126話【VS.】超進化固体 石食いの怪魚 エヴォルヴァシリスク 3
「……大丈夫?」
明滅する視界が晴れると心配そうな顔をしたヨルナがいた。
膝を落とし座りこんだミナトに寄り添って肩に手を触れている。
「あ、ああ……たぶんもう、大丈夫だと思う」
「よかったぁ……。急にしゃがみこんじゃうし呼吸も荒いし顔もひどいしびっくりしちゃったよぉ……」
「……顔じゃなくて顔色っていってくれないかな?」
返答に安心したのかヨルナはキツく張った胸の膨らみあたりをほふ、と撫で下ろした。
とはいえこちらは目眩の渦中にいる。それも額にはびっしりと汗が浮かんで全身くまなくれているし、禄に記憶さえない。
ミナトは過呼吸とよく似た症状であると思いだす。
「すぅぅ……ふぅぅ……」
無意識に刻んでいた呼吸を、深めに切り替えて肺へとりこんだ。
血流が脳に満遍なく循環し、鼓動が緩やかさをとり戻していく。
「君ってば急に崩れ落ちるし、呼びかけても返事してくれないしでびっくりしたんだからねっ!」
ぷん、と。ヨルナは腕組みをし顔を背けた。
表情とは裏腹に安堵している。顔を背けてなおちらちらとミナトの塩梅を窺う。
「あれ? もしかして僕が発作の原因だったりしちゃうのかな?」
ヨルナの発現に原因があったかと問われれば、あった。
無責任だったし情の欠片もなかった。だが、それはそれこれはこれ。ただついてきている彼女に一切の責任はない。
「少し嫌なことを思いだしてぐらっときただけだよ。たまにこういうことがあるんだ、気にしないでくれ」
「だ、だよね~! だって僕間違ったこといってないもんね~!」
あは、あはは! 誤魔化しきれない焦りがたどたどしい笑い声となって響いた。
責任はないが、ヨルナは悪い意味で無頓着である。鍛冶屋として生きた無骨な魂だからか――はたまたコミュ症だからか――たまにそういう一面もあった。
ミナトは、顔にへばりつく脂汗を両手で交互に拭う。
――クソッ、なにも覚えてない……! なにか大切なことを忘れている気がする……!
濡れた髪をかき乱しても以前の記憶が曖昧なままだった。
覚えていることといえば1つきり。友が進んではならぬ道に進もうとしているということのみ。
ミナトは慌ててずんぐり重い頭を振り上げる。
「スードラは!? あれから戦いはどうなってる!?」
呪いの光さえ無警戒で樹木から身を晒した。
どれほど気を失っていたのかさえ定かではない。それでもまだ彼が戦っていることを願いつつ戦場の様子を覗く。
開けた森の奥側では凄惨な光景が広がっている。
「rrrrrr……ryyyy……」
いまこのときに終わったのだ。
浮遊する巨躯がゆっくりと、それでいて地鳴りを生みながら横たえる。
幾本もの木々を潰しながら淡き花畑のなかへと倒れこむ。
「……rr……h……rr……」
大食らいな口から漏れるのはか細い音を漏らす。
無理に呼吸をしているのか長いからだの伸縮は一定ではなくなっている。しかもあれだけ美しかった鱗は傷だらけになって鮮血に濡れていた。
「……rr……gg……」
スードラの全身に敵の呪いが巡ったのだ。
身体の自由が奪われ、文字通り指一本として動かせずにる。
大空の覇者たる最強種族は地に伏した。もはや荒涼となる草木の残骸から起き上がり首をもたげることさえ叶わない。
そうして狩られた獲物の辿る運命とは、常に1つ。大概決まっている。
「ZHAAAAAAAAA!!」
歓喜に咽ぶ奇声が地中奥から這い寄った。
背びれを半分ほど覗かせながら回遊する。
エヴォルヴァシリスクの見た目は戦闘開始時と異なって魚のような形態をしていた。
おそらくエルフたちから削いだ肉塊が破壊されてそうなったのだろう。そして肉が鎧のような役目を果たしたからかいま現在まったくの無傷だった。
エヴォルヴァシリスクは、無抵抗となって横たわる海龍の身に飛びかかる。
