134話 両手いっぱいの花束を 2
「僕らを小バカにしてたくせににとんでもないものを押しつけてくれたじゃないか」
未だ決闘での軽口が引っかかっているらしい。
本当に細やかながら口にも怒気が籠もり、イヤミまで。
そうして夢矢はそそくさとジュンの横に位置どると、ぷいっ。愛らしい怒り顔を窓のほうに顔を背けてしまう。
「その件に関しては申し開きようがないからごめんとしかいいようがないね」
スードラは訳知った風に肩をすくめた。
すると小癪な笑みと中性的な眼差しが交差し、微妙にヒリつく。
この龍がまともに謝罪するとは思わなかったのか、夢矢は呆れがちに眉根を寄せる。
「別に謝られても逆に困るよ。結局のところ教団の騎士さんたちを守ったせいでああなったらしいし」
出会いの形もあって素直になれないのだ。
実際スードラに否はそれほどない。
わかっているからこそ夢矢もむにゃむにゃ複雑そうに口調を歪めた。
「それでもさ。本当なら君たちの力を借りるのは発見までだったんだ。そこからは僕ひとりでやれると思っていたからね」
でも、そうじゃなかった。長いまつげの影が伸びる。
スードラがコップを軽く指で弾くと、心地よい高い音が響いた。
どこかしんみりとした様子に夢矢も膨れた頬をすぼませ彼を見た。
「どれだけ強く生まれようとも心が伴っていないなら砂上の楼閣にすぎないんだ。今回の戦いはそれを痛いほどに思い知らされた」
スードラは哀愁を帯びた表情で傷跡の残る脇腹へ手を添える。
本来なら彼だけで勝てていたはず。なのに敗北した理由は彼だけではなかったこと。
しかしそれは言い訳にしかすぎない。あの戦場は彼という龍1匹の力では辿り着けなかった。
「実のところ僕はとても弱かったんだ。恵まれて生まれたということに胡座をかいて優位に立ちながら気どっていただけにすぎない。だからソルロちゃんも、彼女の家族も、それに僕自身さえ守れなかった」
テーブルの上で包まれた両手が震える。
とつとつと語られる後悔は、懺悔であるかのよう。
「だから僕は過信しすぎたことを君たちにどうしても詫びたかったんだ。こんな未熟な僕を助けてくれて、大切なモノをまもってくれて――」
本当にありがとう。憑きものの落ちたかのように、さっぱりとした笑顔が咲いた。
負けを知らぬ最強の龍が、敗北を知る。きっと1人ならば負けなかったのだろう。しかし生きるとは誰かと寄り添い守ること。
孤独では知り得なかった強さがあり弱さもある。こうして彼のように誰かと出会うことで弱さを知って強くなっていく。それを人は成長と呼ぶ。
夢矢は、ふふと頬を和らげてから「どういたしまして」細やかな笑みを送る。
「じゃあこれからはどうするんだい? あの村もエカマプタを失ったことでしばらくは食べていくのに困るんじゃないかな?」
「それも考えて行動してみようと思っているんだ。これからしばらくカマナイ村の伝統ある格式をこの身を捧げて守っていくことにする。いまの弱いままの僕が強くなるために……ね」
そう頷いてからスードラはぽんぽんと手を打ち鳴らす。
と、景気の良いカウベルに似た音色とともにひとりの少女が店に入ってくる。
その少女を見るなり夢矢とジュンは、信じられぬモノを見るように目を丸くした。
「……え? う、うそ、なんで?」
「お、おぉ? どういうことだよそれ?」
淡く色づく民族衣装が波のように揺れる。
それはカマナイ染めと呼ばれ、とある得るたちの村に伝わる奥ゆかしくも多彩多様。時の歴史と心に残る伝統。
「海神様と私たちカマナイ村のみんなから人間さんたちへ贈り物ですっ!」
そう元気に告げたソルロ・デ・アンダーウッドは、両手いっぱいに掲げる。
淡く優しい色調の花々と、汚れの落ちた少女の笑みは、とてもよく似ていた。
スードラは、大量のエカマプタに驚く2人をよそに、その1輪をひょいと摘みあげる。
