133話 両手いっぱいの花束を 1
賑やかな鉄琴の音色が来客を告げる。
いかにも怪しげな風貌をした布被りが店の敷居を跨ぐと、小ぶりな店員がてて、と駆け寄った。
「いらっしゃいませぇ♪」
小鳥のさえずりに似て可憐な笑みが脚を迎える。
本日も裏路地の喫茶店は腰を据えるにちょうど良い空きっぷりをしていた。
もっとメインストリート側に店をだせば良いものを。それでもこうして管を巻ける場所があるというのは、心の拠り所。
店に入ってきた客は店員を手で制す。と、おもむろに目深に被ったフードを払う。
「やっほー。あれからみんな元気してたー?」
被り布がとられるとこざっぱりとして少年めいた童顔が現れた。
スードラは人間たちの管巻く席にひらりひらりと手と尾を揺らがす。
「おおスードラじゃねーか。怪我の調子どうなんだよ」
ジュンは食べかけのパンケーキを口に押しこむと、ミルクで飲み干した。
汚れた口を拭いもせず、歩み寄ってくる彼を満面の笑みで迎える。
「あれから3日しか経ってねーのにもう動けんのか? カマナイ村で療養してるって聞いてんぜ?」
「治療魔法かけてもらったしまあまあ完治ってところかなぁ。脇腹や太もも辺りが囓られてたけどこの通りさ」
そういってスードラは厚手の革ローブをするりと脱ぎ捨てた。
隠す場所のみ隠すという半裸体が顕わとなる。そうやって腕を上げて「ほら?」と、脇を晒し見せつける。
微かにだが白い脇と噛み跡の傷がうっすら肌に残されていた。まあまあ完治という発言にも頷けるくらいには治っている。
「は~あ……治療魔法ってクッソ便利じゃねーの。俺たちの科学じゃどこまでいっても自然治癒止まりまでだからなぁ」
「とはいえ呪いや病は治せないからね。外傷へ特化した限定的な魔法さ」
毛さえ生えぬ白い脇にも、滑らかで色気のある脇腹にも、特に気にした様子もない。
ジュンはしげしげとスードラの傷跡を眺めるだけ。眉根を寄せながら感嘆の吐息を漏らす。
「ま。ってことはもう呪いのほうも万全だってことでいいんだろ?」
すかさずスードラは「とうぜんっ」パチンと小癪なウィンクを決めた。
「傷は疼くけど呪われていた頃と比べれば月とゴブリンくらい違うよ。それに君たちの顔もしっかり見えるようになってるしね」
ゆらり。尾を流しながらジュンの対面位置に腰掛ける。
運ばれてきた水に口をつけながら頬杖をついて身体を傾けた。
「そういやお前って俺らの顔をちゃんと見られてなかったんだっけか。よくそれでいま俺らがここにいるって気づけたな」
「龍は匂いとかで記憶したりするから野生の本分ってやつさ。それに僕の場合は体温や気配でも判別するし不便はなかったよ」
種族も違い力にも差があるというのに互いに気にした様子はない。
同様の難敵と死闘の末討ち果たしたのだ。もうこうして人も龍も気心の知れた相手ではある。
エカマプタの群生地での戦闘以降、あれから3日の時が過ぎていた。
3日ともあれば日の巡りとともに世は十分に変わる。元凶であるエヴォルヴァシリスクが討伐されたためエルフたちの呪いは瞬く間に解けていった。
すっかり海辺の村に集められたエルフたちも感涙を浮かべ抱きしめ合ったという。その後は緩やかに日常へと戻っていくだけだ。
「で、あっちはなにやってるの?」
コップの水でくぴりと唇を湿らせる。
スードラは椅子の背もたれへ腕を回すとそちら側へ青い瞳を巡らす。
「あー……いちおうフレックスのトレーニングってやつだな」
実を結ぶかは知らねーけど。ジュンはバツが悪そうに目を逸らしながら指で頬を掻いた。
あちら側では客がいないことをいいことに修行がはじまっている。
しかもテーブルをどかし広いスペースをとってなにやら騒がしい。
「どうだ!? いま蒼くなってるか!?」
「なってない……かなぁ?」
「おおおお! 宿れオレのフレックスッ!」
「宿ってない……かなぁ?」
ミナトと夢矢は特訓の真っ最中だった。
特訓とはいったもののだ。ミナトがただ気張っているだけでしかない。
そこに夢矢が無理矢理付き合わされている形だった。
「なんでだ!? どうしてあの時使えたはずなのにあれから1度も使えないんだ!?」
やれどもやれども蒼は宿らず、うんともすんともいいやしない。
戦いから目覚めて以降ずっとこうして無駄な努力をつづけていた。
夢矢は、崩れ落ちるミナトへ整った眉を潜める。
「あまり急がなくてもいいんじゃないかな? とりあえず使えたっていう事実が自信に繋がるはずだし、もうちょっとゆっくりいこうよ?」
友人に送る当たり障りのない励まし。
それをミナトは「イヤだぁ!!」一蹴した。
「あのときは必死すぎて記憶がほぼ飛んでたんだよ! だからせめて忘れないうちに感覚くらい思いださないとまた住所不定無能に戻ってしまう!」
「で、でもほら僕の視覚映像に使えてたっていう証拠は残ってることだしさ。……あと誰がそんなひどいこといってたの」
すかさずミナトが「杏!」と答えて、夢矢は「杏ちゃんかぁ……」遠い目をした。
あのときミナトは怒りで我を忘れていた。エルフ、スードラ、そしてテレノア。怒りが沸点を超えるには十分過ぎた。
だがどうやって蒼を目覚めさせたのかがすっぽり記憶から抜け落ちてしまっている。あれ以降なにをやっても身に蒼は宿らずにいた。
「オレはもう少し頑張ってみることにする! 次は修行の定番の瞑想だな! それでだめなら滝行だ!」
「あ、あはは。じゃあ風邪をひかないていどにがんばって……」
夢矢はやれやれと肩を揺らしてジュンたちのほうへ向かう。
どうやら諦めたらしい。見捨てたともいえなくもない。
見捨てたといえば、テレノアもいまは聖城に囚われている。
聖騎士と月下騎士。お抱えの騎士たちになんの相談もなく国境を越えたことがバレて謹慎となっていた。
身勝手な行動のうえ、しかも命の危機にまで瀕したというのだから余計に始末が悪い。
そのような経緯もあってか、聖女は祈りと勉学の無限ループに身をやつしている
「まったくもう……みんな無茶しすぎなんだよ。リーリコちゃんもあれから東のチームに入り浸りだし、等の東も内緒で大陸中をうろついているらしいし。いつになったらまともにブルードラグーンの修理に着手できるようになるんだろう……」
胸に詰まる不安いっぱいの吐息が漏れた。
そうやってへし折れながらとぼとぼと歩いていると、ようやく夢矢も迷惑の元凶に気づく。
「あ……っ」
はたと前髪を揺らす。
そしてスードラにちょっぴりむっと唇を尖らした。