『※新イラスト有り』120話 駆けた光《NOT LAST SONG》
普通であることが幸福だった少女にかけるただ1つの願いだった。
孤独に生きた龍にとって少女とともにあった時間は、宝にも等しい。遠ざかってなお求めてしまう。そんな掛け替えのない奇跡のような時間だったということ。
対してその中性的な横面に拳が振るわれなかったのも、きっと奇跡だった。
「ところで心拍数も体温も上昇しているけど……なぜ君は僕の話を聞いてそんなに怒ってるのかな?」
スードラは煙に巻くような微笑を浮かべた。
海風を受け踊る毛先を頬横で押さえながら留める。
こちらがドブにたたき落とされたような気分だというにも拘わらず、巫山戯たことをのたまう。
彼の話す思い出は、ミナトにとってひどく不快で吐き気さえ覚えるほど。
「巫山戯るなよな……! 耳心地いいような立て付けをした言葉だけを意気揚々と並べやがって……!」
「フザケてなんていないよ。らしくないように聞こえるかもだけど、僕は本心エルフたちを助けたいと思っている」
ここでミナトのなかで堪えていた蓋が限界を迎えた。
プチンときた。激情に駆られ立ち上がる。
腹の底のなにもかもが烈火となって燃え上がった。
「じゃあなんでエルフを助けたいと願うお前から死を覚悟したヤツの臭いが漂ってきてるんだよッ!!」
鼻先にこびりつくよう香って香って仕方がない。
それはきっと科学的に判明できるものではなく、経験が覚えていること。
アザーという死に塗れた星で多くの死を見送ったミナトだからわかってしまう。
するとスードラは呆気にとられるようミナトを見上げながら目を瞬かせる。
「……へぇ。君、嘘を見抜く僕よりよっぽどエグい才能もってるじゃん」
とはいえそれ以上の反応はなかった。
一瞬だけ驚いたかと思えばすぐさまイタズラめいた微笑で上書きしてしまう。
先の話を聞いて彼の口から語られていない事実が存在していた。
ここまで語らせたのだ。次はこちらが好きに問いかける手番である。
「村の連中はいまどうしてる!? 呪いをもっとも近くで浴びつづけた連中の現状は!?」
「ソルロちゃんと同じところまで進行しているだろうね。なにせこの子を連れてるのは進行の進み具合を測るためだから」
ミナトががなり立てるも、スードラは至って冷静に受け答えた。
己の口から余計な情報を漏らさぬよう徹底していたのだろう。己の手ですべてを片付けるために。
しかしミナトは彼の覚悟に秘めた愚かさを見逃してやらない。
「じゃあ直接呪われたお前はどうなんだ!? 進行する呪いだって明かしたのはお前自身だろ!?」
そう、彼もまた犠牲者の1人なのだ。
そしてスードラは、人間を元凶討伐へ到達するための段階として導いていた。
きっと彼にとって相手がなんだろうとどうでも良かったのだ。ただ呪いの中心に辿り着けさえすればその命振る舞ってでも討伐せしめる覚悟を固めていたから。
しかしミナトもまた彼から漂う悪しき臭いに気づいてなお黙っていた。黙っていることで推し量りながら信頼の破片を集めていた。
結果、スードラ・ニール・ハルクレートは信頼に値する。それでいてもっとも愚かな選択をしていることが判明する。
「オレたちを利用したいならもっと上手く利用してみせろ! 協力してその後に残ってるのが裏切りっていうなら協力なんてハナから断ってるんだよ!」
ミナトが呼吸を荒げていると、しばししてスードラはため息を吐く。
どこか諦めに似て、吐露するような深く長い吐息だった。
「僕は龍だからかそれほど進行は早くないよ。まあ昼頃ちょっと力の使いかたを間違えるくらいには感覚器官の反応が鈍くなってきてるけど」
「……。なら目は完全に見えないのか?」
「両目はね。でもおでこのこっちのはちゃんと見えてるから不自由はないよ」
心配しないで。そういってスードラは白い額に埋まっている宝玉をとんとん、と指で叩いた。
いまのところ嘘をついている様子はない――……というよりここで嘘をつく理由もないな。
確かに昼間の戦闘で鬼を肉片に変えていた。だが、まだ大事に至るほどではないようだ。
