144話 語る背中《Captain》
そうして花と木々の都に迷いこんで半刻ほど経っただろうか。
謳う都はこうして朴訥と歩いているだけでも視界を潤わせてくれる。
「おいミナトあれを見てみろ」
「なにか珍しいものでもあったのか?」
東の指さす方角には河川があった。
せせらぐほどの緩やかな水の音は都の雑踏に冷を運ぶ。
どうやら東の興味は水ではなくそのうえに浮かぶ小舟に向けられているらしい。
まさにいま上流から横を通り抜ける小舟には木箱やらの雑多な品が大量に乗せられていた。
「あれは水の流れを利用した艇運搬だな。ああして上流から重い荷物を流すことで都に流れる川を物流網としているんだ」
「へぇぇ~。川と文明は切り離せないものとはいうけど上手いこと自然を使いこなしているんだなぁ」
「俺たち人類がかなり昔に辿った道でもある。まるでタイムスリップでもしたかのような不思議な感覚を覚えるものだな」
ほぉ。ミナトが不抜けた声を出している間にも、小舟は上手い具合に河港の橋に横着けする。
待ち構えていたエルフたちが渡しを掛けてから荷下ろしを開始した。
そこからはどうやら荷台に載せて別の場所へと運ぶ手はずとなっているらしい。立派な角を生やした牛が草を食みながら鞭が入るのを待っている。
それ以外の場所でも人間の目に届くものすべてが新鮮かつ斬新だった。
あちらでは地下水をくみ上げるポンプ近くでなにやらわいわい黄色い声が漏れ聞こえる。
「なんであそこの若い連中はしこたま積んだブツブツを踏んでるんだ?」
ミナトは見慣れぬ儀式に首を横にかしげた。
向こう側では長耳エルフたちが恥ずかしげもなくスカートをめくり上げて足踏みをしている。
まるで桶のなかでタップダンスでもしているかのよう。きゃあきゃあ笑顔を弾けさせながら白い素足で積まれたナニカを潰していく。
「うどんでも作ってるのかあれ? だとしたら信が喜びそうだなぁ」
「む? 普通あの光景を見ればワインを作っていると一発でわかるだろう?」
東は奇異なものでも見たかのように目を丸くした。
いっぽうでミナトは「あー聞いたことあるなぁ」とのんびりとした口調で返す。
「じゃああれがブドウなのか。アザーには果物なんて乾燥した状態でしか届かないからわからなかったよ」
「お前というヤツは変に知識が偏っているな」
そうやって2人はしばし足を止め黄色い声の発生源を遠巻きに眺めた。
控え目にいって、眼福。うら若き見た目から老いることのない少女たちがあられもない格好で果実を踏みしめる。
白枝の脚が交互に踏まれると、ときおりちらりちらり。肉感的太ももの奥の奥が垣間見える。
見物している男2人の目も思わず細くなった。
「ちなみにあそこで作っているのは恐らくオレンジワインだ。白ブドウの果汁だけを使う白ワインとは異なりああして果実を皮ごと潰し発酵させるため鮮やかな酒になる」
「ってことは赤ワインっていうくらいだし普通のブドウは赤いのかい?」
「通常のブドウにはタンニンが含まれているためほどよいルビー色をしているな」
東はおもむろにALECナノマシンを起動し指を踊らせる。
ほどなくしてミナトのALECナノコンピューターにデータ付きのメールが届く。
開いてみてみれば紫の果実をたっぷり蓄えた房状の果実と、グラスに注がれたルビー色の汁が映しだされた。
「はぁ~……これが話に聞くブドウとワインかぁ。なんか小粒で食べやすそうな外見だなぁ」
アザーで生まれた少年にとっては大陸世界も方舟もあまり変わらない。
触れるものすべてが新鮮で美しい。あの白と黒しかない灰の星では出会えなかったものばかりであふれている。
「なんだ? さっきから人の顔をじろじろ見てなにかついてるのか?」
ふと視線を感じて中空のモニターから目を逸らす。
すると骨格のしっかりとした年輪を匂わす大人の顔がこちらを真っ直ぐ見つめていた。
東はフザケた性格ではあるが、若人たちからは確かな信頼を得ている。相応の大人としての振る舞いならそこらの人間よりはるかに優秀であろう。
「お前に叶えたい夢はあるか?」
「なんだよ急にかしこまって?」
ミナトは、きりりとした男前に見つられて居心地悪く眉をしかめた。
