145話 白の女王《Hevenly Queen》
天を穿つ大樹を見上げながら郊外のほうへと足を踏み入れる。
雑踏から遠のくと忙しない都市部とは区切られた落ち着いた空気が漂っていた。
杉並の道に敷かれた赤レンガの道。囲うように花のトンネルが等間隔に置かれている。
時を違えれば花の妖精にでも出会えたかもしれない。もしかしたらそこらの茂みで昼寝でもしていても不思議ではない。そう思わせるくらいにこの場には無邪気さと神聖さが同居していた。
ミナトは煌びやかな自然に目を奪われながら東の背をつかず離れずの距離で追従する。
「そういえば女王ってどんなエルフなんだろうな。他世界から迷いこんだ人間に興味を示すなんてずいぶん好奇心旺盛みたいだけど」
「レィガリア殿曰く、エルフ国の女王は世にも珍しい白髪の美女らしい。このルスラウス世界での白き髪というのは天からもたらされる吉兆の兆しなのだとか」
「髪が白いと縁起がいいのか。不思議な価値観なんだな」
「死した魂が天界の力で転生したさいに与えられる祝福の証らしい。逆に黒い髪は冥界側の神による恩恵だそうだ」
「転生……? ずいぶんミスティックな話を絡めてくるんだな。なら髪が黒いオレは冥界側になるってことかね」
未だ呼びつけた相手はシルエットのまま鮮明に見えてこない。
ひとまずエルフたちの端整な顔立ち振りからして予想は容易だ。とりあえず美女であろうことはなんとなしか確定しているようなもの。
エーテル族の種族的美しさも負けず劣らずだが、エルフ族は少し違う。人を寄せ付けぬ触れることさえ躊躇するような美しさとでもいおうか。
エーテル族の場合だと、気ままな印象のほうが強い。聖女をはじめとしウェルカムな気さくさが魅力的である。
対してエルフ族たちの麗しさは、近づけ難い。精巧な手腕で余分を削ぎ落とした作り物であるかのような陶器を思わす。
ミナトからしてみれば付き合いやすいエーテル族に軍配が上がる。
「会ってみればわかるさ。種の王が俺たち人類をいったいどうしたいのかもな」
「百聞は一見にしかず、か。下手に藪を突いておっかない蛇がでなければいいけど」
荘厳であり華やかな自然に一瞥と注意をくれながら進んでいく。
さすがに都市部の近くなのだから魔物が飛び出してくることはないだろう。
そうなるともし襲ってくるのならば暴漢や盗っ人の類いか。治世の具合が推し量れぬのだから注意するに越したことはない。
ずいぶんと歩いたため遠巻きに30cmほどだった大樹がもう視界におさまらぬほど近づいている。
まさに樹皮の壁である。いまやあんぐりと口を開けて見上げても頂点さえ拝むことは難しい。
「お? なんだか建物が見えてきたぞ」
そうしてようやく森の裾へと辿り着く。
木々が開けた向こう側には巨大な鉄柵の如き建築物が待ち構えていた。
「外門か、これ?」
「どうやらそのようだな。外と区切るように塀が作られている。ここが敷地への入り口とやらになるのだろう」
東は8m近い門を見上げた。
蔦の這う鉄の格子は明らかに手の入った建造物だった。
さらに両隣には両手をわあと広げるようにしてずぅ、とレンガの塀が広がっている。
周囲を見渡してから無精髭を蓄えた顎に手を添え、フゥンと鼻を鳴らす。
「どうやら呼びだしのインターフォンはないようだ」
東の推察通り。門は固く閉ざされ物言わぬまま立ち塞がっていた。
これでは進むことも叶わない。とはいえ呼びだされて戻ることも心無い。
「と、なるとどうしたものか……このままでは文字通り門前払いになってしまう。ミナトとりあえずお前が大声で叫んで誰かいないか確かめてみろ」
「嫌だよ! なんでオレがそんな下っ端みたいなことしなきゃならんのか!」
「それなら仕方がないここで立ち往生だ。残念、お前の冒険はここで終わってしまったな、無念」
「人の冒険の電源部分に勝手に触って終わらせるな! あとそうなったらお前も一生道連れしてやる!」
大人と子供。門前で騒いでいると敷地奥の邸宅辺りに動きがあった。
なかから人影らしきものが1つほど。扉からするりと抜けでる。
そしてしずしずとした足どりでこちらへ向かって近づいてくるのが見えた。
「お、良くやった。お前が騒いでくれたおかげで良い感じの呼びだしになったようだ」
「腑に落ちない!」
そうこうしている間にも影はじょじょに鮮明になっていく。
笹葉の形状をした耳に、新緑色のショートヘアー。身にまとうのは黒のロングスカートワンピースに清潔な白いエプロン。
一見して素朴。だが慎ましやかな給仕服で逆に目新しい。
「ほう。クラシカルな女性用のメイド服か」
東の眼光が目ざとく光った。
近づいてくる相手が女性であると気づくや否や、だ。
姿勢を正してキリリと表情を引き締めた。
