140話 光無き航路《Can you hear me?》
「名を読むのは現実に覚悟を秘めるため! 願い謳えば空想はやがて起爆剤となって己の技と成す!」
撃ち合う、躱し合う。
瞬く間もさえなく四肢すべてを使用しながら相手に技を見舞う。
戦場に見境がない。壁も天井さえも、どころか蒼をまとう2人にとってその全部が地上となる。
蒼が翻るたび模擬戦闘用の広々としたトレーニングルームが震えた。空気も鼓動も見る者全員の心まで震わせていく。
「《落雷》!」
「《不敵》!」
信より撃ち放たれた雷撃を源馬は即座にガードした。
「はっはっは! 君とならば延々に舞っていられそうだ!」
「勘弁願いたい注文だな」
空で身を捻った源馬の身体にバチバチという瞬きが生まれる。
円形になるまで刮目された瞳に鮮明な蒼が冴え渡った。
「そうだやがて終わりはやってくるもの! ならばいまこの時に彫心鏤骨の極みを尽くしてみろ!」
「――ッ、これまででもっと強い!」
異変を察知した信は待ち受ける体制を整えた。
互いに限界まで高めきった蒼を拳に宿す。
空より強襲するは《四柱祭司》源馬、鷹爪をかざして獲物へ喰らいかかる。
対抗するのはいまは欠けた盾の五芒、《マテリアル》。地上にて高みを扇ぎ真っ向から挑む。
「《亜轟》!」
「《亜轟》!」
信、源馬。2人の蒼と蒼が混ざり合う。
腕のように具現化した蒼と蒼が膨れ上がり、衝突し、破砕した。
その瞬間大気がズンッと脈動した。視界が揺れ光景が翻るかのような幻想を見る。
誰かが「すご!」と口から吐息を漏らす。そして誰もが「ヤバすぎ!」、「嘘だろ!」、「ひぇぇ!」戦慄した。
それほどまでに彼らの戦いはまともじゃなかったというだけの話。見積もっていた期待が最高か最悪のどちらかの形で裏切られた。
見る者すべての心をへし折り、憧れを滾らせ、羨望を抱かせる。まったくの異次元を垣間見せられて心が打ち震えていた。
「これは新世界だわ……!」
ぽつり、と。杏は自分が無意識に吐いた言葉さえ忘れて見惚れる。
人の上限を超えた勇敢な姿に頬は紅潮した。思わずほう、と熱い吐息が漏れてしまう。
「これがフレックスを使いこなすってことなんだね」
隣で立ちすくむウィロメナだって彼女と似たような面持ちだった。
豊かな胸に押されて膨れる生地をぎゅうとシワになるくらい握りつづけていた。
頂上を崇めることで己の立つ位置を際確認させられる。これこそまさに思い知る。
おそらく源馬の見せたかった光景はまさにこれなのだろう。見せることで遠き存在の背を追わせようとしているのだ。
炸裂によって飛沫となった蒼がもうもうと立ち籠める。やがて粒子が晴れ渡ると信と源馬のどちらもが膝を折って肩を上下させていた。
「フゥ、フゥ……! 第2世代に至るにはフレックスの真髄を理解し現象として具現化すること。では第3世代に求められるものとはいったいなんと心得る?」
どちらも限界が近いらしく、まとう蒼が切れかけて瞬いている。
それでも互いの瞳を見つめ合いながら気力を保ちつづけていた。
「焦がれ、と……いっていた」
「それは先代艦長……長岡晴紀の言葉か?」
いや。信は静かに首を横に振る。
「いつか見た……夢の話だ」
それに対し源馬は「そうか」満足そうに頷いた。
聴衆する者たちそれぞれが複雑な感情を秘めて彼らを見ている。
恐怖が発端となるものでもあるのだろう。
しかし思わず拳を握ってしまうくらいの妬みも含まれていたし、目を逸らそうとする畏怖でもありながら、敬意を籠める者も少なからずいる。
そしてそれらすべての根底には暁月信への憧れが起因していることだけは間違いなかった。
「ほーう。あの源馬とタメ張るほどかよ。そこそこしっかりやってたみてぇだな」
突如濁りきった低音が頭上から降りかかってくる。
いつしか杏の小さな身体は巨大の作りだす影にすっぽりと呑まれてしまっていた。
杏は、視線を上げるなり口から心臓が飛びだしかかる。
「でぃ、ディゲル中将!? いつからそこに!?」
悲鳴を発しかけて呑みこむと、慌てて男の名を呼ぶ。
気づいたら隣に山ができていたのと同じようなもの。なにせすぐ隣には筋骨隆々な大男が無精髭をなでり、なでり。模擬戦闘を鬼の如き形相で見物しているではないか。
しかもその大男の向こう側には杏よりもっとちんまい少女が佇んでいる。
「いやはや信くんってば将来有望だねぇ~。四柱祭司のリーダーとあの年で並べるなんて並みの才能じゃないよ~」
美菜愛は、杏と目が合うなりにんまり顔で目を細めた。
ディゲル・グルーバーは女性の腰ほどもあろう野太い腕をどっしりと組む。
「あのていどじゃまだまだだな。確かにフレックスの扱いには一日の長はあるだろう。だが心のほうが軟弱すぎていずれボロがでらぁな」
そう形容する彼の表情は厳つくもあり兄であるかのよう。
信の成長を我が子の成長の如く見守るような大人の顔をしていた。
さすがにこれほどの大所帯となれば周囲の視線も触れようもの。
