141話 教祖のお嬢《Holy Pride》
信仰を誇るは、世に繁栄と美をもたらさんがため。
崇め奉るは、迷いを捨て辿る運命に光を灯す。
おー、我が祖父ルスラウスよ。友よ住まいし天空に。
あー、我が祖母ラグシャモナよ。友よ備えし冥界に。
翼をわけた偉大な天使よ。種は祈る、其の幸を。
故に友よ祈りたもう、必ずや我らはいずれ其の地に至ろう。
大陸よ永遠なれ。主よ永久に謳え。ああ運命よ。
神を讃えし賛美歌が明朝から聖都深くにまで木霊した。
美しき倍音の調律された旋律は調べとなりて都に伝わる。
そしてここグリフォンの中庭にまで聖歌は響いていた。
「イヤアアアア!!」
流麗たる銀燭の髪が深い川の如く流れた。
流麗なれど苛烈。細き肢体には祝福を受けた重装を手掛ける。
雄々しき気勢とともに銀剣が繰りだされる。
「ハアアアアアアア!!」
かち合い火花を打ち上げた。
静謐なる少女であれ戦いの場にでれば1匹の獣となる。
渾身の1撃が見舞われると、これにはたまらず屈強な男でさえ尻から倒れこんでしまう。
「ハァ、ハァ、ハァ! 次ッ!」
礼として血振りをくれてから芯を鞘へと叩きこむ。
すると次の教団騎士が円系の枠内へと躍りでて彼女と対峙した。
互いの兜の奥で銀の眼光が鋭敏に揺らぐ。どちらもエーテル族であり、同種同士の対決であれば遠慮はいらない。
女性は相手の準備が整ったことを確認し、再び腰に履いた剣をすらりと抜き放つ。
「……フゥ」
対抗するのは同胞の騎士といえど、一廉の戦士である。
そのうえ体躯さも男と女ではまるで異なる。まずもって力技でどうにかなる相手ではない。
つまり疲労にかまけて気を抜けばあっという間に足下を掬われかねなかった。
「ッ!」
だからこそ少女は勇猛果敢にも攻めにでる。
鋼鉄で地を蹴る。両手で銀剣を下段に構え、振りかぶった。
攻めねば勝ちから遠のくことを女性であるからこそ知っている。身長体重あらゆる面で引けをとるのであれば静観こそが愚とする。
「ハアアアアアアア!!」
突撃とともに下部からの切り上げが放たれた。
待ち受ける相手は初撃を剣の身でしゃなりと受け流す。
そしてそのまま鍔と鍔をかち合わせて迫り合いへと移行する。
「――グッ!?」
手合いが長身であれば優位は圧倒的。
背丈のたらぬ少女は上から押さえこまれるようずりずりと押しこまれてしまう。
純粋な力勝負となれば女性が男性に勝つことは難しい。
「オオオオオオオオ!!」
だからこそ面白いのだ。少女は迷うことなく兜のなかに叫びを反響させた。
性差如きひっくり返して得るから勝利は確固たるものとなる。
そして気迫とともにもう1歩、さらに2歩。じょじょに圧倒的優位が裏返っていく。
関節が軋む、毛穴から火が噴きだしそうなくらい肉の内が熱い。
鎧下の布地はとうにしどと汗に濡れそぼっている。気勢を籠めたぶんだけ装甲の奥で足の筋肉が膨れるのがわかる。
全身の体重と筋力、それと甲冑の重さすべてを籠めて相手の身に叩きこむ。
「セエエエエエエエエエ!!!」
火花を打ち上げて剣が空へと弾けた。
相手の体幹が崩れよろめく。
その隙に少女は剣の柄で相手の横面をぶん殴る。
僅かな呻きとともに男の体が横へと傾く。
それに合わせて少女は体重の乗った側に足をかけて薙ぎ倒す。
とどめとばかりに少女は、仰向けに倒れた男のプレートに覆い被さった。
剣を両の手に構え切っ先を眉庇の下部、視界をとる兜の隙間に宛がう。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ! まだやるかッ!」
「ま……いりました」
投降を聞き入れてようやく剣が腰の鞘へと帰る。
立ち上がった少女は蒸した空気にたまらず兜を脱ぐ。
「ふぅ。朝の風が心地良い」
鉄の籠から頭を抜くとむわぁという湿気だらけの空気が漏れだした。
そうして兜を小脇に抱えられると、目覚ましい美貌が日の下に照らしだされる。
とてもではないが男連中を下したとは思えぬ可憐さ。清廉な美が珠の汗に濡れてより色気を放ってやまない。
清浄で透明の朝風に頬を晒すと、蒸れた頭皮やらに冷を感じてひんやり気持ちが良い。
ザナリア・アル・ティールは戦に際立った切れ細の目をうっとりと緩めた。
「お嬢いつになくやる気満々って感じじゃないですか」
教団騎士の男もようやくといった感じでふらふらと立ち上がった。
