146話 化かし合い《ELF’s QUEEN》
ただ美しかった。
背景が透けてしまいそうなほど色素の薄い頬も、絹糸を紡ぐような白い髪も、たおやかながらどこかイタズラめいた笑みも、そう。
息を呑むほど美しい。月並みな感想かもしれないけれど、ミナトが彼女に感じた第1印象は、それ。
少年が漠然と心奪われている間にも東は紳士的な対応をつづける。
「このたびはこのような場を設けていただけたこと、光栄の至りに存じます」
かしずくほどではないにしろ可能な限りの礼を尽くしていた。
少々やり過ぎと思えるくらいの社交的なマナーだった。
それを受けて女王は豊かに張った胸元にそっと手を添える。
「お顔をお上げになってくださいな。此度の礼を告げねばならぬのはこちらのほうです」
「もったいなきお言葉。麗しきお姿を拝見させていただけただけでも身に余る喜びに打ちひしがれる思いです」
「まあっ、お上手ですこと。髪の白いエルフなんてそちらのご気分を害されないか心配でしたの」
「とんでもございません。陽光でさえ代えがたく夜闇でさえ影に包めぬ純白には否応なく魅了されてしまいます」
よくもまあ、ぺらぺらと。上っ面は紙なんかよりよほど薄い。
東は、大人の色気をふんだんにまとう。蜜より甘い言葉で機嫌を損ねぬよう大袈裟に振る舞う。
対して麗しき女王も歯の浮くようなセリフに少々の照れを含ませていた。品がありながら屈託なく肩をすくませる様子は彫刻の乙女。
しかしてどちらも未だ本音で語ってはいない。 大 人 の通過儀礼として そ う い う の も必要なのだ。
――はぁ~……日が暮れる前に本題に入ってくれりゃいいけどねぇ。
ミナトは、もはや他人事で持て余す。
爪の根元辺りに浮いたささくれを摘まんで剥いだ。
ひとまず女王の意向としてはあるていどの予想がつく。とりあえず推し量ろうという腹づもりなのだ。
礼がしたいだけならば金品なり渡せば成立するし、受け渡しは別の誰かに任せればいいだけのこと。
しかし彼女はそうしなかった。実際にこうして出向かせて己の前に人間を呼び寄せたのだ。
つまるところ本質は対面することにある。対面することで対話しなにか別の副題を達成しようとしていると考えるのが妥当であろう。
「……ん?」
ふとミナトが蚊帳の外に立っていると、視線が注がれていることに気づく。
見れば麗しき女王がたおやかな笑みでこちらをさも愉快とばかりに見つめているではないか。
考え事の最中だったため虚を突かれつつ「な、なんですか?」ようやく言葉にする。
と、白き女王は控え目にくすくすと喉を鳴らす。
「貴方がカマナイ村を苦しめていた怪魚をお仕留めになられた御方ですね?」
「え、あ……いや、あれはみんなで協力して討伐しただけでオレの力なんて……そんな」
たおやかな笑みに巻かれるような気分だった。
意図せず美しさに当てられてしまう。返しもしどろもどろで格好悪い。
ミナトが戸惑っていると、女王はしなやかな動作で座から立ち上がる。
深くまで開いたスリットの間から白き肌がこぼれた。頼りなく解けそうな絹を流してミナトの手にそっと触れる。
「隠さずとも真意はとうに見定めております」
「……あ」
女王は触れた手を己の胸元に引き寄せて両手で包みこむ。
決して強引ではない。少しでも力を籠めたら容易に払い除けられただろう。
しかしミナトは手に触れる熱ときめ細やかな感触を解こうとはしなかった。
「無縁であるエルフ族なのにも関わらず進取果敢な行動はまさに勇敢と称するしかありません」
「そ、それはスードラっていう龍が持ちこんできた依頼だっただけで……」
「しかし総意をお取りになって果敢に挑んだことは紛れもない事実です。そして現実として罪なきエルフたちの死を遠ざけお救いになられた」
言い返そうとするも白き眼差しに射止められてしまう。
彼女の紡ぐ言葉の1つ1つが珠の如く美しすぎた。
触れる熱も、漂ってくる甘き香りも、あふれる吐息も。1つ1つに心酔しかける。
まるで美の女神。そう、クラクラした頭で幻覚を見てしまうくらい彼女は完全だった。
「エルフ国女王リアーゼ・フェデナール・アンダーウッドの名をもってして、大いなる英雄に心ばかりの感謝を送らせてくださいませ」
そういって女王ミリアーゼはミナトの手に唇を寄せる。
そして濡れた唇が手の甲に優しく触れて口づけとした。
「~~ッ!?」
頭がぼっとする。爆発してしまいそう。
現実感もなにもかもが剥離していくみたいだった。
1国の王に過分な解釈をされて感謝される、なんて。こんな一介の人間に許されて良いことなのか。
唇が離れてもなお手の甲に残る甘い感触に髄が焼き切れてしまいそう。
「ほう、うらやましいぞ! 清らかな乙女のベーゼを賜るとは光栄なことこの上ないな!」
