142話 鉄の乙女《Iron meiden》
あの日のことを思い返すたび体中に怒りが満ちて震えた。
エヴォルヴァシリスク戦での振る舞いはおよそ騎士と呼べるものではない。
その身にあったのは恐怖のみ。聖女が呪いをかけられ沈んでいる間なにをしていたか。
ただ生娘の如く歯を鳴らし青ざめ震えていただけ。
それこそ生き恥といわずしてなんと形容したものか。忸怩たる記憶でしかない。
そのうえ失態を敬愛する父に明かせようものか。しかも聖女たち一行に救われただなんてもってのほか。
「なんとしてでもこの汚名を返上せねば気が済みません!」
ザナリアは声高らかに誓いを立てた。
それを聞かされた騎士2名は顔を見合わせ首を捻る。
「だからってなにするってんです? あのレベルの大捕物なんざ大陸中駆けずってもそうそう出会えませんよ?」
「しかもわざわざ危ない目にあいに行くってお父上様、ハイシュフェルディン教が許さないでしょう。それに俺たちだって危ない場所にはいきたくないですし」
2名の軽さはともかくとして、いうことはもっともだった。
しかしこちらだって目算なしに張り切っているわけではない。
ザナリアは得意げにふふんと高い鼻を鳴らした。
「聖女派閥にあって私たち教団側にないものはいったいなんだかおわかりですか?」
よく反った白い指をくるりと回す。
すると騎士たちは兜の奥でむぅと唸る。
「教団にないものなんざないですよ。こちとらバカほど数がいていまや大陸中から玉座争奪戦のための供物が届いてますしね」
「クソほど数がいて、種族は問わず、装備も設備も完璧。これで負けるってほうが難しいでしょう」
「その圧倒的優位を得ているのに並ばれているのが現状なのです」
その瞬間騎士たちは同時にハッと息を詰まらせた。
そう。圧倒的戦力差でありながら聖女派閥に並ばれている。
「突然変異種だの進化個体だの湯水の如く湧いてくるものではない。むしろいないほうが大陸にとっての平和のはず」
「なのに……」
「聖女派閥はそれら2つを短期間に討伐して見せた」
導いてやるとようやく騎士たちの理解も追いついてくる。
元よりこの玉座争奪戦に教団の負けは万が一にもなかったはず。
なのに聖女側が教団に食らいつけている理由は……やはり1つしかない。
「私たち教団側に足りないのは人間種族への理解です! そう、ヤツらが最悪のタイミングで聖女側へ加担していることこそがすべての元凶です!」
ザナリアは確信を得て両拳をぐっと握り締めた。
教団側には数という大きなアドバンテージがあったのだ。あってなお人間種族は盤石の姿勢をいとも容易く切り崩した。
これはこちらの落ち度だ。人種族の価値を見誤っていたことはこの上ない事実である。
「ヤツらが現れなければとうに教団の勝利は確定していた! だから我々も人種族の動向を追いつつ彼らの特性を学ぶ必要があるのです!」
ザナリアの胸を張った宣言に騎士たちが「おぉ!」「さすがお嬢!」沸き立った。
「こっちとしてもお礼くらいいっておきたくはありますがね。なんせマジガチで命の恩人ですし」
「ルスラウス大陸にいない種族と仲良くするのは面白そうですね!」
諸手を上げて歓迎する騎士たちはともかくとして、ザナリアには別の思惑もある。
この世界に人種族がやってきたのは今回が初めてではない。200年前にも1度やってきていた。
200年前にやってきた人間は蒼き力を用いて冥界の神がもたらす混沌の呪いのことごとくを退けたのだという。
――私たちを救ったあの魔法とは異なる蒼き力の真意を見定めねば。
瞼を閉じればあのときの光景がまざまざと思い浮かぶ。
死の危機に瀕してこの身を救ったあれを忘れろというのが無理難題だろう。どこまでも強烈に記憶に刻みこまれている。
――聖女様に付き添えるだけの資格をもつのか……この目でしかと見定めねばなりません。
こちらが恐怖するいっぽうで、人種族はエヴォルヴァシリスクを1撃で葬って見せた。
あのとき見た空色の蒼の美しさたるや。思いだすたび胸甲の奥で胸が高鳴りざわめくほど。
――名は確か……。
ザナリアは惹かれていた。
あの蒼き力を発した少年の姿を思い描くたび、熱く蕩けた吐息が漏れだしてしまう。
むっつりと唇を閉ざしても頬に色がぼんやりと浮かぶ。押さえてもなお留まらぬ鼓動は高く、憧れを抱く乙女の様相だった。
「おや? こんなに朝早くから稽古とは感心するね」
不意に意図しない声が届いて心臓が破裂しそうになる。
ザナリアは意表を突かれながらも髪を横に流し、急ぎそちらへ振り返った。
すると中庭を抱くように囲う回廊の途中には彼女の父、ハイシュフェルディン教が立っているではないか。
しかもどうやら礼拝に向かう途中らしく荘厳なる高位礼服を身にまとう。その背後には教会を任されるほどの教団上位の従者たちをぞろりと従えていた。
ザナリアは汗に濡れて乱れた髪を慌てて整える。
「お、お父様! おはようございます!」
まさかこのような時間に父と対面するとは思いもしない。