――相手の性別で態度を変えるって嫌な大人だなぁ。
ミナトがうんざりしていると、ようやく給仕服の女性がこちらへと到着する。
女性は軽く長耳をひくりと動かして鉄門越しに身体を45度ほど傾けた。
「お待ちしておりました。可能であれば招待状のほうを拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
葉すれのざわめきのなかでも良く通る、透き通った声だった。
東が無言で懐から招待状を抜きとって手渡す。
と、「ありがとうございます」もう1度浅めの礼をくれる。
それから彼女は招待状の封蝋部分に白細い指を沿わせた。
「お返しいたします」
すぐさま招待状が返却される。
東は、ダンスに誘うが如き大仰な礼を送った。
差しだされた招待状を2指の指先でついばむようキザったらしく受けとる。
「もう確認作業はよろしいのかな? 俺たちが人を語り女王に近づこうとする不埒な輩の可能性もあり得るが?」
「その特別製の封蝋には女王様の紋と一緒に魔力が籠められております。なので本物であるなによりの証明となります」
「ほう。魔力というのは身分証明にも使えるのか。これは便利だな」
感嘆の吐息を漏らす東をよそに、女性はあくまで義務的である。
ヒールの踵を奏でながら2歩ほど距離を開けると鉄柵の大門に手を掲げた。
「これより開門を行いますので少々お下がりください」
ミナトと東はいわれた通りに数歩下がって距離を置く。
女性は手を掲げたまま歌でも歌うようにして「《アンロック》」意味ある言葉を紡いだ。
すると門に絡んでいた蔓がにょきにょきと成長を始めて絡んでいく。
幾重にも絡んだ蔦は次第に無骨な大門を緑色へと染め上げる。
そうして女性が手を引くような動作をいれると、同じように大門が軋みを上げて中央から開いていった。
「見てみろ。インターフォンはないが自動ドアはあったみたいだ」
「これを自動っていっていいのかは、はなはだ疑問だがな」
2人は開門していく様子を呆然と見守ることしかできない。
まさに魔法あるいは奇跡の類いだった。蔓蔦の成長を早めるどころか手足のように動かせるとは。
これでようやく給仕服の女性と仕切りなしでの対面となる。
「どうぞこちらへ。女王様がお待ちです」
そういって彼女はベルのようなスカートをひらり翻す。
ミナトと東は軽くアイコンタクトを飛ばしてから後につづいた。
向かう先はどうやら見えている豪華な邸宅の方角ではないらしい。そのまま舗装された赤レンガの道をぐるりと迂回していく。邸宅を右手方面に外周に沿って進む。
邸宅はおよそ宮殿と呼んでも差し支えないほどに巨大だった。そのうえ庭園まで広大であり、いたるところに石細工や白亜の天使が飾られている。
ミナトは物珍しさからきょろきょろと忙しなく視線を巡らす。
「なんかすごいところだな。王が住む別邸というか別荘というか金の掛かりかたが半端ないっていうか」
もうここまできたらのだから腹は括っていた。
あまりにかけ離れた世界観にはすでに適応している。物見遊山でもするように気楽な気分だった。
「…………」
しかしさすがの東でさえ圧倒されているらしい。
真剣かつ大人びた顔立ちで口元を引き結んでしまっていた。ミナトとは違って視線もあちらこちらと逸れることがない。
さすがの高官中年といえどだ。高貴なる館と国の主ともなれば緊張を覚えるのか。
「おい大丈夫かよ? 責任ある立場だからっていまから肩肘張ってるともたないぞ?」
あまりの真剣な表情に心配になって問いかけてみた。
それでも東は一貫して表情を変えることはない。
「ふぅん。スカートの下は安産型かつ胸の張りもなかなかに若い。さすがは女王に仕えるだけのことはある――上玉だ!」
真剣な眼差しは前を歩くの女性をピタリと捉えつづけていた。
舐め回すような視線とはまさにこのこと。
東は緊張するどころか全神経を注ぎながら女性の成分解析を行っていた。
「もういいよ勝手にしてくれ心配したオレがバカだった」
そうやってしばし給仕の後につづく。
どうやら建物自体がコの字をしているようだ。右辺を入り口とし現在左方側の裏庭に向かっている。
そしてようやく目的の姿が見えてくる。
色とりどりの薔薇が咲き誇っている中央に置かれた白細工の椅子の上に彼女はいた。
さながら薔薇世界。その真ん中で彼女はお伽噺の登場人物のように紅茶をくゆらせている。
「こちら人種族……人間のかたがたをお連れいたしました」
「ご苦労様です」
給仕の女性に促されてミナトと東は歩みでる。
すると彼女はルージュの引かれた口元で緩やかな弧を描く。
「そしてご足労感謝いたします。大いなる蒼の英雄の血脈たち」
白き女王は頬横で手を打ち、微笑む。
(区切りなし)




