143話 男2匹ぶらり森の住処《Offering to the Queen》
濃緑色の暖簾を潜れば木々と豊かな自然が出迎えてくれる。
エーテル国から南西に向けて2日ほどの道中とて龍の背ならば半刻とかからぬ。
そうして降り立った場所は密林の緑蔓延るエルフ国だった。
旅の1歩目からすでに大いなる自然と鳥、花、葉の澄んだ空気が心地良し。街中が枝葉を塗って斜めに流れる日差しで斑を描く。
そんな幻想的な風景にいっそう元気な中年が割りこむ。
「はぁーはっはっはァ! 自然と暮らすエルフの名に恥じぬ美しい街並みだ! 浸っているだけでもマイナスイオンをひしひしと感じるぞ!」
道行くエルフたちが怪訝そうな目で声の主を地取り睨んだ。
だが薄く無精髭をちらした中年には冷ややかさは伝わることはない。
ともに降り立ったミナト・ティールは奔放な中年を横目にじろり、睨む。
「お前が隣にいるとプラスイオンがすごいな」
「ふぅん? オカルトか? 若い連中は造語が好きなのだな?」
「うわぁせっかく同じレベルに合わせてやったのに冷静になられると無性に腹が立つぞ」
刺さる視線も遠回しな嫌みもなんのその。
東光輝は白き羽織をたなびかせながら街並みを横切るようにずんずん進んでいってしまう。
苔生した石畳の上を意気揚々と革靴で闊歩する。まるで馬の行軍。コツリコツリ、と硬く軽い音が景気良く歩調の調べを奏でる。
ミナトも重い足どりでとぼとぼつづく。
「ああくそ……なんだってオレが中年と2人きりなんぞせにゃならんのか」
「はっは! お前が女なら俺ももう少しばかり甲斐性を見せたのだが残念だったな!」
なるべく他人の距離を保ちながら東の背を追った。
なにが悲しくて男2人で森林浴を楽しんでいるのかといえば、呼ばれたからである。
人間たちの不時着の地エーテル国の聖都にとあるエルフがやってきた。そして彼女は1つの封書を手渡してきた。
恐る恐ると封蝋を切って目を通してみれば思わず目を剥き驚愕する。なんとエルフ国女王直筆による招待状が封入されているではないか。
そういう経緯があってミナトと東の2人は、エルフ国の夢見る大樹へとやってきていた。
「はっはっはァ! どうやらこの国の主は俺たち人間に興味津々の様子! そしてついでに未知の病原菌を根絶させたことへの褒美をくれるらしい!」
おもむろに白衣の裏側をまさぐると懐から例の封書をとりだす。
名刺よろしく2本指で抜きだされた封書はそこらの紙と高級感が違う。
まず封をするのでさえ蝋なのだ。そのシーリングスタンプには繊細な花で紋が押されている。
しかもなかに入っている手紙でさえ魔物の皮を精錬した高級厚紙だ。無駄に金と資源がかかっているあたり意識の高さが窺えた。
「女王からのラブレターだ! 男たるもの断るわけにはいかんよなぁ!」
「女王からの誘いだからこそ断れないってだけだろ。断って機嫌でも損ねたらなにされるかわかったもんじゃないしな」
ミナトは、ノリノリの東とは違う。
ハンズポケットで背は丸く。やはりというか機嫌の所在はそれほど良くない。
まずもってこの中年との2人旅ということが気に食わないのだ。しかも権力のご機嫌伺いなんてたまったものではない。
ゆえに本日のミナトは少々気重にふてくされている。
「実際のところ病原菌じゃなくて怪魚の呪いだったけどなぁ」
「目に見えぬ石化をばら撒く化け物とはおぞましいものだ。しかしそれを早期討伐できたことは1国の王にしてみれば心の底から安堵ものだろう」
「礼をしたいんだったらそっちからでむいてこいってのにさ。まったくなんでこっちからご足労おかけしなくちゃいけないんだ」
「そうぶつくさいってやるな。高貴な階級には大きな責務が常にまとわりつく。それこそ俺が8代目人類総督なんぞやらなかった理由だからな」
やいのやいの、と。中年と少年は毒にも薬にもならない会話で間を紛らわす。
実際のところ自然豊かな街並みは見事だ。見逃しておくには惜しい光景が広がっている。
エルフの街は森と一体となって人間たちを歓迎してくれていた。
建物は余すことなく木材で、壁には蔓蔦が自由に這い巡る。木々には花が飾られ街の至る部分に色とりどりが散りばめられる。
ずらりならぶ露店には新鮮な果物があふれかえるほど。それを清廉な美男美女の長耳たちが井戸端ついでに籠に放りこんでいく
豊かな自然と同居する広場は、まるで油絵具で丁寧に描かれた重厚な絵画であるかのよう。噴水に腰掛けた新緑色の若者が滑らかなハープの音色で日常を彩っている。