僅かに窪んだ兜の横面をさすりさすりと「おーいてぇいてぇ」なにやらかの文句を口にする。
「どうせこの間の大捕物で不甲斐なかったとか思ってんでしょ」
すると先陣を切って敗退した別の騎士もやれやれ肩をすくませた。
「ああ、あの件か。ありゃあ相手が悪すぎたってだけでしょうに」
「長く教団に勤めている俺らでさえあんな特殊な魔物なんて初めてでしたかんねぇ」
ザナリアは、軽口を交わす騎士たちに一瞥すらくれない。
呼吸を整えつつ下生えに兜を置き手甲を外していく。
「先刻の失態で実力不足が身に染みました。それと経験さえも浅く状況判断でさえ未だ道半ば。まだまだ望む戦士には至らずです」
手のひらの豆やら赤みは、ここ数日で得た稽古の成果だった。
生きるためには力いる。それは神に遣わすための誇りでもある。
教団の騎士たちもまた精錬された聖女の抱え――聖騎士に及ばずとも相応の手練れたち。
聖騎士のなかには現大陸最強の剣士までいるが、相手にするなら教団の騎士くらいが優秀な手合い。
しかしそんな恵まれた環境にいてなお、してやられた。己の実力を高く見積もっていたという身の錆がでてしまった。
「……っ」
これだけ稽古をつけても足りない。無性にイライラが燻ってたまらないのだ。
ザナリアは、血豆を潰さんばかりに手を硬く握る。
あの大捕物の一件は彼女にとって恥を晒す結果でしかない。
配下である教団騎士を龍に守られ、聖女の付き人にこの身さえ守られる。
いまのいままで生きて1度としてこれほどの失態を演じたことはなかった。
「でもあのあと魔物の功績の分け前を貰えたじゃないですか、討伐協力のお礼として」
「そうそう。おかげで玉座争奪の聖女派との点差は五分五分の伸びですし焦ることもないでしょうや」
このズブの男どもはなにもわかっていないのだ。
それこそがこの板金の奥で煮えたぎる恥の元凶である。
「クッ! あの日、エヴォルヴァシリスクとの戦いでこちらは5分どころか1分ていどの力すら示せていない! なのにも拘わらず聖女側から5分の報酬をおめおめと得てしまったことを恥じているのです!」
ザナリアはキッと睨みつける。
へばる教団騎士たちを一喝した。
「我ら教団は聖女様のお人の良さに甘んじて功績を横どりしたにすぎない! もしあの腑抜けた温情がなければ我々教団は玉座争奪戦に大きな支障をきたしかねなかった!」
思い返せば顔からいくらだって火がだせるというもの。
聖女が討伐した半分をやんわりとした腹立たしい笑みでこちらに押しつけてきた。
そして聖女の囲いが「え……なにもしてないのにマジで受けとる気なの?」という顔をしていたのも記憶に新しい。
「そして私も受けとってしまった! 敬愛するお父様に遅れをとった不甲斐ない娘の報告をしてしまわぬよう保身に走ったのです!」
言葉にするだけでもう色々ままならなかった。
騎士としての恥、女としての恥、教団の長の娘としての恥。恥の上塗りで3拍子整うではないか。
しかも募るのは怒りよりもっと強烈な赤裸々である。
「こんな思いするくらいならばあのとき石になっていたほうがマシでした!!」
「いやぁ俺あんとき石にされてたけどやめておいたほうが良いと思いますぜ。めちゃくちゃ孤独で餓鬼のときの留守番以来70年ぶりくらいに寂しくて泣きそうでしたもんマジで」
お黙りなさい! 恥じ入る乙女に正論は効かぬ。聞かぬのだ。
羞恥の炎はもはや全身をくまなく焼き尽くすほど。
得た報酬が贔屓されていればされていたぶんだけ今宵も寝室に転げることになる。
「それに貴方たちは颯爽と石にされた癖になんですか!? 私があのとき貴方たちの行く末をどれほど案じたことか!?」
わかってるんですか!? 男どもは即座に姿勢を整える。
すると愚痴のひとつも零さず粛々と頭を垂らした。
「ぐうの音もでねぇです……はい。ありゃワンターンでキルされたみたいなもんでしたし……ははっ」
「そ、その節は誠に申し訳ありませんでした! 以後気をつけて生きてみます!」
こんなのでも生まれから付き添いってくれている敬虔な信徒なのだ。
あのときの恐怖。あのときの焦り。あのときの絶望。身に染みすぎてそうそう忘れられるものではない。
「忸怩……なんという忸怩! この羞恥に濡れた被り物をどうやって振り払えというのですか!」




