125話【VS.】超進化固体 石食いの怪魚 エヴォルヴァシリスク 2
実体化したとはいえ姿はミナト以外に見せていないらしい。
「よっ、と」
ヨルナは人に不可能な機敏さでトン、土地を蹴った。
軽やかな跳躍で頭上の木枝にぶら下がると、手で日差しを作る。海龍と怪魚の戦場を遠巻きに見つめながらおもむろに目を細めた。
「あの龍ってばなんで本体で戦ってるんだろ? こんな環境でなら龍の形より種族の姿のほうがアドバンテージがあるはずなのに……」
そうしてぱっと枝から手を離し音もなく地上へ戻ってくる。
「様子が変ってどういうことだよ? どうやら両目は見えてないらしいけど、戦えないことはないっていってたんだぞ?」
詰め寄りかかるミナトをヨルナは手で制す。
腕組みしながらむむぅ、なんて。しかめっ面で可愛らしく白い喉を唸らせる。
「うーん? あれ本当に呪われているの両目だけなのかい?」
「は? なにを唐突に……っ」
言いかけてミナトはハッと息を呑む。
大きな見逃しがあった。昨夜、確かにスードラはこう語っていた。
とある状態で間違えてしまった、と。
「そういえばアイツ……身体も鈍いとかいってたな。鬼を倒すのに力加減を間違えたとかで……」
盲目となっていたという部分だけに意識が注がれすぎていた。
そうなるとおそらくスードラに影響を及ぼしているのは視界、それと感覚。
「どうりで遠目から見ても戦いずらそうにしているわけだよ。もう顎を噛み締めるくらいの力さえない状態なんだろうね」
「なっ!? じゃあアイツはオレたちに無事だって嘘をついていたってことか!?」
もしそれが彼の思いやりだとしたら見当違いに他ならない。
そもそも火力であるスードラが戦えないとわかっていたのなら計画は頓挫していたはず。
危険極まりない相手との戦闘。ならば相応の戦力を用意しなければ話にならない。
つまりミナトの考えていることが彼の本性であるならコトだ。スードラは限りなく裏切りに近い嘘を吐いたということになってしまう。
「アイツまさかオレたちを戦場に巻きこむために大事なことを黙っていたのか!? そうやって少しでも戦力を投入して引き返せないようにするためだけに!?」
「それは違うと思うよ」
ヨルナは、ミナトの憤りをバッサリと両断した。
「彼には彼だけで勝つ見こみがあったんだよ。そう、勝負がはじまる寸前までの状態だったならね」
さっぱりと涼しげな様子で白い指をくるり、くるりと回す。
ただ追随している彼女にとっては他人事でしかない。これはあくまでこちら側の話ということ。
だからミナトもそんな白々しい彼女に、つい怒りの矛先を向けてしまう。
「勝つ見こみがあったなんてよくいえたもんだな! その結果があの体たらくってコトかよ!」
ヨルナはやれやれと露骨なまでに深いため息を吐いた。
首を横に振るたびこざっぱりとした黒いショートヘアーが木漏れ日に艶めく。
「キミらが1発目の呪いを彼に肩代わりさせてしまったんだ。そのせいで呪いの進行度がぐんと上がってしまったんだよ」
「そ、それって……はじめの1撃目のことをいってるのか?」
「うん、それ以外にないだろうね。あれさえ受けなければきっと彼は微弱な呪いのみで戦えていたんだ」
あまりの非情さにミナトは頬をひっ叩かれるような刺激を覚えた。
あの瞬間スードラがなにを考えて行動したのかは知る由もない。しかし彼が身を挺して割って入らねば犠牲は避けられなかった。
そしてヨルナは、淡々と事実を突きつけていく。
「しかもおそらく生身、脆弱な種族の身体で呪いを受けてしまったんだね。耐性の強い最強種族の身体に戻っていたらきっと助けが間に合わないと踏んだんだ」
「そんなッ!? あんなことだけが原因で苦戦してるってのかよッ!?」
スードラの覚悟が薄皮を剥くよう鮮明に解体されていく。
もし真実であるなら――友として――肉を抉られるような、最悪だった。