「花畑のなかに潜っていた怪魚の鱗にはエカマプタの種子がたんまりとついていたんだろうね。そうしてエルフ国中へと撒かれた種子はやがて適合する土地に運ばれ至る場所に根づいたのさ」
手慰むよう茎を回し淡き花弁をくるくる回す。
「今回の騒動でエルフたちに撒かれたのは呪いだけじゃなかったんだ。いまやエルフの国中に色鮮やかな花々が咲くようになっている。たとえ果てようとも決して途切れることはない。それはカマナイ村のエルフたちのつづけてきた伝統となにも変わらないありきたりなのに特別なモノとなったんだ」
そういってスードラは小さな花を見つめる目を細めた。
カマナイ村周囲にしか咲かぬはずだったエカマプタ。それが怪魚――エヴォルヴァシリスクとともに国中へとばら撒かれた。
結果、適合する土壌へと運ばれ根を張る。根を張った種はやがて綻び実を結ぶ。
少なくとも割り入った人という部外者たちは、その歴史の一端を担っている。
夢矢とジュンは呆気にとられながら目をぱちくりと瞬かせた。
「ってことはなんだ? 花畑はぐちゃぐちゃになっちまったけど、カマナイ村の伝統はこれからもつづいていくってことか?」
「それどころか……エルフ領土全域に広まっていくってことになるね?」
「だからこれからカマナイ村のエルフたちは忙しくなるよぉ~。なにせエカマプタを使用したカマナイ染めができるのは伝統あるカマナイ村のエルフたちだけなんだから」
スードラは頬横でぽんと手を打つと意地悪な笑みを浮かべた。
それを見て夢矢はハッ、とする。
「まさかそれがわかっててさっきの話をしたんだね!? どうりでなんだかやけに湿っぽいことをいうと思ったんだ!?」
卓を叩いて立ち上がった顔は火がでそうなくらい真っ赤色だった。
ついスードラへと感情移入をしてしまった。というよりさせられていたとなれば話は変わる。
先ほどまでの懺悔もただの演技。後悔の皮を被りながら心の中ではこちらの反応を楽しんでいたということになる。
「なにが助けてくれて――本当にありがとう、だよ! わざわざ変な溜めまで作って僕の同情を誘う気満々だったってことじゃないか!」
これにはたまらず桜色の両頬がぷくーと膨れた。
恥じ入るたび、そのつど卓がバンバンと叩かれる。
「あはははっ! でもその部分はわりと本心だけどね!」
「もういい! 僕はやっぱりキミのことが嫌いだ!」
スードラはそっぽ向いてしまう夢矢を腹を抱えて笑う。
「いちおういっておくけど僕は君たちのことを心の底から大好きだけどねっ!」
「うっさいなぁもう! あと涙がでるほど笑うなぁ!」
珍しくムキになるというのも友である証拠か。
喧嘩というよりむしろじゃれ合いに近い雰囲気だった。
ともに死闘を演じたことでどうやっても断ち切れぬ繋がりができている。ゆえにこうして世界を違えながらも同じ場所で笑い合う。
「私たちエルフを助けてくださって本当にありがとうございましたっ!」
だから少女の笑顔は最高の贈り物となった。
両手いっぱいの花束を添えて。
「やぁぁぁっと見つけたぁぁ!!」
そしてあまりにも唐突だった。
どれほど唐突かというと突風が吹くくらい唐突だった。
友と談笑し合う人間たちの元へ、ズバンという騒音が襲いかかる。
これにはジュンと夢矢も笑みを閉ざす。ギョッとすることしかできない。
「な、なんだなんだ!? こんな都のなかで襲撃される覚えはねぇぞ!?」
「お、お客さんかな……?」
2人はびくつきながらそちらを見た。
豪快に開けられた喫茶店入り口のベルがひしゃげそうなくらい揺れた。
そして濃緑色をした突風は、長耳を揺らしながらずかずかと店内へと踏み入ってくる。
「あんたら人間っていッッッつもそう!? なんで1箇所に留まらず鼠みたいにちょろちょろちょろちょろするのよ!? おかげでこっちがどれだけ聞きこみしながら探し回ったかわかるわけ!?」
途轍もない、いちゃもんだった。
どうやら襲撃の主はエルフらしい。