ひとまずミナトは安心を覚えて怒りを呑みこむ。どっかり豪快に浜辺へと肉の薄い尻を落とす。
「なんでそんな大事なことを黙ってた? 目も見えないで1人でふらふらしてたならどうしてもっと早く誰かに助けを求めなかった?」
「ヤツと戦ってもそうそう死なない丈夫で信頼できる援軍を探していたんだ。そこで、多くの種族が集まる聖誕祭の場を利用させてもらったら君たちがいたんだ」
スードラは聖誕祭への参加をソルロ名義で記念参加といっていた。
未知なる敵と戦うための戦力を探すとなればそう簡単な話ではない。だからこそ強者が集う聖誕祭の場を借りたということか。
しかも盲目のなか、頼れるものはない。いつ呪いが進行するかもわからぬ己と少女のみの果てない旅路。想像するだけで途方もない。
上手く操られていたミナトでさえ1人孤独に陥っていた彼を責められなくなってしまう。
「なんでそこで人間を選んだんだ? エルフ国そのものに訴えかければほどほどに援軍だって用意して貰えたんじゃないのか?」
「本質的にいえば君たちの実力を買ったのさ。ビッグヘッドオーガを狩ったという君と聖女ちゃんのもつ幸運と確かな実力をね」
特殊変異体の討伐。そして人間と聖女。さらには聖都に後光を呼び玉座レースの大逆転まで。
戦力となる人材を探していたスードラの目からすれば、破格に見えていてもオカシイ話ではない。
「買いかぶりすぎだ。あれは偶然の産物で実力なんて胸を張れるものじゃない」
ミナトは吐き捨てるように本心を口にする。
だがスードラはそれすら包みこむような笑みを口元で描いた。
「僕はそうは思わないなにせこの僕に勝ったんだ。そして窮地のエルフたちを迷いなく救いながらここまで呪いの根底に辿り着いた。そんじょそこらの種族にはない明晰な頭脳と十分な実力を示している」
ようやく本音を語っているのか、いやにすっきりとした顔をしている。
男らしくない中性的な顔立ち。だがスードラ自身男らしく振る舞おうとはしていない。
小癪で蠱惑。影さえ掴ませぬ性格も相まって1つの完成された魅力として備わっている。
「僕の求めているのはその柔軟な頭脳の集合体さ。君たちの非常識な能力で隠れ潜む元凶を見つけだして欲しかったんだ」
スードラのおかげでミナトの頭のなかは、「ちっ……簡単に言う」ぐちゃぐちゃだった。
情報が濁流の如く押し寄せてくるのを1つ1つ整理していくしかない。
彼の話ぶりからして相手は十中八九大陸産の魔物となる。そうなると民を信じたテレノアの予想が大いに当たっていることになる。
そして敵は隠れ潜みながらエルフ国全体をいまなお彷徨いつづけていた。彷徨い振り撒き死を食らう。姑息だがもっとも安全で、かつ厄介極まりない性質をもつ。
普通の手段で探すには膨大な時間がかかることが予想される。
「……あれを使えばなんとかなるかもしれない……」
そう、普通の手段ならば。
ミナトは、夜空の星々を睨みながら中空を扇いだ。
「え? ほんとに? 見つける方法があるの?」
「でもその前にはっきりさせておきたいことがある」
ミナトは、光学迷彩ローブの裾を揺らしながらおもむろに立ち上がる。
期待に目を瞬かせるスードラの手前で両膝を砂に埋めた。
「オレらを利用して敵を見つけだしても変なマネはしないと約束しろ。自暴自棄な特攻をしてソルロや村のエルフを助けたいとか思ってるならオレは一切協力をしない」
「な、っ!?」
逃がさない。友の白い両肩に手を添えて力を籠める。
ミナトは、海色をした瞳と向かい合う。
「これが協力の条件だ。フザケたマネは許さない」
そう脅しをけると、スードラは伸び上がった尾を硬直させた。
それから口を閉じ、肩の上下させず、呼吸すら止めた。
しかし瞳――額の宝玉――は、己を縛る人という種族のことを一心に見つづけていた。
「あの決闘のときお前が大切だから慌てて割りこんできたソルロのことを忘れるなよ。それと助かるのはエルフとこの子だけじゃない」
スードラ、お前もだ。ミナトは、彼と違って、伝えるべきことはすべて伝えた。