敬愛する父の手前娘としても品良くあらねばならぬ。凜とした冷静さを装いながら背をしゃんと伸ばして礼を尽くす。
するとハイシュフェルディン教は温和な表情で「ああ、おはよう」と頬を緩ませた。
「明朝から礼拝に出立するとは些か早すぎるのではありませんか? 昨夜もだいぶ帰りが遅くろくにお身体を休められていないはずですが……」
ザナリアは父の身を案じて1歩踏みだす。
それをハイシュフェルディン教は手を立て静かに首を横に振って制止する。
「多くの魔物が狩られる聖誕祭では同様に惑う魂が多いためより祈りが必要になる。神へと還る魂たちを導いてあげなければ可哀想だ」
「そうおっしゃられましてもお父様の御身はおひとつきりです。あまり休まず倒れてしまわれてはことです」
高位なる身以前に父の身を案じるのは娘として当然の勤めだった。
そうでなくとも父は教団信徒に慕われる身の上。それがここ数日まともに休息をとる姿さえ見ていない。
「私の身体の心配はいらないよ、ザナリア」
「し、しかし大陸中を巡られてなお明朝から礼拝などと。如何せん急務がすぎるかと……」
身を案じる娘にハイシュフェルディン教はにこにこと笑むばかり。
つまるところ聞き入れるつもりもないということ。当たり障りのよい遠回しな拒絶だった。
「確かに休息をとる暇さえないかもしれない。だが身の回りで世話を焼いてくれる彼らがいるから心配はいらないよ」
そういって父は引き連れている教団員に視線を配る。
すると白いローブを目深に被った教団員たちも僅かに晒された口元で笑みを作った。
ここ最近になって父が引き連れるようになった連中である。他の教団騎士や信徒とはどこか異なる異質な様相を秘めていた。
「励みなさい。さすれば神はきっとお喜びくださる」
「はいっ。お父様にも大いなる創造主の祝福がありますよう心から願っております」
ハイシュフェルディン教は印を切って娘に祝福を送った。
ザナリアも父とまったく同じ所作で印を切って祈りを結ぶ。
側近である騎士たちも胸甲に手を添え微動だにしないまま父子の対話を眺めていた。
「ああそうだ」
去り際にハイシュフェルディン教はふと礼拝に向かう足を止めた。
「先刻の大捕物は実に見事だったね。娘の飛躍は父親としても誇らしいよ」
その物静かな物言いはすべてを見聞きしているかのよう。
だからザナリアは父からの祝辞に一瞬躊躇を覚えてしまった。
「あ、ありがとうございます! これからも高名なるお父様の地位に恥じぬようよりいっそうの努力を重ねていきます!」
「とはいえあまり根を詰めすぎぬようになさい。ときには雄々しく剣を振るうより年相応の乙女として振る舞うことも大切だからね」
では。そう言い残してハイシュフェルディン教は一団を引き連れ去っていってしまう。
ザナリアにとって父と接する時間はなにより貴重だった。
しかし満足いくほど与えられることはない。父は父であるまえに教団の長なのだ。であるからこそ父子の時間は極稀である。
ときには甘えたいこともあるし、たまには昨日今日の差し障りない会話も聞いてもらいたい。だがそれはどうあっても子供のわがままでしかないのだ。
「……お父様」
どこか胸騒ぎを覚えながらか細く呼ぶも、父の姿はもうそこにはいない。
物心つく前から父は教団の長だった。
だからそんな偉大な父に振り返ってもらえるようにザナリアは走りつづけるしかなかったし、これからもずっとそう。
父がエーテル国の王に就任したなら確実にもっと遠い存在となる。それでも父が王となるよう支えることが娘の勤めだった。
ハイシュフェルディン教が去ったことで騎士たちはようやく肩の荷を下ろしたように佇まいを崩す。
「もし俺の耳が確かなら乙女として振る舞えって聞こえたけど、あれってやっぱお嬢にいってたんですかね」
「いやはやハイシュフェルディン教も無理難題をおっしゃりますなぁ。聖女様に花を飾るともかくザナリアお嬢に女らしさなんてとてもとても」
ゆえにザナリアは女としての生涯を感化したことはない。
騎士たちが小馬鹿にしたように茶化すも、それは仕方のないこと。
なにせ偉大な父をもつ娘は常に全力で騎士として勤め上げるしか道はないのだから。
「お嬢もたまには女性の好みそうなぶ……てっく? とやらにでもいってみますか? スカートでも履いてみたら案外似合ったりして?」
「お嬢が鎧以外を着てる姿ってそうそう見られないですし面白そうでありますがね」
ザナリアは2人の問いかけにひょいと空に銀燭の視線を投げてみた。
ただなんとなく。父にいわれたということもある。だからなんとなく。
「たまにはオシャレをしてみるのもいいかもしれませんね。稽古のあとの祈りが済み次第聖都にでも繰りだしてみましょう」
そう特に感情も籠めず言い放ってみた。
可愛い格好に憧れがない、わけではない。それに聖女のように愛らしい振る舞いというのは興味がある。
するとあれほど嘲笑していたはずの騎士たちはしばし時を止めたのだった。
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