そして尋常ではないほど失礼かつ怒っているということだけは把握できた。
しかも口調だけではないのだ。押し入ってきた女性エルフは服装までもが途轍もない。
夢矢は靴音高くずけずけ寄ってきたエルフを見て、あたふたした。
「な、なにか服をきてください!? っていうかその格好で聖都を歩き回ってたんですか!?」
女性の身なりはおよそ一般的とは言い難い。
なにしろ鋭角に吊り上がった気丈な美貌もさることながら、その身に一糸すらまとっていないのである。
一糸すらまとっていないかわりに自然豊かな蔦や蔓などを身に帯びていた。
「と、とと、とにかく女性がそんなに肌を見せるなんて破廉恥ですよ!? なにか僕らに話があるようですけどまずは――」
「はぁ? なによ……別に普通の格好してるじゃない?」
するとエルフの女性はあわあわする夢矢を露骨に見下す。
どころか指摘されて確認しても気に留める様子すらない。
「どう考えても普通じゃないですよぉ!? なんかもう色々あふれそうじゃないですか!?」
「そういうのはどうでもいいのよ! 私がいいたいのはどうしてアンタたち人間はいっつもうろうろしているのかって聞いてるの!」
「どうでもよくないですよ!? 嫁入り前とか後とか関係ないレベル!?」
どうあっても夢矢の視点は定まらず。
最後にはあまりの衝撃から目を背くよう「ひぇぇ~!?」情けない声を上げながら両手で顔を覆い尽くしてしまう。
身にまとうというより辛うじて帯びる、だ。女性の肢体に絡みつく蔦と蔓が非情に危うい。
締まる太ももにあふれそうな乳房。とにかく全身の肌のあちらこちら晒されるよう脆弱な服装だった。
一部始終を見守っていたスードラは、リラックスした姿勢で女性に向かって手を上げる。
「やっほー。ユエラちゃんおひさー」
「あ、スーちゃんもいたのね。おひさー」
目が合った途端にとても気さくな挨拶を交し合った。
どうやら2人は顔見知りらしく、それでいてあだ名で呼べるくらいの仲のようだ。
「知り合いなの!? 薄着同士の同志かなにかなの!?」
純な反応を見せる夢矢と打って変わってジュンのほうはというと、ひどく薄い。
「つか俺最近気づいたんだがよぉ? 正直パラスーツ着てる俺らの地元連中も薄着とあんまし変わんねーからなんとも思ねーわ?」
空になったパンケーキの皿を退屈そうにフォークで掃除している。
「んで、そっちのエルフ……は、俺らになんか用でもあんのか?」
ジュンは横に立つソルロと女性を見比べながら一瞬言い淀む。
ひとまず女性はエルフであろうといった感じ。彼女はいままで人間が出会ってきたエルフと比べてどこかオカシイ。
身なりはもちろんのこと。しかし随所にソルロたち見知ったエルフと異なる点が多くあった。
「別にスードラと友だちってんなら俺らと喧嘩しにきたわけでもなさそうだな。ずいぶん忙しねーみてぇだし火急の用って感じじゃねーの」
「あら。そっちの男のほうはずいぶんと話が早くていいわ。私も女だけど女の回りくどいところって嫌いなのよね」
「僕も男ですよぉ!? あと回りくどくしてるのはアナタの存在そのものですからねぇ!?」
すべからく夢矢の発言は無視されてしまう。
くびれ腰に手を添えた女性は、たわわな実りをふんと反らす。
それから腰まで伸びた濃緑色の長髪を流し、ビシッと白枝の如き指を差し向ける。
「これからいますぐにエルフ国に向かい首都ユグドラシルにいるエルフ国女王へ謁見なさい! これは異界の住人である貴方たちへ女王直々の勅命よ!」
勅命の対象は、人間たちを指名し、示したのだった。
………………
「……どう?」
最小限の問いだった。
疑問ではなく許諾の類い。それも最小限で単刀直入。
影である彼女は己の役に没頭するため多くを語る必要がないとしていた。
問われた男は、未だ流れつづける映像に目を奪われたまま反応を返そうとしない。
「…………」
男はただ無言で映像を繰り返すだだった。