なにせ本日のディゲルはアザーにいたころのように薄汚れたタンクトップ姿ではない。れっきとした旧型の士官服を身に帯びる。
現在軍は解体され彼のまとう士官服は過去のもの。しかし厚い胸板部分に煌めく勲章は本物だ。彼の功績をつまびらかとするだけの価値は十分にあった。
「おお! 千客万来とはまさにだ! まさか我が恩師鬼のディゲル殿までもが顔見せにくるとは!」
源馬はディゲルを発見するなり少年の如く晴やか笑みを作った。
それから模擬戦闘を切り上げこちらに向かって小走りにやってくる。
「アザーでの駐在任務達成見事! あれだけの生存者をノアへ引き上げられたのは貴方の功績に違いない!」
源馬はおもむろに姿勢を正すと、軍隊式の敬礼を送った。
まさに肩肘を張るといった感じ。踵を揃えて額横に手を添え礼を正す。
それは彼が元軍人であり、部下であることを意味している行動だった。
「して本日はどのようなご入り用か! 見たところただ通りがかったというわけでもないだろう!」
元革命者と現頂点。ノアでこの2つが交わることは歴史的会合でもある。
どちらも民からすれば英雄的存在。身を挺し世を作り替えようとしたある意味でアイドルやらヒーローに近い。
とうに周囲の聴講者たちも模擬戦の興奮そっちのけだった。相対するディゲルと源馬に興味を奪われつつある。
「現状はどうだ?」
期待高まるなかディゲルの吐いた言葉は、ただそれだけだった。
久しぶりの再会を祝すようなものでもなければ、思い出話に耽るわけでもない。
事務的でありながら義務的。しかし源馬から1度として目を逸らすことはない。
「……と、いうと?」
「しらばっくれんな」
声を荒げたというわけではなかった。
しかしそのひとことだけで周囲が危機を抱くに十分な圧があった。
「テメェほどの見通しの良い位置にいるヤツが知らされてねぇわきゃねぇよなァ?」
ディゲルがさっと手を上げる。
すると待機していた愛がALECのコンソールを手早く叩く。
そして開かれた画面を源馬のナノマシンへと直接送りつけた。
それを受けて源馬は明らかな動揺を示す。「……ほう」と目を丸くしながら羅列された文字に目を通していく。
「これは最上位機密でありおいそれと触られるような場所に置かれているものではない。とすれば、はてさて貴殿はこのデータをいったいどこで手に入れたというのか」
顔を上げたときすでに彼の笑みは喪失している。
それどころかディゲルを発見して見せた敬いの気配さえ感じられない。
目の前の大男に対して油断のない眼差しを光らせた。
「長岡がノアに貯蔵させたフレックスをなにに使ってやがる?」
そうディゲルが問うと、しばし異質な間が空いた。
そして両者ともに互いの瞳を見つめ合いながらむっつりと口を閉ざす。
杏にはなんとなくいま起こっている色々なことが理解できていた。
ディゲルが約束を守って真実を追究するため裏で手回ししてくれていること。それと可能な限り暴力的かつまっとうではない手法でアプローチを決めたこと。
そしておそらくは愛の力を利用しマザーコンピュータにハッキングを仕掛けたのだ。
「…………」
源馬はちらりと杏のことを見た。
それから辿るようにチーム《マテリアル》の面々を順繰りに見やる。
「……致し方あるまいか……」
短く吐息を漏らす。
諦めきったかのように肩をすくませ眉根を摘まむ。
「では汝らにも責務という名の罪を背負ってもら――」
そのいいかけている途中だった。
なにかが起こった。ただそれがなにかを言い当てられるものは少なくともこの場にはいなかった。
ただ一瞬の出来事だった。自分たちの立っている足下が容易く沈んだ。
「――きゃっ!?」
杏は突然の揺れに短い悲鳴を上げた。
「杏ちゃん!」
「ウィロ!」
しっかと互いに抱きしめ合って床に転げる。
それ以外の場所でも倒れ伏す仲間たちに手を伸ばして人々は支え合った。
しかし異変は1度に留まらなかった。巨大な振動がぐらぐらと船を軋ませ騒音を奏でる。
もはや立っていることさえ難しいほどだった。まるで大地が波打ってひっくり返ってしまったかのようだった。
そして僅かばかり遅れてズォォォンという轟音が船の全体に文字通り轟き渡ったのだ。
『緊急事態発生です! 直ちに船員たちは艦橋員たちの指示に従って行動してください!』
ALECナノマシンを通じてエマージェンシーコールが耳奥へと飛びこんでくる。
声の主は艦橋地区で働くオペレーターのものと酷似していた。
しかも指示する彼女の声にさえ焦燥がふんだんに乗ってしまっている。
『現在移民船ノアは大量の異性物による襲撃を受けています! 各員は指示に従い速やかに防衛体制を構築してください!』
未だどこかで己が傍観者の立場でいたのだと思い知らされる。
世界は刻一刻と流動をつづけながら最悪を更新しつづけている。
光を失った人々は戸惑い迷いながら緩やかに終焉への道を辿らされていた。
「杏ちゃん!! 杏ちゃんしっかりしてェェ!!」
船内部の電気が薄れて闇が世界を覆っていく。
暗転した世界には友の声だけが響いていた。