いまさら夢だ、なんて。数を数えたらそれこそ星の数ほど、キリがない。
「美味いものも食べたいしいい布団で寝たいし夢なんていくらでもあるぞ」
ミナトは質問の意図を掴めず指折り数えながら首を捻った。
と、東はふふと頬をほころばせる。
「ならば夢に向かう足だけは止めるんじゃないぞ。夢とは水泡に似て儚く、気づいたときには泡沫のように弾けて消えてしまうからな」
そよ風が長白い羽織の裾をはためかせた。
その染みひとつない清廉な白羽織の背には、深く祈りを捧げる女性の横顔が描かれている。
彼率いるチーム《祈り女神》の掲げる紋章だった。
「唐突にそんな話をされても実感がないんだよな。そういう東にだって夢くらいあるんだろう?」
ミナトが逆に問うと、東は迷いなく「ある」と口にした。
考える素振りさえなく真っ直ぐミナトの目を見ながらそう答えた。
「だがお前にだけは俺の夢の内容を一生教えてやらんがな!」
「なんだそりゃ。いや別に聞きたくもないけどさ」
東は裾を翻し颯爽と歩き始めてしまう。
からから気っ風良く笑いながらずんずん歩を進めていく。
「はーはっはァ! とりあえずお前は女の1人でもモノにしてみるんだな! 世界をより広く見るためには女と金の動きを読むことがすべてといってもいい!」
ミナトも置いていかれぬよう小走りになって後につづく。
「街道のど真ん中でゲスいことを叫ぶな! いちいち声がデカいんだよお前は!」
革命やら仕事やら。なんだかんだと東とは腐れ縁がある。
だがこうして落ち着いて2人きりになって会話をするのははじめてだった。
そこからもしばらく文明に馴染みのないおのぼりさんと意外と面倒見の良い大人の関係がつづく。
「エルフの女性は周囲の種族とは異なりとくに気が強いから注意が必要らしい。と、レィガリア殿に教わった」
「そういえば回りを見ていてもけっこう女性が元気な種族だもんな」
話してみれば案外気が置ける相手だった。
年は一回りそこそこ離れているというのに存外会話が弾む。
大人1匹、子供1匹。構図としては親子のように見えるかもしれない。
「気が強いということはしたたかな女という意味だ。ときに挫けた男をたたき直し身をもって子を守る。良き家庭を築くまさに良妻賢母の特徴だぞ」
「じゃあ気が弱い子はどうなんだよ? ウィロメナとかとくにオドオドしているけど良い子だぞ?」
「フフン。気弱というのは必然的に男を立てることに繋がる。暗いタイプは即発言しないぶん我慢強い忍耐力をもちあわせている。つまりいい女の象徴だ」
「おいこら……つまるところ女ならなんでもいいんじゃねーか」
「すべからく愛すべし! 愛さねば見えるはずのものも見えてこないというのが俺の信念さ!」
不思議と。というか互いに馬鹿馬鹿しくていつの間にか笑えていた。
なんの実りもない。まさに他愛もない、だ。
そう、同性の友と暇な時間に語らうような感じと良く似ている。
なんとなくだがミナトにもこの東光輝という男のもつ魅力がわかりはじめていた。
――コイツ……なんでこんな状況なのに自信満々でいられるんだ?
こんな状況のはずなのに。ミナトには彼が威風堂々と胸を張っていられる理由がわからないでいる。
それでも彼は靴音高く、決して背を丸めることさえしない。己の進む道こそが世界であるといわんばかりの佇まいを崩すことさえしないのだ。
ゆえにそのわけのわからぬ自信が他の人々にも伝搬する。東という根拠のない男の背を見ているだけで不安という余分思考が掻き消えていく。
この男についていけばどこかへと導いてくれるだろう。そんな、実物よりも大きな背に人々は惹きつけられるのだ。
「はぁーはっはァ! 俺はお前のその非常識な部分にうんと期待を寄せているのだからがっかりさせてくれるなよな!」
――……変なヤツ。
大陸世界に迷いこんで幸運だったことがあるとするならば、1つだろう。
この大胆不敵に高笑いをする男がともに存在すること。
未だイージスのメンバーたちが希望を捨てずにいられるのは、きっと東光輝という大人が導いてくれているから。
そう定義してもなおミナトはなんだか無性に腹立たしかった。
………………
「と、そろそろ約束の場所のはずだ」
(区切りなし)