「う、うるせぇ!? こういうの慣れてないんだよ!?」
東に茶化されつつも、悪い気はしない。
なにより誰かに認めてもらえたということが胸いっぱいに誇らしかった。
ミナトにとってははじめての経験だったから。
ことを成して実を結んだ経験はいままでなかった。あのときも、そのときも。どれだけ辛く苦しい環境で努力しても実らなかった。
どれだけ手を差し伸べても帰ってくるのは非難ばかり。結果、死神とさえ蔑まれた。
「…………」
表情は冷静さを保てていたが内側はそうではない。
頬が熱い。心が跳ねる。思わず握った拳に視線を落としながら打ち震えた。
この滾る思いはきっと達成感というやつなのだと知る。
努力が実を結んだ。それはいままで得たことのない本物の報酬だった。
「リアーゼ様そろそろ報酬のお話に入るべきかと。あとあとの予定も詰まっておりますので」
「あら、そうでしたわね。人間様たちとこうして触れあえてついはしゃいでしまったようです」
給仕の女性に指摘されたリアーゼは、長耳を傾け、残念そうな吐息を漏らす。
ここからが本題だった。わざわざ呼びだしたのだから相応の目論見があって然るべきだろう。
東は、若干ほど浮ついたミナトの小脇を肘でつつく。
「1国の女王が貴重な時間を裂いているのだ。わざわざ口づけで済むとは限らんぞ」
「そ、そんなことわかってるっての! この流れなら追加の依頼でもあるっていいたいんだろ!」
ひそひそ、と。あちらに聞こえぬよう声を潜めて意見を交わす。
十中八九。実力を見こんでというやつがくる。これは東もミナトも相互に覚悟している事態だった。
あれほどの大捕物の後なのだ。エヴォルヴァシリスクを狩ったという部分で実力は十分に示せていた。
「それでは怪魚討伐をなさってくださった人間様たちにこちらの契約書を容易いたしました」
そういってリアーゼは高級感のあるガーデンテーブルからひょいと厚紙を拾い上げる。
そしてそれを給仕の女性に手渡す。
受けとった給仕の女性は厚紙を広げると声にだして読み上げていく。
「これより契約書の内容を確認していただいた上でサインをしていただきます。契約内容は、エルフ国最高権威者である女王リアーゼ・フェデナール・アンダーウッドの権限をもってして執り行われます」
契約書とはなかなかどうして気が引き締まる単語だった。
「最高権威権限とは、公的文章というやつだ。国との約束事とはずいぶんと恐れ多い」
「悪魔の証明みたいなマネは勘弁願いたいな」
2人の表情にも僅かにピリリと緊張が籠められた。
契約とは簡単にいうなら法の加わる約束事のこと。一方的な破棄はできず合意にも互いに理を得て納得しなければ拘束性は生まれない。
もし安易に契約でもするなら後悔どころの騒ぎでは済まない。あちらからの目的を果たさねば呪いとなってつきまとうだろう。
そしていまかいまかと待ち望むミナトと東は、給仕の女性の言葉を同時に疑うことになる。
「此度のエヴォルヴァシリスク討伐の報酬として我々エルフ国は、貴方たち大陸にやってきた人間へエルフ国での永住権を与えます」
「は?」
素っ頓狂な声を漏らしたのは、未熟者のミナトだけだった。
東は「なるほど」なにやら含みのある微笑を浮かべている。
「フゥン。これが完全な善意であるなら余所者である我々にとってはとてもありがたい提案だ」
が。すべては語らない。
しかし目は確実にリアーゼにつづきを語らせようとしていた。
すると美しき白き女王は繊細な喉を奏でながら肩を揺らす。
「私が人間様方を国境で囲おうとしている。そう、おっしゃりたいのですか?」
「貴方は大変聡明な女王のようだ。我々未開技術を所有する人間をエルフ国の糧にしようとお考えらしい」
東の対応からわざとらしさが抜けていた。
明らかに交渉する立場で平等の態度を示している。
対してリアーゼの惑わせるようなにこやかさが僅かな冷笑を秘めていた。
「もしそちらのいう糧とする場合でしたらどうなさいまして?」
半身ほどあふれる山なりになった胸に手を添える。
身体を傾けると女性にしては短な白き髪が頬を撫でて流れた。
「丁重かつ断固として断らせていただこう。我々から自由を奪うことはたとえ貴方の信奉する神が願ったところで、この俺が許しはしない」
隠しようのない真っ向からの否定だった。
なのに目論見を外されたはずのリアーゼは微笑を崩すことはない。
代わりに給仕の女性に催促するかのよう視線を配るだけ。
彼女は、1度ばかりこくりと頷くと書面を淡々と読み上げる。
「次いで他国に与する場合に至ったとして貴方方が望む限り我々エルフ国は人間たちを保護することを誓います」
「なっ――!?」
《区切りなし》




