138話 せめて人らしく《Miss Your》
「これが死の星で生きながらえ前艦長に認められてノアに上がった特異存在の実力ってわけね……!」
杏だって半分くらいは好奇心だった。
それだけに笑みが浮かぶ。興奮と悔しさを覚え、拳を握ってしまう。
目の当たりにしてみると己の現実が容易く打ち砕かれる。身の程を思い知らされる。
きっと彼が得意の長刀を使わなかったのも程度が知れているから。明らかな実力の差を下手に見せつけぬよう、目立たぬように演出したに過ぎない。
そうして信は最後の1人が意識を取り戻したのを確認して、浅色のロングコートを翻す。
「信くんおつかれさま。格好良かったよぉ」
彼の向かう先で群衆がわれていく。
そんななかウィロメナはいつも通りに彼を迎える。
ちょんと身体を横に倒しながらふふと柔らかな笑みを作った。
信はちらと一瞥して素っ気なく応じる。
「とくに疲れてはいない。ただ少しだけ気を張っただけだ」
相応な美少女相手でも眉ひとつ動くことはなかった。
「アンタでも緊張することってあるのね。表情が変わらないから普段通りだと思ってたわ」
「緊張なら普段からいつもしている。とくに今朝のような人間の多いところは気が休まらない」
杏に対してもこれといって変化はない。
それでも機械のような受け答えながら成長は著しかった。
問題は信という少年が、人間との接触をひどく嫌うというきらいがある。
いまはこうしてチームメンバーならば許されているのだが、他はまったく別だった。
「あ、あのっ!? もしよろしければALECのアドレスを交換しませんか!?」
「で、できればさっきやったフレックスの使い方の指導を!」
「このあともし暇ならばどうやってフレックス値を高めているのかの情報交換は如何だろう!」
だからこのように慣れぬ相手が口を開き声をかけようものなら――
「嫌だ断る。勝手に話しかけてくるな。誰だお前らは馴れ馴れしい」
この容姿のみ端正な珍獣は、問答無用で他人を突き放しにかかってしまう。
威圧でもない。視界にすらいれず、相手にしない。それはもうバッサリと。一刀両断の如き切れ味だった。
正直なところまともに言葉を交わせることが奇跡に等しい。これはばかりは杏とウィロメナの涙ぐましい努力の終着点ともいえる。
「気長に付き合っていけばちゃんとお話ししてくれるんだけどね。あとああ見えてお話しすることが別に嫌いってわけじゃないっぽいし」
「普通なら仲良くなる前に心が折れるわよ。私だって同じチームじゃなければ相手にしなかったと思うわ」
珍獣相手だからと無碍にできるわけもない。
なにより珍獣の相手は、彼の親元であるディゲル・グルーバー、そしてチャチャ・グルーバーきっての願いでもあった。
信は、親友でもあった大切な家族を失っている。
「…………」
男前な抑揚ある横顔には、ときおりああして影が差す。
あれほど強いのに吹けば簡単に崩れてしまいそうな一面ももつ。
未だ彼は自責の念に駆られつづけている。
そしてそれは無闇に触れてしまえば容易に崩れてしまう。友の死の記憶が根深いうちはガラス細工の如く、脆く拙い。
だからこそこうして仲間を失った者たちは一緒くたに集まる。欠けてしまったチームNoを尊びながら自然に傷が癒えるのを待つしかなかった。
「ちょっとの息抜きくらいはできた?」
杏が尋ねると、信は「……いや」首を横に振った。
「一生後悔しつづけるだろう。それでもアイツが願った人として生きるという思いだけは汲みたいんだ」
拳を額に当ててほう、と浅く息を吐く。
鬱々と籠もっているよりはマシだと気を使ってみたものの存外楽に引っ張りだせた。
きっと信もこのままではイケナイとわかっていたのだ。だから今日のようにチームメンバーの無茶な誘いに乗ってくれている。
「裏ではディゲル元中将が色々動いてくれているらしいわ。だからあのときなにがあったのか知るときがきっとくるはず」
「それまでに私たちもなるべく強くならなくっちゃだもんね。心も体も」
いまのところは寄り添うしかない。
杏とウィロメナが彼の背を軽く叩くと、「ありがとう」そんな声が聞こえた気がした。
信頼できる大人が裏で動いてくれている。しかも彼は現8代目人類総督とともに1次革命に参加した経緯を持つ。
あのとき、あの瞬間ノアになにが起こったのか。マザーコンピューターで《マテリアル1》がなにを発見したのか。
ゆくゆくつまびらかになっていく事態に座して覚悟を固める。可能であるなら仇討ちでさえ容赦はない。
「フム! 信少年! もしよければ俺と手合わせ願えないだろうか!」
ふと唐突に覇気のあるひと声が去り掛けの信の足を止める。
声の主は本日のアカデミー講師である焔源馬だった。
それによって聴講のために集った周囲の人々がざわつく。
「フレックス能力向上は本来見て学ぶほうが効率良しとされている! 是非聴講する向上心ある若人たちのために胸を貸して貰えないだろうか!」
《四柱祭司》から直々の誘いだった。
リーダーである焔源馬が実技指導してくれる機会なんて。こんなことは極稀。滅多にない。
信は振り返って源馬を一瞥する。しばし宙に視線を巡らせる。
「ことわ――」
「らないわよねェ!」
事態の予想は容易だった。
杏は割ってはいって信を黙らせる。
凄まじい早さで彼の襟首を掴むと、自分の目線まで引き倒した。
「朴念仁もいい加減にしなさいよね!? 周囲の期待に満ちた視線とかをちょっとは考えて発言なさい!?」
「鬱陶しい気配は重々察している。だからこそ俺は一刻も早くこの場から離れたい」
アンタねぇぇ!? 揺すられても力なく頭をぐらぐら揺らすだけ。
こちら側でひそひそ説得をしているさなかでも周囲からの視線が痛いほど刺さってくる。
しかも《四柱祭司》と謎に満ちた少年の1ON1だ。見たくないといったら嘘になってしまう。
もしここであっさり引き下がろうものなら反感ものだ。そうでなくとも友の1人も作れないのだ。ここで踏み外せば一生孤独の身となってしまう。
当然ながら杏もすごく見てみたい。それはもうすごくすごく見たくて見たくてたまらない。
「よし、わかったわ。もし稽古を受けてくれたらあとでうどん奢るわよ」
だからこうなっては否が応でも仕方がない。
杏は最後の切り札を切る。
「……なん杯だ?」
と、気だるげだった声に芯が通り拍車がかかる。
眉目秀麗な顔立ちに明らかな気迫が籠められ、鋭く変化した。
「お腹いっぱいになるまで」
「掻き揚げはつくのか?」
「許可するわ」
信は、襟に捕まった杏の手をそっと振りほどいた。
指関節の空気を鳴らしながらそちらへと向かう。
肩を回し、首を捻り、いままで以上に熱意が満ちる。
そしてその幅広い頼れる背には、もうもうと色濃いフレックスの蒼が立ち昇っていく。
「受けて立とう。なるべくならたんと腹を減らしておきたい」
「喝ッ! やはりそうこなくては面白くないッ! 久しぶりに全力でレクチャーしてやろうじゃないかッ!」
信と源馬が対峙する。
それは買収成功を意味していた。
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