10秒足らずの映像をただひたすらに繰り返しつづける。
「…………」
「…………」
2人きりの暗室に静寂が立ち籠めた。
その間にもALECナノコンピューターから出力されたとある映像が延々と繰り返される。
映しだされているそれはエヴォルヴァシリスクのトドメとなった1撃だった。
東は、無表情で巻き戻しと再生をとうに50回は繰り返している。
「……背後の木々に一切のダメージがない、か」
「つまり対象のみを消滅させたということ?」
「いや結論は急ぐべきではないな。なによりまずはじめに消失しているのは剣のほうらしい」
闇に指を踊らせ映像を静止させた。
映像にはミナトがフレクスバッテリーに剣を構えた瞬間がおさめられている。
そこからスロー再生していくと、「ここだ」東が再び映像を停止させた。
「まず剣が先端から潰れていくのがわかる。おそらくは先端の尖った鉄の塊でさえ耐えきれぬ衝撃があったということになる」
「鉄が潰れるほどの速度ということ? なら音速よりも早い?」
「現象から見るに現実的な数値を求めるのは止めておくべきだ。この初速で射出されて衝撃が発生していないことから物質ではないのかもしれないな」
「っ……!」
リーリコは潰れる剣を見つめながらこくりと喉を鳴らす。
現実的に不可解な現象が発生した。そしてそれはただ1人の少年が起源となっている。
無能力と思われていた少年が起こした奇跡。それが彼女の視覚データとして保存されていた。
東は、明るい色の髪を手でくしゃりと乱す。
「どこまでもフザケたヤツだ……まったくもってな」
頭を抱えているように思えるが、そうではない。
モニターの光源に照らされた中年の表情は、歓喜を謳っていた。
「ずいぶんと嬉しそう」
「それはそうだろう俺の審美眼に狂いがなかったことの証明だ」
東はリーリコを置いて颯爽と身を翻す。
羽織りの白い裾ばさりと波打つ。
背には《祈り女神》の象徴たる紋章が描かれる。
白と黒で抽象的に描かれているのは両手を結び祈り捧ぐ乙女だった。
「アイツはきっと己のしたことの偉大さをなにもわかっていないのだろうな」
「偉大さ? 確かに類を見ない第2世代能力だとは思う、けどそれほどとは――っ」
東の接近を感知した扉がすぅ、と開いた。
暗室となっていた東の私室に通路側から明かりが差しこむ。
リーリコは眩しげに目を細めた。東の背を視線で追う。
「はっはァ。俺はその方法を1つのみしか知らん。血を介さず物質に蒼をまとわせるなんて偉業はな」
「ッ、確かにそう!? 血を介さず物質にまとわせることを可能にしている!?」
こちらが呼吸を荒げるも、中年は振り返ろうともしない。
ただ最後にひとことだけを残して去っていく。
「もしかしたならアイツの力で世界どころか人類の常識そのものがひっくり返るかもしれん」
はぁーはっはっはァ! 東は愉悦を奏でながら部屋からでていってしまう。
1人孤独に置かれたリーリコは震える唇を僅かに噛むと、静かに横へ首を振る。
「……本気で希望をもっている。もう……とっくに私たち人類に帰る場所なんてないのに」
人類には選択肢があった。
しかしそれは選択という体をとってはいるが一方向にしか向かえぬ。実質的強制。
ルスラウス世界に辿り着いた20名ほどの中には――彼女のように――気づく者たちもいる。
これは母から飛び立った蒼き鳥の巣立ちを意味していた。
だからもう帰る必要がないのだ。母の元へ帰ったところでどうやってあの狭間の怪物を抜けられようものか。
誰もが知りながらも黙す。それは道徳的であるからこそ決して口にはしないこと。
こちらの世界に迷いこんだ人々には帰りようがないのだ。
「……人の力では……戦えない……」
ブルードラグーンに搭乗した数名はすでに気づいていた。
いまの人類に帰路はない。たとえ船が直ったところでそこで道は途絶える。
あの狭間の化け物を抜ける方法はないのだから。
………………