「なーんでこんな素敵な場所でオレと東の2人旅なんだかな」
思わず心の声が漏れてしまう。
友や彼女――いたことないけど――と一緒なら時間を共有できたはず。
なのに隣にいるのは女の尻に目移りしながら踵を踏む中年である。やるせない。
「そうはいうがたまの男2人旅もいいものだぞ。男同士だからこそ有意義に伸ばせる羽根もある」
いっぽうで東は訳知った風にフフンと鼻を吹く。
一報を受けてからというもの彼はどこまでも機嫌が良かった。
そして功労者である若人たちを押しのけ、エルフ国への旅路に出向いている。
「なによりエルフは美女ばかりらしいからな! 旅路で少々摘まんでいくのも悪くないだろう!」
「お前いまとうとう本音いったよな? こちとら未成年なんだから公序良俗くらいは弁えておけよ?」
褒美をやるといわれてのこのこ出向くのもずうずうしい。
しかも相手が王族ともなれば尻込みだってしようもの。
しかし人間たちにはもっとやるべき大きな目的がある。
「このエルフ国からの招待はブルードラグーン修理への大きな架け橋になるだろう。エーテル国に次いでエルフ国の支援も得られるなら僥倖といえる」
「とはいえエーテル国の玉座争奪戦はまだまだ先が見えないけどな。けっきょくエヴォルヴァシリスクの半分は向こうさんにももっていかれたわけだし」
船の修理のために必要なのは潤沢な金、ふんだんな資源、より多くの人手だった。
墜落時に両翼がへし折れた船を元に戻すにはなにもかもが足りないのである。
そういう事情もあってか東もミナトも2人ともが今回の遠征に踏みださざるを得なかった。
「お前たちが絶望に貧したカマナイ村のエルフたちを救ったんだ」
「……そういうことかね」
「そうさ。ずいぶんふてくされているようだがもっと胸を張って歩け。謙虚と自信のなさは決して同義ではないぞ」
「……そうかい」
ミナトはふと右手首に巻かれた切れ端を見つめる。
そこには淡く色づく優しさの籠められた贈り物が結ばれていた。
小さな村から送られた1つのお礼だった。カマナイ村に伝わるカマナイ染めのアームバンドである。
超進化個体エヴォルヴァシリスクを討伐したことで、あれからカマナイ村は安堵と平穏に満ちていた。
「ああ、そうだな。こんな湿っぽい顔してたらどこぞのツンケンした女にバカにされそうだ」
ミナトはぴしゃりと片頬を打って気分を裏返す。
村にあふれていた笑顔はなによりも心に刻まれるべき宝物だった。お礼だって聞き飽きるくらいいわれたし、同じくらい励みにもなっていた。
奮闘した龍も、呪いに伏したエルフも、大団円だったのだからそれ以上いうことはない。
あれ以降フレックスはまったく使えていないが……――まあ良しとするかね。
うだうだ挫けていた理由を塗りつぶす。と、ようやく晴れやかな気分が返ってくる。
「なんか色々悩んでたけどバカらしくなってきたな! さっさと用事を終わらせて聖都に帰ろう! そんでまたジュンたちと合流したら聖女レースに参戦だ!」
肩を回し、回し、気分一新して困難に挑む気力を再補充した。
顔を上げると緑の天蓋から線になって降り注ぐ陽光が目を突く。眩しくてちょっぴり目を細める。
あれからもずっと試しても能力が開花しない。もう1歩が届きそうで届かないでいた。
ただ使えたという事実が鮮明に残されている。あの強敵と対峙した瞬間だけ使えたということは希望だった。
「…………」
「ん? なんだよこっちがやる気だしたってのに急に黙りこむなよ?」
こっちがノってやってるというのに東は振り返ろうともしない。
あれだけはしゃいでいたにも関わらず心なしか靴音は低め。少し先のほうをぼんやり眺めたまま。
「おい無視するなって。なにもまだ耄碌するような年ごろでもないだろ」
ミナトが追いついて覗きこむ。
と、明るい色をしたブラウンの瞳がゆっくりとこちらのほうを向く。
「なんか考え事でもしてたのか?」
「フム。いや、なぁに。悲観しないのも1つの勇気であると思っただけだ」
そう「気にするな」「はぁ?」と言葉を交わし男2人でのらりくらりと並び歩く。
さ迷い人の周囲では、長耳緑色のエルフたちが大樹の元に集いながら日常を綴る。
緑豊かな都に集まる冒険者たちも日々の糧を稼ぎながら木陰でほっと腰を据える。
美しきかな種族たちの触れ合いを、どこまでも天を衝く大樹が睥睨するよう見下す。
ここはルスラウス異世界のエルフ国。精霊の都ユグドラシル。
人が人としていられる数少ない世界の一端だった。
………………