しかもしれはおそらく咄嗟の行動で間違いない。なぜならエヴォルヴァシリスクを討伐さえすれば解呪される。
あの瞬間のスードラは反射的に動いた。動いてしまった。彼のもつ優しさが裏目にでた結果ともいえる。
「本来の耐性の強く筋力の凄まじい龍の姿ならば少しの呪いは耐え抜ける。でもいまはあの姿からもう1度種族の姿に戻れば身体は一生動かないだろうね」
きっとヨルナは客観的なのだ。
この場において誰よりも冷静かつ中立の立場にいる。
だから彼女は知らない。一瞬でも友の行動を疑った身に絶望が満ちていくことに。
「そんなに震えてどうしたのさ? 確かに足を引っ張ってショックかもしれないけど、あの龍の行動は自身の責任でしかないよ?」
ようやくヨルナも異変に気づく。
己の媒介する宿主の少年に災いが芽吹いていく。
「……死ぬ……死ぬのか? スードラはもう……ここでいなくなる?」
身体の芯から痙攣が襲ってくる。
鼓動が早まるたび視界が紅く染まっていく。眼球は零れんばかりに剥かれ、肺は感覚を失うほど冷えた。
「……オレの世界から消える? ……消えていなくなる?」
すでにミナトの世界にはなにも映ってはいなかった。
それは真のの恐怖によるトラウマ。幾度と壊れかけた心が友の死という単語に反応している。
「ねえ聞いているのかい!? いったいどうしちゃったのさ!?」
「ハァ、ハァハァ……! ハァ、ハァハァハァ、ハァッ……!」
ヨルナからの声でさえ膜を通したように濁った。
もうスードラは引かない。エルフたち、騎士、そして己自身。背負うものが多すぎる。
己で責務を果たすために、あのまま死を迎えるまで戦い、足掻き、朽ち征く運命から外れない。
死になれすぎた心が限界を迎える寸前のところまで患う。忘れかけていた死への恐怖がぶり返していく。
しかしただ1つだけ存在した。
墜ち征くさなかの少年の耳に唯一聞こえる音がある。
「Rrrr……ッ、ROOOOOOOOEEEEEEEEEE!!!」
まだ屈していない雄々しき雄叫び。
スードラは生きている。
彼はそうやってその身を、命さえもを、削りながら生きてなお敵と戦い、争っている。
それは唯一の希望だった。まだ時間切れではないことを意味していた。鼓動がつづいていることの証明だった。
「……あっ」
パチン、と。なにかが弾けて視界が真っ暗になる。
身体の一部ではない、それは全身に巡った。身体の表面を覆うような硬く厚いなにかが割れるような感じ。
そしてこの1人のみで構成される世界に別の音が響いてくる。
『不可解な障壁の亀裂を検知。原因究明――コネクト不可――マザーブレインによる演算不能。個体による推測……心の乱れによる大きな精神負荷が原因と思われる』
――……誰だ? ……どこかで聞いたことがある声が?
『不可思議な障壁に生じた亀裂箇所の再生を確認。しかし漏れでた激流の一部が肉体へ漏洩することはもはや避けられない』
透き通って、それでいて知っているような。
この感覚はヨルナと会話しているときとよく似ている。
耳ではなく神経に直接語りかけられるような。とても澄んでいて明瞭な美しい声だった。
『襲いくる本流のすべては、アナタ自身の力。アナタという器によって内包されたアナタに与えられた色』
――オレの力……色? いったいなにをいって……?
『決して怯えることはなく、意識を保ちつづけることのみを思考をつづけること。そしてもしアナタが漏れでた一部を上手く定着させ使いこなせるのであれば――』
救える。確かに、声はそういった。
『ワタシの役目はこの世界と境界の情報を母の元へもちかえること。このいち個体の生命へ定められし理由は、現象を理解し、共有し、解き明かすのみ』
直後、声はぷつんと途絶えた。
真っ黒だった世界が白を1滴垂らすかのようにゆっくりとじょじょに返ってくる。
閉ざされた暗幕が開く。視界が広がっていく。音と現実感が本来ある形となって急激に戻ってきた。