで挫けていた気持ちに勇気が湧いてきました」
意図せずそれは祈りを捧げるかのような形だった。
少女も同じように両手を結んで額に宛がう。
「道なき未来に光を。運命の螺旋が紡がれる終末に栄光と繁栄あらんことを」
彼女のそれはきっと本当の祈りなのだ。
神なんて信じていない、偽物ではない、本当の神がいる世界に住まう民の作法。
「……あれ?」
ミナトは唐突に目を疑った。
いま一瞬だけ目の前にいる少女の背に白い翼が生えているように映ったのだ。
「どうかしましたか?」
しかしそれは本当に一瞬だけ。
制服すがたの少女は首を傾げてはらりと金色の髪を流す。
背にはなにもない。ただ胸元をちょっと開け広げすぎた女の子がちょこんと立っている。
「え、あ――いや! な、なんでもないです! そろそろおいとましようと思うんでお勘定お願いします!」
「ふふっ。アナタ様は可笑しくて素敵なおかたですね」
あまりに可愛いというだけで天使に見えるとは。
そんなもの甘さだけの上澄みを掬った恋だ愛だうつつ抜かす恋愛物語ではないか。
ミナトは椅子を蹴るように立ち上がると、もらった十字架を腰の道具入れへ大切にしまう。
きちんと大陸用の貨幣であるラウスで支払いを済ましてから足早に喫茶サンクチュアリを後にする。
「ありがとうございました~♪ またのお越しをお待ちしております~♪」
という暖かな音色に後ろ髪を引かれたが、振り返りはしなかった。
少女のおかげでやるべきことが明確になった。
だからもう迷いは消えている。己の望む未来に向かって歩み始めている。
裏路地からでるとかたむきかけた日差しが眩しい。目の奥を突かれるような刺激に思わず手をかざして眼差しを細めた。
「よしっ! なにするかなっ!」
気力は培ったが、未来に繋がる道なんて知ったことか。
やる気をとり戻したミナトはひとまず聖都を歩き回ってみることにする。
目的はない。ただ悩みながらじっとしているという選択肢はなかった。
聖都の入り口から城までつづくメインロードは日々賑わい活気にあふれる。濁流のような流れに足を止めたら押し流されてしまいそう。
「――あっ!」
そんななか種族で賑わう大通りでたまたまだった。
彼女は思わずといった様子で驚きの声を漏らす。
そして互いに見た顔がそこにあったからか、どちらも目を丸くして立ち止まる。
「お嬢どうしたんでさ? こんな往来で立ち止まったら危ないですよ? そうでなくてもお嬢の装備はバカ重なんですから回りが怪我しちゃいますってば?」
「あとなんでおしゃれな普段着がないからって鎧なんぞ着こんでんですか。社交場に着ていくドレスとかそのへんの良いやつあったでしょうに」
後ろにいるガタイの良いのはお付きだろうか。
頭からすっぽり守るバケツの如きヘルムの騎士が2名ほど。
「あ、ああ、あああ、貴方は!?」
聖都では珍しくもない銀燭の髪に種族特有の品ある美しさ。
そして騎士然と厳めしい板金鎧を身にまとう。
ただの偶然か。それともさっそく受けとった十字架を通して運命の天使とやらがイタズラでもしたのか。
ルスラウス教教祖の娘ザナリア・ルオ・ティールが、そこにいる。
「マテリアル・ミナト!?」
「おいこら止めろ!? 往来で魔法少女っぽい呼びかたをするんじゃない!?」
こうして再会するのは怪魚討伐以降、初だった。
………………