「――RRRRRRRRッ!!?」
海龍の牙の隙間から耳をつんざくが如き悲痛な咆哮が発せられた。
滑らかな鱗にピラニアの如き牙が刺さると、肉がえぐれる。鮮血が舞う。
「HEEEEEEEEE!!」
敵は、肉を1口ぶんほど食いちぎってからもう1度地中回遊へと戻った。
このまま幾数回に分けてああやって獲物を食い尽くそうとしているのだ。生きたまま、息絶えるまで、何回も、何回も。
「スードラアアアアアアッ!!」
ミナトはたまらず彼の名を叫んだ。
一瞬のうちに思考も自己保身も失せる。なんの考えもなくただ無謀に彼の元へ走りだしてしまいたいという激情に駆られた。
そんな駆けだそうとする弱小者の手首をヨルナはキツく掴む。
「君がでていってなんになるっていうんだい!?」
「じゃあこのまま指を咥えてろっていうのか!? 友だちが生きたまま食われて息絶えるザマを見てろってか!?」
離せよォ!! なりふりなんて構ってられるか。
ミナトは、ヨルナの手を振りほどこうと暴れた。
「なら僕は友だちが飛びだして死ぬところを黙ってみてろってことでいいんだね!?」
「――うっ!?」
「そんなの君のしている嫌な思いを僕に肩代わりしてだけじゃないか! 自分だけが楽になろうとしているだけだ!」
さすがにこれは効いた。頬を張られるほうがどれほどマシだったかわからない。
あれだけ執着し熱く滾った思いが冷水でもかけられたかの如く萎んでいく。
「君たち人種族は繋いだ縁を紡ぐんじゃなかったのかい! どんなときでも思慮深く、手段を選ばない、でも誰も不幸にしない! 僕の伝え聞いた人種族の伝説に君のような蛮勇はなかったよ!」
「な、なんの話を……してるんだ?」
「生きるために進むのならば僕は手を貸す! でも死ぬために歩いて行くのなら僕は絶対に手を貸さない! これは君の口にした言葉でもあるんだからね!」
途端にミナトは劣勢に陥ってしまう。
女の涙というモノになれてなかったということもある。
それにまさかあのヨルナが涙を浮かべるとは思っていなかった。
「あれどうなっんてんだよ!? まずくねぇか!?」
「あのままじゃスードラくん負けちゃうよ!?」
ジュンたちが蹴躓きながらミナトの元へ駆け寄ってくる。
ここまできてようやくといったところか。さすがにこれが作戦通りではないことに気づいたのだ。
すると先ほどまで涙を散らしていた少女の姿は露と消えてしまう。見えぬ霊体に戻ってしまった。
――ダメだ。冷静になれ……そうだこんな場面だからこそ冷静に……。
ミナトは、頬を叩いて感情のリセットを試みる。
なにより泣いたヨルナの顔が網膜から離れずにいた。
個人でやれることは多くない。しかし味方さえいれば少なくはないはず。
この身に力はない。フレックスさえ不完全。焦って女性を泣かせてしまうほどに心まで未熟。
ミナトは、頼れる仲間たちに、光明を求めることにする。
「スードラの呪いが強まって限界がきてるんだ。オレたちを守ったせいで身体が上手く動かせないまま戦ったせいで負けそうになってる」
ジュンと夢矢は「嘘だろ!?」「そんなッ!?」同じ反応を示す。
明かされた事実に驚きを隠せずにいる。
しかし誰よりショックを受けていたのは、ザナリアだった。
「き、教団の騎士を庇ったせい……!?」
美貌から血色がさぁ、と失せていく。
「そ、そんなことはありえません!? 私たちに罪をなすりつければ済むとでもお考えですか!?」
冷静さを欠いた捲し立てだった。
さらには眉尻を吊り上げるようにミナトのほうへずかずか歩み寄る。
「なんとかおっしゃったら如何です!?」
「…………」
ミナトは襟首を掴まれても言葉を話そうとはしなかった。
スードラ自身が選んだ選択だったから。彼女や騎士たちに罪はない。
「~~ッッ!!」