少なくともこの龍は、最終的に己の命でさえ捨ててでもことをなそうと考えている。
でなくばここまで死は香らない。だから戦場へ導く前にはっきりさせねばならなかった。
「もし約束が守れるのなら必ず仇を見つけだしてやる」
「……ああ、わかった。わかっているよ……」
彼らしくないたどたどしく弱々しい返しだった。
ミナトは、顔を背けようとする友の頬を押さえ、強引に向かい合わせる。
なぜなら彼の額の宝玉にはこちらの心――真実が見ているだろうから。
死に征く友はもう見飽きたという、心からの願いが嘘ではないということを見せつける。
「オレの世界に入りこんできたのはお前のほうからだ。そのうえで勝手に死ぬならオレはお前を一生許さない」
遠回しにスードラは友であると、そう告げる。
海色の瞳が見開かれ、と同時に朱色へと変化した。
スードラは唇を震わせると、朱色の瞳を僅かに細める。
「うん……うん、わかった努力する」
小さく、それでも幾度と小刻みに首を縦に揺らす。
聞いた言葉を噛み締めるよう何度も、何度も。
「これは龍族の契約とかじゃないオレとお前だけの約束だ。もし約束を破ったらマジで絶交するから覚悟しておけよ」
「それは……っ。確かにイヤだね……うん、凄く辛いかも」
黒い瞳と紅い瞳がそうやって見つめ、響き合う。
こうして繋がるのであれば世界なんて関係はないのだ。
守りたい者がいる。守りたい友が居る。ならば互いに身を寄せ合い守り合う。
手を繋いだ1人が両隣を守る。両隣の人間の手の温もりを決して失わぬよう守り抜く。そうして繋がっていけばゆくゆく大きな盾となる。
それこそがミナトの所属するチーム《マテリアル》のやりかたで、しきたり。チーム《イージス》の堅い掟でもあった。
「実は僕たち龍って生まれたときはみんな性別が決まってないんだよね」
スードラを解放したミナトは「……は?」眉をひそめる。
すると後ろからくつくつと堪えるような笑い声が聞こえた。
「長く生きているけどこんな気持ちははじめてだよ。雄じゃなくて雌を選んでいたら良かったかなって思わされたのは」
月光を全身で浴びながら白い背を弓なりに反らし伸びをする。
うっとりと目尻を垂らした柔和な微笑みからは、邪な感情や死の臭いがすっかり消え失せていた。
代わりに見る者の心を惹く純真な魅力がふんだんに満ちている。
「な、なにいってんだこの公然猥褻物?! 気色悪いこといってないで明日に備えてとっとと寝ろっての!?」
「えぇ~? 本当は気づいているくせにぃ~?」
こうして海龍スードラが――友として――人間の仲間に加わったのだった。
そしてようやく話がまとまりかけたところで、異変が起こる。
スードラの膝の上で寝息を立てていたソルロの様子が、なにかオカシイ。
「……っ? っ、っっ?」
横たわったままなにもない場所に向かって両手伸ばす。
闇で手探りになったみたいなたどたどしさで踊らせる。
「っ、っ!? ~~っ!?」
次第に目元へじわりと涙が浮かぶ。
慌てて起き上がろうとしてバランスを崩す。スードラの膝から転げると浜辺の砂の上に腹ばいとなった。
それからもソルロは一心不乱に両手両足をバタバタ暴れさせ、砂を掻きつづける。
「ソルロちゃん!? ソルロちゃんしっかり!?」
スードラは急いで彼女を拾い上げると胸に抱き留めた。
するとソルロは一瞬驚いたように身をすくめる。直後にスードラの胴へ手を回し額を胸にこすりつけた。
「ま、まさかッ!? よりにもよってこのタイミングで視界にまで呪いが回ったっていうのかッ!?」
「じ、時間がない……! 次の段階にまで至ったなら彼女はもう……!」
死んでしまう! スードラの悲痛な叫びが波間を裂いた。
冷水を浴びせるかの如く世界は残酷な現実を突きつけてくる。
根源たる村出身の彼女が呪いを全身に巡らす、つまりそこから数珠繋ぎにエルフたちの死体の山が築き上げられてしまう。
もうエルフたちを救えるタイミングは、数刻と残されていないことが判明した。
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