事態の深刻さを理解したザナリアの身体が「そ、そんな……」すとん、と沈んだ。
テレノアはそっとザナリアの肩を抱くと全員に銀燭の視線を巡らす。
「考えましょう。ここにいる全員でスードラ様をお救いする方法を考えることこそが私たちのやるべきことのはずです」
凜とした声が混濁する場に響いた。
民に親しまれる姿ではなく、聖櫃さを秘めた聖女の姿だった。
冷静かつ正確な判断だったといえる。そうやっているうちにもスードラが一方的な暴力によって傷ついていくのだ。
「HEEEEEEEEEE!!」
「RRRRR……!?」
新鮮な獲物を前に食らいつく。
青き龍をいまこの場にて喰らおうとしている。
スードラの呼吸は浅くなるばかり。とうに泥に塗れていたはずの花畑は彼の血によって深紅の花弁をもたげていた。
現場を垣間見せられて息を呑んだ一党は、即刻会議を開始する。
「助けに入るしかねーだろ! 見捨てたところでエルフたちは死んじまう! ならここで突っこむしかねーだろ!」
「でもどうやって戦うの!? あんな強い龍が戦っても勝てなかったんだよ!?」
「呪いを受けたら全滅必至。倒せるどころか攻撃を当てられる可能性すら高難易度」
なにより議題のネックとなっているのが石化の呪いだった。
喧々諤々と意見交換しても石化という言葉ですべてが却下されてしまう。それほどまでに生命を脅かす驚異だった。
「くっ、そ……!」
ミナトはたまらず樹皮に拳を叩きつける。
スードラの悲鳴を聞くたび胸が張り裂けてしまいそうだった。
胃の腑が裏返って中身を零さなかっただけでもまだマシだった。せっかく眠らせた駆けだしたいという感情が秒を刻むたびに強くなっていく。
「なあ、そういやずっと思ってたことあんだけどよ?」
一刻を争う現場におずおずと控え目な手が上がった。
銀の幅広い剣を抱えたジュンは、むにゃむにゃと歯切れ悪く眉を寄せる。
こここの場においてその自信のなさは、あまりにも頼りなかった。ただそれでも一縷の希望に縋りたい。
全員があまり期待していない視線を彼の元へ集めると、ジュンも頬を掻いて所在なさげに身体を揺らす。
「そもそもの話なんだけどよ? 俺らフレクサーに呪いって効かねーんじゃねぇか?」
彼の身を包む皮膜のような蒼が揺らぐ。
当然、友の夢矢だってそんな滅茶苦茶な話を信じられるはずもない。
「あ、あはは……さすがに根拠がなさ過ぎてなんとも……」
「だってよぉ……俺の能力、《不敵》でべっぴんさんも聖女ちゃんも守れてんだろ? ならフレックスは貫通できてねーってことだよな?」
「――あっ!?」
そのジュンのひとことは全員の耳に響き、身に染みた。
夢矢含め全員が息を詰まらせる。それぞれカッと見開いた視線を彷徨わせる。
光が明ける。希望という大いなる力が、確かにそこに存在していた。
「rrrrrrrrrrr……!」
死を眼前に突きつけられた友が、必死に助けを求めている。
もはや森に見えぬ荒廃した地にとり残され、いずれ死を迎えんと、時を待つ。
ならばこちらも舞う準備は、十分すぎるほどに整っていた。
蒼き龍のチームには名前が存在する。この大陸世界に迷いこんだ1匹の龍、ブルードラグーンのメンバーの名だ。
とある男が率いる20名のメンバーたちのみ。その名を名乗ることが許されていた。
代表して五芒のリーダーが、そのチームの名を明かす。
「チーム《祈り女神》ッ! 出撃するぞッ!」
「応よッ!」
「了解ッ!」
「任せて」
五芒、騎士、影の3人も合わせて強かな笑みを浮かべた。
ミナトによってルスラウス大陸用即席チームが発動される。
東光輝をリーダーとし発足された、《祈り女神》が始動した。
《祈り女神》は見捨てない、誰ひとりとして死なせない。たとえそれが人でなくても繋げる。
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